修理屋かげつの言い分
糸森 なお
第1話 不思議な店
『修理屋 あなたの大切なもの なおします』
そう書かれた半紙が、格子戸に金色の画鋲で上部だけ止められている。薄い紙の端が風でたよりなくめくれ上がった。
『お金はいただきません』
高校からの帰り道だった。初めて入った行き止まりの路地に、黒い瓦屋根のいかにも古そうな二階建ての小さな家があった。昼間なのに玄関の軒につるされた丸いライトが点いていて、橙の明かりがぽつりと猫の目のように光っている。その真下にぞんざいに紙が貼られていた。
「お金はいらないって……怪しすぎ」
「それなら、私のスマホ直してくれないかなあ……無理だろうけど」
ブレザーのポケットには、背面の割れたスマホが入っている。三年前、中学二年生の時に買ってもらった、心月が初めて持ったスマホだ。今日、落として壊した。しかも失恋した後で。
同じクラスの片岡は
SNS経由でメッセージが頻繁に来た。どれもたわいない内容だったが嬉しかった。今度、お茶をする約束もしていた。
それが、一昨日から急に返事が途絶えた。片岡は心月をあからさまに無視するようになり、いつのまにかフォローも外されていた。
今朝、自転車で高校に向かう道で、片岡が知らない女の子と楽しそうに登校する姿を目撃した。二人の姿を見た時、心臓が掴まれたように痛んだ。
傍を通りたくなくて、自転車を止めて慌てて降りた。首から下げたストラップに足がひっかかり、ケースが歪んでスマホ本体が抜けて落ち、アスファルトで跳ね上がった。
スマホは背面の一部が欠けて大きなヒビが入り、電源が入らなくなってしまった。
噂によると、片岡は部活の先輩に告白されてつきあうことになったらしい。
悲しかったけれど、悲しむ資格があるのかも分からなかった。少し親しくされただけで、勝手に勘違いしていた自分が悪いのだと思った。
帰り道、ぼうっとしながら自転車をこいでいたら曲がる角を間違え、この路地に行き当たったのだった。
心月は、スマホに入った蜘蛛の巣のような亀裂を直視できなかった。本当に大切だったのに。何だか、自分も一緒に取り返しのつかない傷を負ったような気がした。
「……帰ろ」
目をこすって振り返ろうとした心月の前で、からからと音を立てて格子戸が開いた。爽やかで、どこか甘さもある木の香りが、ふわりと漂った。
「どうぞ!」
元気な子どもの声が聞こえた。しかし、戸の向こうには誰もいない。
高くてかわいい声だった。足元から声がしたように思って目線を下に向けた心月は、自分の目を疑った。
引き戸のそばに、大きな貝が落ちていた。手の平の大きさくらいある笠形の貝。何でこんなところに貝が。
格子状の影の中で、貝が動いた。心月に向かってお辞儀をするように。
「こんにちは」
その声は確かに――貝から聞こえた。
「えええっ?! 貝がしゃべったあっ!」
「やかましいっ!」
家の奥から低い男性の声が響いた。
「用があるなら、とっとと入ってこんかい!」
土間を挟んで上がり框があり、板戸を挟んで和室が見えた。和室の奥に誰かいるようだが、外の明るさと対照的に家の中は暗く、視界がきかない。
よく分からないが、とりあえず怖い。貝も喋っているし。逃げよう。
「用はないです、すみませんっ、お邪魔しました!」
「まって、まって」
ぞくりとする感覚をふくらはぎに感じる。貝が心月の足に張りついている。貝殻の奥にある湿ってじっとりとしたものが肌に当たった。
「いやあああっ!」
足を思い切り振ると貝は離れ、沓脱石にぶつかった。跳ね返って勢いよく土間を転がる。心月は急いで戸に向かう。
「う……うわあああ……」
わっと貝が泣き出した。聞くだけで切なくなるような子どもの泣き声だ。
戸から足を踏み出していた心月は、立ち止まった。路地には燦々と陽光が注いでいる。
放っておけず、踵を返して敷居をまたぐと、おそるおそるうす暗い土間に戻った。
「ごめんね……痛かった?」
そっと手をのばし、貝殻をなでる。ひんやりとしていて指に吸いつくような滑らかな感触がした。
と、青磁色の袂から伸びた手が、さっと貝を掬い上げた。
「大丈夫か、アガサ」
和服姿の男性が貝を抱きかかえ、優しくさする。
青磁色の着物に、紺の帯。歳は三十くらいだろうか、肩まである柔らかそうな長い髪を一つに括っている。男はじろりと心月を睨んだ。
「アガサに何てことをするんだ、乱暴者」
「ちがう、うちがわるかったんだよ。びっくりさせちゃったから。この子はわるくないよ」
貝はしゃくり上げながら男に向かって懸命に否定する。健気な言葉に、心月は胸打たれた。
「ううん、私こそごめんね、アサリちゃん」
「アガサだ。アサリじゃない。全然、違うだろうが」
男は眉間に皴を寄せて言った。背が高くすらりとした体つきで着物姿が様になっている。まるで舞台役者のようだが、目つきが悪く威圧感がある。
「すみません。貝だし、聞き間違えて」
「アサリは二枚貝でアガサとは全く違う。お前は貝をなめているな」
「そんな、滅相もないです」
必死に首を横に振る。貝をなめている、と言われたのは人生初めてだ。
「その貝、どうして喋るんですか? もしかして、遠隔操作のロボット?」
「あほ」
「へっ?」
「あきれた娘だ。客でなければつまみ出しているぞ」
「客?」
「表の貼り紙を見たんだろう? 壊れた物があるはずだ。見せてみろ」
そう男が言ったのと同時だった。ブレザーのポケットに入れていたスマホから、聞き慣れた着信音が鳴り響いた。
「えっ!?」
直ったのかと期待してポケットから出したスマホの電源は、やはり落ちていた。長方形の画面は夜更けの窓のように暗い。
「なるほど、それか」
顎に手を当て、訳知り顔で男が頷いた。
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