第4話
バスはゆっくりと、色んな町やバス停を抜き去って行った。
その間も羽雪は、友人達の談笑を聞いていた。
そして、この日の別れの時が訪れた。
「次は天ノ川町ー、天ノ川町ー」
車内アナウンスが、バス停への到着を、知らせた。
「あの」
喋っていた友人達に、羽雪は声をかけた。
「着いたから、降りるね」
「分かった、気をつけて帰ってね」
冴が言った。
「うん」
と、羽雪は頷くと、停車ボタンを押した。
バス停にバスは停車し、ドアが開いた。
「それじゃあ、行くね」
スクールバッグを掴みながら、羽雪は言った。
「うん、じゃあね」
「バイバイ」
「また明日」
など、皆口々に、羽雪に別れの挨拶を述べた。
「うん、じゃあね」
羽雪はみんなに向かって、そう言うと、乗車口まで歩いて行き、ステップを降りて行った。
羽雪が降りると、バスの中からコツコツと、音が聞こえた。
振り返ると、冴達が窓から手を振っていた。
羽雪も振り返した。
そして、バスが走り去って行った。
見えなくなるまで、羽雪は手を振りながら、見送った。
家に帰る方向に、向き直ると、突然、羽雪の周りが明るくなった。
光の強さに、羽雪は思わず、腕で目を覆った。
眩しいのを堪えながら、片目をうっすらと開け、光の出た先を見ると、忍がバイクに跨って(またがって)、ライトで辺りを照らしていた。
エンジンを鳴らし、片手を軽く挙げ、挨拶した。
「お兄ちゃん」
羽雪は、忍の元へ駆け寄った。
「迎えに来た、帰るぞ」
ぶっきらぼうに、そう言うと、後ろに乗せてあった、ヘルメットを取り、差し出した。
「来なくても、一人で帰れたのに」
ヘルメットを受け取ろうとして、羽雪は忍の手元に気がついた。
互い違いに、指に絆創膏(ばんそうこう)が、貼られていた。
忍は料理で、失敗など、滅多にしない。
それを分かってる羽雪は、忍に聞いた。
「もしかして、心配してわざわざ、迎えに来てくれたの?」
図星を突かれたらしく、忍は答えを詰まらせ、数秒間、悩んだ挙げ句、こう口に出した。
「ん……まあな、女の子を暗い中、一人で帰す訳にいかないからな」
「そっか、ありがとう」
羽雪は忍から、ヘルメットを、今度は受け取ると、
それを被り、忍の後ろに跨った。
「しっかり捕まってろよ」
羽雪はしがみつくと、忍はバイクを発進させた。
走ってる間、羽雪は灯りが灯る町並みを、見送っていた。
そうしているうちに、家に着いた。
中に入ると、忍が言った。
「夕飯出来てるから、課題とかあるなら、先に食べてからにしな」
「はーい」
と、羽雪は了承した。
スクールバッグを持ったまま、キッチンへと向かう。
廊下を渡りきり、目的地に着くと、テーブルに、カレーが二皿、ラップを掛けて、向かい合わせに置かれていた。
(食べないで、待っててくれたんだ)
兄の心遣いに、感謝した羽雪は、まだ、手をつけずに、バイクをかたしに行った兄を、待つ事にした。
やがて、忍がやって来た。
キッチンに入ると、忍が言った。
「なんだ、まだ食べてなかったのか」
「うん、一緒に食べようと思って」
羽雪が言った。
「先に食べてても、よかったのに」
言いながら、忍も席に着いた。
「いただきます」
手を合わせて、二人で挨拶をした。
こうして、兄妹(きょうだい)の夕食が始まった。
カレーを頬張りながら羽雪は、今日の学校での、一日の流れについて、話した。
食事の後、入浴も済ませた。
頭を拭きながら再び、自分の部屋に入ると、
机の上に置いてあった、ケータイが震えていた。
手に取って開き、画面を見る。
メールが数件、届いていた。
〝今日、何か面白い番組ある?〟や、
〝ご飯食べた?〟
など、たわいない、内容のものだった。
ちなみに、前者は冴からで、後者は巧からのものである。
すぐさま、羽雪は返事を打った。
返信を済ませていたら、下の階から、忍が羽雪を呼ぶ声がした。
「何ー?」
羽雪が返した。
「下で面白い番組やってるから、一緒にみないか?」
呼んだ理由の内容によっては、断わろうとした羽雪だったが、〝面白い番組〟と聞いて、興味を持ち、気が変わった。
「今、行く」
返事をすると羽雪は、ケータイを閉じ、机の上に置いた。
そして部屋を出て、ドアを閉めた。
テレビを見終え、羽雪は部屋に戻って来ると、ケータイを手に取り、ボタンを打ち始めた。
〝もう、夜も遅いから寝るね、おやすみ〟
顔文字も添えて、友人達にメールを送信した。
友人達からは、こう返って来た。
〝分かった、おやすみ、良い夢を〟
ちなみにこのメールは、冴からのものである。
羽雪はメールを読み終えると、ケータイを閉じ、ベッドの枕の脇に置いた。
そしてベッドに入って、上体を起こしたまま、布団を体に掛け、仰向けになり、明かりを消して、目を閉じた。
一軒の、家の明かりが、消えた。
無数の星明かりが、綺麗な夜だった。
※
爽やかな青空が広がる日中、羽雪は友人達の談笑に混ざりながら、バスに揺られ、道を走っていた。
「昨日、テレビ何見た?」
雫が言った。
「〝炎の体育会系TV〟見てた、そっちは?」
冴が言った。
「〝天才!志村動物園〟」
夕雨涼との、二人の心が声の弾みに、滲み出ていた。
それもその筈。
今日は羽雪と友人達みんなで、遊園地へ出かけるのだ。
「フ……フフフ」
あまりの嬉しさに、堪えきれなかったのか、雫が笑い出した。
「あー、早く着かないかなー、ベリーランド」
「ねー、楽しみだよねー」
冴もそれに乗った。
『だよねー、だよねー、超楽しみー』
二人の声が、重なった。
羽雪は談笑に混じりながら、これまでの事を思い返していた。
話は今から、三日前に遡る(さかのぼる)。
※
それは先週の木曜日の事。
羽雪達は、昼休みに屋上で、弁当を食べながら、談笑していた。
その中で、冴が言った。
「あ、そうだ」
そして、制服のポケットをまさぐり、太くて長めな小さい紙を、四枚取り出した。
「じゃーん、これ見て」
みんなの視線が、冴に集中した。
「ベリーランド御招待券、八名様?」
チケットに書かれてある文句を、夕雨涼が読み上げた。
「そ、昨日お母さんから頼まれた、お使いの帰りに、商店街の福引きで、当たったの」
嬉しそうに冴は、言った。
「みんなで行かない?」
冴の誘いに、
「いいね、行こうよ」
「うん、楽しそう」
男子勢から、賛成の声が上がった。
「樹里亜も行くー」
「勿論(もちろん)、ウチらの仲じゃん、行くわよ」
「私も行くわ」
女子達も同意した。
「羽雪も勿論、行くっしょ?」
「え……私は……」
自分に質問が、周って来ると思ってなかった、羽雪は焦った。
「行くわよね」
冴の声を合図に、六つの視線が、今度は羽雪に集中した。
みんなの圧が、羽雪に迫る。
「う……ん、行く」
羽雪は頷いた。
「決まりー、じゃ、日曜の朝、七時半頃、学校前に集合ね」
で、今に至る。
「ふふふ、何から乗ろうかなー?メリーゴーランドでしょ、コーヒーカップでしょ」
「観覧車にも乗りたいよねー」
話に加わるように、雫が言った。
「そうだねー、でも、遊園地の醍醐味(だいごみ)と言えば」
『ジェットコースター』
二人の声が、重なった。
「あー、楽しみー」
声量を上げながら二人は、手を取り合って燥いだ(はしゃいだ)。
バスは、並木道から、どんどん道が開けて行き、大通りへと繋がる、道路へと出た。
その中心には、大きい観覧車が目立ち、目印のようになっていた。
「あ、あそこね」
遠くを眺めるように、手を額に翳し(かざし)、雫が言った。
「はー、いよいよね」
歓喜の溜め息をつきながら、祈るような手つきで、冴が言った。
大通りを突き抜けて行く中、羽雪は窓から見える景色を、眺めた。
沢山(たくさん)の町並みを、どんどん通り過ぎて行くと、バス停の看板が目に入った。
バスはくっつくように、そのバス停で止まり、プシュー、ガコンと、ドアの開く音がした。
「次はベリーランド前ー、ベリーランド前ー」
アナウンスが流れ、到着した場所の名を教えた。
支払いを済ませると、七人はバスを降りた。
そこには、コーヒーカップ、メリーゴーランド、バイキング、ジェットコースター、観覧車がデンと構えていた。
「まずは、あれに乗ろう」
そう言って雫が指したのは、バイキングだった。
乗ると、金切り声の悲鳴が、上がった。
バイキングの船は、大きく揺れる、そして、羽雪達は上昇と急降下を繰り返しながら、空中と地面を行ったり来たりした。
アナウンスが流れ、バイキングの終了を知らせた。
「羽雪、大丈夫?」
冴が訊ねた。
「うん、なんとか」
ゲンナリしながらも、羽雪は答えた。
バイキングから降りると、七人は近くのファーストフード店で、昼食を済ませた。
「次、ジェットコースター、乗ろうよ」
雫が言った。
「お、いいね」
夕雨涼が賛同した。
「みんな、ちょっと待って」
巧が呼び止めた。
「舞夜さん、顔色悪いみたいだけど、大丈夫?」
羽雪を見ると、青い顔をして、口元を手で押さえている。
「大……丈……うっ」
言いかけて、離していた、もう片方の手も使って、口元を押さえた。
「酔ったんだね、無理しないで、何処かで休もう」
休める場所は無いかと、みんなで辺りを探すと、〝休憩所〟と書かれた看板を冴が見つけた。
そこにはベンチと、自動販売機が設置されていた。
「あそこにしよう」
朝雨が言った。
巧は、羽雪を支えると、ベンチへと連れて行った。
「座りなよ」
巧が促した。
「ごめんなさい」
羽雪が謝った。
「本当に大丈夫?」
巧が羽雪を案じた。
「うん、ちょっと休めば、大丈夫だから」
そう言うと羽雪は、ベンチに腰を降ろした。
羽雪が腰を掛けると、巧が言った。
「じゃあ、俺達、行くよ?」
「うん、行ってらっしゃい」
羽雪はみんなを見送った。
一人になると、羽雪は上着を脱いだ。
布団代わりに上着を、逆に着るように、肩に掛け、羽雪は眠りについた。
※
日がトップリと暮れ、ベリーランドは、閉園時間が迫っていた。
真っ赤に染まった空の上を、烏(からす)が二羽、鳴きながら、飛んで行った。
「羽雪、羽雪、起きて」
冴に揺すられて、羽雪は重い瞼(まぶた)を開いた。
起き上がると、閉園を知らせるアナウンスが、流れた。
「あ、冴ちゃん……どうしたの?」
眠そうな声で、羽雪が言った。
「どうしたのって、帰るのよ、もう、ベリーランド、閉まっちゃうわ」
羽雪はまだ、寝惚けて(ねぼけて)いるらしく、鸚鵡返し(おうむがえし)のように、冴が言った言葉を使って、返した。
「あ……そうなの、ベリーランド、もう、閉まっちゃうんだ」
話しながら、冴の言葉を反芻(はんすう)させると、ようやく事態に気がついたらしく、一気に眠気(ねむけ)から目覚めた。
「嘘!?もう、そんな時間なの!?」
「そうよ、だから帰りましょ」
羽雪が目覚めた事に、安心した冴は、心の中でホッと一息つきながら、話した。
ベリーランドを後にし、歩いてバス停に着くと、丁度良く、バスがやって来た。
バスの中は、ベリーランドの話題で持ち切りだった。
バスを降りると、忍がバイクで迎えに来ていた。
家に着くと、先に入った忍に続こうとした、羽雪に着信が入った。
上着のポケットから、ケータイを取り出し、見て見ると、メールが一通、届いていた。
開くと、羽雪は目を見開いた。
それは巧が、寝ている羽雪に、顔を重ね合わせている画像だった。
〝ーーーケチャップ味、ごちそうさま〟
そんなメッセージも添えられて。
体中が、熱くなるのが分かった。
(もう、巧君ったら)
心の中で悪態をつきながらも、羽雪は本当は嬉しく思っていた。
頬を赤くそめながら、返信を打つ。
〝ありがとう〟
送り終えると、羽雪はケータイを閉じた。
ポケットの中にしまうと、ドアを開けて、家の中へと、入って行った。
※
雀(すずめ)の囀り(さえずり)が、朝を告げた。
ケータイのアラームを止め、羽雪はゆっくりと、俯せ(うつぶせ)から、体を起こした。
肩に掛かっていた、掛け布団がずり落ちた。
着信が鳴り出した。
ケータイが、こんな時間に鳴るのは、珍しかった。
開いて画面を見ると、メールが一件、入っていた。
樹里亜からだった。
〝おっはー、あのね、お話があるの、お昼休みに、体育館に来て、じゃ、よろしくー〟
羽雪はメールに従い、昼休みに体育館へ向かった。
着くと、樹里亜がもう先に来ていた。
「ごめんなさい、待った?」
羽雪の問いに、樹里亜が答えた。
「大丈夫ー、そんなに待ってなかったからー」
「あれ?巧君は一緒じゃないの?」
羽雪が訊ねた。
「うん、羽雪ちゃんと二人で、お弁当食べる約束してるからって、言って来たー」
樹里亜が答えた。
「そう、それならよかった」
羽雪はホッとすると、続けて訊ね、本題を切り出した。
「それで、話って何?」
すると、樹里亜は車椅子から、立ち上がった。
その様子を見て、羽雪は驚いて言った。
「樹里亜ちゃん、貴方、立て、」
「ええ、そうよ、中学上がる頃にはもう、治ってたわよ」
人が変わったような口調で、樹里亜は言った。
「じゃあ、今までのは」
途中で、羽雪の言葉が、切れた。
「ええ、全部、演技よ」
続きを話すように、樹里亜が言った。
「何で、演技なんて」
分からない、羽雪が訊ねた。
「巧を繋ぎ止める為(ため)に決まってるでしょ、そんな事より、」
と言うと、樹里亜は羽雪の顔面に、顔を近づけ、こう言った。
「いい加減にしてくれる?」
トーンの違う声が、聞こえた。
樹里亜から発する圧が、羽雪に伝わって来た。
羽雪は思わず、仰け反った(のけぞった)。
「あんたが、巧目当てに近づいてる事くらい、分かってるんだから」
そして、舐めまわす(なめまわす)ように、羽雪を見た。
「巧は絶対、渡さないから、永遠に私のものよ」
樹里亜は羽雪に近づき、睨みながら言った。
「巧に手を出さないで頂戴(ちょうだい)、分かった?」
樹里亜の問いに、羽雪は答えられないでいた。
「分かったの?」
羽雪に苛立ったらしく、声に怒気が含まれた。
「……分かった」
絞り出すように、羽雪は答えた。
「よくできましたー」
さっき見た態度は、幻覚だったのだろうか。
拍手しながら燥ぐ(はしゃぐ)、樹里亜の表情は、いつもの樹里亜の表情だった。
「じゃあ、樹里亜、行くねー」
手を振り、車椅子を動かしながら、樹里亜は去って行った。
誰もいなくなった、体育館の側(そば)で、羽雪はただ、ポツンとその場に佇んで(たたずんで)いた。
※
早朝。
日直の為(ため)、早めに登校した巧は、朝一番に学校に着いた。
教室で日誌を書いていると、戸が開いて(あいて)、羽雪が入って来た。
「おはよう、早いね、日直?」
羽雪が声をかけた。
「おはよう、うん、そっちは掃除係?」
羽雪の問いに答えると、巧も聞き返した。
「そう」
巧の問いに答えると、羽雪はスクールバッグから出した、授業道具を、机の中にしまうと、脇にスクールバッグを掛け、ロッカーから掃除道具を取り出し、掃除を始めた。
ふと、羽雪は自分の隣りに、気配を感じた。
見ると、巧が箒(ほうき)を持って、立っていた。
「手伝うよ」
「そんな……座ってて」
羽雪は断わろうとした、が。
「いいから、ね?」
と、巧に却下された。
「日直の仕事はいいの?」
羽雪が訊ねた。
「今朝の分ならもう、終わったよ、後は放課後にやればいいだけだから」
巧が答えた。
「樹里亜ちゃんは?また、まだお家(おうち)にいるの?」
また、羽雪が聞いた。
「うん、おばさんが、後から送ってくれるって」
巧はこれにも、答えた。
「そ、そうなんだ」
と、言うと、羽雪は途中で手を止め、巧の方を見た。
だが、すぐ側にいた筈の、巧の姿が、そこには無かった。
キョロキョロと、辺りを見回すと、羽雪より少し向こうで、塵取り(ちりとり)にゴミを入れていた。
羽雪が二割を掃いているうちに、巧は八割を掃いていた。
「嘘……もう終わり?早いね」
「そうかな?これぐらい普通だよ」
ロッカーに箒をしまいながら、巧が言った。
「他に何か、手伝う事無い?」
「んーっと……」
羽雪は少し、考えた。
そして、
「あ、じゃあ、窓拭きお願い」
と、頼んだ。
バケツで汲んだ水に、布巾(ふきん)を浸し、巧は窓拭きを開始した。
「昨日出された、化学の課題分かった?」
黒板消しを叩きながら、羽雪が聞いた。
「まあね、あ、よかったら、教えるよ」
羽雪の方に、首を向けながらも、手を休める事無く、巧は答えた。
「ケホ、ケホッ」
羽雪がむせた。
チョークの粉を、吸い込んだらしい。
「ああ、俺、代わるよ」
巧はそう言って、羽雪の手から棒と、黒板消しを取ろうとした。
『あ……』
二人の声が揃った。
黒板消しが落ちた。
二人の手と手が、触れ合った。
『……』
二人の間で数秒、時が止まった。
我に返るタイミングは、二人一緒だった。
「あ、ごめんなさい」
羽雪が先に動こうとした。
黒板消しを拾おうと、巧から離れようとした。
が、巧に引き止められた。
「もう少しだけ……ね?」
二人は座って、時間が流れて行くのを、感じた。
二人は、二人きりの時間を堪能した。
それを教室の入り口の、僅か(わずか)な隙間から覗いていた、第三の影があったとは知らずにーーー。
この時、今から一週間後に、思いも寄らぬ事件が起こるとは、羽雪は知る由もなかった。
帰りのLHR(ロングホームルーム)。
進行を、日直が進めていた。
羽雪は、日直ではなかった。
HRは、生徒からの意見や、要望などを聞き入れる順番となった。
「はい」
と、一つの手が挙がった。
「どうぞ」
女子生徒の一人が、立ち上がって、言った。
「昼休み、財布を失くしました、見つけたら教えて下さい、お願いします」
言い終わると、女子生徒は、席に座り直した。
「心当たりある人、いませんか?」
日直が訊ねると、生徒達は、兵隊の行進のように、全員揃って、首を左右に振った。
「何か気がついた者がいたら、知らせるように」
担任がそう言いきって、LHRは終わった。
学校から帰って、羽雪は制服を着替えた。
社会の時間に出された課題をやろうと、スクールバッグのファスナーを開けた時だった。
何か四角い、コンパクトな物を、羽雪は見つけた。
初めて見る物だった。
勝手に開けて、中身を見る事は出来ないので、上下に振って、中身を知ろうとした。
チャリチャリと、金属のような音が、聞こえた。
どうやら財布らしい。
見た事無い財布だった。
どうして、こんな物が入ってるんだろう、と、羽雪は考えた。
だが、全く心当たりは無かった。
すると、今日の帰りのLHRでの事を思い出した。
「まさか……」
羽雪は取り敢えず(とりあえず)、財布をスクールバッグの中に戻し、ファスナーを閉めた。
そして、課題に取り組んだ。
色は茶色で、兎柄がついていた。
間にファスナーがついていて、ホックで留める仕組みになっている。
課題を終えると、羽雪は大きく伸びをし、入浴を済ませて、ベッドに入り、眠りについた。
※
次の日の放課後。
「ちょっと待って」
帰ろうとする染井佳乃(そめいよしの)を、羽雪が呼び止めた。
羽雪は染井に歩み寄った。
「これ、貴方のでしょ」
そう言って、ある物を差し出した。
「私の財布!どうして?」
染井は驚いて、聞いた。
「分かんないけど、鞄(かばん)の中に入ってたの」
羽雪が答えると、染井は動揺したように慌て、
「そ、そう、ありがとう」
そう言って、財布を受け取ると、そそくさと教室を出て行った。
※
次の日。
羽雪が登校すると、賑やか(にぎやか)な声が聞こえた。
どの教室も、沢山の声で賑わっていた。
(今日も賑やかだな)
そんな事を思いながら、羽雪は廊下を歩いていた。
今日もまた、同じような、賑やかで楽しい一日が始まるんだな、と、羽雪は思っていた。
しかし、その思惑は外れた(はずれた)。
羽雪が教室に入ると、辺りがシン、と、静まり返った。
(みんな、どうしたんだろう……)
変に思いながら、スクールバッグを机の脇に掛け、座った時だった。
羽雪は目を見開いた。
机に〝泥棒〟と、落書きがしてあった。
※
「違う、私じゃない」
と、休み時間に、羽雪はみんなに呼びかけた。
「本当よ、信じて」
羽雪は訴えた。
「じゃあ、何で、染井さんの財布が、舞夜さんのスクールバッグの中にあったわけ?」
訝しんで(いぶかしんで)、女子が訊問した。
「それは……きっと誰かが私に罪をなすりつけようとして」
羽雪が必死になって、釈明しようとした時だった。
「そうやって、言い逃れするの、よくないよ」
聞いた事のある声が、横槍(よこやり)を入れた。
声の主は樹里亜だった。
「私、この間のお昼休みに、羽雪ちゃんが染井さんのスクールバッグから、財布を盗むの、見たもん」
「!?な、何を言ってるの?」
羽雪は樹里亜の言葉が、信じられなかった。
「見なさいよ、ちゃんと目撃者がいるんじゃない」
クラスメート女子が、追い打ちをかけた。
「だったら何で、今までのLHRで言わなかったの?」
弱々しくだが、反発するように、羽雪が言った。
だが、そんな抵抗も虚しく、無駄に終わった。
「はあ?それはこっちの台詞、自分が悪いくせに、黒原さんのせいにする気?」
また、女子が詰め寄った。
「羽雪って、そんなヤツだったの?サイテー」
信じられない人物が言った。
「冴ちゃん……」
その人物の名を、羽雪は呼んだ。
「そんなつもりじゃ……」
と、羽雪は言いかけて、言うのを止めた。
「酷い……樹里亜は、このままじゃ、羽雪ちゃんの為にならないと思って、勇気を出して言っただけなのに……」
樹里亜の目に、涙が溜まった。
段々に泣きながら、言い終えると、樹里亜は教室を出て行った。
「樹里亜」
名前を呼びながら、巧が後を追いかけた。
この日から、みんなの態度が変わり、羽雪は物を隠されたり、トイレに捨てられたりなど、様々な嫌がらせを受けた。
そして、羽雪に誰も、声をかけなくなった。
羽雪は一人になった。
それから三日が経った(たった)。
「行って来ます……」
呟くように言うと、羽雪は玄関を開けた。
マンションを出て、S字に連なった道を下って行く。
そこから道路を一直線に少し、進んで行って、羽雪は、バス停でバスを待った。
何処からか、車のクラクションが、聞こえた。
羽雪は気にせず、ぼんやりとしていた。
「おーい」
何処からか、声が聞こえた。
「おーい」
男の声だ。
「おーい、こっちだ」
羽雪はキョロキョロと、辺りを見回した。
「こっちだ」
だが、声が聞こえるだけで、正体が分からない。
「こっちだよ」
羽雪はもう一度、右を見た。
「こっち、こっち」
続いて左も見た。
「もう少し、こっち」
もしやと思い、羽雪は自分の向こうを見た。
「そう、此処だよ、此処(ここ)」
やっとの事で、羽雪は、声の出所(でどころ)を見つけた。
見ると、向こうに赤い車が一台、停まっていた。
「私ですか?」
自分を指さし、羽雪が叫んだ。
「そう、君だよ、君」
今度は車に乗っていた、男が叫んだ。
羽雪は左右を確認すると、車まで歩いて行った。
「何ですか?」
羽雪が問うた。
「その制服、明星(みょうじょう)高校だろ?俺も今から行くから、一緒に行こう?」
誘うように、男が答えた。
「え……」
訝しげに、羽雪は男を見た。
「ああ、待て待て、怪しい者(もん)じゃない」
男は慌てて言った。
「公務員の仕事をしていて、この町の事を調べているんだ」
と、誘った理由を、説明し始めた。
「来たばかりで、道が分からないんだ、学校まで送るから、案内して欲しいんだ」
そう話した。
「そう言う事なら」
羽雪は承知した。
「さあ、乗って乗って」
「あ、はい」
男に言われるがまま、羽雪も助手席に乗った。
男がエンジンをかけた。
「まずはどうするの?」
エンジンをふかしながら、男が聞いた。
「この先に十字路があるので、まずはそこを、目指しましょう、この通りをずっと、抜けて下さい」
説明するように、羽雪は答えた。
男は車を走らせた。
林のような並木道を、ずっと行くと、十字に分かれた道路に出た。
信号が赤になっていたので、男は車を停めた。
「次はどうするの?」
次の行き方を、男が聞いた。
羽雪は答えた。
「そこを左に曲って下さい」
信号が青になった。
指示通り、男は車の向きを変えると、十字路を逆Lの字に進んで行った。
窓から外を眺めると、景色が流れるように、過ぎ去って行く。
町中を縫うように、車は走った。
「何年生?」
男が聞いた。
「一年です」
羽雪が答えた。
「どんな授業が好き?」
「何故です?」
訝って、羽雪が聞いた。
「学生を詳しく知る為(ため)の、参考にね」
羽雪は納得すると、続きを答え出した。
「国語と社会です」
「学級での係は?」
「掃除係です、あ、そこ、もう少し奥です」
「何の部活入ってるの?」
「帰宅部です」
「何委員?」
「図書委員です」
羽雪が、男の質問に答えてる間にも、車はどんどん、進んで行った。
民家や店が所々に並んだ、町中を抜けると、目的の明星高校が、目の前に現れた。
「あ、此処です、好きな所に停めて下さい」
男は駐車場に、空いてるスペースを見つけ、車を入れると、サイドブレーキをかけた。
「着きましたよ、此処です」
羽雪が言った。
「此処で、もう大丈夫、教えてくれてありがとう」
男が礼を述べた。
「いえ、そんな、どういたしまして」
羽雪は謙遜した。
「そうだ、俺は木村裕也(きむらゆうや)」
思い出したように、男が名乗った。
「君の名は?」
男が聞いた。
「舞夜羽雪です」
羽雪も名乗った。
「羽雪か、良い(いい)名だ。」
聞いた名を、男が褒めた。
「ところで、時間は大丈夫かい?」
男に言われて、羽雪はハッとした。
「そうだった、忘れてた」
羽雪は礼を言って、頭を下げた。
羽雪は男に別れを告げると、校舎へと歩いて行った。
開いていた入り口から一歩、羽雪は足を踏み入れた。
羽雪が教室に入ると、今の今まで賑やかだった教室が、あっと言う間に静まり返った。
クラスメートの中には、チラチラと視線を向ける者達(たち)や、ヒソヒソと何やら話し込む者達が、いた。
そんなクラスメート達からの洗礼を、振り切るかのように、羽雪は早足で、自分の席へと進んで行った。
羽雪は席に着くと、本を取り出してから、スクールバッグを脇に掛け、本を読み始めた。
「なあなあ、昨日テレビ、何見た?俺は〝プレバト〟と〝モニタリング〟」
男子の一人が、おちゃらけた。
教室は、羽雪がまるでいなかったかのように、いつも通りの賑わいになった。
羽雪は、クラスメート達の談笑を、耳にしながら、本を読み進めて行った。
すると、室内のスピーカーから、放送が流れた。
「今から朝礼を行います、生徒の皆さんは体育館へ集合して下さい」
放送を聞いた、クラスメート達は、授業の準備が整い次第、次々と教室を出て行った。
羽雪も、授業道具を机の中にしまうと、放送で指定された場所へと向かった。
体育館の開いた(ひらいた)戸から、ぞろぞろと生徒達が入って来た。
オセロの黒い面のように、ずらりと生徒は並んだ。
「気をつけ」
「休め」
「座って下さい」
教頭の指示通りに、生徒は従った。
校長が登壇した。
台の横で一回、正面で一回、計二回、校長は礼をした。
マイクを調整し、校長は話し出した。
話の内容は、天気や健康、交通安全など、ありふれたものだった。
生徒達は、校長の話をぼんやりと、聞いていた。
今回も、いつも聞いてる話で、終わりだと思った。
が。
それだけでは、なかった。
「ーーー此処で、今日はみんなに、新しい先生を紹介したいと思います」
それを聞いた生徒達は、どよめいた。
だが。
「静かに、静かに」
教頭の一喝で、それはすぐに治まった。
「それでは先生、お願いします」
そう言うと校長は、手刀のように揃えた指先で、壇場の脇を指した。
生徒が一斉に、壇場の脇に注目した。
壇場の脇から出て来たのは、男だった。
男はゆっくりと、校長の側まで歩み寄った。
その男を見た瞬間、羽雪は固まった。
羽雪の中で、世界が停まった。
羽雪は目を疑った。
羽雪には、見覚えがあった。
登校中に出会った、あの男だった。
校長は、自分の前で立ち止まった男を、言葉で促した。
「どうぞ、お座り下さい」
男は向きを変え、側に設置されていた椅子に、座った。
「新任の木村裕也先生です」
今度は耳を疑った。
だが、そんな事は関係ないとばかりに、校長は話を続けた。
「木村先生は、雪降る町の出身で、星灯り町で仕事をしていましたが、更なる経験を積む為にーーー……」
校長が裕也について、簡単な紹介をしている中、驚きのあまり、羽雪は裕也をじっと見ていた。
はたと、裕也と目が合った。
裕也が軽く手を振った。
手を振る代わりに、羽雪はこっそりと、会釈をした。
「それでは、木村先生、挨拶を……あ」
校長が言い終わる前に裕也は、マイクを奪い取り、壇場の前へと進み出た。
「あ、あ、あ、えーどうも、只今、ご紹介に預かりました、木村裕也です、八月十五日、獅子座のO型、趣味は釣り、好きな食べ物は肉とラーメン、得意科目は体育と音楽、好きな曲は、男ものならEXILE、GENERATION、女ものならZARD、Eーgirls、カラオケで歌うのも一緒、できるだけ早く皆さんと打ち解けられるよう、頑張りますので、宜しく(よろしく)お願いしまーす」
一気にまくし立てたが、そのテンションは気怠そう(けだるそう)だった。
喋り終えると、裕也はマイクを、壇上のスタンドに戻し、自分の席へと戻って行った。
「と、言う訳(わけ)で、みんな仲良くするように、以上」
校長が締め括った(しめくくった)。
朝礼が終わると、生徒達は一気に、裕也の所へと群がった。
生徒達は矢継ぎ早に、裕也に質問を浴びせた。
裕也は此処でも、これまでと同じように、授業をこなして行くーーーそう思っていた。
羽雪も、裕也と関わるのは、これ限りだと思っていた。
しかし、羽雪も裕也もこの時は、今から三日後に起こる事件に、遭遇するなんて、知る由もなかった。
学校中に高音のメロディが、流れた。
三時間目の授業が、終了した。
羽雪は今の授業で使っていた、道具をしまうと、教室を出た。
教室とは、反対方向に廊下を歩いて行く。
着いたのは、トイレだった。
羽雪は入り口のドアを開けて、一番最初に現れる、個室の中へと入った。
用を足していると、羽雪は頭上に冷たさを感じた。
足下に、雫が滴り落ちた。
羽雪は、水を浴びたのだった。
それを、気に留める事も無く、用を済ませ、立ち上がると、鍵を外し(はずし)、ドアを開けようとした。
が、しかし。
「あ……あれ?」
ドアが開かない(あかない)。
いくら押しても、開かないのである。
外から何かで、塞がれて(ふさがれて)いるようだ。
「誰か、開けて」
ドアを強く叩き、大きい声で、羽雪が言った。
羽雪のいる個室には、モップが立て掛けられていた。
「あっれー?どうしたのー?」
女子が言った。
「ドアが開かないんだー?」
別の女子が言った。
「ごっめーん、ウチらが塞いじゃった」
また別の女子が言った。
その声には、申し訳なさなど、感じられないようだった。
「残念だったわね、これで貴方はもう、外に出られない」
楽しそうに、また別の女子の一人が言った。
「どうして、こんな事するの?此処を開けて」
ドアに手をついて、羽雪が言った。
「嫌よ」
女子の一人が言った。
「泥棒はそこに入って、反省でもすればー?」
また、別の女子が言った。
「うってつけよねー、あははは」
更に、別の女子が言った。
「此処から出して、お願い」
ガタガタとドアを揺すり、羽雪は声を上げた。
「知らなーい、自分で出れば?きゃははは」
誰かが言った。
「みんな、行こ」
樹里亜が指揮をした。
会話と足音が聞こえ、女子達は出て行った。
羽雪は一人、取り残されてしまった。
ドアをドンドン叩き、声を上げ、羽雪は助けを求めた。
だが、放課後になっても、助けは来なかった。
下校の時刻が近づくに連れて、人数が減って行き、
過ぎる頃には、誰もいなくなっていた。
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