第二話 価値のある命
命の重さは平等である。
実に道徳的な考え方だろう。だが確かに
人間とはなんと慈悲深く哀れな生き物なのだろう。食物連鎖の中にいながら他の生き物の命を尊んでいる。
だが、「命の価値」とした場合はどうだろうか。家畜と愛玩動物、愛玩動物と家族、家族と
「どうぞお入りください」
人間どもが寝静まる夜更け前、私は一軒の戸を叩いた。この家の主人はあの日と変わらず、なんの迷いもなく戸を開ける。尋ねて来たモノが何者であるか確認することもなく。
「私が言うのもなんだが、戸を開ける前に誰が訪ねてきたか確認すべきだと思うぞ」
「こんな時間に訪ねてくるのは貴方しかおりませんから」
そう言って美しい笑みをこちらに向けている。この島で唯一の集落で生まれ育ったユーリにとって、島に暮らす人間は顔見知った家族のような存在だ。訪ねてきたのが私でなくとも、きっとなんの
こんなお人好しばかりで、外界から孤立した集落だからこそ、
「お前はこの島を出たいとは思わないのか?他の島にある集落と比べてもこの集落は大きい方だが、毎日同じ人間どもに囲まれて、変わらない暮らしをおくるのは退屈だろう?」
「確かに私はこの島を出たことがありません。海の向こうにどんな世界が広がっているのか、『興味がない』と言えば嘘になるでしょう。ですが私はこの島で生きていく方法しか知りません」
「ならば私が島の外に連れ出してやろう。海の向こうにはお前の知らない楽しみがあるやも知れぬぞ?」
「それは楽しみです。ですが、外の世界に出たら私の心が変わるかも知れませんよ?『もっと生きたい』と貴方から預かったこの命を惜しむかも知れません」
「それならそれも良い。私の人生は長く退屈だからな。お前が生きたいと願うなら、お前が自らその命を私に差し出すまで付き合ってやろう」
それはもはや『生きている』と言えるのだろうか——。
「では、貴方が私を外の世界に連れ出してくれるのを楽しみにしています」
私たちはとてもよく似ている。ユーリはこの島で生きながらにして死んでいるのだ。自らの命を奪う
「そうか。そんなに楽しみならば、明日にでも旅立つとするか。荷物をまとめて待っているが良い」
唐突な申し出にユーリは少し驚いたような表情を浮かべたが、すぐに表情は明るくなり「楽しみに待っています」と微笑んだ。
長い人生の暇つぶしに人間と戯れてみるのも悪くないと、この時の私はそう思っていた——。
「……どなたですか」
翌晩、いつものように戸を叩くと、いつもとは違う言葉が返ってきた。扉の隙間からはほのかに甘い匂いが漂ってくる。嫌な汗が額からこぼれ落ちるの感じた。この匂いには覚えがある。
「私だ……入るぞ」
「貴方でしたか……やはり貴方の言うとおり戸を開ける前に確認するべきでしたね」
「なにがあった」
血の匂いが充満するなか、ユーリに駆け寄り抱き抱えると首筋には牙の跡がくっきりと残っていた。
「すみません…どうやら一緒に旅をすることはできないようです。貴方から預かった命なのに…」
この島に私以外の吸血鬼がいる。そしてそいつは、あろうことかユーリに目を付けたのだ。
「貴方と一緒に旅をする約束を果たせず…申し訳…ありません…」
「もう良い…気にするな…長くて退屈な一生の暇つぶしにと、戯れにお前に声をかけたのだ。気にやまなくて良い」
いつも通りの笑顔で話しているはずだった。だが私の目頭から熱い何かが頬を伝うのを感じた。ユーリは私の頬に触れ、そっとそれを拭った。
「私のために泣いてくださるのですね」
あぁ、そうか…これが涙というものなのか。私は人間を…ユーリを食糧としてではなく、特別な何かだと思っているのだ。これが人間の言う恋心というものなのかもしれない。
「人生の最後に…貴方に出会えて…幸せでした…」
頬に触れたユーリの手が冷たくなり、力無く床に落ちていった。
『吸血鬼に噛まれると吸血鬼になる』そんなくだらない噂が人間の間で流れていると聞いたことがある。しかし
吸血鬼に血を吸われた者は、例外なく命を落とすのだ。牙から血管を通して全身に巡らされた毒に侵され、細胞は急激に朽ちて塵と化す。そんな無惨な末路が待っているだけだ。
吸血鬼に血を吸われた者の亡骸は残らない。だから血を吸われた者の家族たちは、
私にとってユーリの命は何者にも代え難い「価値のある命」だった…だから私はこの晩、この島に居るすべての吸血鬼の命を奪ったのだ——。
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