27.幸せになろう
「先生、それでいいんですか⁉」
奏が横から食って掛かる。
『柳内の人間不信は十年ものだ。たかだか数ヶ月の付き合いしかない俺らがそう簡単に牙城を崩せると思うか?』
「う……そこは先生たち、大人なんだからなにか秘策があるんですよね?」
『ない。こればっかりは今までの時間と同じかそれ以上かけて、信用してもらうしかないんだ』
「……樋口じゃないですけど、こういう風にしたその教師とか生徒とか、今からお礼参りできませんか?」
『やめろ、不毛だ』
「本当に不毛だからやめときな? まだ〝アーツ〟に適合するかわからなかった時に、あいつら校長室に星羅ちゃんの死刑を求める署名を集めて提出してくれたから、最終的に接近禁止の公文書を残すことになったんだし」
「校長が体裁を気にする人で助かったよね。おかげで受験の前日に内容証明が届くよう準備できたし、〝縁切り〟の決心もついたし。全員不合格だったって聞いた時はザマアミロって思った」
高校への進学は、よほどのことがないかぎりストレートに進む。そこでつまずいただけでもかなり痛手だが、そこに〝縁切り〟の追い打ち付きがつく。なにがあっても彼らはこの先、一生星羅に手を出せないし謝罪もできない。ひょっとしたらこのまま引きこもりコースかもしれない。
そう考えるだけで、星羅はちょっと留飲を下げられた。
「ううう……」
隣で奏が唸る。やりすぎだと言われるのかと星羅は身構えた。
その体が、力強く抱きしめられる。
「ぅんっ⁉」
「ぜったい、絶対に幸せになろうねえ~‼」
ぼろぼろと泣きながら言われて、星羅は目を白黒させる。
「え、え……なに、急に?」
「もうそんな辛い思い、絶対にさせないから! 死なないでくれてよかったあ~!」
「え、ちょっと……おい河原、ファントム! 助けろ!」
「ごめん、無理」
「うん。ここまで星羅ちゃんのことを思って泣いてくれる人、警察署以外で初めて見たよ」
「そりゃそうだけど! ちょっと待って苦しい、肺! 圧迫されてる!」
ギブギブと奏を叩けば、やっと解放される。引き離された奏はそれでも号泣していたが。
なかなか泣き止まない彼女に意識が向いていたから、公園の入り口に回転灯をつけずにやってきたパトカーにも気付かなかった。
「……通報があったから駆け付けてみたけど。思った以上に和やかじゃね?」
「油断すんな。相手はファントムだぞ。いつ逃げられたり襲ってくるかわからねえ」
パトカーから降り、ベンチの死角から覗く二人の警察官は、小声で言葉を交わす。
ファントムの捜索中に、重要人物でもある少女が失踪。それだけで現場は大騒ぎだったというのに、学校で待機している同僚からの連絡で駆けつけてみたら、なんか和気藹々としている。傍から見たら友達とその保護者である。まったく状況が見えなかった。
不意に、ファントムがこちらを見た。
「ああ、来たんだ。星羅ちゃん、手を出して」
「ん?」
奏から解放されて一息ついた星羅が、手を差し出す。
まさか連れ去る気か⁉ と警察官二人が飛び出し、
「はい。……ごめんね、勝手に持って行っちゃって」
差し出した掌に載せられたのは、ペンダントサイズの〝アーツ〟だった。
「…………」
星羅は驚いたようにそれを凝視し、それからファントムを睨む。
「変なことしてないよね?」
「するわけないだろ。というか、できなかった。うっかり適合しちゃったのかと思って、あれから大きさを変えようと試してみたりはしたけど、うんともすんとも言わなかった」
星羅が軽く握って力を籠めると、〝アーツ〟は見慣れた大鎌へと成長した。
「……触れるし持てるのに能力が発動できないって不思議だな」
河原がすぐにペンダントサイズに戻った〝アーツ〟を見つめる。
「〝アーツ〟にも意思があるって、本当かもね」
ぐすぐすと洟を鳴らしつつ、奏も言う。星羅が首の鎖につなげると、〝アーツ〟は街灯の光を受けてきらりと輝いた。
「じゃあ、僕は一回消えるよ。迎えが来たみたいだし」
ファントムが視線を移す。奏たちもそれにつられてみると、茂みから飛び出したままどうすることもできず固まっている警察官がいた。
そちらに目を奪われている隙に踵を返そうとして、
「いやちょっと待て」
星羅に腕を掴まれた。
「勝手に逃げるな。ちょうどいいから決着つけるよ」
「ちょうどいいってなに? 星羅ちゃん、明らかに万全の状態じゃないだろ?」
「関係ない。ちょうど立会人に最適な人もいるんだし。ここで決着つけた後、すぐに引き渡せるし」
「立会人ってなに⁉ 引き渡すって……ちょっ、待った! わかった! わかったから手を離して! 骨がミシミシ言ってる!」
手は離さなかったが、力は緩めた。
「……で? 決着って具体的になにをするんだい?」
「勝負してよ。本気の殺し合いをするの」
「えっ⁉」
「「「「『はあ⁉』」」」」
全員が驚愕の声を上げた。当然だが警察官たちの声も入っている。
「え、なに?」
「ちょっと待ってよ、本気で言ってるの⁉」
「そりゃそうだよ。殺すつもりで今まで鍛えてたんだし」
「いやダメダメダメ! 絶対反対!」
『おいちょっとそっちにいる奴らで時間を稼げ! すぐに行く!』
「えー、大げさ」
「大げさにもなるだろ! 僕の言えたセリフじゃないけど、命大事に‼」
「え、勝手に殺さないでよ。ちゃんと手加減できるでしょ?」
その言葉に、全員が「ん?」と止まる。
「……ちょっと待って。まさか、お互いに死なない程度で全力の殺し合いをしたいってこと?」
「そうだけど」
手刀が目に見えない速度で星羅の脳天を打った。
「いっ……きなりなにすんの⁉」
「拳骨じゃなかっただけマシだと思え! この十年で初めて手が出たぞ! 言い方が紛らわしすぎるんだよ!」
奏たちが全力で同意する。
「今の話だと、どっちかが死ぬまで殺し合うように聞こえたよ⁉」
「え、そう?」
「そうだよ! 一番大事なところすっ飛ばすな!」
「いや、勝っても負けても警察に引き渡すつもりだったから、死ぬつもりなんて毛頭なかったんだけど……」
『さっきまで死にかけていた奴が言っても説得力ないぞ。十分前の自分を顧みろ』
橋本の追い打ちに今度こそ星羅が黙る。
ファントムが深いため息をついた。
「はぁ……。あのー、橋本先生? ぜんぶ終わったら星羅ちゃんの方はよろしくお願いします」
『ああ、そのつもりです。……あとお前らそこから絶対に動くなよ? 今から行くから』
「わかりましたー……」
奏が返事をして、長い通話はようやく切れた。
「……今の橋本先生、絶対怒ってるよね」
「まあそうだよな。脱走の件が軽く吹っ飛ぶようなインパクトの連続だったし」
「……なんかごめん?」
「申し訳ないと思うなら、先生が来た時本気で謝っといた方がいいぞ。前に橋本先生が怒った時、魔王が降臨したんだから」
「……念のため言っておくと、土下座までしなくていいと思うからね?」
ファントムが付け加えると、星羅が驚いたように振り返った。
「え、いいの?」
「え、するつもりだったの?」
驚く星羅に奏たちが驚く。星羅はこてんと首をかしげた。
「謝罪って言ったら土下座でしょ?」
「だから違うって何度も言ってるだろ⁉」
「一日一回土下座がマストだったからなー」
「あいつら……!」
ファントムが頭を抱えてしゃがみ込む。
「くそがやっぱり殺しておくべきだったか……」
などと呟いていたが、小さすぎて誰も聞き取れなかった。
奏が星羅の方へ身を乗り出す。
「もしかして、この前いきなり土下座しだしたのも?」
「あー、うん。あれはあたしが悪かったし、前みたいに『生きてて申し訳ありません』なんて毎日言わなくて済んだから別に……」
「ツッコミ所満載なんだけど?」
奏の目が据わる。両肩をがっしと掴まれた星羅が顔を引きつらせた。
「え、やっぱ言っといた方が……?」
「違うから。この際だから言わせてもらうけど、星羅がいた所、本当に変。同級生どころか先生たちとも縁を切りたくなるくらい毎日ひどい目に遭っていたってことだよね?」
「……まあ」
「誰も止めなかったんだよね? どうして? 下手したら死んでたかもしれないんだよ? いやそもそもいじめている時点でアウトなんだけどさ」
「それは、殺人事件の被害者遺族だから……」
「そこだよ」
河原が口を挟んだ。
「そこがまずおかしいんだ。誰がファントムの噂を流したのか知らないし聞きたくないけど、柳内さんが事件の関係者だからってだけでいじめられていいはずがないんだよ」
「……でも実際、あいつらは何度も〝処刑〟しようとしてたし……」
「転校しちゃえばよかったじゃん。逃げるが勝ちっていうでしょ?」
「それはあいつらに負けた気がして癪だった。逃げるくらいなら向こうのアキレス腱を切るぐらいはしたかったし。なんのために毎日朝イチで内容証明のコピーを机の上に並べたと思ってるのよ」
「なにそれ詳しく」
「前日にやられたことを事細かに列挙して、それに対する精神的苦痛の賠償……まあ慰謝料を何日にいくら請求しますって書いたやつ。毎日だったからね。卒業前日とか受験の前日とかに総額を連中の家に送り付けた」
「それで慰謝料が十万から五十万円っていうのは安くない?」
「一度につき、だから。深くかかわってこなかったやつは十万も支払わなかったけど、主犯クラスになると一千万いった」
「弁護士さんが悲鳴を上げてたよ。減額を求めて泣き付いてきたり、ごねて訴えるぞって脅してきた親もいたってね」
復活したファントムが付け加える。
「それ、本当に訴えられたんですか?」
「いいや。こっちに有利な証拠が揃っているから、それを見せて『訴えたかったらどうぞ』って返したら黙ったって」
「そりゃそうだ」
河原が呆れたように呟いた。
「樋口も言ってたけど、いじめた時点でそいつらは負けてるんだよ。柳内さんが死ななかったことに感謝してほしいくらい」
「……そう?」
「そう。〝縁〟を切るだけって、むしろ優しすぎる気がするけどね」
「……あの連中のために時間を割くのは、中学校までって決めていたから。それに、殺す方が慈悲深いでしょ? そこで時間が止まるんだからさ」
「……そういう見方をするか」
河原は唸った。
死ぬのは一瞬だ。生きていたら経験しただろう酸いも甘いもない。何度も
幼い自分たちの行いに足を引っ張られながら生きるとは、どんな人生か。想像もしたくない。
「それで?」
星羅が自然な動作で立ち上がった。バレッタをポケットにねじ込む。
「あたしはいつでもいいけど」
首にかけていた鎖からは、もう〝アーツ〟を外している。
「ああ」
立ち上がったファントムは、軽く顎を引くように頷いた。それから、静かに近付いてくる警察官二人を見る。
「……逃げも隠れもしませんよ。これが終わったら、大人しく逮捕されます」
「……少しでも妙な真似をしたら撃つからな」
警官の一人が腰のホルスターに触れる。ファントムはそれに頷いて、ベンチから離れた場所に歩き出した。
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