黒水仙〜ナルシスノワール〜
涼森巳王(東堂薫)
第1話 冬の散歩道
知らなかった。こんな景色がひろがってたなんて。風のなかにもほのかに香る水仙の花が、土手いちめんに咲き誇っていた。空気はまだ凍るように冷たくて、さよさよと流れる川の
春になったら、こっちの大学に通うので、早めに住居を探した。家賃が安く、大学へも近い。近所にスーパー。ちょうどいいワンルームが見つかり、さっそく引っ越してきた。あとはバイトさきを見つけるだけだ。今のところヒマなので、新しい土地の探索をかねて家のまわりを毎日、散歩している。
わたしの借りたアパートはちょうど商業施設や住宅地が密集している市街と、田んぼや畑の多い市街地の境界にあり、ちょっと歩いただけでビックリするぐらいの大自然が味わえる。
歩いていると体がほかほかして寒さも気にならなくなる。今日はいつも通らない細道を行ってみようと、小さな祠のかどをまがる。やがて川端へ出た。見事な水仙に誘われるように進んでいく。川べりには鴨や白鷺、見たこともない鳥がたくさんたむろして、見てて飽きない。
それにしても、ひとくちに水仙といっても、いろんな種類がある。一番ノーマルな白い一重咲きの小粒の花。形と大きさは同じで黄色い花。同じくらいのサイズで八重咲きの白、黄色。一重だけど、何倍も大きなラッパ水仙の白、黄色。ラッパ水仙の形は犬っぽいのと猫っぽいの。
(あれ? 水色がある?)
むこう岸の土手に一輪、あわい水色の花があったような? いや、まさか。そこまで園芸にくわしくないわたしだって、基本的に水仙は白と黄色だって理解してる。きっと光のかげんだろう。
気にせず進んでいたが、そのやさき、目の前に薄桃色の花がとびこんできた。ミルクたっぷりのストロベリーオレみたいな、ふんわりやわらかなピンク色。八重咲きの小花水仙だ。立ちどまって、まじまじと見つめてしまった。もしかして新種だろうか? こんな色の水仙があるなんて信じられない。
たとえば、青い薔薇は自然界に存在しないと言われている。品種改良されて、青い薔薇として売りだされている新種もあるが、写真で見るかぎり、青というより紫だ。青色を構成する色素が、薔薇の遺伝子に入ってない。青くするには、青い色素をよそから持ちこむしかないのだ。
そんな理由で水仙も白や黄色しかないんだろうと思っていた。でも、今ここにピンクの水仙が咲いてる。どう見ても、どこから見ても、可愛いピンク色だ。ベビーピンクである。
ぼんやりながめていると、いつのまにか、となりに人が立っていた。一瞬、ぞわりとした。が、ふりかえると、わたしと同い年くらいの女の子がニコニコ笑っていた。
「こんちは。このへんの人? 初めて見るね」
なんて、声までかけてくる。初対面なのに人なつこい。
「初めまして。最近、引っ越してきたの。散歩中なんだけど、水仙があんまりキレイで見とれてしまって」
「でしょ? ここらは昔、花の里なんて呼ばれてたんだよ。めずらしい水仙がたくさん咲いてる」
「たしかに、めずらしいよね。ピンクの水仙なんて初めて見た」
「このへんの特色でね。めずらしい色の水仙には人の思いが宿ってるんだって。おばあちゃんがいってた」
「ふうん」
「色によってどんな思いがこもってるのかわかるんだ。ピンクはあわい恋心。あっちに見える赤いのは激しい恋情。ほら、あそこにエメラルド色もあるね」
「ほんとだ。葉っぱとはまた違う半透明のグリーンでキレイ」
「さわやかな色は安全だから。同じブルーでも、こっちにあるのは澄んだ青空みたいでしょ? 満足した色だよ。何かをやりきったんだと思う。むこうの群青は悲しそう。あれは誰かに会えなくてさみしい色。家族か友人かな」
彼女の話す内容がだんだん意味不明になってくる。というか、かなり感覚的に話す人だ。まあ、なんとなく共感は持てる。
「よければ、このピンクの水仙。持っていきなよ。鉢植えにして、雨のかかる場所に置いとけば手入れもいらないよ。球根だから、すぐ増えるんだ」
「えっ? いいの?」
「ピンクは憧れの色だから、大丈夫。でも、黒い水仙には気をつけてね」
「なんで?」
「黒は、怨みの色だから」
思わずギョッとした。でも、一瞬のあとには、女の子は笑っていた。ほりかえしたピンクの水仙を手渡してくる。
「あなたなら、花も喜ぶと思う」
「ありがとう……」
手をふって別れた。
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