第3話 ノゾム

「心月、今日、ママ残業で遅くなるから」


 台所の窓から、柔らかな朝陽が差しこんでいる。食パンをもそもそとかじる心月に、ママが声をかけた。

 心月は昨夜、不安と心配でよく眠れなかった。ちらりと隣に座るママを見る。片頭痛持ちのママは色白で線が細く、日本画の美人のような見た目をしている。

 修理屋は魂をとると言った。心月のではないなら、誰の? もしかして、ママの魂だろうか?


「心月? 聞いてる?」


 怪訝な声に、はっと我に返る。


「ごめん。遅くなるんだね、分かった」

「夕飯のおかずが何も残ってなくて」

「大丈夫。私も今日、バイトで遅くなりそうだから。休憩時間に何か買って食べるよ」


 今日はバイト先のスーパーで、急遽、いつもより長い夜十時までのシフトを頼まれていた。病欠の人の代わりがいないからと店長に頼まれ、断れずに引き受けた。

 ママに言うと心配をかけそうなので、詳しいことは伏せておく。


「心月は本当にできた子だ。ママも心月のために、仕事頑張らなくちゃね」


 心月にというより、自分に言い聞かせているような調子だった。

 前は専業主婦だったが、心月が小学生になってから働きだした。心月のために頑張る、とママはよく言う。


「そうだママ、私、今スマホが使えないから」

「えっ、どうして?」

「えっと、調子が悪くて。でも、直りそうなの。もうちょっとしたら」

「何それ? だったら、新しいの買おうか?」

「ううん、大丈夫」 

 心月は首を大きく横に振る。

 いぶかしげな顔をするママを誤魔化して家を出た。


 晴れているが、風が強くて寒い。首に巻きつけたマフラーに口元を埋める。

 修理の代償の件が、頭を離れない。ただより高いものはない、ということだったのかも。自転車を漕ぎながら、どんどん想像が悪い方向に進む。心月の不安を感じとったように、自転車はブレーキをかける度、甲高い耳障りな音を立てた。


「みつきーおはよ」

 高校の駐輪場で優穂ゆうほに会った。優穂は同じクラスの友達だ。


「昨日、話したくてDM送ったけど既読にならなかったね。やっぱりスマホ、駄目だった?」

「うん、死んでる。電源が入らない」

「何それ、地獄。早く新しいの買ってもらいなよ。無かったら不便じゃん。何もできないよ」


 優穂は最新式の高機能スマホを使っている。古いスマホの買い替えに迷う家があるなんて、想像できないのだろう。


「修理には出したんだけど」

「そうなんだ?」 

「でもやっぱり、出すんじゃなかったのかもしれない。ねえ優穂、魂とるっていったら、それは悪魔だよね? 悪魔祓いってどうやったらいいんだろう。エクソシストってどこにいるの?」

「ど、どうしたの?」


 悲愴な面持ちでせまる心月に、優穂が心もち身を引く。


「……そっか、片岡に彼女ができて、ショックを受けてるんだね。分かるよ」


 優穂は友達の様子がおかしいのは失恋のせいだと解釈したようだった。声をひそめると心月の肩に優しく手をかける。


「あいつ、心月にあんなにちょっかい出してたのにね。先輩に告られてあっさりつきあうなら、元から馴れ馴れしくしてくんなって話だよ」

「やめて。最初から、私のことなんて何とも思ってなかったんだよ。優しくされて、勝手に勘違いして恥ずかしい。消えたい」

「いやいや、あれは確実に気があったって。断言する」

「でも……もし、少しはそうだったとしても、きっと私が何かして、嫌になったんだと思う」

「心月はいつも、全部自分のせいにしちゃう。優しすぎだよ」


 優穂は不満げに唇を尖らせる。


「とりあえず、もう片岡のことなんか忘れよう。そもそも心月には、あんなに格好いい幼なじみがいるしね」 


 心月の目が点になる。幼なじみなんて、心月にはいない。


「片岡と違って、ノゾムは本当に心月のことを想ってくれていると思うよ。それにあのビジュは尊すぎでしょ」

「優穂、一体何の話?」


「俺の名前、呼んだ?」

 真後ろから声が降ってくる。振り向いた心月はぎょっとした。


 やや上がり気味の大きな目と、鼻筋の通った小さな顔。制服や骨格から男子だと分かるが、顔だけなら女子にも見える。短めの前髪を正面で分け、額を出していた。


「おはよう、心月」


 目鼻立ちのはっきりした彫像のような綺麗な顔に、目を奪われる。心月が好きな韓国人のアイドルに似ている。


「どちらさま?」

 その男子はちょっとむっとした顔をする。

「そういうこと言うわけ。だったら俺にも考えがあるよ」

「へっ? もしかして、優穂の知り合い?」


 助けを求めて優穂を見ると、あきれた表情を浮かべている。


「何言ってんの。ノゾムでしょ。あんたの家の、隣に住んでいる」


 頭が真っ白になった心月に、ノゾムという男子は悪魔めいた美しい笑顔を向けた。

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