陽だまりの猫

柿城ひいと

陽だまりの猫


 「おはよう」

猫は「にゃあ」と鳴いた。

「行ってきます、クロ」

小さな公園のベンチ。陽だまりに包まれたそこにクロはいつも座っていた。


 夕日が沈む頃。

家路につく私は公園の前で自転車を止める。

「ただいま」

クロは相変わらずにそこに座っていた。

ゆったりとした動きで私を見る。

「にゃあ」


 クロは私が幼い時からこの公園にいる黒猫で、勝手に「クロ」と呼んでいた。


 私はクロの鼻先をちょんと触ってみた。

「また明日ね」

「にゃあ」


 登下校で通りかかる度に、「おはよう」と「ただいま」を言うのが私の日課だった。


 しかしある朝、突然クロがいなくなった。

陽だまりができるいつものベンチにクロがいない。

どこへ行ってしまったのか、気にしつつも私は学校へ向かった。

クロはたまにどこかへ遊びに行くことがある。

それほど珍しいことではなかった。

きっと帰る頃には戻っているはずだ。


 沈みゆく夕日を背に、自転車を走らせる。

今日も一日が終わった。

「さて、今朝いなかったクロさんはどこに遊びに行ってたのかな」

公園が近づいてくる。

しかし遠くに見えるベンチにクロの姿はなかった。

「え?」

まだ帰って来てない……?

私は自転車を止め、公園中をくまなく探した。

しかしクロはどこにもいなかった。

ぽっかりと寂しさだけが残る。

クロはどこに行ったんだろう?


 私は翌日もその翌日も探し回った。

しかし、クロはどこにもいなかった。


 夜。ベッドの上で目を閉じた。

幼い頃の記憶が蘇る。


 公園で転んで泣いていた時、そばに座っていた黒猫。

 友達と喧嘩して落ち込む私をじっと見つめていた黒猫。

 私の他愛のない話に「にゃあ」と反応する黒猫。


 「……クロ」

クロはいつも私のそばにいた。

陽だまりに包まれたあのベンチに。クロは。


 私は家を飛び出した。

いくあても無いまま夜道を走った。

「クロ―っ!」

夜の透き通った空気に、私の声だけが響く。

息を切らして町中を探し回った。

ただクロに会いたかった。


 「はぁ……はぁ……」

河川敷の上に座り込む。

長いこと探し回ったが、クロを見つけることはできなかった。

猫は死ぬ少し前に姿を消すという話を聞いたことがある。

もしかしたら、クロはもう……。

私はぐったりと上体を倒して河川敷に寝転んだ。

夜空には美しく輝く満天の星たちが、どこまでも広がっていた。


 翌朝。少し早めに家を出た。

 小さな公園の陽だまりに包まれたベンチに腰をかける。

清々しい朝の風が私の髪をなでる。

空っぽになった隣の席にそっと触れた。

陽だまりの猫はもうここにはいない。

私は微笑み、言えなかった言葉をつぶやいてみた。

「ありがとう」

立ち上がり、自転車にまたがった。

「じゃあ、行ってきます」

私は自転車をこぎ、陽だまりのベンチを後にする。

風の音に紛れて「にゃあ」と鳴くクロの声が聞こえたような気がした。



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陽だまりの猫 柿城ひいと @kakishiro_heat

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