恋(あなた)に落ちました。

高樫玲琉〈たかがしれいる〉

第1話

此処は明星高校。

投稿中の生徒達から、活気溢れた(あふれた)声が聞こえる。

「おはよ」

「おはよー」

陽の光が射し込む、朝の中。

明星高校ではいつも通り、賑やかな朝を向かえた。

授業開始前、二年A組の教室では、今日も、生徒達の飛び交う会話で、賑わっていた。

「昨日のテレビ見た?〝世界の果てまでイッテQ〟」

「やっべ、課題やって来んの忘れた、写させてくれよ」

「やーよ、自分の力でやりな」

「なー、頼むから」

そんな喧騒が暫く続くと、やがてチャイムが鳴った。

教室の戸が開き、担任教師が出席簿を手に、中へと入って来た。

すると、それに続くように、一人の女の子が後ろについて来た。

教師が教壇へと歩み寄り、位置に着くと、女の子はその隣りで止まった。

教室にいる全員の視線が、彼女に集中している。

女の子は、学校指定の制服を着ていた。

どうやら、転校生らしい。

教師が、黒板に名前を書くと、着席している生徒達の方を向いて言った。

「今日からクラスメートになる、舞夜羽雪(まいやはゆき)さんだ、みんな仲良くするように、じゃ、自己紹介して」

羽雪は一礼して、口を開いた。

「舞夜羽雪です、この町で暮らしている兄を頼って、やって来ました、宜しく(よろしく)お願いします」

「じゃ、舞夜は、そこの空いてる席へ、座ってくれ」

教師に促され(うながされ)、羽雪は窓際に並べられている、一番前の席へと座り、必要な勉強道具を取り出し揃え(そろえ)、机の中へとしまった。

「じゃあ、出席を取るぞー」

こうしてLHR(ロングホームルーム)は過ぎて行き、一時間目の授業が終了し、休み時間になった。

羽雪の周りをぐるりと、生徒が囲んだ。

生徒達による、質問攻めが始まったのだ。

「ねえ、何処に住んでるの?」

「天ノ川町に」

「好きなTV番組は?」

「〝有吉ゼミ〟とか〝世界まる見えテレビ特捜部〟とか」

「好きな芸能人は?」

「春瀬麗(はるせうらら)とか、We’llwell(ウィルウェル)とか」

矢継ぎ早に飛んで来る質問に、羽雪は答えて行った。

だが、地味でおとなしめな性格が災いし、素っ気無い(そっけない)態度と思われたのか、昼休みになると、一人、取り残されてしまった。

が、羽雪はめげもせず、お弁当を持って、食べられそうな場所を探した。

家庭科室、美術室、図工室ーーー。

だが、どの教室も、他の生徒達で埋まっていた。

廊下を適当に歩いて行くと、階段を見つけた。

興味が湧いて、階段を上がって行った。

すると、ドアがあった。

開けて、その先へと進むと、着いたのは、屋上だった。

「ふーん、こんな所あるんだ」

辺りを見回しながら、羽雪は独り言を言った。

羽雪は思い切り深呼吸をすると、座ってお弁当を食べ始めた。

食べ続けていると、背後から、

「あれ、先客?珍しいね」

と、声がした。

振り向くと、一人の男子生徒が、女子生徒の車椅子を掴んで立っていた。

「あ、ごめんなさい、すぐにどきますから」

と慌てて、お弁当を片づけようとする羽雪を、

「いいよ、いいよ、そのまま食べてて」

と、男子生徒が止めた。

「そうそう、私達は私達で食べましょ」

車椅子の女子が言った。

「そうだね」

男子が賛成した。

「すみません」

羽雪がそう言うと、

「気にしないで、じゃ、行こっか」

と、羽雪と話していた位置から、歩き出した。

二人が離れて行くと、羽雪は続きを食べ出した。

「どうしたの?」

お弁当を食べていた、女子が言った。

女子は、中身を半分食べ終わる頃なのに、男子は全然、手つかずにいた。

「全然食べてないじゃない」

「うん」

女子の話しを聞いているのか、いないのか、男子は気の抜けるような返事をした。

「先、食べ終わっちゃうわよ」

「うん」

「ーーー運ぶという字の音読みは?」

「うん」

「しっかりしてよ」

「うん」

話せる事が無くなったらしく、女子は黙り込んでしまった。

お弁当を食べている箸さえ、止めてしまっていた。

二人は静かになった。

すると、沈黙が広がる中、突然男子が立ち上がった。

「ちょっと、此処で待ってて」

女子にそう告げると、男子は羽雪の元へ、ゆっくりと歩み寄った。

「ねえ、よかったら、一緒に食べない?」

そう声をかけられた羽雪は、こう返した。

「迷惑になりますし、食べ終えたら、図書室へ本を借りに行こうと思ってましたから、いいです」

「一緒に食べた方が楽しいよ」

と言うと、羽雪は更にこう返した。

「そろそろ、戻られた方がいいのでは?怒って待ってますよ」

すると、突然、こんな声が聞こえて来た。

「ちょっと、何勝手な事やってるのよ」

「ほら、呼んでますよ」

「大丈夫、待っててって、言ってあるから」

「行った方がいいですよ」

と、言った所で、羽雪はふと、時間が気になり、スマホの液晶画面を見た。

「いけない、もうこんな時間」

そう一言、言うと、半分ほど食べかけた、お弁当を手早くしまい、

「では、少し急ぐので、失礼します」

男子に一礼し、屋上の出入り口へと向かった。

「待って」

男子が呼び止めた。

「明日もおいでよ、待ってるから」

背中越しに、そう声をかけた。

羽雪は返事もしないまま、屋上を去って行った。

「その時は、一緒に食べようねー」

男子の声が、羽雪に届くと共に、屋上のドアが閉まった。

羽雪は足早に、階段を降りて行った。

一番下の段まで降り終えると、胸を押さえながら、乱れた呼吸をし続けた。

そして、男子に言われた言葉を、思い出しながら、羽雪は戸惑っていた。

友達のいなかった、羽雪にとって、初めて誘いの言葉を、かけられたからだ。

羽雪は座り込んで、食べかけのお弁当を取り出し、残りを一気にかき込むように食べた。

放課後、羽雪は部活見学へと、各教室を学級委員長の一ノ瀬朝雨(いちのせあさめ)に案内されながら周った。

今日から五日、来週五日の計十日の期限が、羽雪に与えられている。

部活は、柔道、剣道、バスケ、テニス、アーチェリー、野球、サッカー、合唱、吹奏楽、家庭同好会の全十種。

数ある部の中で、羽雪が最初に選んだのは、家庭同好会だった。

向かったのは、家庭科室。

「早速、調理を始めたい所だけれど、その前に」

と、顧問に止められた。

何故かと言うと、羽雪はエプロンと三角巾を、持っていなかったのだ。

顧問が連れ立つ形で、職員室まで行き、エプロンと三角巾を、借りて来た。

そして手を洗い、やっとの事で、調理に取りかかった。

今日、作るメニューは、クッキーだ。

幾つかの班に分かれ、個人の係(担当)を決め、調理場に並ぶ。

手早く工程が進んで行き、次から次へと材料が作られて行く。

オーブンの機能付きレンジに入れて、数分。

生地が焼き上がる様子を、各班でそれぞれ見守る。

クッキー独特の甘い匂いが、鼻をついた。

チン、と、レンジから合図が聞こえたので、手袋をはめ、中から生地を取り出して、見てみると、表面は黄色く、周りは茶色の、綺麗に焼けたクッキーが、出来上がった。

そして皿に並べ、各班で配った。

それから、みんなで実食。

甘みが口いっぱいに、広がった。

クッキーはあっと言う間に無くなり、部員達は、後片づけを行なった。

顧問から、シメの一言を貰って、部員達は解散した。

羽雪は、借りたエプロンと三角巾を返す為、職員室へ寄った。

それから、一ノ瀬に連れられて、教室へ向かった。

帰り、スクールバッグを持って、校舎を出ようとすると、雨が降っていた。

羽雪は荷物の中から、折り畳み傘を出し、広げて校舎を出た。

バス停まで五分程の距離を歩いて行くと、先客がいた。

それはーーー屋上で出会った、男子と、車椅子の女子だった。

二人は屋根のある、バス停の中にいた。

羽雪は、自分が邪魔になると思い、中には入らず、すぐ側(そば)で、傘を差したまま、突っ立っていた。

「やあ、またあったね」

声をかけて来たのは、男子だった。

「どうも、こんにちは」

またしても、素っ気無い感じで、羽雪は挨拶をした。

一礼すると、羽雪は元の位置に向き直った。

「どうしたの?そんな所に突っ立ってないで、中に入りなよ」

「いえ、此処で充分ですから」

「敬語止めない?クラスメートでしょ?」

「え?そうなの?先輩だと思ってた」

「まあ、俺ら、後ろの隅っこの席にいるから、見つけられなくても、おかしくないけど」

「そうなんだ、覚えて置くね」

と、話していると、バスがやって来た。

二人の会話は此処で途切れ、三人共バスの中に、乗り込んだ。

車椅子の女子は、運転手が用意したスロープを、男子に押されながら登って、乗車した。

風船の空気が、抜けるような音がして、バスが発車した。

車内には、まばらに人が二、三人乗っているだけで、他はがらんとしていた。

羽雪と男子は、入り口に入って、すぐ隣りに接した、長椅子に座っていた。

羽雪達の後ろで、流れるように、目まぐるしく、色んな町の風景が過ぎて行った。

エンジン音と一緒に、聞こえて来る音が、雨がまだ止んでいない事を、知らせていた。

ふいに男子が、こう言った。

「それ、何か入ってる?」

「え?」

気になった羽雪が、聞き返した。

「舞夜さんから、甘い匂いがするからさ、鞄か、制服のポケットに何か、入ってる?」

声をかけた相手は、羽雪だったらしい。

「ああ」

と、一言零す(こぼす)と、スクールバッグの中を探り、ピンクのリボンでラッピングされた、掌(てのひら)サイズの包みを取り出した。

「もしかしたら、これかも」

「お菓子?」

男子が訊ねた。

「うん、さっき、部活体験の時に、部員のみんなと一緒に、作ったの」

と、言った所で、羽雪はふと思いつき、こう言った。

「よかったら、食べる?」

「え?いいの?」

嬉しそうに、男子が聞いた。

「どうぞ」

と言って、羽雪は包みごと、クッキーを手渡した。

受け取ると、今度は男子が、思いついた様子で、こう言った。

「そうだ、せっかくだから、三人で食べよう」

「え?いいの?」

「勿論(もちろん)、ちょっと待ってて、次でバスが止まったら、話して連れて来るから」

と、話していたら、やがて今止まる、バス停の知らせが、聞こえて来た。

「次は、日ノ光町ー、日ノ光町ー」

アナウンスが流れ、バスが止まり、出入り口の自動ドアが、開いた。

男子はスクッと立ち上がると、

「じゃ、ちょっと待ってて」

羽雪にそう言うと、車椅子の女子の方へ、歩いて行った。

その間に乗客が、三人程(ほど)降りた。

男子が、車椅子の女子に、何事か話していると、

車椅子を押して、こちらに寄って来た。

男子と、車椅子の女子は、羽雪と向かい合う形で、並んだ。

「どうぞ」

羽雪は、持っていたクッキーを、二人にも分けた。

女子はまじまじと、クッキーを見ていたが、男子は、

「いただきます」

と、クッキーに齧りついた。

「どう?」

真剣な表情で、羽雪が訊ねると、

「うん、美味い(うまい)」

と、答えが返って来た。

「本当?」

羽雪が繰り返し、聞いた。

「うん、美味しい(おいしい)よ」

「よかった」

羽雪は胸を撫で下ろし、安堵の溜め息をついた。

それを見ていた、車椅子の女子も、クッキーを食べ出した。

「美味しいでしょ、ね?」

男子が言うと、女子は頷いて(うなずいて)見せた。

クッキーは、あっと言う間に無くなった。

そんな時、こんな声が、飛んで来た。

「お客様、危険ですので、通路を塞がない位置に、お座り下さるよう、お願いします」

運転席からだった。

羽雪は、自分が言われたのだと思い、立ち上がろうとした時だった。

「あ、すいません」

すぐ側(そば)で、そんな言葉が、聞こえた。

言ったのは、男子だった。

羽雪は、男子を見た。

すると、男子は足早に、女子の車椅子を押して、移動させた。

その行動を見て羽雪は、運転手が言っていたのは、二人の事だと、理解した。

羽雪は、二人の様子を窺った(うかがった)。

男子が車椅子の女子を、元々いた位置に戻した。

すると、運転席から今度は、こんな言葉が飛んで来た。

「間もなく、発車します」

そうしたら、男子が足早にやって来て、元々いた席へと、再び座った。

バスが走り出した。

また、目まぐるしく、町並みが過ぎ去って行く。

雨は変わらず、降り続けていた。

「そう言えば、何の本借りたの?」

先に喋ったのは、男子だった。

「え?」

「本を借りに行くって、昼休みに話してたでしょ」

「ああ」

と返すと、また羽雪は、スクールバッグの中を探り、一冊の本を取り出して、見せた。

本のタイトルには、

〝君の膵臓(すいぞう)を食べたい〟

と、書かれてあった。

「あ、知ってる、それ、映画になったヤツだよね」

「うん、なんか面白そうな本、無いかなと思って、手当たり次第に探してたら、見つけたの」

「ふーん、俺も読んでみようかな」

「そう?」

「うん、興味湧いた」

「じゃ、読み終えたら、教えるね」

と、羽雪が言った、その時だった。

「!!」

羽雪は驚いて、思わず息を呑んだ。

バスが上下に揺れた。

雨でバスがスリップし、運転手が急ブレーキをかけたのだ。

羽雪はバランスを崩し、男子に寄りかかる姿勢になってしまった。

「大丈夫?」

様子を気にしたらしく、男子が声をかけた。

「大丈夫、ありがとう」

羽雪は、元の姿勢に戻ろうとしたが、バスの揺れで、動く事が出来なかった。

羽雪は暫くの間、その姿勢のままでいた。

バスは続けて、様々な町並みを通り過ぎて行った。

(この人、温かい)

そう思いながら羽雪は、男子の体温を感じていた。

しかし、そんな時間は、次の声で、終わりを告げた。

「次は、天ノ川町ー、天ノ川町ー」

停留所にバスが停まり、ドアが開いた。

「あ、降りなきゃ」

羽雪は、体勢を立て直し、荷物を持つと、

「迷惑かけて、ごめんなさい」

と、男子に頭を下げた。

「いいよ、いいよ、気にしないで」

男子からの、この一言を聞いて、羽雪はホッとした。

「ありがとう、それじゃ」

男子との喋りで、時間を食ったらしく、羽雪は少し急ぎ気味で、階段を降りて行った。

背中越しに聞こえた、

「また明日」

に、

「また明日」

を返して。

去って行くバスに向かって、羽雪は手を振り、見送った。

男子も、窓越しに手を振って、離れて行った。

バスが見えなくなると、羽雪は、自宅に向かって歩き出した。

次の日。

羽雪のクラスも、昼休みを向かえた。

弁当を持って、緊張しながら、屋上へ向かうと、そこはがらんとしてて、風が通り抜けているだけだった。

(なんだ……)

ホッとしたような、もの寂しいような思いに駆られ(かられ)ながら、羽雪は辺りを見回し、溜め息をついた。

その時だった。

「やあ、来てくれたんだ」

背後から声がした。

聞き覚えのある声だった。

羽雪の胸が、高鳴った。

深呼吸し、昂る(たかぶる)気持ちを押さえながら、ゆっくりと振り向いた。

すると、昨日出会った、二人がそこにいた。

三人は、何かを囲うようにして座り、弁当を広げた。

三人共〝いただきます〟を言ってから、食べ出した。

何口目かを食べていると、男子が言った。

「そう言えば、自己紹介がまだだったね」

男子は親指で自分を指し、

「俺は、美作巧(みまさかたくみ)」

と、自ら(みずから)名乗った。

「そして、こっちが」

そう言いかけると、続きを車椅子の女性が言った。

「黒原樹里亜です」

にこやかに、自己紹介をした。

「改めまして、どうぞ宜しく(よろしく)」

羽雪は座ったまま、頭を下げた。

紹介が済むと、三人は続きを食べ出し、会話が始まった。

「さっきの数学の授業、分かった?樹里亜、全然分かんなかった」

「今度、教えてあげる」

羽雪は食べながら、会話に耳を傾けていた。

どうやら、巧は数学が得意のようだ。

「国語の方が、分かんないって、舞夜さんは?」

いきなり、話を振られて驚いたのか、羽雪はむせた。

「大丈夫?」

巧が背中を擦った(さすった)。

落ち着かせる為、羽雪はスポーツドリンクを、三口程(ほど)飲んで、一息ついた。

「もう、大丈夫、ありがとう、えっと、授業内容の話だったわね?」

「うん」

「私?そうね、全部難しかったかな」

『そう?』

二人の声が重なった。

「うん、私、特にこれと言って、得意不得意が無いから」

「よかったら、放課後にでも教えるよ?」

巧の言葉を聞いた、樹里亜は、

「あ、ずるい、樹里亜も教えて欲しい」

と、会話に混ざった。

「なら、せっかくだから、放課後、三人で勉強会しようよ」

巧が提案した。

しかし、それは羽雪の次の一言で、打ち消された。

「ごめんなさい、私、今日の放課後は、部活見学があるので」

「そっかぁ、じゃあ、部活見学が全部終わって、舞夜さんに、時間に余裕が出来てからにしよう」

「ごめんなさい」

再び羽雪が詫びた。

「いいよ、いいよ、気にしないで」

巧はそう言うと、話を変えるように、続けてこう言った。

「後、どのくらい、部活が残ってるの?」

「えっと、後九つ(ここのつ)、今日行けば、後八つ(やっつ)」

「もしかして、昨日も行った?」

「うん、家庭同好会に」

羽雪は頷いて(うなずいて)、言った。

「そうなんだ、今日は何処の部活に行くの?」

「えっとーーー」

これ以降も、二人の会話は続き、この他にも自分の好きな弁当のおかず、生年月日と星座、好きなアーティスト、芸人、今ハマッてる菓子などなど、色々な話をした。

「ねえ、どうでもいいけど、早く食べ終わらなきゃ、時間無くなっちゃうよ」

樹里亜の忠告で、二人はハッとした。

「おっと、いけない」

巧が言った。

「そう言えば」

羽雪が言った。

『忘れてた』

二人の声が合わさった。

二人は同時に食べ出した。

『ーーーご馳走様(でした)』

食べ終わったのも、二人同時だった。

そして、チャイムが鳴り、昼休みの終了を告げた。

「やっばー……急がないと」

巧は次に、羽雪にこう言った。

「先に行ってて」

それから、樹里亜の元まで行き、屈み込んだ。

「どうするの?」

羽雪が訊ねた。

「いいから行って」

巧が言うと、樹里亜は抱きつくようにして、巧の背に捕まった。

それを見て、羽雪は了解したらしく、

「分かった、それじゃ、お先に」

と、弁当を持って、出入り口へと、足早に向かって行き、その姿はみるみる小さくなり、やがて見えなくなった。

二人が教室に到着したのは、羽雪より数分遅れての事だった。

巧は、車椅子を取りに戻った。

そして、今日も放課後を向かえた。

「舞夜さん」

朝雨が、羽雪に声をかけた。

「あ、一ノ瀬君、と、そちらは?」

朝雨が、一人の女子を一緒に、連れて来ていた。

「うん、紹介するよ、沢渡冴(さわたりさえ)さん、仲良しなんだ」

「沢渡冴です、宜しくね」

「舞夜羽雪です、宜しく」

羽雪は頭を下げた。

冴が羽雪の手を握り、握手を交わした。

「僕が放課後、部活を案内している事を教えたら、是非、自分も参加したいって言って来てね」

「あら、それじゃあ私は、お邪魔なのかしら?」

朝雨の説明に対して、冴はわざと意地悪な質問をした。

「まさか、いや、全然そんな事無いよ」

朝雨も軽い感じで、返した。

「付き合わせちゃって、ごめんなさい」

と、羽雪が詫びた。

「冗談よ、冗談、だから気にしないの、ね?」

冴が、優しく気遣った。

「そうそう、それに、舞夜さんのせいじゃないから」

朝雨も気を利かせた。

「そう?ならいいけど」

羽雪はあまりよく、分かっていなかったが、そう述べた。

「それで、今日は、何処の部活に行くの?」

話を変えるように、冴が言った。

「そうそう、何処に連れてってくれるの?」

羽雪も同じ事を聞いた。

「ん?吹奏楽部だよ、ついて来て」

先に歩き出した朝雨を先頭に、三人が向かったのは、音楽室だった。

二階へと続く階段を上がって行くと、賑やかな音楽が流れて来た。

聴いた事が無いので、何の曲かは分からないが、多分、洋楽の、演奏の練習をしているのだろう。

中に入ると、ドラムセットやクラリネット、トロンボーンやトランペットなど、楽器がズラリと並んでいた。

そして、数分の間、音楽室の隅で、部員達が奏でる曲調(メロディ)に、耳をすませた。

一通り曲が済むと、部長らしき生徒から、個人演習の声がかかった。

皆、それぞれ、思い思いの楽器を借りて、教えを請いながら、曲を奏でて行く。

すると、三人にも、声がかかった。

「はい、貴方達もやって」

部員が手招きして、誘って来た。

朝雨はオーボエ、冴はクラリネット、羽雪はトロンボーンを手に取った。

そして、〝聖者の行進〟や〝アメイジング・グレイス〟を教えて貰い、一緒に演奏した。

帰りにバス停に向かうと、また、巧と樹里亜がいた。

「やあ、バスはまだ、来てないよ」

巧が言った。

「でしょうね」

羽雪が言った。

「今日は、何処の部活に行ったの?」

「吹奏楽部」

羽雪は思い出したかのように、続けて答えた。

「そうそう、一ノ瀬君と沢渡さんも一緒だったの、今日は三人で、部活体験が出来たわ」

普段より、声のトーンが少し、明るい気がした。

「仲良(い)いんだね、あの二人」

言い終えると、今度は巧が言った。

「あれ?ーーーああ、そうか、知らないよね、あの二人、付き合ってるらしいよ」

羽雪は驚いて、聞いた。

「え?そうなの?」

「うん、クラスで知らない人、いないんじゃないかな」

「へー」

噛み締めるように言うと、羽雪はバスを待った。

すると、数分後、巧から再び、話し始めた。

「昨日の〝モニタリング〟見た?」

「うん、見たけど」

「面白かったよな、ブラックマヨネーズのヤツとかさ」

「本当、本当、後、FUJIWARAの原西がーーー」

二人がすっかり、会話に夢中になっていると、側(そば)から声がかかった。

「ねえ、バス来たよ」

樹里亜の声に誘われて、向こうを見やると、確かにバスが、こちらに近づいていた。

三人を乗せると、バスは停留所を出発した。

車内で、巧が話し出した。

「次の停留所で、バスが停まったら、アドレス、交換しない?」

「本当?」

羽雪がときめいた。

「あー、樹里亜も」

「いいの?」

言葉を発したのは、羽雪だった。

「勿論、せっかく仲良くなれたんだし、お近づきの印にね」

「樹里亜のも、教えてあげるね」

三人で話してるうちに、バスは次の駅へと近づいていた。

そして、車内放送が、流れた。

「次は星ノ町ー、星ノ町ー」

バス停の看板に、くっつけるようにして、バスが停まった。

「よし、今のうちに」

巧の次に樹里亜の順番で、アドレスを交換する。

巧も樹里亜も、羽雪のケータイに対して、ケータイを向かい合わせた。

赤いランプが点灯し、受信中を知らせている。

と、前方から、声が聞こえた。

「お客様、危険ですので、道を塞がないよう、席にお座り下さい」

今度は完全に、自分達の事だと、羽雪は思い、慌てて座席へと座った。

後の二人も、自分がいた位置へと、戻った。

「間もなく出発します」

乗って来る客はいなかった。

自動ドアが閉まり、バスは走り出した。

そして、三人を乗せたバスは、やがて、羽雪の自宅がある、天ノ川町へと着くのだった。

自宅に着き、扉を閉めると、羽雪は自分の部屋へと向かった。

そして、中に入ると、今すぐにでも、ケータイの中身を確かめたい気持ちを押さえ、羽雪はケータイをベッドの上に置いた。

それから、急いで着替えを済ませると、ベッドへとダイブした。

さっきまでの、二人とのやりとりを振り返ると、ニヤけが顔に、出てしまっていた。

そして、ケータイを手に取ると、真正面に向き合うように、寝返りを打ち、ケータイのアドレス帳機能を呼び出し、じっと眺めていた。

すると、着信音が鳴った。

メールが来た合図である。

中身を見ようと、画面のボタン表示を押そうとしたら、もう一回、着信音が鳴った。

一通目は、巧からだった。

〝やっほー、どう?届いた?〟

すぐさま、返信する。

嬉しくなって、ボタンを打つ手が早くなる。

〝メールの事?なら、無事に届いたよ、ありがとう〟

文字を入力して、返信した。

それから、羽雪は二通目に取りかかった。

樹里亜からだった。

〝改めまして、宜しくね〟

対して羽雪は、こう送った。

〝メールありがとう、こちらこそ宜しく〟

羽雪は興奮し、何度か寝返りを打った。

ふと、着信がいた。

巧からだった。

〝そう言えば、日本史の課題やった?〟

〝!そう言えば、忘れてた……〟

〝マジで?ヤバくない?〟

〝うん、ヤバい……教えてくれてありがとう、今からやるね〟

メールを送り終えると、羽雪はベッドから跳ね起き、机へと向かった。

必要な道具を取り出し、机の上に並べると、いざ、取りかかろうと、椅子に座り、シャーペンを手に取った時だった。

ケータイの着信音が鳴った。

羽雪は気にせず、課題に集中しようかと迷ったが、せっかくお近づきになれた二人から、貰ったばかりのメールだから、無視出来ないと思い、ベッドに戻り、ケータイを触って、メールを呼んだ。

樹里亜からだった。

〝課題終わった?樹里亜、今、やってるんだけど、全然分かんないの〟

自分も今、同じ状態にあるので、考える間でも無く、すぐに返事を打ち始めた。

〝私も、今から、やろうとしてた所、美作君に聞いてみたら、教えてくれるんじゃないかな?〟

入力して、返信を押すと、羽雪は並んだ勉強道具の隣りに、ケータイを置いた。

勉強の最中でも、返信出来るようにする為である。

羽雪の予想は的中し、一問目を解いた所で次の着信が来た。

〝樹里亜もそう思って、メールしてみたんだけど、まだやってないんだって、だから舞夜さんに聞いてみたの〟

〝そうなんだ、ごめんなさい、まだ、一問目しか解いてないの〟

〝そっかぁ、じゃあ、別な人に聞いてみるね〟

〝そう?ごめんね、力になれなくて〟

〝全然、気にしないで、頑張って解いてね〟

このメールを読み終えると、また次の着信が来るだろうと、ケータイの画面を見つめていた。

しかし、十五分程(ほど)待っても、樹里亜からのメールは、来なかった。

樹里亜からの着信が、気になったが、羽雪は課題をやる時間を、これ以上先延ばしに出来ないと思い、このメールを送った後、課題の続きをやり始めた。

〝うん、ありがとう、お互い頑張ろうね〟

ケータイはまた、勉強道具の隣りに置いた。

しかし、待てど暮らせど、樹里亜からのメールは来ないままだった。

と、思いきや、ケータイの着信音が、鳴った。

〝課題終わった?〟

巧からだった。

〝まだ半分、答え合わせもしてないし〟

〝そうなんだ、俺なんて今、やっと三問目を解いたばかりだよ〟

〝そっか、お互い頑張って解こうね〟

〝おう〟

〝じゃ、続きやるから〟

〝うん、邪魔して悪かったね、俺もやるわ〟

〝ううん、終わったらメールするね、それからまた、やりとりし合おう〟

〝うん、じゃ、また後で〟

〝うん、また後で〟

やりとりを終えると、羽雪は勉強を進めた。

そして、二時間程、経過した頃。

〝終わったよ!そっちは?〟

羽雪はメールを送った。

〝ごめん、まだ後、五問残ってる〟

〝謝らなくていいよ、こっちこそ邪魔してごめんね〟

〝気にしないで、初めにメールしたの俺だし〟

メールを読んでいると、

「羽雪ー、ご飯だぞー」

兄・忍の声が聞こえた。

「はーい」

返事をすると、羽雪は手早く、返信を打った。

〝ありがとう、ごめんね、夕飯食べに行くから〟

〝分かった、また後で〟

打ち終えると羽雪は、ケータイを机の上に置き、外から、部屋のドアを閉めた。

一階へと降り、キッチンに向かうと、沢山の皿に、料理が盛りつけてあり、食卓に並べられる前だった。

「お、来たか、いい時に来たな、手伝って欲しいと思ってたんだ」

「そうなの、何手伝えばいいの?」

「そこに、盛りつけがしてある皿があるから、それを並べてくれ」

「分かったわ」

羽雪は兄に従った。

テーブルに、料理を並べ終えると、二人は対面する形で、席に座った。

そして、

「いただきます」

挨拶を済ませ、二人は夕食を食べ始めた。

「今日は、どうだった?学校は楽しかったか?」

忍が聞いた。

羽雪が忍の所を訪れてから、忍は必ずいつも、この質問をしていた。

言わば、舞夜家の日課みたいなものである。

二人の両親は、羽雪が五歳の時に、交通事故で他界した。

他に引き取り手が無く、養護施設に預けられながら、その中で、忍は羽雪を守りながら、一緒に育って来た。

今となっては、日課となってしまった、この質問も、忍の、兄としての、精一杯の心配りなのだろう。

「楽しかったわ」

言いながら、忍も羽雪も、箸を進めて行った。

「今日は、吹奏楽部に行って、みんなで演奏したの、それでねーーー……」

羽雪の話を、忍は頷き(うなずき)ながら、聞いた。

〝それで?〟と促し、話しやすくもしていた。

会話の最中も、料理はどんどん無くなって行き、終いには、食器だけになった。

「ごちそうさま」

「ごちそうさま」

羽雪よりも少し遅れて、忍が言った。

後片付けは担当である、羽雪が行なった。

回収した食器を、水の入った器(うつわ)の中に浸けると、その間(あいだ)に忍が使った、まな板や包丁、鍋を洗う。

それが済むと、続いて残った、食器を洗う。

洗い終わると、洗った物を綺麗に水気(みずけ)を拭き取り、乾燥器に並べて行った。

一息(ひといき)ついて、席に、もたれかかるように、座る。

五分程ボーッとすると、羽雪は時間が気になり、再び立ち上がった。

そして、忍にその旨を伝えると、リビングへと足を運んだ。

完全に中へは入らず、外側に突っ立ったまま、壁時計を眺めた。

八時を周っていた。

「おつかれさま」

席へと戻った羽雪に、忍はココアの入ったマグカップを差し出した。

「ありがとう」

羽雪はココアを一口飲むと、また一息ついた。

忍も、自分の分の、ココアを飲むと、羽雪にこう言った。

「一息つくのはいいけど、宿題は済んだのか?」

「ーーー宿題?」

聞き返すように、羽雪が言った。

「そう、終わったのか?」

話を聞いているのか、いないのか、羽雪は空(くう)を見つめ、ぼんやりしながら、

「宿題ーーー宿題、ーーー宿題……」

と、繰り返した。

すると、羽雪はみるみる青くなり、ココアを、熱さを我慢しながら、一気に飲み干すと、大急ぎで、自分の部屋へと、戻って行った。

「ごちそうさま」

と、忍に言い残して。

羽雪が去った後、忍はココアを一口飲んで、一息ついた。

物凄い勢いで、部屋に駆け込むと、羽雪はひったくるようにして、ケータイを手に取った。

画面を見ると、

〝メール五件〟と、表示されていた。

羽雪は、一つ一つ、メールを開いて行った。

〝お待たせ!やっと課題終わったよ、お互い、おつかれさま〟

〝ご飯食べ終わった?俺、まだなんだ、もし、食事中だったら、邪魔したかな?ごめんね〟

〝ゴメン!夕飯の用意が出来たらしいから、ちょっと行って食べて来るね、また後で〟

〝ごめんごめん、ようやく食べ終わったと思ったら、後片付けの手伝いさせられてさ、そっちはどう?時間が出来たら、メール頂戴〟

〝いつまでも待ってるから、寝てる時によこしてもいいよ、いつでも頂戴〟

全部、巧からのメールだった。

こんなにメールを送って来る程、巧を待たせていたのかと、羽雪は申し訳無い気持ちになった。

そして、あまりの返信の来なさに、巧が怒っているんじゃないかと、不安にもなった。

恐る恐る(おそるおそる)返信を送ってみる。

〝ごめんなさい、返信するのが遅くなりました、私も夕飯の後片付け、やってたの、五件もメールくれたんだね、それに、こんなに遅くになっても、待っててくれたなんて、ありがとう、怒らせていたなら、本当にごめんなさい〟

打ったメールを送信した。

やがて、返信が来た。

〝怒ってないよ、こちらこそ何通も送ってごめん、それと、メールくれて、ありがとう、嬉しいな〟

〝ううん、美作君は何も悪くない、忘れてた私がいけないの、ごめんね〟

〝いやいや、そんな事無いよ、こちらこそごめんね〟

〝美作君が謝る事無いよ〟

〝そっちだって謝る事無いよ〟

〝ありがとう、そう言って貰えて嬉しい、なんか、お礼と謝ってばかりのメールになっちゃったね、ごめんね〟

〝また謝ってるし(冗談だよ)、気にしないでいいよ、俺も悪かったし〟

〝ありがとう(あ、また言っちゃった)、でも、怒ってないなら、よかった、安心した〟

巧のケータイに、羽雪から続いて、こんなメールが届いた。

〝度々(たびたび)ごめん、お風呂呼ばれたから、ちょっと行って来るね〟

〝いいよ、いいよ、気にしないで、行っておいで、って言うか、俺も呼ばれたし〟

〝そうなんだ、でも、どうする?お風呂から上がると、時間、遅くなるんじゃない?〟

〝じゃあ、今日はここまでにしようか?〟

〝それがいいかもね、お互いに〟

〝OK、じゃあ、今日はこの辺で、おやすみ〟

〝おやすみ〟

メールを送り終えると、羽雪は風呂を済ませ、ベッドの中へと、入った。

二階建ての、一角の明かりが、消えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る