第2話 彼女の世界は半分

「ここ最近の彼女のメンタルも落ち着いてきました。今後は投薬を少なめにして行動認知療法メインへ切り替えて行きましょう」


 大学病院の診療室。心療内科医の先生の話を聞き、俺はほっとした。

「なぁ、良かったな。薫」

 俺は彼女に呼びかけるが、から笑いで返事をする。


「それと、薫さんは席を一旦外してくれませんか?武岡さんにお話があります」


 医者の一言で彼女は不安な表情を浮かべるので俺は「大丈夫だから」と宥める。

 医者と二人きりになった俺は、精神科医の顔をじっと見る。俺になんのようだ?

「うーん。薫さんに関してですが、武岡龍世さん。貴方にお願いしたい事があります」


 俺は先生のさっきと打って変わって真剣な眼差しを見て、固唾を呑む。

 先生の話を要約するとこんな感じの内容だった。


「彼女が君に依存している可能性がある。貴方もあの子に対して罪悪感を抱えているのでは? 確かに彼女の片目を失った要因は、貴方の工具箱から飛び出た彫刻刀が刺さったのが原因でした」


 責任はない?

 そんなわけ、ない。

 俺が、あの時……

 もっと早く気づいていれば。

 もっと強く受け止めていれば。

 あの時工具箱をしっかり管理して持ってなければ。

「俺のせい……ですよね」

 口から勝手に出た言葉に、先生は少し困った顔をした。

「でも、貴方に責任はないですよ。今度は貴方も受診してくれませんか? 貴方のためにも。彼女のためにも」


「あの、龍世。先生と何の話をしてたの?」


 診療室の外へ出ると、薫が不安そうな顔で出迎えた。彼女の髪は右目が見えないように右側の前髪を伸ばしていて、時折片目の眼帯が見えないように整えていた。何度も見ているのに、見るたびに心が苦しくなるのは変わらない。


「いや、俺もあの先生の受診を受ける事にしたんだ」


 俺の返答に対して、薫が顔を真っ青にしていたのがわかった。


「ねぇ、もしかして私のせいで? ごめんなさい……。ごめんなさい。私の片目のせいで龍世に迷惑かけて」


 彼女の片目には大粒の涙が浮かんでいて、今にも溢れそうになっていた。


「大丈夫。あの事件は薫の責任じゃない。俺はお前に迷惑だなんて思ってないよ」

「でも、龍世も受診が必要になったよね。気を悪くしたら本当にごめんなさい。お願い。……私のこと嫌いにならないで。ひとりにしないで」


 俺が薫を傷付かないようになだめていると、彼女の左目からぽろぽろと涙が溢れた。そのたびに、無機質な右目の眼帯が何も語らず沈黙を保っていることが、俺の胸を苦しくさせた。


「そ、そうだ! な、何かお詫びに何かするから許して。お願いします」


 薫は俯いていた顔を一気に上げて俺の顔を近づける。


「お、おい。ちょっと……当たるって」

 俺は小さい声で動揺していた。


 ちょっと、その……。なんというか、俺の胸元に柔らかいものが当たっていてドキっとするだろ。


「あ! そうだ、ちょっとこの後サイゼかラーメン屋あたりでメシ食いに行くか。ちょうど、腹減ってきたし」


「う、うん! 食べに行こう! いや、行かせて下さい!」


 やっと泣き止んだ彼女は小学生の女の子の様にはしゃいでいた。

 俺は、ひとまず彼女の精神が安定したのでホッとしていた。


 あの医者から聞いたが、どうも薫は俺の事を嫌いになるのを恐れているらしい。だが、俺が薫の事を嫌いになることはないだろう。


「龍世、このイタリアンジェラート美味しい」


 薫の右側の唇とほっぺに、ジェラートのクリームがほんのりついている。

何故なら、時折見せる彼女の笑顔が可愛くて好きなのだから。


「ど、どうしたの? 龍世。顔色悪いけど……もしかして、今日のカウンセリングで疲れたの?」


「い、いや、そのジェラート美味しそうだなって」


「じゃ、じゃあ。私の全部あげるよ! 今回も迷惑かけちゃったし……。なんだったら、私の事いつでも殴っても良いからね。ヤリ捨ててもいい。……だから、私の事見捨てないで」


「いや、そこまでしなくて良いから、一緒にイタリアンジェラート食べようぜ」


俺は、彼女を慰めながらイタリアンジェラートを最後まで一緒に食べた。ほんの少し甘いクリームのおかげで、彼女の精神が安定し始めて、俺も一息つくことができた。

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