この瞬間だけは

昼星石夢

第1話この瞬間だけは

「ねえ、お願い!」

 拝むポーズで、ぎゅっと目を閉じたヒカルは、数秒の沈黙の後も返事を渋る私に向けて合掌した手を突き出した。

「お願い!」

「――う、うぅ~~ん……」

 助け船を求めて、ちらりと横目で見れば、キヨコは澄ました顔で、ズッズズーー、とストローを鳴らしている。

 どう断ればヒカルを不快にさせないか、キヨコはヒカルをいなすのが上手だから、なんとか言ってくれないかと、フードコートのテーブルの脚を伏し目がちに見つめる。

 テーブルにカップをタン、と置いたキヨコが、

りないわね」

 と溜息まじりに言う。

「え?」

「中学の時にも、ヒカルと二人で学園祭のステージに出たのよ」

「そうなの?」

 ヒカルを見ると、うんうん、と頭を上下させた。

「最高のデュオだったね!」

「馬鹿言わないでよ。顔から火が出るところだったわ」

 キヨコは相変わらずの冷めた口調で言うと、「じゃ、親が心配するからもう帰るわ」と席を立った。

「ええ~~! バイトまで付き合ってよ!」

「ハナ、また明日」

 ヒカルを無視してキヨコが手を振った。

「うん……明日」

 言ってから、一緒に帰ればよかったと後悔する。

 さっと視線を映画の宣伝映像が流れるモニターの上、時計に向ければ、もう七時だ。

「私なんか……地味だし、ブスだし――。ヒカルとキヨコだけで、また出たらどうか……」

「そんなことない! そんなことない!」

 言い終わらないうちから、頭をぶんぶんと振って否定されてしまった。いい口実だと思ったんだけど……。

「お願い! 三人でやろうよ! 学園祭のステージ! もう曲も決めてるんだ、プリズミックスのエターナル・グロウ! 私がゆりりんで、キヨコがかえでさんで、ハナがななっち!」

「いや、えっ、えっ、ちょっと……待って……」

 ヒカルが今度はスマホの画面を突き出した。

 動画で、人気三人組アイドルグループのPVが流れている。聞いたことがある。確かコンビニで流れていた。あまりに自分とはかけ離れた存在で、意識して聞いたのは初めてだ。

 そして見終わった結果、その思いを強くした。これを見て、同じことを人前でやろう、となるヒカルの思考回路が不思議だった。

「でも……やっぱり、全然違うし……」

「お願い!」

「私、音痴おんちだし……」

「お願い!」

「……あ、もうこんな時間……。私も、そろそろかえ……」

「お願い!!」

 心の中で、はあああ、と溜息をつく。

 でも、こんなに何度も断っていいのだろうか、という思いが胸をよぎる。

 こんなに何度も、何かをお願いしてくれる人なんか、今までいなかったのに……。


 中学校は二年になってすぐ行くのをやめた。

 一年の間、誰とも口をきいてもらえず、まるで敵国の学校にまぎれ込んだようだった。

 何かをした覚えはないし、彼らも、私に対して強い悪感情を抱いているわけではなく、私を排除することによって得られる一体感が目的のようだった。

 たまに保健室登校することはあっても、ろくに授業には出席しなかったにもかかわらず、学校側の配慮からか内申に問題はなく、親が私学ならいじめも少ないのではないかと、無理をして私学の高校に入学した。

 だけど、高校初日のクラスにただよう異様な空気は、中学の記憶を一瞬にして呼び起こし総毛立そうけだたせた。

 この空気の流れがどこに向いているものなのか、外部入学の私にはつかみ切れず、まさか私に対してではと、数日間絶望的な気持ちで過ごした。

 ――前の席のヒカルが突然話しかけてくるまでは。

「前田さん、この前、眼鏡外したところ見たんだけど、すっごくかわいいね!」

 私に向けた言葉だと思わず、ポカンと口を半開きにして見つめ返すと、「ハナって呼んでいい?」とヒカルは笑った。

「前澤! 授業中だ!」

 先生に怒鳴られたヒカルは、小さく肩をすくめて私にプリントを回すと、「一緒にお弁当食べよ」とささやいた。

 誰かとお弁当を食べるのは初めてだった。授業が終わると、ヒカルは「こっち」と教室を出て、運動場のほうへ向かい、体育祭のときに観客席にもなる階段に腰かけた。すでにお弁当を広げていた隣のクラスのキヨコが私を見て、「あら、友達?」とヒカルに聞いた。

「うん、今日からはキヨコの友達でもある」

 ヒカルの言葉にドキリとした。

「よろしく」

 すっと手を伸ばすキヨコ。反射的に、その手を取って握手した。

 ぶんぶん、と腕を振ると、キヨコは私達が元から三人組であるかのように、

「ねえ、他の場所探さない? 砂埃がお弁当にかかりそうで嫌なんだけど」

 とつぶやいた。

「ええ~~! 空が広くて気持ちいいじゃん!」

 ヒカルは背後の教室を指さし、

「で、雨が降ったらキヨコの部室」

 と取り決めた。

「あんな油絵具くさいところで食べられないわ」

 キヨコは不満そうな、そうでもないような口調で言った。

 それからは普段も、遠足のときも三人で食べて、三人で下校した。

 同級生に漂うとげのある空気が、ヒカルとキヨコに向けられたものであることに気づき、関わらないほうがいいのでは、私はまだではないのでは――と思いもした。

 でも友達になってくれた二人といるほうを私は選んだ。


『いいよ、ステージやろう』

 三人のライングループに送ると、一瞬で既読が一つついた。

『ホントーー?! やったーー!』

 ヒカルだ。もう後には引けない。ステージなんて、授業で当てられて、教室の黒板前で数式を解くことさえ緊張する私に出来るのか……。

『ハナ、がらにもないことを……』

 キヨコがズバリと言う。

『そんなことないし! 三人で完璧じゃん! これから本番までみっちり練習ね。もう市営の体育館の一室押さえてるから!』

 とヒカル。

『私はまだ了承してないけど』

 というキヨコに、ヒカルが、白猫が『聞こえな~い』と挑発ちょうはつしているスタンプを送る。ひよこが、『……。』と言っているスタンプをキヨコが送り返し、しばらくスタンプの応酬おうしゅうが続いた。

『そうだ、グループ名決めないといけないんだ! ハナは初めてだから言っておくと、その名前でプログラムに登録されるの。グループ名で呼ばれるから大事なの! だからエンゼルスでどうかな??』

『絶対だめ、そんな野球チームみたいな名前!』

 キヨコが鬼のスタンプを連続で送る。

 天使たち、か。ヒカルらしい。

『もう、マエハヤ三人組とかでいいんじゃない?』

 とキヨコ。キヨコの苗字が林だからか。

『やだ! そんな建設会社みたいな名前!』

 と今度はヒカルが怒ったペンギンのスタンプを連続投下する。

 私はふと、過去に語感が気になって調べた言葉を思い出した。

Amityアミティは?』

 意味は友情、親愛。

『え! かわいい!』

 とヒカル。

『エンゼルスよりはいいわね』

 とキヨコ。

 こうしてグループ名はAmityアミティに決まった。


「どうして部活休んでまで、運動部みたいなことしなきゃいけないの?」

 私と背中と背中を合わせてストレッチをしながら、キヨコが言った。腕を組んでキヨコを仰向け姿勢で持ち上げる。

「基本でしょ? さ、次は開脚!」

 ヒカルの考えたメニューにしたがって、三人で体をほぐす。

 前屈、肩回し、腹筋と体育より体を使っている。ほとんど曲がらない背中を、ヒカルが軽く押してくる。

「よし! 発声練習ーー!」

 立って、腹式呼吸で呼吸の練習。お腹を膨らませて息を吸い、細く長く吐く。

 週に二回ほど、こうして体育館の鏡付きの部屋を借りて練習する。

 ヒカルは明日からの夏休みに入ったら毎日でも、部屋が取れなくても、駅前の広い公園でするつもりらしい。

 家に帰ると、ラインで夏休みの練習場所と時間がぎっちり表にして送られてきた。

 来られる時でいい、と書かれていたが、やると言った以上、私も出来る限り行くことにした。

「母音練習ーー! あ、え、い、う、え、お、あ、お!」

 三人で鏡に向かって声を出す。キヨコは渋っていたのに、私が行く日は必ず来ている。まさか、ヒカルのように毎日来ているのだろうか。

「ハナ! 声が小さいよ! 大丈夫! 綺麗な声だから、大きな声で!」

「は、はいぃ!」

 ヒカルは練習になると、いつものどこか抜けたようなところがなくなり、真剣そのものだ。

「はい、ハミングーー、ンーー、キヨコーー、のどを広げてーー、鼻の上らへんが振動してる? ンーー」

 ヒカルは毎回、私が行くと、帰りに「来てくれてありがとう!」と言う。

 ヒカルと私は帰宅部だけど、キヨコに美術部で展示する作品の進み具合を聞くと、「適当に仕上げるから大丈夫」と言っていた。

 だけどこっちの練習では手を抜くことなく、厳しいヒカルの指導に文句も言わない。

「スマホに録音するよ! あ、ハナ、肩が上がってる。緊張しなくていいから!」

 客観的に歌を聴くと、自分がいかに音痴か再確認されて恥ずかしい。私のソロパートは短いけど、かえって悪目立ちしている。

 それにしても……ヒカルは歌が上手かった。

 本物とはまた違う、ヒカルの魅力が伝わって、立派なカバー曲になっていた。

「ここは胸を張って、ハナ、テンポずれてる! もう一回! ――そうそう、その調子! あ、なにそれ! キヨコ!」

「え? こっちのほうがかっこいいじゃない」

「また勝手にアレンジしてるーー!」

 キヨコはダンスが得意のようで、普段からは想像のつかない身のこなしを見せている。実際の動きとは違うが、決して統率とうそつが乱れることはない。

「今日は表情の練習も! 鏡に向かってぇ、はい、笑ってーー! 怒ってーー。笑ってーー、悲しい顔ーー。キヨコ、どれも同じ顔に見えるよ! あ、なに笑ってるのハナ!」

 雨の日で部屋が取れない日以外、集まれるだけ集まり、練習した。

 映像で見るアイドルグループは、簡単そうに踊って歌っているけど、実際にやってみるとダンスを覚えることも、歌いながら踊ることも、常に表情や見え方に気を配ることも容易ではなかった。

 それでも、柄にもなく楽しいと思えたのは、二人のおかげだった。


「それではAmityアミティで、プリズミックスからエターナル・グロウ!」

 司会者の紹介とともに、客席から嘲笑ちょうしょうの声が聞こえる。同じクラスの生徒の顔が見えた。

 視線を会場の体育館の天井にいったん逃がし、斜め前に立つヒカルを見た。ヒカルは、目を閉じて、ただの高校生からへと変わろうとしていた。

 色違いのおそろいの衣装。当日になって、ヒカルが渡してきたもの。普段絶対穿かない丈のミニスカートのコスプレセーラー服セット。私がグリーンで、キヨコはライトブルー、ヒカルはピンク。

「用意周到ね」

 とキヨコはあきれていたけど、衣装まで気が回らなくて申し訳ない。後で値段を聞かないと、と思っていたら音楽がかかった。もう百回以上聞いて、練習して、頭は真っ白でも体が勝手に動いた。

 ヒカルはもう、いつものヒカルではなく、まぶしいくらいにはじける笑顔で、会場中に響く虹色の声で歌っている。

 キヨコも、もし親しくない生徒が見たら、驚くような意外な一面をダンスで思いっきり見せていた。

 ――もうすぐ私のソロパートが始まる。

 ――あぁ、出だしの音程が外れた。

「ななっちをけがすな!」

 客席から男子生徒のヤジがとんだ。クスクスと女子生徒の笑う声がとどく。

 ――やっぱり、やるんじゃなかった。アイドルとは対極にいる私が……。

 その時、ヒカルが私のパートを歌いだした。

 客席に向けていたあの笑顔を私に向けて――。

 ハッとして隣を見ると次にキヨコが私のパートを歌いながら、曲に合わせて手を差し出した。私をうながすように。

 動じないヒカルと真摯しんしなキヨコを見つめ返し、うなずく。最後までやり切ると。


「ほんっと、最高だったね! 見たでしょ? 下級生の子達がすっごい拍手してくれたの!」

 ステージ終了後、ヒカルは開口一番言った。

 確かに、同級生達が隣で鼻で笑っているのが見えないかのような、盛大な拍手だった。ドギマギするような、くすぐったいような、変な気持ちになった。

「ハナは本番の後半でようやく、見られるレベルになったわね」

「え! 辛辣しんらつ……」

 キヨコに苦笑いしながらも、二人に、

「カバーしてくれてありがとう」

 と伝えた。

「当然!」

 ヒカルはいつもの笑顔で言った。

「別に、カバーしたわけじゃなくて、あれも即興のオリジナルよ」

 とキヨコはまして言った。

 着替えて、キヨコの美術部の作品を見に行くことになった。

 三人で歩きながら、なんとなく思っていたことをヒカルに聞く。

「アイドルに、なりたいの?」

「うん!」

「なぜ?」

「うーーん、なんていうか、自分に……なれるから、かな!」

「いっつも自分じゃない」

 キヨコがわざと素っ気なく言うと、「いじわる!」とヒカルがキヨコの腕をつついた。

「キヨコも?」

 私が聞くと、キヨコは苦笑した。

「まさか。そんなポテンシャルないわ」

「キヨコはすっごく絵が上手くて芸術家気質なんだよ! だからデザイナーとか芸術家になるんじゃないかな?」

 ヒカルが鼻息荒く言うが、キヨコは、ふん、と、

「そんなつぶしの利かないことしないわ」

 と言った。

「どうしてつぶさなきゃいけないの?」

 ヒカルが膨れっ面で言うと、キヨコは少し思案顔を見せたあと、「ハナは?」と私に話を振った。

「夢はある?」

現実主義のキヨコから出た意外な単語に、言葉が詰まる。

「夢……」

 初めて考えるこの先のことに、思いを巡らせ、空を見上げた。



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