23

 アンは、自分の赤髪を掻きむしった。


「結局、全部意味なんてなかったのよ」


 絞り出すような声だった。俺はその言葉ですべてを悟った。


「会えなかったのか」


 仲間を殺してまで、魔王の討伐を報告したかった師匠に、彼女は会えなかったのだ。


「2日前に、息を引き取ったって」

「じゃあ、私達が魔王を討伐した日に――」


 パトリックは言い、アンから顔を背けた。


「無駄だったわ」


 彼女は俯いたまま、呟いた。


 師匠が死んでいるのがわかっていたら、仲間を殺すなんて、絶対にしなかっただろう。


 しかし、彼女はそれほどまでに、師匠が大事だったのだ。

 自分を育て、魔術士にしてくれた師匠に、生きているうちに魔王討伐の報告がしたい――その一心で、彼女は仲間を殺した。


「けど、私は、後悔してない」


 アンは顔を上げた。力強い声だった。


「無駄だったというこの結果を受け入れる。それが私の責任だもの。自分の目的のために、私は仲間を殺した。それが事実よ」


 さあ、と彼女は両手を広げた。


「みんな、私は魔術が使えるわ」


 わかるわよね、とアンは口元に笑みを浮かべて、首を傾げてみせた。


「それは、ここから連れ出してくれる、ということですか?」


 パトリックが口元に笑みを作りながら、顔をしかめて言った。

 ここから出られることはうれしいが、仲間を殺すことでそれが可能になったことが許せないという、複雑な心境から出た表情だったのだろう。


 しかし、アンは無表情に戻って、首を振った。


「おめでたい考えね。私は犯行がバレたのよ? このまま、あんたたちを生きて返したら、今度は国に追われることになるじゃない。だから私は、わざわざあんたたちを始末するために戻ってきたのよ」


 空気が冷たくなったのが、俺にもわかった。


 ショーの始まりだ、とでもいうように、彼女はニッコリと笑った。


 典型的な悪役のような仕草で、あまりにも芝居がかっていた。ふざけているようにも見える。


 俺が固まっている間に、彼女は懐から、身の丈よりも長い杖を取り出した。


 え、とマリアが声をあげる。


 アンのアイテム袋はすでに使い物にならなくなっていたはずなのに――そんな疑問を察したのか、アンはご丁寧にも説明してくれる。


「――ああ、これは師匠の家にあったのを借りたのよ」


 それは、アンが自由に魔王城を出入りできるということを、俺達に再認識させた。


 彼女だけが自由にスキルを使える。


 スキルが使えない俺達が束になってかかっても、勝つことは難しいだろう。


「本気なの?」


 レベッカがナイフを構える。

 パトリックも、『アイギスの盾』を取り出して、誰よりも前に陣取った。


「もう仲間を2人も殺しているんだから、これから3人目を殺そうが、あまり関係ないわ」

「国への報告は、どうするつもり」


 レベッカは、なんとかアンを思いとどまらせようと、必死に言葉を紡いでいる。


「メンバーは魔王と相打ちになって、私だけ生き延びたのだと言うわ。まあ、信じるでしょ。疑う理由もないだろうし」

「信号弾で、私たちが無事なこと、問題が発生して救援が必要なことが報告されてる。信号弾の内容に反するし、それに、救援が来れば、私達が殺されたことはわかるはず」

「そうね」


 アンは平坦な口調で言いながら、アイテム袋から、まさに魔女が被っているような漆黒の帽子『アイ・アンブリムの魔術帽子』を取り出して、頭に被った。

 鮮やかな赤髪が隠れ、全身が黒に覆われた。


 その姿は、小さな死神のように見えた。


「ま、信号弾に関しては、どうとでもなるわね。私以外を皆殺しにして、魔術を適当に打ち尽くしておけば、MPがなかったので救援を要請した、という状況が作れる。ついでに、魔王との戦いのせいってことで、城内をめちゃくちゃにしちゃえば、痕跡も消えるでしょ」


 アンは杖をパトリックに構えた。


 トン、と地面を杖の先で軽く叩くと、パトリックの足元に魔法陣が浮かび上がり、彼の身体は天井に叩きつけられた。


 鎧を装備していないパトリックは、背中を天井に打ち付け、テーブルの上に落下した。

 木製のテーブルは落下の衝撃で真っ二つになったが、かろうじてイージスの盾を受け身代わりに着地したようだった。


 うめき声を上げて、パトリックは立ち上がる。

 右の脇腹を押さえている。嫌な音がしたので、どこかの骨が折れたのかもしれない。鍛えているので一般人よりは耐久性もあるだろうが、スキルが使えないのでは、アンには対抗できそうもない。


「やるじゃない」


 アンは余裕綽々に、手を叩くように杖を振り、じゃあ次は、と杖を振り上げる。


「どうして、すぐに俺たちを殺さなかったんだ!」


 俺が叫ぶと、アンは動きを止めた。


「この場でスキルを使えるのがアンだけなら、俺たちなんて不意をつけばいくらでも殺せたはず。最初から俺たちを殺すつもりだったんなら、推理なんか聞いていないで、さっさと殺せば良かったじゃないか。何で俺の推理を聞いて、自分が犯人だと指摘されてから、こんなことを」

「さあ、何でかしらね」


 そう視線を右上に持っていきつつ、彼女は自分の頬に人差し指を当てて、考えるようなそぶりを見せた。

 ただの時間稼ぎのつもりで発した問いだったが、思いの外役に立った。


 パトリックは、その間に体勢を立て直そうとしている。


「特に深く考えてなかったわね」

「――俺たちに、罪を告発されたかったからじゃないのか」


 俺の言葉に、アンは目を丸くし、その後に笑みを浮かべた。


「ええ? 冗談でしょ?」

「さっき、仲間殺しを後悔していないと言ってたけど、罪悪感はあったはずだ。せめて、仲間に自分の罪を暴いてもらい、裁かれたいと思ったから、俺たちを生かしておいたんじゃないのか」


 アンは何も言わない。

 俺は、藁にもすがる思いで追撃する。


「俺たちを殺すなんて――これ以上、罪を重ねるんじゃない。本当に罪を償いたいなら――」

「――何を言い出すかと思えば、本当に、どの口が言ってんの?」


 アンの怒りの籠った声に、言葉が詰まった。


「人殺しが罪なら、私たちはみんな罪人じゃない! 何をいまさら善人ぶっちゃってんの? 散々殺してきたじゃない! 世界を救うためっていう大義名分でさ! 望んでもない殺しを、魔物にも人間にもしてきたじゃない!」


 アンの叫び声に近い金切声は、耳を塞ぎたくなるほどだった。


「私は、自分のために人殺しをしたの! 国や世間に言われるがまま、正しいと決めつけて殺してきたあんたたちとは違うわ! ――あんただって、世界のためになると思って、トーマスをいじめてきたんでしょ? 1人をストレスの捌け口にすることで、パーティ内の統率を維持して、ついでに、『役に立たないと、次は自分がこうなるかもしれない』っていう恐怖心でレベルを上げさせて、魔王討伐まで推し進めてきたんじゃないの?」


 ――そうだったのか?


 レイは、世界を救うために、トーマスを虐げて、横暴な態度をとり続けていたのか?

 本当は、やりたくもないのに?


「あんたは世界のために魔王殺しを達成したわ。けど、それはあんたが本当にやりたいことじゃなかったはずよ。幼馴染の私にはわかる。――トーマスが死ねば、あんたの本心が見られると思ったのに――何か、目的もないただ生きてるだけの腑抜けみたいになっちゃって、がっかりだわ」


 でも私は違う、とアンは杖を片手でクルクルと回す。


「やっと、自分のやりたいことができたのよ、私は――トーマスを殺し、マーカスを殺し、魔王城を出て、師匠に会いにいく――死に目には会えなかったけど、魔王を殺した時よりも、ずっと達成感があった。人殺しで罪の意識がどうとか、ホント、今更よね」


 呆れたように肩をすくめて見せるアンに、自分の常識と、勇者パーティの考え方とのギャップを痛いほどに感じた。


「――じゃあ、俺たちを生かしておいたのは」

「別に考えてなかったけど、今思えば、あんたの本心が見えるんじゃないかと思ったのかもしれないわね。『生き残った後に、本当にやりたいこと』が知りたかったのに、あんた『考えてない』とか言って、『この魔王城で生き残ること』にしか興味がないみたいだったから――さ、もういいでしょ?」


 よくない、と思った。

 が、俺が何かを口に出すよりも先に、アンが呟く。


「やっぱり、戦闘の基本は大事よね。前衛よりもまずは――後衛を狙うべきだわ」


 同時に杖が振られた。

 食堂内を風が吹き抜けた。


「伏せて!」


 レベッカが叫び、俺をタックルで突き飛ばした。


 ひゅん、と耳元で風切り音がして、転がり込んだ先は、別のテーブルの下だった。

 頬に温かい感触があり、触れると、指に血がついた。耳のところを少し切ったらしい。


 さっきの風音は、風の刃が飛んできていたのだと思い至り、同時に、全身が縮こまる。


 ――洒落にならない。

 自分の頭が音の先にあったら、確実に死んでいた。


 アンは、俺達を殺す気だ。

 俺はパニックになりそうだった。


「――ありがとう」


 浅くなろうとする呼吸を落ち着け、身体の震えを両腕で抑えて、何とかレベッカにお礼を言った。


「狙われたのはマリアで、私たちはその線上にいただけ。だから避けられた」


 俺の腹に抱きつく格好になっていたレベッカは、運が良かった、と無表情のまま言った。

 命の危険が眼前に迫った状況でも、そんな淡々としていられるとは――本当に、俺とは精神の構造からして違うのだろう。


「風魔術は、アンの一番得意な魔術――多分、一度ここから出て、使えるスキルがランダムに選ばれ直してる。気をつけて」


 トーマスのメモでは、アンは火魔術を含む3つのスキルが使えると書かれていたが、それが変更になっているということらしい。

 そのうちの1つが、今の風魔術ということか。

 

「けど、具体的に、どこをどう気をつければいいんだ」

「避けるの」

「目に見えない風を、一体どうやって避ければ?」

「それは――気配で」


 できるわけない、と俺が抗議する前に、本人も言った後で自覚したのか、いやいい、と視線をアンに向けた。


 部屋には、台風の真っ只中にいるような強風が吹き荒れている。

 棚においてあったマグカップは、手前にあったものは強風で吹き飛んで、壁に叩きつけられている。テーブルの一部だった木片も、部屋の中をうずまきのように旋回していて、細かい破片が時々身体に当たって痛かった。


 テーブルの影から様子を伺うレベッカの後ろから、俺は顔を出そうとし、床に血溜まりがあることに気づいた。


 俺の耳からの出血はそんなに重症だったのかと思いながら、血の痕跡を辿ると、誰かの腕が落ちていた。


 反射的に叫びそうになり、とっさに自分の口を手で塞いだ。


 ――断面がこっちを向いている。

 白い骨と、赤い肉、流れ出た血と、滑らかな白い肌のコントラストを見ていると吐き気がしてきて、視線を逸らした。


「――マリア」


 レベッカが小声で呟いた。


 彼女の視線の先では、アンとマリアが向き合っていた。


 アンは目を細めて、なくなった右腕をかばうようにへたり込んでいるマリアを見つめている。


 マリアの右腕は、肘の少し上から切断されていて、左足も付け根からなくなっている。骨ごとすっぱりと切るのだから、とんでもない切れ味だ。


 ホースから水が出るように、切断面から大量の血液が、1秒ごとに床へぶちまけられているのが見えた。

 床には、風で波が立つほどの血溜まりができている。


「マリアは、レイに犯人として殺してもらう予定だったのに」


 残念、とアンはさほど残念でもなさそうに言った。


「――あら、そう、なの?」


 マリアは、紫色になった唇で息も絶え絶えに言い、チラリ、とこちらに視線を向けた。

 もう、回復ポーションはない。アンが床に叩きつけたのが最後だった。


 ――あれほどの出血では、彼女の生存は絶望的だ。


「あら、頑張るわね、あんたも」


 アンが感心したように言った。

 マリアの前に、パトリックが立ちはだかったのだ。


 彼も攻撃の余波に揉まれたらしく、盾を構えていない手からは、血が垂れていた。

 指が数本、消し飛んでいる。

 その他にも、服がボロボロになるほどに風の刃を受けているようで、辛うじて立つことはできているが、ダメージは甚大だった。


「パト――リック」

「先ほどはすみませんでした、疑って」

「罪滅ぼしってわけ?」


 アンは微笑んだ。


「けど、そいつが浮気してたことには変わらないのよ、パトリック。――あんたも貴族の一員で、教会の信徒なら、罪人を守る必要なんてないじゃない」


 パトリックは、盾の位置を少し下げて、切り傷だらけの顔をアンに見せた。

 後ろで髪を縛っていた紐が切れたのか、前髪がだらりと垂れ下がっていて、それが強風に煽られて激しく揺れていた。


「教会を裏切ったことは許せませんし、別に守ろうってんじゃありません。ただ、たまたま立っているところの後ろに、マリアがいただけのことです」

「そう? なら、そこどいたら? 危ないわよ?」

「ご忠告は感謝しますが、なかなか居心地がいいもので、もう少しここにいようかと」


 パトリックは言い終わる前に、盾の後ろで、アンから見えないようにアイテム袋から取り出していたリベリュールを、アンダースローで投擲した。

 盾と地面の間から、アンの顔面に目掛けて飛んでいった槍は、しかし、眼窩に到達する前に、空中で動きを止めた。


「バカな! 防御力貫通のはずなのに」

「それは、槍の先が対象に到達していればの話でしょ?」


 アンが言うと、リベリュールは空中にふわりと浮き上がった。

 どうやら、風魔術で操作しているらしい。


「私は槍を持っているだけだもの。防御力貫通も何もないわ」


 彼女は顔の前の羽虫を払うように、右手を軽く振った。


 瞬間、槍が風音を残して飛んでいき、その盾を貫通して、パトリックの胸に突き刺さった。


 彼は、盾と一緒に串刺しになり、膝をついた。

 肺が潰れたらしく、口をパクパクさせて、必死の形相で息を吸おうとしている。顔を歪め、ゴホゴホと咳をする度に、大量の血が床に落ちた。


 明らかに、致命傷だった。


「――さて、まずは罪人からっていうのが筋でしょうね」


 アンは、俺たちの隠れているテーブルの陰に、少しだけ視線を寄越したが、後回しにすることに決めたようだ。

 パトリックを回り込むようにして、マリアの前に立つ。


 俺は少しだけ寿命が延びたことに感謝したが、マリアとパトリックの次は、俺たちの番だ。死ぬことに変わりはない。


 ――いや、諦めるのは早計だ。まだ動けるし、考えることもできる。


 俺の記憶が正しければ、レベッカは今、レベル88だったはずだ。


 彼女のスキル構成を思い出し、1本の線が脳内に出来上がる。


「レベッカ、頼みがある――」


 振り向いたレベッカに、俺は作戦を告げた。


 彼女は最後までためらっていたが、これしかないと悟ると、いつもの無表情ではなく、覚悟をしたような瞳で頷いてくれた。

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