食堂の隣にあるトーマスの部屋のドアを叩いた。


「おい、トーマス、起きろ」


 返事はない。ドアノブを回したが、鍵がかかっているようだ。


 興味津々、といった顔でついてきていたマリアの方を向いた。


「鍵がかかってるな」


 マリアは頷く。


「ええ、そうみたいね」

「開けるための鍵は?」

「ないわ。内側から鍵を掛けられるんだけど、同じく、内側からロックを解除しない限りは開けられないの」


 これもゲームと同じだった。

 確か、ドアとドア枠の間につっかえるように金属板が伸びて、ドア枠に固定してある穴に引っかかり開かなくなるという、簡単な仕組みの鍵だったはずだ。


「私やマーカスの部屋には、ちゃんと外から開けられる鍵がついているんだけどね。左側の3部屋には、内鍵しかないみたいなの」


 マリアはポケットから金属製の鍵を取り出して、俺に見せた。


「あなたの部屋も右側だから、鍵付きの部屋よ。鍵は部屋のテーブルに置いてあるから、今日からはそれを使って」


 わかった、と俺は頷く。


「じゃあ――部屋の内側からしか鍵をかけられなくて、鍵がかかっているなら、トーマスは中にいるってことか」

「そうだと思うわ。ドア以外に出入り口はないはずだし」


 どの部屋にも窓はあったが、窓自体が小さいか、鉄格子が嵌められていて、人が通り抜けられるようにはなっていなかったはずだ。

 ――ゲームにも出てこなかった秘密の抜け道があるなら、話は別だけど。


 何度か呼びかけた後、ドアに耳をくっつけてみる。

 ――何も聞こえない。


「寝てるのか」

「すねてるんじゃない? それか、普段の行いが悪いから、のこのこ出ていったら、何かされると思っているとか」

「俺、そんなに普段ひどいの?」


 俺が恐る恐る聞くと、マリアは数度、長い睫毛を羽のように羽ばたかせて、ため息をついた。


「自覚、なかったのね」


 俺は返答に困って、とりあえず肩をすくめておく。


 レイの日頃の行いの悪さは、ゲーム内でも何度も言及されていた。

 暴言と暴力が当たり前だったうえに、なまじ人類最強だったから誰も正面切っては逆らえなかったとか、そういう類の愚痴を、主人公の心の声で何度も聞いている。

 かなりひどかったらしい。


 しかし、ゲームで勇者は真っ先に殺されたものだから、俺は実際に、勇者がトーマスを虐げている様をあまり見た記憶がなかった。

 確かに、冒頭で暴言や暴力の描写はあったけど――。


「悪かったよ」


 閉ざされたドアの向こう側にいるだろうトーマスに向けて、俺の口から出たのは、謝罪の言葉だった。


 口に出してから、レイのやったことなのに、別人の俺が謝るというのも変な話だな、と思った。


 しかし、俺はなぜか、トーマスの顔が無性に見たかったのだ。

 多少マリアに不審がられても、まずは出てきてもらうことが先決だ、という謎の焦燥感があった。


「魔王を倒せたのは、俺達全員の力があったからだ。それにはもちろんトーマス、お前も含まれている。これまでひどい言動をとってきたことは、申し訳なかった。言い訳じゃないが、俺も、魔王を倒さなきゃならなかった。プレッシャーやストレスに押しつぶされそうで、そのはけ口にお前を利用していたんだ」


 ドアを軽く叩き、俺は続けた。


「でも、魔王が死んで、もうそのプレッシャーはなくなった。勇者という重荷から開放されたんだ。――これまでのことを許してくれとは言わない。でも、せめて、面と向かって謝らせてくれ。そのあとはお前の好きにすれば良い。殴ってくれても構わない。だから、ドアを開けてくれ」


 気づけば、そんなことを言っていた。


 マリアは呆然とした顔で、信じられない、というように首を左右に振っている。

 俺だって信じられない。口が勝手に動いたのだ。


 ――もしかして、今のが、レイの本心だったのだろうか。

 ふと、そんな考えが浮かんだ。


 しかし、ドアの向こうは、それでも無音だった。


「寝てるのよ、きっと。それはもう、ぐっすりと」


 マリアが俺の方に手を置いて、気遣わしげに顔を覗き込んできた。

 一世一代の心からの謝罪を無下にされて、俺が落ち込んでいると思ったのか、それとも、俺の言葉に感動しているのか。

 少し、瞳が潤んでいるようにも見えた。


 ――しかし、俺は別のことを考えていた。


「本当に、そう思うか?」


 問い返すと、マリアは涙を引っ込めて眉を寄せた。


「どういう意味?」


 ――嫌な予感がした。

 悪い想像が頭をもたげてくる。


 ここは、推理ゲームの世界だ。


 そんな世界で、朝、起きてこない登場人物がいるとすれば、どんな状況だろうか。

 ――そんなはずない、と俺は呟いていた。


「トーマス! 起きているなら、返事をしてくれ!」


 ドアを激しく叩いた。

 それでも反応がないので、蹴りを入れた。

 木製の扉は内側に少しだけ凹んだ。

 内開きなので、このまま衝撃を加え続ければ、鍵が壊れてドアが開くかもしれない。


「マーカスを呼んでくれ」


 何かを言いたそうに口を開いたマリアは、それでも頷いて食堂の扉に消えた。


 数秒後に、マーカスが顔を出した。


「ドアを蹴破るから、手伝ってほしい」


 マーカスは何事かと一瞬固まったが、俺の切羽詰まった様子に、ぎこちなく頷いた。


 掛け声と一緒に、俺達はタックルを繰り返した。


「なに?」


 シャワーから戻ってきたアンが、赤髪をタオルで撫でながら階段を上がってきた。

後ろにはレベッカもいる。

 彼女は昨日とは違い、黒いコートは身につけておらず、白いシャツにぴっちりとした黒いパンツを履いている。ビジネスカジュアルのような格好で、似合ってはいるものの、身長が低く童顔のため、背伸びした高校生のようにも見えた。


「トーマスが起きてこない。何かあったんじゃないかと思って」

「寝てるだけでしょ?」

「もう散々ドアを叩いて、叫んで、タックルまでしているのに、無反応なのはおかしいと思わないか」


 アンは顔をしかめたが、まだピンときていないらしい。腕を組んだまま、動こうとはしなかった。


「――急病か何かで、中で意識がないのかも」


 殺されているかも、と言いそうになったが、口に出すと本当になってしまいそうで、代わりに出たのがそんな言葉だった。


「トーマスが病気? 聞いたことないけど?」


 アンが髪の毛の水分をタオルに吸わせつつ、首を傾げた。

 大丈夫でしょ、と彼女は言ったが、さっきよりもどこか不安そうだった。


 ドアを蹴破ろうとしている俺達に反対しているというよりは、何も心配はないと自分に言い聞かせているようにも見えた。


「可能性は、ある」


 レベッカがぼそりと言い、無表情で頷いたのが、視界の端に見えた。

 同時に、アンが身体を強張らせたのがわかった。


「中を確認すればわかることだろ」


 マーカスが言い、女性陣を下がらせ、俺と一緒に体当たりを再開した。


「せーのっ!」


 それから4回目のタックルで、やっとドアが開いた。


 ばん、という音と、金属音が響いた。固定されていた留め金が、衝撃に負けて吹き飛ぶ音だ。


 俺は肩から倒れ込んだ。


 顔を上げると、直ぐ目の前にベッドがあった。

 狭い部屋だ。小さな机と、シングルベッドと、本棚が見えた。


「おい、嘘だろ」


 マーカスの声が聞こえ、マリアが息を呑む音がした。


「――そんな、馬鹿な」


 信じられない。

 こんな展開、ゲームにはなかったのに。


 ベッドの上で仰向けになっているトーマスの胸に、ナイフが突き立てられていた。

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