8
食堂の隣にあるトーマスの部屋のドアを叩いた。
「おい、トーマス、起きろ」
返事はない。ドアノブを回したが、鍵がかかっているようだ。
興味津々、といった顔でついてきていたマリアの方を向いた。
「鍵がかかってるな」
マリアは頷く。
「ええ、そうみたいね」
「開けるための鍵は?」
「ないわ。内側から鍵を掛けられるんだけど、同じく、内側からロックを解除しない限りは開けられないの」
これもゲームと同じだった。
確か、ドアとドア枠の間につっかえるように金属板が伸びて、ドア枠に固定してある穴に引っかかり開かなくなるという、簡単な仕組みの鍵だったはずだ。
「私やマーカスの部屋には、ちゃんと外から開けられる鍵がついているんだけどね。左側の3部屋には、内鍵しかないみたいなの」
マリアはポケットから金属製の鍵を取り出して、俺に見せた。
「あなたの部屋も右側だから、鍵付きの部屋よ。鍵は部屋のテーブルに置いてあるから、今日からはそれを使って」
わかった、と俺は頷く。
「じゃあ――部屋の内側からしか鍵をかけられなくて、鍵がかかっているなら、トーマスは中にいるってことか」
「そうだと思うわ。ドア以外に出入り口はないはずだし」
どの部屋にも窓はあったが、窓自体が小さいか、鉄格子が嵌められていて、人が通り抜けられるようにはなっていなかったはずだ。
――ゲームにも出てこなかった秘密の抜け道があるなら、話は別だけど。
何度か呼びかけた後、ドアに耳をくっつけてみる。
――何も聞こえない。
「寝てるのか」
「すねてるんじゃない? それか、普段の行いが悪いから、のこのこ出ていったら、何かされると思っているとか」
「俺、そんなに普段ひどいの?」
俺が恐る恐る聞くと、マリアは数度、長い睫毛を羽のように羽ばたかせて、ため息をついた。
「自覚、なかったのね」
俺は返答に困って、とりあえず肩をすくめておく。
レイの日頃の行いの悪さは、ゲーム内でも何度も言及されていた。
暴言と暴力が当たり前だったうえに、なまじ人類最強だったから誰も正面切っては逆らえなかったとか、そういう類の愚痴を、主人公の心の声で何度も聞いている。
かなりひどかったらしい。
しかし、ゲームで勇者は真っ先に殺されたものだから、俺は実際に、勇者がトーマスを虐げている様をあまり見た記憶がなかった。
確かに、冒頭で暴言や暴力の描写はあったけど――。
「悪かったよ」
閉ざされたドアの向こう側にいるだろうトーマスに向けて、俺の口から出たのは、謝罪の言葉だった。
口に出してから、レイのやったことなのに、別人の俺が謝るというのも変な話だな、と思った。
しかし、俺はなぜか、トーマスの顔が無性に見たかったのだ。
多少マリアに不審がられても、まずは出てきてもらうことが先決だ、という謎の焦燥感があった。
「魔王を倒せたのは、俺達全員の力があったからだ。それにはもちろんトーマス、お前も含まれている。これまでひどい言動をとってきたことは、申し訳なかった。言い訳じゃないが、俺も、魔王を倒さなきゃならなかった。プレッシャーやストレスに押しつぶされそうで、そのはけ口にお前を利用していたんだ」
ドアを軽く叩き、俺は続けた。
「でも、魔王が死んで、もうそのプレッシャーはなくなった。勇者という重荷から開放されたんだ。――これまでのことを許してくれとは言わない。でも、せめて、面と向かって謝らせてくれ。そのあとはお前の好きにすれば良い。殴ってくれても構わない。だから、ドアを開けてくれ」
気づけば、そんなことを言っていた。
マリアは呆然とした顔で、信じられない、というように首を左右に振っている。
俺だって信じられない。口が勝手に動いたのだ。
――もしかして、今のが、レイの本心だったのだろうか。
ふと、そんな考えが浮かんだ。
しかし、ドアの向こうは、それでも無音だった。
「寝てるのよ、きっと。それはもう、ぐっすりと」
マリアが俺の方に手を置いて、気遣わしげに顔を覗き込んできた。
一世一代の心からの謝罪を無下にされて、俺が落ち込んでいると思ったのか、それとも、俺の言葉に感動しているのか。
少し、瞳が潤んでいるようにも見えた。
――しかし、俺は別のことを考えていた。
「本当に、そう思うか?」
問い返すと、マリアは涙を引っ込めて眉を寄せた。
「どういう意味?」
――嫌な予感がした。
悪い想像が頭をもたげてくる。
ここは、推理ゲームの世界だ。
そんな世界で、朝、起きてこない登場人物がいるとすれば、どんな状況だろうか。
――そんなはずない、と俺は呟いていた。
「トーマス! 起きているなら、返事をしてくれ!」
ドアを激しく叩いた。
それでも反応がないので、蹴りを入れた。
木製の扉は内側に少しだけ凹んだ。
内開きなので、このまま衝撃を加え続ければ、鍵が壊れてドアが開くかもしれない。
「マーカスを呼んでくれ」
何かを言いたそうに口を開いたマリアは、それでも頷いて食堂の扉に消えた。
数秒後に、マーカスが顔を出した。
「ドアを蹴破るから、手伝ってほしい」
マーカスは何事かと一瞬固まったが、俺の切羽詰まった様子に、ぎこちなく頷いた。
掛け声と一緒に、俺達はタックルを繰り返した。
「なに?」
シャワーから戻ってきたアンが、赤髪をタオルで撫でながら階段を上がってきた。
後ろにはレベッカもいる。
彼女は昨日とは違い、黒いコートは身につけておらず、白いシャツにぴっちりとした黒いパンツを履いている。ビジネスカジュアルのような格好で、似合ってはいるものの、身長が低く童顔のため、背伸びした高校生のようにも見えた。
「トーマスが起きてこない。何かあったんじゃないかと思って」
「寝てるだけでしょ?」
「もう散々ドアを叩いて、叫んで、タックルまでしているのに、無反応なのはおかしいと思わないか」
アンは顔をしかめたが、まだピンときていないらしい。腕を組んだまま、動こうとはしなかった。
「――急病か何かで、中で意識がないのかも」
殺されているかも、と言いそうになったが、口に出すと本当になってしまいそうで、代わりに出たのがそんな言葉だった。
「トーマスが病気? 聞いたことないけど?」
アンが髪の毛の水分をタオルに吸わせつつ、首を傾げた。
大丈夫でしょ、と彼女は言ったが、さっきよりもどこか不安そうだった。
ドアを蹴破ろうとしている俺達に反対しているというよりは、何も心配はないと自分に言い聞かせているようにも見えた。
「可能性は、ある」
レベッカがぼそりと言い、無表情で頷いたのが、視界の端に見えた。
同時に、アンが身体を強張らせたのがわかった。
「中を確認すればわかることだろ」
マーカスが言い、女性陣を下がらせ、俺と一緒に体当たりを再開した。
「せーのっ!」
それから4回目のタックルで、やっとドアが開いた。
ばん、という音と、金属音が響いた。固定されていた留め金が、衝撃に負けて吹き飛ぶ音だ。
俺は肩から倒れ込んだ。
顔を上げると、直ぐ目の前にベッドがあった。
狭い部屋だ。小さな机と、シングルベッドと、本棚が見えた。
「おい、嘘だろ」
マーカスの声が聞こえ、マリアが息を呑む音がした。
「――そんな、馬鹿な」
信じられない。
こんな展開、ゲームにはなかったのに。
ベッドの上で仰向けになっているトーマスの胸に、ナイフが突き立てられていた。
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