13

 昼はとっくに過ぎていたが、まだ外は雨らしい。

 トーマスの部屋にある窓には、無数の雨粒が特攻を繰り返しており、バチバチと大きな音が鳴っていた。


「――トーマス」


 レベッカが呟いて、目を細めた。視線はトーマスの安らかな顔を経由して、ナイフの刺さっている胸へと動いていく。


 彼の胸から流れ出た血は、白い毛布の上を流れて、床に落ちていた。

 川の流れのように別れた一部は、ベッドの脚を伝って、床との接地面に血溜まりを作っている。それらの血はもうすっかり乾いていて、鉄さびのような色に変わり果てていた。


 床に膝をついて、ベッドの下を見るために床に垂れ下がっていたシーツをめくると、木製の板があった。

 スペースは僅かにあったが、腕を差し入れてみると、拳を辛うじて入れられるほどの高さしかなかった。

 人は隠れられそうもない。


 床に顔を近づけたせいか、血の匂いが鼻を突いて、反射的にウッと声が出た。

 ごまかすために、勢いよく立ち上がる。――レベッカは気づいていないようで、本棚に収まっていた分厚い本の一冊を取り出し、パラパラとめくっていた。


 部屋は、6畳ほどのワンルームだった。

 他の部屋も同じような内装のはずだが、ドアに面した壁以外が本棚に占領されているのは、この部屋だけの特徴だ。

 ぎっしりと詰められた本たちは、手に取ろうという気が失せるほどギチギチに詰め込まれている。


「高いな」


 俺は呟いて、窓を見上げた。

 部屋の唯一の窓は、入って左側の壁の、本棚よりも上にある。

 本棚が邪魔で真下からはよく見えないので、後ずさってつま先立ちをする。


 窓は、木枠にガラスをはめ込んだ構造をしていた。

 上辺が固定されていて、内側からは手前へ引っ張るようにして、外側からは上へ押し開くようにして開ける構造のようだ。

 鍵はついておらず、元々穴しかなかったものに、後から窓を取り付けたような印象だった。


 この世界の技術的な問題なのか、あえてそうなっているのかはわからないが、ガラスは歪んでいるうえに磨りガラスのようになっているため、外の様子はよくわからなかった。

 ただ、完全には閉まらない構造になっているのか、下側が僅かに開いている。

 雨が降り込んでくるような隙間ではなかったが、灰色と、激しく揺れる緑色の細い草が垣間見えた。

 地面に生えているような、細い葉の雑草だ。


 パトリックが言っていたとおり、この部屋は、魔王城の外から見れば地面に埋もれるようになっているらしい。窓がある高さが、ちょうど地面の高さだということになる。


 それにしても、外から開けるのは苦労しない一方で、部屋の中から窓を開けるのは難しそうだった。


 梯子を調達してきて、窓を開けてみるか?

 ――いや、エントランスに戻ってきた足跡がなかった以上、誰も魔王城から出ていない。なら、この窓が使われた訳がない。


 やはり、ドアの鍵に仕掛けがしてあったのだろうか?

 それとも、この部屋のどこかに秘密の通路が隠されているとか?

 そんな興ざめな設定はゲームにはなかったはずだけど。


「あなた、やっぱり、レイじゃない、よね?」


 唯一、本棚に覆われていない壁を叩いたり押したりしていると、背後からそんな声をかけられた。

 一瞬、身体が固まってしまったが、すぐに取り繕って、石壁をコンコンと叩く。


「いやあ、レベッカは、冗談が下手だなあ」


 なんとか追求から逃げられないかと、俺は間の抜けた声を出した。


「冗談のつもりは、ない」


 まずい、と思う。

 いつも無感情なはずのレベッカの声が、少しだけ緊張を含んでいるように聞こえたからだ。


 俺は背を向けたまま、気軽な感じを意識して言う。


「俺がレベッカと同じように、魔王に操られているって言いたいのか?」

「違う。魔王じゃない。あなたは、レイじゃないみたいだもの」


 ――どういう意味だ?


 疑問が自身の顔に出ているのを自覚した。

 その顔を見られないためにも、レベッカに背を向けたまま、手持ち無沙汰に壁を押してみる。――当然、びくともしない。


「私を操っていた魔王は、私に見えるように演技していた。けど、あなたは違う。レイには見えない」


 心臓が、ドクンと跳ねた。


 動揺を隠すため、はあ、と大げさにため息を付き、ついでに深呼吸をする。

 心臓の鼓動は規則正しいものに戻っている。表情もいつも通りのはずだ。

 俺は振り返り、言った。


「どっからどう見ても、俺はレイだろ?」

「見た目はそう。でも、中身はまるで違う」


 レベッカは、俺を見上げていた。


 思ったよりも近くに顔があり、反射的に後ずさろうとするが、かかとが壁にぶつかった。

 いつの間にか、無意識に握りしめていた手のひらが、汗をかいている。


「レイは、あなたみたいに頭は良くないし、冷静じゃなかった。リーダーシップはあったけど、自分の間違いを認めることもなかった。そして――誰よりも強かった」


 壁に背中が当たった。

 レベッカの猫のような瞳が、満月のように見える。


「そんなふうに、私に怯えることは、絶対に、なかった」


 見透かされている。

 無意識に、ヒュッと、息を吸い込んでいた。


「本物のレイは、どこへやったの?」


 喉元に、ナイフを突きつけられている気がした。


 この子がトーマスを殺したんじゃないか、という考えがよぎった。

 人殺しをしていてもおかしくはない目をしていた。


 ――いや、レベッカだけじゃない。

 パーティの全員がそうだ。


 誰も彼も、冒険で数多の魔物を殺し、悪党を――人間を殺してきた百戦錬磨だ。


 俺は、ずっと怯えていた。


 マーカスの握りしめられた拳が怖かった。

 パトリックの丁寧な口調が、マリアの笑みが、アンの鋭い声が、レベッカの目が怖かった。

 仲間の死を悲しんで、涙を流していても、彼らは誰一人、敵を殺すことにためらいはない。


 俺は、猛獣たちのいる檻の中に放り込まれた、獣の皮を被らされた一般人に過ぎない。


「――わからないんだ」


 気づけば、俺はそんなことを口走っていた。


「わからない?」


 レベッカが繰り返した。

 俺は頷き、目をぎゅっと瞑って、口が動くに任せた。


「気づいたらここにいて、俺はレイになってたんだ。元々のレイがどうなったのか、俺にもわからない。ただ、俺だって必死だったんだ、殺されないように」


 だって、俺がレイじゃないとわかったら、君達は躊躇なく俺を殺すだろ。


「君を助けたのも、不可抗力だった――あそこで行動しないと、俺は殺されると思ったからだ」


 レベッカは何も言わない。


「レイのような自信も、強さもなかったけど、ともかく、事件を解決しないと安心できなかったんだ。だって、次に殺されるのは、俺かもしれないだろ。――俺はただ、犯人を見つけたかっただけなんだ」


 俺は敵じゃない、トーマスも殺してなんかいない。


「騙していたのは謝る。申し訳ない。けど、こんなことを正直に話しても、誰も俺を信用してくれないだろ? 第一容疑者として殺されるか、監禁されるのがオチで、そうなったら、犯人の格好の的だ。殺されてしまうかもしれないだろ?」


 ――目の前にいるのは暗殺者。

 殺しはお手の物だ。

 次の瞬間には、ナイフで喉元を掻っ切られていてもおかしくない。


「俺は、誰にも危害を加える意志はない。だから、助けてくれ!」


 俺は必死に目を瞑って、頭を下げ、祈るように両手を組んでいた。


 数秒待ったが、反応はなかった。

 薄目を開けると、レベッカが数歩下がったところに立っていた。


「――ごめんなさい。そこまで怖がらせるつもりはなかった」

「俺を、殺すつもりなんじゃ?」

「そんなつもりは、ない」


 レベッカは首をブンブンと横に振った。

 首元で切られた黒髪が激しく揺れて、元の位置に戻った。


「ただ、自分の直感を確かめたかっただけ。あなたがレイじゃない、って」

「それだけ?」


 間抜けな声が出た。


「正直に話してくれて、ありがとう」


 レベッカはペコリ、と頭を下げた。


 俺は全身から力が抜けて、へたり込みそうになった。

 慌てて壁に背中を預けて、なんとか立った。


「――俺を信じるのか?」


 こんな得体の知れないヤツを? と続きそうになって、慌てて口を閉じた。


 俺がレベッカなら、こんな訳のわからないことを言うやつは、真っ先に容疑者候補の仲間入りだ。

 手錠をかけて、牢屋にでもぶち込んでおくかもしれない。


 信じる、と言っておいて、騙し討ちでもするつもりか?


 しかし、俺の予想に反して、彼女は少しだけ目を細めて、腰に手を当てて胸を張った。


「あなたは私を助けてくれた。悪い人ではないと言い切れる」


 ――絶句した。


 何か言おうとするが、何も言葉が出てこない。

 喉の奥から空気の抜ける音がする。


 ――こんなお人好しな訳がない。

 それでも暗殺者か? だから、魔王に操られたりするんだ。


「俺は、レイに成り代わって、みんなや君のことを騙してたんだぞ? 怒らないのか」

「別に。私はレイのこと、好きじゃなかったし」


 無表情のまま、ボソリとレベッカが言った。


「私、勇者の華々しい冒険譚や噂を聞いて、いつかパーティに入りたいと思っていたから、オファーを受けて嬉しかった。けど、レイは想像とは違ったから」


 ――レベッカは、孤児院で育ったはずだ。


 盗賊や暗殺者の卓越したスキルで幼少期を凌ぎ、15歳になるとギルド登録して、魔物や動物を狩り、はては要人の暗殺にまで手を出していた。

 それがレイたちの耳に入って、一悶着あった末に勧誘されて、パーティの一員になった、と記憶している。


 レベッカは、空中を睨みつけながら言った。


「レイは強かったけど、それだけだった。私は強かったから待遇は良かったけど、戦闘向きじゃないトーマスには当たりが強かった。――強さに囚われていたんだと思う」


 この世界の勇者になるための条件には、血筋や才能には関係ない。

 総合的な『戦闘力』が最も高い、世界に1人だけが、勇者の職業を手に入れられる。


 レイは、幼少期に自分の村を魔物に潰されている。

 両親もその時に死んだ。

 それから一心に鍛錬を積み、ギルドで依頼をこなし、勇者の称号を得たのだ。

 誰よりも、強さにこだわっていたことは確かで、だからこそ、彼は勇者になったのだと思う。


「自分にも弱い時代があったはずなのに、レイは、弱いことは悪いことだと思いこんでた。トーマスに当たっていたのも、自分の価値観と合わない存在だったからだと思う」


 レベッカの視線の先には、天井からぶら下がった豆電球があった。

 電気を使ったものではない。ガラス球の中心には爪の先ほどの魔宝石があって、それが眩い光を発している。


「人を見る目には自信がある。あなたは、見た目はレイだけど、明らかに違う。弱いけれど、したたかで、冷静で――むしろ、トーマスに似てる」

「トーマスに?」


 俺は思わず、ベッドに目を向けた。

 静かに眠っているトーマス。毛布から伸びたナイフが、墓標のように見える。


「私は、トーマスが好きだった。だから私は、犯人を許さない」


 レベッカは俺を真っ直ぐ見つめた。


「あなたになら、犯人がわかるんでしょ?」


 俺は目を逸らしかけた。

 が、拳を握りしめて、首が自然に右へ動こうとするのをやめさせる。


「まだわからない。けど、きっと」


 レベッカは、無表情でこくりと頷いた。


「協力する。だから絶対に、犯人を見つけて」


 俺は頷きながら思う。

 ――目の前にいるレベッカが犯人という可能性も否定できないのだ。


「私は、トーマスを殺していない。けど、私を疑ってもいい」

「――どうして」


 心を見透かされたような気がして、かすれた声が出た。


「どうして、俺が考えていることが?」

「なんとなく。勘」

「勘って」


 呆れてしまうと同時に、俺はダメ元で言ってみる。


「さっき、協力するって言ったよな」

「うん。暗殺者に二言はない」

「なら、勘で構わないから、誰が犯人だと思うか、参考までに教えてほしい」


 レベッカは腕を組んで、少し考えて、小さな口を開いた。


「――マリアが怪しい、と思う」

「マリア?」

「何か、隠しているような気がする――勘だけど」

「そうか、ありがとう。考えてみる」


 彼女は頷いて、部屋の出口へ足を向けた。


「ついでに、城内も見て回る? まだ城の中を十分見てないんでしょ?」

「――ああ、そうだな。推理のヒントになるかもしれないし、案内してくれるとありがたい」


 ゲームでだいたい知っている、とは言えず、俺は笑顔で応じた。

 レベッカは一瞬だけ目を細め、口の端を上げたが、すぐに無表情に戻って言う。


「その前に、シャワーを浴びたほうがいい」

「――やっぱり、臭い?」

「臭くはない。けど、気持ち悪くない?」

「暗殺者でも、死体や死臭を汚いと思うんだな」

「人を異常者みたいに言わないで――私も、普通の人間」


 レベッカは少しだけ唇を尖らせて、エントランスへ出ていく。

 俺は、『普通』という言葉の定義を考えつつ、その小さな背中を追った。

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