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  • 私は交通系ICカードを財布に入れているので、「バシッ!」とたたきつけることはありませんが、財布の、ICカードが入っている面を改札のタッチパネルに押し当てています。

    当てる向きを間違えると、「小銭(多数の金属片)」が読み取りの邪魔をするのか、クレジットカードなど、他のICカードが邪魔をするのか、読み取ることができないので、間違えないように細心の注意を払っています。

    たくさんの人が、スムーズに流れている改札で、一人「ピンコン!」と引っかかってしまうと、周りの人からの視線が冷たくて痛いので、油断できません。

    時にはどうしても読み込んでくれなくて、財布から出さざるを得ない時がありますが、人の流れに逆らって、人のいない場所に移動して、苦労して交通系ICカードを出して、というと随分な手間がかかります。

    改札機に「バシッ!」とは叩き付けないものの、ここに書かれていることを時にしてしまう私としては、申し訳ない限りです。

    交通系ICカードしか、カードを持たない、という前提であれば、タッチせずとも認識するシステムは可能なように思いますが、多くの人は、クレジットカードやキャッシュカードなど、複数のICカード(そういえば、マイナンバーカードや運転免許所も今はICカードですね)を持っていること、ペースメーカーを挿入している人などを考えると、特に「ペースメーカー」問題で、自動読み込みは難しいのかもしれない、とも思います。

    作者からの返信

    川線・山線さん

    コメントありがとうございます!
    タッチパネルにピッっと押し当てるのは、全然いいと思うのです!わたしもびっくりしないし(笑)、機械にも優しいですし。
    「ピコン!」となってしまう時も、時にはあります。でもそれは、致し方ないと思うんです。タイミングとかの問題で(^^;

    本当に、バシッ! ドンッ! と叩きつけている人は……機嫌悪いのかしら?とか思ってしまいます。
    そして、改札の真ん前までスマホ見ながら歩いていて、改札の真ん前でゴソゴソと定期?を探し始める人とか。
    イラッとするのです~……

    そうか。
    ペースメーカー入れていると、色々と制約がありますもんね。う~ん、難しいのかな、自動読み込みは……
    (ほんとうに凄い遠い未来には、ICを生まれた時から体に埋め込んで、ひとつのICで全部完結、とかいう事になるのかな、なんて思ったりもしてました)

  • 第34話 営業電話もか……への応援コメント

    「クレーム対応をAIに」というのはいい考えだと思います。ただ、ファーストタッチ、あるいはそのすべてをAIに任せてしまうと、くだらないクレームに埋もれている「商品改善のヒント」であったり、「深刻な問題点」を指摘する「建設的なクレーム」が、こんにゃくみたいな問答で結局「理不尽なクレーム」に変質することもあるかと思うので、ファーストタッチはしばらくの間は人間が行ない、これは聞くに値しないクレームだと判断した時点で、AIに変わるのがいいか、とおもいます。

    作者からの返信

    川線・山線さん

    コメントありがとうございます!
    そうですよね、本当になんというか、理不尽しかないクレーム対応については、AIにお任せするのがいいかなって思います。
    そして確かに、クレームの中に隠されている大事な問題点は、やっぱり人間の方が見つけられると思うんですよね。「察する」という事については人間なのかなって。

  • 新しい紙、結構スパッと指が切れますね。カッターであれ紙であれ、スパっと切れると、一拍おいてから血が滲みますよね。個人的には「不思議だなぁ」と思っています。鋭利なもので一瞬でスパっと切れると、切断された毛細血管から出血してくるのに、少し時間がかかるのかな?なんて思います。

    組織の中で、「えっ?今血管切れた?切れたよね?」なんていう細胞同士のやり取りがあるのかどうかはわかりませんが、そんなことを考えると少し面白くもあります。

    作者からの返信

    川線・山線さん

    コメントありがとうございます!
    も~、仕事で毎日紙を使うので、気を抜くとあちこち切れているのです。
    確かに、切ったとたんに血が、というのは、カッターでも紙でもあまり無いかもしれません。
    それで、痛いけど大丈夫かなと思って作業を続けていると、紙に血が付いちゃったりして(-"-)

    なんか、細胞同士のやり取りって、「はたらく細胞」みたいっで面白いですね♪
    「あれっ、血管のあそこ切れてない⁉」「やばっ、急いで補修しないとっ!」なんて(笑)

  • 平さん、日常生活やお仕事でストレスを抱えていませんか?

    「適応障害」「抑うつ状態」では、「クリエイティブ」な仕事に影響を与えることが多いです。ものを書けない、とか、夕飯の献立が思いつかない、とか、そのような症状が比較的よく見られます。

    心と体の健康、どうぞお大事になさってください。

    作者からの返信

    川線・山線さん

    コメントありがとうございます。
    そして、ご心配ありがとうございますm(__)m

    ストレスは、心身共に今年の後半からはかなり激減しているのです。体感的に。
    でも、同時期ぐらいから、通院治療が無くなって、薬も頓服でいいと言われたので、今はほぼ飲んでいない状態です。
    そのせいかな? とも思うのですけれど、それも少しずつトンネルの出口が見えて来た気がします(#^.^#)

    心も体も、一度調子を崩すと、整うまでに時間かかりますね(・・;)
    これからも、無理せず、で行こうと思います。
    ありがとうございます!

    編集済
  • 第31話 これも中二病?への応援コメント

    新しい言葉を覚えると使いたくなっちゃうやつ、僕もやってました。

    「世界史に使っている時間を数学の時間に割譲する」

    ちょうど世界史で領土の割譲とかやっていたのです。
    担任、冷めた目で笑ってたのかな? 今思えば恥ずかしいです。

    作者からの返信

    ケーエスさん

    コメントありがとうございます!
    やっぱり、新しく覚えた言葉って、なんか使いたくなりますね、分かります、すごく!(≧▽≦)

    「割譲」って、カッコイイ響きですもんね。
    でもなんだか……微笑ましい♪
    担任の先生も、微笑ましい目で見守ってくれていたのではないかと、思いますよ(#^.^#)

  • 私も、最近の学会発表を聞いていて、そのうっとうしさに辟易しています。

    「本日の『アジェンダ』は…」

    「アジェンダ」ってなんだ?と調べると、「議題・その会議で扱うテーマ」とのことでした。「せっかく『議題』っていう言葉があるんだから、そういえよ!」と思います。

    日本語の便利なところは、「外来語」を容易に「カタカナ語」にできることですが、逆にそれに甘えてしまって、「外来語」を同義あるいは近い意味の日本語に置き換える、いわゆる「翻訳」をしなくなっている、というのが現状かと思います。

    江戸時代から明治時代にかけて、たくさんの外国の「概念」や「ことば」が流入してきましたが、その時の人が苦労して、日本語にしてくれたことを思います。もちろん、日本には全くなかった概念も入ってきましたが、それでも、その言葉の意味を理解し、それに近い日本の概念を持ってきて、少し工夫をして日本語にしたのだと思います。

    先人の努力を考えるにつけ、今の安易な「外来語カタカナ化」には、なんだかなぁ、と思うのです。

    作者からの返信

    川線・山線さん

    コメントありがとうございます!
    もう、仰る通りなのです。
    安易にカタカナ語を使い過ぎるし、おまけに、相手が全て理解している前提だし、うんざりです・・・・
    相手に説明をする場においてソレだと、本当に説明して理解してもらおうとしているのかしら? なんて思ってしまいます。
    先人たちは、多くの人に理解してもらおうと、ものすごく苦労して外来語を日本語訳してくれたのだろうなと、今更ながらに頭が下がる思いです。

  • 嫉妬に溺れる人は苦しいけど、嫉妬を自分の向上心のエネルギーにする人はいけると思います。

    作者からの返信

    青城澄さん

    コメントありがとうございます(^o^)
    そうですよね。
    マイナスじゃなくて、プラスのエネルギーに変えられれば、いけますよね♪

  • 暴言を吐いてしまうのも、それで離れていく人のことを気遣うのも平遊さんですね。
    人間は多面的な存在だから、できるだけいいところを見ていたいですよね。

    作者からの返信

    ケーエスさん

    コメントありがとうございます!
    メンタルがヒッチャカメッチャカだった時は、暴言すごかったと思います(>_<)
    さすがに、相手にぶつける事は無かったですが、仲の良い人に話を聞いて貰う時にとか(^^;
    顔を見てお話できる相手であれば、その相手が不快に思っているのかどうかは分かるのですけど、そうじゃないと(当たり前ですが)知らずに不快な思いをさせているんだなって、反省です……特に文章だけの繋がりだと、より慎重さが求められるなって勉強になりました。
    楽しむための場所で不快な思いをするのは、イヤですもんねぇ、誰だって。
    「ここは受け入れられない」「でも、ここは好き」っていう割り切りをするか。
    「受け入れられない所があるから、全部だめ」っていう割り切りをするか。
    それはその人次第。
    わたしはできるだけ前者でありたいとは思いつつ……
    「ここは受け入れられない」の【ここ】が核となる部分だともう、やっぱりダメかなとも思ったりして(^^;

    ……難しいですね、人間関係って(>_<)

  • 上げられたり下げられたり、芸能人は大変ですね。満ち潮と引き潮みたい。
    引き潮にさらわれて溺れかかっている人が何人もいます。
    ネット社会では野次馬の声がもっとも大きく響きます。くれぐれもそれに加担したり、流されたりしないことが大事ですね😥

    作者からの返信

    ヤマシタ アキヒロさん

    コメントありがとうございます!
    芸能人・有名人って、ほんと大変だなって思います。
    なんで、野次馬の声って響くんでしょうね……しかもなんだか、ホントみたいな感じになるじゃないですか。怖いですよねぇ……(>_<)

  • やさしさ。本当に相手のためになっているか……でしょうか。ぱっと見厳しいことを言うこわーい上司も、部下が成長できるようにするためだったり。
    優しさ見極めるの難しいですよね。表面的なことだけでなく、自分の中で咀嚼して確かめるしかないかもしれないです。
    あとは時間ですかね。少し経った後に「あれはやさしさだったのか」と気づけたり。

    作者からの返信

    ケーエスさん

    コメントありがとうございます(#^.^#)
    そうなんですよね。その時は厳しくて胸にグサグサ刺さるような言葉でも、後から考えたらとても有り難かった、っという事もありますものね。それは「やさしさ」なんですよねー。
    だから本当に難しいですね。
    耳障りの良い言葉は、その瞬間だけはいいかもしれないですが、後に何にも残らないとか。
    ほんとのやさしさにちゃんと気付ける人になりたいなって、思います(´ω`*)

  • 「女子高生友だち以外はみな風景」

    という川柳を思い出しました。
    いまや日本人全体が、この女子高生化しつつあるのでしょうかねw

    作者からの返信

    ヤマシタ アキヒロさん

    コメントありがとうございます(*^^*)
    そのような川柳があるのですね!
    なるほど……妙な納得感があります。わたしがJKだった時も、そうだったのかもしれません。
    ……でも、人にぶつかったら謝っていましたけれども(^_^;)

    まだ若くてキャイキャイしている子ならまだしも、人の親になるようなお年頃の大人ならば、やっぱり「すいません」の一言、言えた方がいいんじゃないかなぁ?と、余計なお世話でしょうけど、思ってしまいました……

  • 「傍若無人」(傍らに人無きがごとし)という言葉が思い浮かびます。

    若い人たちすべて、だとは思いませんが、自分にとって興味のある人以外は、「路傍の石」のような存在、という感覚だ、という話をどこかで聞いたことがあるような気がします。

    私は、人混みの中で、身体がぶつかってしまったときは「すみません」「ごめんなさい」を言うように心がけています。ちょっとした気遣いが大切だと思っています。

    作者からの返信

    川線・山線さん

    コメントありがとうございます\(^o^)/
    わかりますー!
    それです、それ!!
    ほんの僅かであっても、気遣いってとても大事ですよね。

    ……酔っ払いが電柱にぶつかって、思わず電柱に謝っちゃうくらいの(笑)
    気遣いがない人は、そこで電柱を蹴っ飛ばすのだろうなって、思います。
    謝っちゃうくらいの可愛い人が、いいですね♪

  • その方ひょっとしたら日本人じゃないかもしれないと思ってしまいます。

    30年前の香港はすでにそういう状態でした。横断歩道でぶつかりそうでこちらが半歩横によけたのに、ずんずん直進して人にぶつかってにらみつけていったあの香港女性はなんだったの。ワタクシみたいな田舎モンにはこの街は本当に合わないと思いましたよ。

    作者からの返信

    土岐三郎頼芸さん

    コメントありがとうございます(*^^*)
    あ、そうかもしれませんね。日本人には見えましたが、「あっ」しか言葉を聞いてないので(^_^;)

    確かに、外国だと「謝るが負け」みたいな考えもあるようです。初めてアメリカ行った時、ガイドさんに「むやみに謝っちゃダメですよ」って言われたことを思い出しました。
    でも、ぶつかったクセに睨むって、それじゃただのチン◯ラ……(^_^;)

  • 好きの反対は無関心―――

    この言い方が定着して久しいですが、正直言ってピンと来るときと来ないときがありますね。

    そこを疑ってみたくなる気持ち、よく分かります。

    作者からの返信

    ヤマシタ アキヒロさん

    コメントありがとうございます\(^o^)/
    そうなんです。
    ピンと来るときもあれば、来ないときもあるんですよね(^_^;)
    なかなか、難しいですね>⁠.⁠<

  • 「やさしさ」を言語として定義することはとても難しいけれども、実感する「やさしさ」は確かに存在しますよね。お互いの内面に何があるのかはわからないけど、それでも「あたたかさ」が伝わることってあると思います。

    作者からの返信

    川線・山線さん

    コメントありがとうございます!
    そうなのです。
    「やさしさ」の定義って、実はものすごく難しいですよね。
    ぜんっぜん、見た事も会った事もない人の「やさしさ」を感じる事もありますし。
    「あたたかさ」そうですね、心を温める「あた(´ω`*)たかさ」が、「やさしさ」にはありますね(´ω`*)

  •  コメント失礼致します。
     ある筆者様から頂いたコメントにより、こちらへ伺わせて頂いたのですが…そこで初めて羽弦トリスさんの訃報を知り、大変ショックを受けています。
     私も同御仁と交流があったのですが、急に更新が途絶えたことを、他の方ともども心配していたので…
     
     平 遊様が、どのようにして羽弦さんの訃報をお知りになったのか、もし差し支えなければ教えてください。どうぞよろしくお願い致します。

    作者からの返信

    七七七@男姉(Hiroe)さん

    コメントをありがとうございます。
    ショック、ですよね。
    病気を抱えていた方ではありましたが、まさか、と信じられませんでした。

    わたしは、それまでツイッターもXもまったくやっていなかったのですが、どうにかして羽弦さんの情報を得られないかと、Xに登録してみたのです。
    羽弦さんのアカウントには鍵?がかかっているようで、全く拝見できなかったものの。
    以前にカクヨムさんに登録されていて、退会されている方が、わたしのXのアカウントを見つけてくださって、羽弦さんの事を教えてくださいました。その方は、オフでも羽弦さんととても親しく、ご家族とも交流のあった方で(羽弦さんのエッセイにも頻繁に登場されていた方です)、ご家族から直接聞いたとのことでした。

    もし、羽弦さんのことで他にもご心配されている方がいらっしゃるようでしたら、お伝えいただければと思います。
    よろしくお願いしいたします。

  • 第21話 送別品への応援コメント

    贈り物には気持ちがこもりますよね。

    かつて販売業に従事していたとき、異動の際の送別品として、そのお店の「推奨品」をもらったことがあります。
    お店の売上げを第一に考えている魂胆が見え見えで、プレゼントとしての価値は半減……
    ありがとう、と言って苦笑しながら異動した覚えがあります。

    作者からの返信

    ヤマシタ アキヒロさん

    コメントありがとうございます(*^^*)
    う〜ん、販売業の場合は、贈り物を選ぶ人も色々考えてしまうのかもしれないですね(^_^;)
    ご本人が欲しがっていたものであれば、お店の推奨品でも嬉しいかもしれませんが……
    難しいですね(⁠+⁠_⁠+⁠)

  • AIに相談しますよ。なんならAIのメンタルケアアプリを使ってます。
    人間じゃないので相談のハードルが低いのと、文字に起こすので思考が整理されるのと、客観的な意見をくれるので重宝してます。

    僕のような繊細すぎ人間不信たっぷりの遠慮しまくり、見当違いなアドバイスもらって撃沈マンにはありがたい存在です。

    AIに相談することで人と再び関わろうとできるのならいいことだと思います。

    作者からの返信

    ケーエスさん

    コメントありがとうございます!
    なんと。
    ケーエスさん、既にAIを使いこなしていらっしゃる!
    すごい……

    平は本当にごく最近になって、AIに恐る恐る触り始めた古い人間なので(^▽^;)、まだAIの良さが分かっていないのです。
    うちのAIも『「重たい」とか「変だ」とかのジャッジはないから』って言っていますしね、その通りだと思います>客観的な意見

    昔の人が、遠く離れた人と話せる「電話」で驚いたように、わたしは今「AI」に驚いているのかもしれません。
    ……既にもう、AIは生活に根付いてきている存在なのですね(´ω`*)

  • 第18話 生と死とへの応援コメント

    「生きること」「死ぬこと」については、人間の永遠の問題だと思います。

    釈尊(お釈迦様)は「生老病死」(生まれ、生きること、年老いていくこと、病気、死んでいくこと」を誰しもが逃れることのできない「4つの苦しみ(四苦)」と説かれました。

    キリスト教、イスラム教、仏教を「世界三大宗教」と呼びますが、イスラム教、キリスト教が「全知全能の唯一絶対神」を信仰の対象とするのに対して、「仏教」では「唯一絶対」のものはありません。日本では浄土宗・浄土真宗の信徒が多く、「阿弥陀如来」が「唯一絶対神」のような扱いを受けていますが、本義はそうではありません。「仏」と「衆生」の違いは「悟り」の有無の違いに過ぎないのです。釈尊自身が、衆生を「如我等無異」(私と等しく、異なるところ無きが如し)と言っているくらいです。

    鎌倉時代の僧侶である日蓮は、自身が出家して間もないころから、平さんと同じように「なぜ生き、なぜ死ぬのか」という事を深く考え、「まず『臨終』のことを学んで、それから他のことを勉強しよう」と思って修業した、と信徒への手紙に書いておられます。

    私自身の中では、日蓮の説かれた教えが親和性が高いのですが、そこでは「生死」は一枚の紙の表裏のようなものだ、と考えています。仏教の基本概念として、すべてのものには何らかの「因」があり、それが「縁」に触れて動き出し、「果」となる、という「因果・縁起」という考え方があります。私たちの命は、いわゆる「生を受けた」という事で始まる、というわけでもなく、「生命活動が止まった」という「死」で終わる、というわけでもなく、「生」と「死」を繰り返しながら流れていくものだ、と考えています。

    「生と死」という事で考えると、「恒星」と「惑星」で作られた星の集まり(私たちのいるところは「太陽系」になりますが)にも、恒星の「加齢」とともにその秩序が乱れ、最終的には、新たな形へと変化します。地球も、50億年後には、「年老いた太陽」に飲み込まれるようです。天体も同様に「生と死」を繰り返しているわけです。

    この仕事をしていると、「死」は避けられないことですが、私にとっての「生と死」というのは、日蓮がそのようにとらえた、「表裏一体で別のものではなく、「生命」の状態」という風に考えています。「死」の状態の命を各地することはできない(「ある」けど「ない」、「ない」けど「ある」、とその存在を覚知出来ないものを仏教では「空」と呼びます。「死」の状態は「空」であるといえるかと思います)。今、医局でこの文章を書いていますが、この部屋の中に電波は飛びまくっていますが、私は覚知出来ない。ただ、スマホを見れば、5Gの電波が飛んでいるのか、4Gなのか、ラジオを持ってくれば、選択した放送局の放送を聞けるわけで、「空」というのは、そんな感じか、と思ってもらえれば、と思います。

    「空」の状態となっている生命が、何らかの「縁」によって覚知できる「生」の状態となり、また時を経て、最終的には「死」の状態になってわからなくなる、でも、存在する、そんなものなのだろう、と私は考えています。

    長くなり、すみません。話し始めれば、もっと長くなるので、この辺で。

    作者からの返信

    川線・山線さん

    コメントありがとうございます(´ω`*)
    日蓮上人も同じようにお考えになったのですね……いや、ある程度年を重ねれば、誰でも一度は考える事ですよね、きっと。
    静かに続いているなにか(=生命・存在・魂など)、そのなにかがある時「生」の状態となり、そして「死」の状態となる。それだけのこと、ということでしょうか。
    そうなのかもしれないですね。ただ悲しいかな、我々は「生」の状態の時にしか言葉を交わせない、触れあえない、それが哀しい、寂しい……
    でも、これをどうにかできる存在は無いのですから、受け入れるしかないのですよね……


  • 編集済

    第17話 インタビューへの応援コメント

    事故などを目撃した子供への、「報道」を目的としたインタビューは、おっしゃる通り、いかがなものか、と思います。子供の絵面と言葉を「視聴者へのアピール」として使っているかのようにも感じます。

    ただ、PTSDの治療で、もちろん専門家の元でですが、「トラウマとなった出来事」を繰り返し言語化することで、PTSDの症状を改善させる、というものもあり、「言語化させる」という事が必ずしも悪影響を与える、というわけではないようです。

    東日本大震災の後、避難所にいる子供たちが、「地震ごっこ」「津波ごっこ」をして遊んでいることがよく見られたそうです。その場にいる大人たちは「やめなさい!」と止めるのですが、そのようなことが多発している、という事を聞いた専門家は、「そのような『遊び』を通じて、子供たちは、自分の心のダメージを解消している」と聞いたことを覚えています。

    ただ、取材者側がそんなことを考えている、とは思いませんが。

    作者からの返信

    川線・山線さん

    コメントありがとうございます!返信遅くなり申し訳ありませんm(_ _)m

    敢えて言語化させる、という治療もあるのですね。
    子どもたちが自発的に、怖いものを遊びに変えて乗り越えようとするのは、すごいですね!
    柔軟で強い。
    でもやっぱり、事故や事件の子どもへのインタビューは……なんだかなぁと心配になります>⁠.⁠<

  • 買物をしてて、店員が話しかけてくる店、ちょっと苦手です。自由な選択がしたいので。

    ところが企業にとってみれば、世の中の「浮動票」をいかに取り込むかが死活問題のようなのです。

    私や平さんなどの方が少数派かもしれませんね。

    資本主義は弱肉強食。無駄に消耗しないよう気をつけたいものです。

    作者からの返信

    ヤマシタ アキヒロ さん

    コメントありがとうございます(#^.^#)
    あ、わたしも苦手です!
    ちょっと見てるとすぐに店員さんが話しかけてくるお店。話しかけられそうになるとお店から出ちゃったりします(^▽^;)

    そうなんですかねぇ、わたしたちは少数派なのですかね。
    でも、確実に存在するのですよ、少数派だって(>_<)

  • オフコースの『YES-YES-YES』に、

    大切なのは ふたりでいること―――

    とあります。

    反対に、郷ひろみの『よろしく哀愁』には、

    会えない時間が 愛育てるのさ―――

    とあります。

    いやあ、どっちも真理なのでしょうね。

    作者からの返信

    ヤマシタ アキヒロさん

    コメントありがとうございます(#^.^#)
    どちらもいい曲ですよね(*´▽`*)
    名曲だと思います!

    確かに。
    どちらも真理ですね。
    でも。
    どちらも少し違う気もします。
    なんというか。
    「程度」の問題?
    ふたりきりでずっとい続けると、それもちょっと息が詰まりそうですし、会えない時間も長すぎれば、もういいやって思いそうな気もして。
    ……わたしだけ、ですかね?(^^;

  • 中学生の英語の教科書の「英語のことわざ集」には、ほぼ記載されている英語のことわざですが、"Out of sight, Out of mind."というものがあります。訳を見ると「去る者は日々に疎し」と書いてあり、まずこの日本語訳が「難しくて意味不明」で、中学生の頃には、「何じゃこりゃ?日本語の意味が分からん」と思っていました。たぶん日本語に「去る者は日々に疎し」ということわざがあるのだろうと思います。

    英語自体は簡単で、直訳すると「視界からいなくなれば、心からもいなくなる」という事で、今回の平さんの主題はここにあるのでは、と考えています。

    確かにほとんどの人は、”Out of sight, Out of mind."となり、これはこれで生きていくうえで「理にかなっている」と思いますが、心の中で本当に数名、このことわざに従わない人がいる、というのも事実か、とも思います。

    脳の障害で、「物事を忘れられない」という状態になることがあります。傍から見れば、記憶力が素晴らしくてうらやましく見えますが、「嫌なもの」「つらかったこと」なども忘れないので、本人はものすごく生きづらい、と聞いたことがあります。

    「大切な人とは、なるべく近くにいた方がいい」という事には大賛成です。と同時に、はるか離れてしまっても「とても大切な人」を心に抱えていることは、時に切なくて悲しい、と思ってしまいます。

    作者からの返信

    川線・山線さん

    コメントありがとうございます(#^.^#)

    "Out of sight, Out of mind."

    こちらの方が感覚的にしっくりきますね。
    「去る者は日々に疎し」とは微妙に異なる気がします(^▽^;)

    何て言うのかな。上手く言い表せないのですが……
    確固たる繋がりが構築されている間柄であれば、どんなに離れていても、例えもう二度と会えなくても、心の中にしっかりと根付いている気がするのです。
    その手前とか。
    繋がりはあるけれども「確固たる繋がり」までは及ばないという場合。それでも大切な人。
    そういう人は、やはりなるべく近くにいた方がいいなぁって、思うのです。

    物事を忘れられないというのは、残酷だと思います。
    人は、忘れたいものから忘れていく、とも聞いた事があります。忘れたいものを忘れられないなんて、辛過ぎますよね……

  • スマホを揺らせば、顔も揺れるのでしょうね。ペンギンみたいに。

    作者からの返信

    ヤマシタ アキヒロさん

    コメントありがとうございます(*^^*)
    ペンギン!(⁠≧⁠▽⁠≦⁠)
    そんな可愛らしいのであれば、癒されそうですね♪
    ……実際はイライラするばかりですが(^_^;)

  • 地域によって、鉄道の混雑度が異なるので何とも言い難いですが、私がまだ若く、スマホも携帯もない時代は、満員電車の中で「新聞」を読んでいる人が多かったと記憶しています。ちらっと「何新聞か」を見てみると、朝のラッシュ時は「日本経済新聞」が6割、「スポーツ新聞」が4割くらいだったでしょうか。

    平さんはご存知かと思いますが、新聞を広げると大変場所取りなので、満員電車で新聞を読んでいる人は新聞を1/4ないしは1/8に折って読んでいました。新聞とてある程度目から離さないと読めないので、「邪魔ではない」とは言えませんが、新聞を読んでいる人はそれなりに気を使っていたようです。

    学生さんは、参考書を見たりしている人が多かったです。

    ただ、そのような人はごく一部であり、多くの人は、中づり広告を見たり、外の景色を見たりして、ぎゅうぎゅうの満員電車の中である意味「身を任せる」状態でした。

    今、一番気持ちが悪いのは「猫も杓子も」スマホを見ている、という事だと思います。一部の人だけが「出版物」を読んでいる、という状況と、「みんながスマホを見ている」という状況では、やはり満員電車内の状況は違うと思います。

    何度か書いていることですが、私が高校生の頃、NTTドコモの子会社でPHSを扱う事となっていた、今は亡き「NTTパーソナル」が、とんねるずを使って大々的に広告を打っていましたが、キャッチコピーが「みんなを電話にする会社」でした。

    その時の私は、そのキャッチコピーの意味が解りませんでしたが、30年ほど経ち、今の状況を見ると、そのキャッチコピーの指し示していたことは、「こういう事か」、と、辺りを見回して少しぞっとしています。

    作者からの返信

    川線・山線さん

    コメントありがとうございます!
    満員電車の「新聞」、父から話は聞いていたのですが、わたしが「満員電車」に乗るようになった頃にはあまり見かけなかった気もします……立ったまま寝ていたので、周りを見ていなかっただけかもしれません(笑)
    でも、そうですよね。
    なるべく周りの迷惑にならないように、新聞を小さく折って読んでいたのですよね、当時のサラリーマンは。
    その点、確かに新聞よりは遥かにスマホは小さいですけれど、周りの迷惑はあまり考えていないような。未だに、肩とか頭とか、スマホでツンツン突かれますし(^^;

    偶に、本を読んでいる人を見かけると、ちょっとホッとしたりします。本当に、周りがスマホだらけだとゾッとしてしまいます。まさに、NTTが思い描いた世界、なのでしょうけれどもね……

  • 教えるのにもコツがいりますね。余計な情報を与えないよう、シンプルに教える。そのためには、まず自分がその内容を十分に理解しておく必要がありますね。
    また教わるのが上手な人は、余計な情報の中から大事なことを見極めるのがうまいのでしょうね。それが言語化できれば、将来は教え上手になれるかも。

    作者からの返信

    ヤマシタ アキヒロさん

    コメントありがとうございます。
    そうなのです。
    教える際に余計な情報は不要なことはもちろんですが、必要な情報も必要なのです(? ちょっと日本語が?)
    何というか、前情報が無くて
    「●●を○○します」
    と言われても、
    何の●●をどうやって○○するの??
    ってなってしまうのですよね……ある程度こちらが分かっている状態であれば、これでも通じるのですが。
    いつも思うのですが、自分の頭の中身の必要部分をサクッと文章化できると、ものすごく助かるのになぁと思います(^^;


  • 編集済

    『声に出して読みたい日本語』の齋藤孝さんも、不機嫌のもたらす害悪を説かれ、「上機嫌Tシャツ」を考案されたそうです。
    前面に大きく「上機嫌」と書かれ、背中には「意味もなく」と書かれているとか。

    作者からの返信

    ヤマシタ アキヒロさん

    コメントありがとうございます\(^o^)/
    意味もなく上機嫌。
    最高じゃないですか!!
    理由がさっぱりわからないのに不機嫌、よりずっといいですよね。
    本当に、自覚のない『フキハラ』、大迷惑です……

  • 「夢が叶えば生活になる」
    すごくよく分かります。
    一つの夢の理想形ですね。

    それでも夢を追い続ける人は、なにか「満たされないもの」があるからでしょうか。

    作者からの返信

    ヤマシタ アキヒロさん

    コメントありがとうございます(*^^*)
    夢になる生活、理想形ですね。
    叶って満足、できない人はやはり、バイタリティ溢れる人なのでしょうか。
    わたしなどは、小さな夢でももう大満足してしまいそうですが(笑)

  • おっしゃる通りだと思います。

    私は子供のころからの「夢」だった医師という職業に、本当に奇跡的につくことができました。

    子供のころからの夢をかなえた、という事では非常にありがたく、医師であることに「誇り(傲慢、ではなく)」を持っていますが、「医師」という職業人として生活すると、体力的にも、精神的にも厳しいことは多く、実際に「適応障害、抑うつ」で休職することにもなったわけです。

    「医師」としての責任と誇りをもって仕事をしたい、という一方で、そこに付きまとう「責任感」や「束縛感(患者さんの具合が悪くなれば、いつ呼び出されるかわからない)」に対して、正直「しんどいなぁ、」と思う事も多いです。

    仕事にする、というのはそういう事なんだろうなぁ、と思います。

    作者からの返信

    川線・山線さん

    コメントありがとうございます(*^^*)
    子供の頃からお医者さんを目指して、そして夢を叶えたなんてすごいです!(⁠≧⁠▽⁠≦⁠)
    わたしは夢があちこち飛んで(笑)、最終的に『好きなことは仕事にしたくない』にたどり着いてます。義務になると嫌いになりそうで(T_T)

    しかし、お医者さんとは過酷なお仕事と思います。それは、体も心も壊しますよ……頭が下がるお仕事です!

  • 精神医学的には、「人格」は「気質」と「性格」に分けられると考えます。「気質」は持って生れた素因、「性格」は後天的要因で、「気質」の上に作り上げられたもの、という事です。「気質」は「性分」と言ってもいいのだろうと思いますが、「生来」のもので「変えることができない」とされています。「性格」は後天的なものですが、「気質」の影響を受けるので、同じ環境を与えられても、「同じ」にはならないものです。

    「悪魔の実験」ではないですが、「訳あって生後すぐに離れ離れにされた」一卵性双生児の追跡研究があります。研究のために離れ離れにされたわけではないので、「倫理的」な問題はありません。もちろんこのような事態に陥ることは稀なので、検討された「双子」さん(成人している人がほとんど)は、100組もいなかったと思います。

    その研究では、「気質」については、遺伝的な要因が大きく、離れた環境であっても、その傾向は似ていたようです。性格についても、「気質」がベースにあるので、全く異なった環境であっても、「全然違うタイプ」というわけではなく、比較的似たような性格となる傾向があることがわかりました。

    どこかで読んだ話(小説など作り話ではない)ですが、どこの国だか忘れましたが、産院でbabyちゃんの取り違えがあり、遺伝子の全く異なる子供がそれぞれの環境で育ち、50年ほど経って取り違えが発覚した、という事件の記事を記憶しています。

    まるで作り話のようですが、実話のようで、片方の家族は、知的レベルの高い家族の子供、もう片方の家族はそうでない家族だったそうです。

    取り違えられた子供、知的レベルの高い家族に引き取られた子供は、周囲の兄弟たちが皆レベルの高いと言われている大学に進学する中、彼一人が大学に進学できる成績を取れなかったそうです。もう片方の家族に引き取られた子供、親、兄弟たちが皆すさんだ生活をする中、彼だけが苦学して大学に進んだそうです。

    「人はそれぞれ違って、それぞれに価値がある」とは思いつつ、「遺伝子」の持つ影響は大きいなぁ、と思うニュースでした。

    作者からの返信

    川線・山線さん

    コメントありがとうございます。
    「遺伝子」って、本当にすごいですね。
    文字通り【核】となるもの、なのでしょうね。
    だから、環境や接する人によって多少の影響は受けつつも、【核】は変わらない、と。
    自分の【核】はどんなものなんだろうか、なんて考えてしまいますね(^^;

  • 身もフタもない想像ですが、人類の生き残り戦略の一つかもしれませんね。
    すなわち、環境の変化に対応できるよう、種に多様性をもたせる。さまざまなタイプの個体があれば、どれか一つは生き延びるであろうという、したたかな知恵。

    作者からの返信

    ヤマシタ アキヒロさん

    コメントありがとうございます。
    最終的に生き延びるのは、どのような個体なのでしょうね、興味はあります!
    ……見届けることはできそうにないですけど(笑)

  • そこら辺の疑問については、橘玲さんが『言ってはいけない』などでまとめてたような気がします。

    同じ環境で育った二卵性双生児と異なる環境で育てられた一卵性双生児では、一卵性双生児の方がキャラクターが似てくると言う調査報告があったかと思います。


    人格のほとんどはDNAで、次に家族ではなく周りの友達付き合いによると。

    少年凶悪犯罪や殺人犯について親の教育がどうこう言ってよく責め立てる人たちがいますが、そういった親の教育の影響と言うのは非常に少ないそうです。(家族による虐待、ネグレクト、DVなどは除くのでしょうが、そうでない)いわゆる普通の家庭でも、凶悪犯罪や殺人を犯す人間は生まれるのです。

    たいていの場合、犯罪は犯罪者の親のせいでは無いのです。

    ただその人はそうなりやすくできているのです。

    そんな話だったかと思います。

    作者からの返信

    土岐三郎頼芸さん

    コメントありがとうございます(≧▽≦)
    本をたくさん読んでらっしゃるのですね。
    わたしもちょっと検索して、チラ読みしてみました。
    全ての要素は遺伝的なものが大きい、とのことですね。
    まぁ、親は無くても子は育つ、という言葉もありますからねぇ……
    それはそれで怖いような気もしました(>_<)

  • 優れた絵は、一枚のキャンバスに、多くの「時間」を閉じ込めています。

    われわれに出来る抵抗は、せいぜいこれくらいな気がします。

    作者からの返信

    ヤマシタ アキヒロさん

    コメントありがとうございます(*^^*)
    ああ、そうですね!
    絵も、写真も、文学も。
    映画などもそうでしょうか。
    流れる時を留めることも引き戻すこともできないですが、残すことは、できますね(⁠ ⁠ꈍ⁠ᴗ⁠ꈍ⁠)

  • 太宰 治の「人間失格」の書き出しが「恥の多い生涯を送ってきました」ですが、私自身もこれまでの人生を振り返ると、この言葉に激しく同意するので、若いころは、かなり強く、「過去に戻れたら」と思っていました。戻りたい地点はいくつもあるのですが、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のように、今の記憶を残したままでその時点に戻ると、異なる選択をしてしまう、と思います。なので、もし仮に「今の記憶を持ったまま、過去に戻る」選択をすると、今の人生を歩んでいない、と思います。

    ただ、この年になって、「今の人生、そんなに悪くないかも」と思っているので、「戻りたくもあり、戻りたくもなし」と今は思っています。

    どんなに科学が進んでも、「科学的な法則」からは逃れることができません。一番身近に感じるのは、車やバイクを運転しているときです。「車は急に止まれません」し、速度超過でコーナーに突っ込めば、「曲がり切れない」わけです。これは、パーツを高価なものにすれば大丈夫、というものではなく、自動車もバイクも、ややこしい話になりますが、タイヤと路面の「動摩擦係数(定数)」と「車重(これも定数)」で、車の加速性能、減速性能、横滑りに耐えられる力などが決定するので、それを越えた速度を出せば、車は「止まり切れず」「曲がり切れず」となります。高校時代の「物理」の授業で一番最初に習う「力学」という分野の話ですが、誰も、この物理法則からは逃げられないので、アホみたいな速度で運転したり、急にハンドルを切ったりする人を見ると、「あぁ、この人、「物理学」を知らないなぁ」と少し残念に思ってしまいます。

    さて、「時間」ですが、これも残念ながら「物理法則」の縛りを受けています。「早く運動するもの」の中では、「時間はゆっくりと進むようになる」という事です。これも「物理法則」なので、人知ではどうすることもできません。ただ、実生活では、これまでは大きな問題になりませんでした。航空機は時速800km/hほどで進みますが、一生この速度で進み続ける、として、人生の終わりの時点で、ずっと地表に暮らしていた人たちとの時間の差が1秒生まれるかどうか、という程度です。

    ただ、最近急速に広まっているGPS、これは、宇宙にいくつか打ちあがっているGPS衛星、これはどれも、「同じ時刻」を示し、電波として発信していますが、地上で受け取るときに、衛星からの距離によって、それぞれの信号で得られた「時刻」に差ができています(光も「速さ」を持っているので、遠くに行くには時間がかかるので)。どの衛星から「どの時刻が届いたか」という事を解析することで、自分が地上のどの位置にいるか、ということがわかる、という仕掛けになっています。すべての衛星が全く同じ時間を送ってくれていても、自分がどの位置にいるか、ということによって、受け取る信号に含まれる「時刻」情報が異なる、というのはある意味、「時間の相対性」を示していることでもあり、その原理をもとにGPSシステムを考案した科学者はすごいなぁ、と思うところです。

    作者からの返信

    川線・山線さん

    コメントありがとうございます(*^^*)
    平の頭では、文系物理を理解するのでいっぱいいっぱいなのですが(笑)、経験に直結するような物理は面白いと感じていました。
    突き詰めると、すべてが身の回りの事象に直結するのだろうなとは思いつつ……突き詰めることを頭が拒否します(^_^;)

    GPS、すごいシステムですね!
    普通に便利使いしてしまっていますが、最初に思いついた人は本当にすごいなぁと思います(⁠ ⁠ꈍ⁠ᴗ⁠ꈍ⁠)

  • 嫁に出す……? よくわからない表現ですね。ホントの結婚の場面でも違和感ありますね。男が当主で、女がその家に入るっていう時代でもないですし。しかも女性だらけの場所でそれを言うなんて。時代の波に取り残されるの恐ろしいですね。

    作者からの返信

    ケーエスさん

    コメントありがとうございます(#^^#)
    本当にねぇ……日本の古き良き伝統、みたいな感じになっていますけれども、「嫁に出す」「嫁に貰う」は、今でも普通に使われる事ありますしね。
    いいのですよ、気心知れた仲間内で、お互いに分かっていて使う分にはいいと思うのです。でもさすがに、仕事絡みの公の場では……(-_-;)
    毎年行っているはずの「人権啓発研修」とか「ハラスメントなんちゃら研修」とか、意味なくね? って思いますねぇ(^^;

  • 江戸時代中期あたりの、農村に暮らしていた人は、おそらく生まれてから死ぬまで、同じ風景を見て、同じ価値観を抱え、同じ価値観を持つ人たちに囲まれながら変化なく生きてきたのだろう、と思います。江戸時代、200年近く続きましたから、当時の寿命、人生50年と考えると、その時代の変化はわずかだったのだろうと思います。

    今、私が診療をしている患者さんのほとんどが、80代~90代、時には100歳を超える人もいます(最近知ったのですが、100年以上生きている人は「センチネリアン」(センチュリー:世紀)というそうです)。この人たちが生まれたときに、今の社会を想像できたのか、というと、無理だと思います。

    たかが50年ばかし生きていた私でさえ、そうです。子供の頃には「21世紀には夢のテレビ電話ができる」なんてことが言われていましたが、今は実際にテレビ電話はスマホで実現しているだけでなく、コミュニケーションツールとしての電話は、今や忌避される存在、となっています。

    私が成人してから、30年ですが、それでも社会は大きく動いています。20代のころは至る所に灰皿があり、男性の喫煙者は多かったのですが、今はトンと見なくなりました。医学生時代に、講義室のドアの横に灰皿があって、休み時間に何人も「たばこ休憩」していたなんて、ウソのような話です。

    これからもどんどん、色々と考え方が変わり、「僕らの当たり前」が「世間の当たり前」とはズレてくるんだろうなぁ、と思います。ただ、「人の嫌がることはしない」などは変わらないと思うので、そのような「普遍的価値観」に沿って、時代を見ていく、というのが、中年以降の生き方なのかなぁ、と思います。そういう点で、何かを言う、時にも、少し立ち止まり、考えるのが必要なのだろう、と思います。

    作者からの返信

    川線・山線さん

    コメントありがとうございます(#^^#)
    「センチネリアン」、わたしも初めて知りました。
    ご高齢の患者さんが多いのですね……高齢化社会ですしね。
    でも、そうですね。
    ドラえもんの世界が、こんなに早く実現するとは、考えてもいなかったです。「人間が想像できることは 人間が必ず実現できる」と言ったジュール・ヴェルヌさんも、まさかここまで、とは思っていなかったのではないかと……いや、思っていたかもしれませんね!
    科学の進化、環境の変化に、考え方の変化、価値観の変化が追い付いていくのは大変なのかもしれないですね。人の価値観や考え方が、そう一気に変わるとは思えないです。色々な価値観や考え方があって、いいと思うのです。
    思うのですけれども。
    不快だなって、相手になるべく感じさせないように配慮すること。これからはますます重要になっていきますね、きっと。
    わたしも気を付けないとなって、思っています。

  • 三人なら二人の後ろを歩いていることが多いことを思い出しました。三人と二人じゃ全然違うんですよね、なんか会話の展開の発展する範囲も速度も違う。だからとりあえず聞く側に周ることが多いです。話す側、聞く側、観客みたいになります。

    作者からの返信

    ケーエスさん

    ケーエスさんも、1人の側に回ることが多いのですね!
    そうか、観客みたいな感じになるのかな。近いかもしれません。
    そう、うまい具合に役割分担ができると、3人もラクなのですけどね……(^_^;)

  • うわあ、僕下ろしちゃいますねシャッター、閉店ガラガラ~って(?)。確かにそこから開けたことないかもしれないです。どれだけその人が変わったとしても。

    作者からの返信

    ケーエスさん

    コメントありがとうございます(*^^*)
    やはりそうですよね。
    一度下ろしてしまったシャッターって、もう一度開く確率は、相当低いと思うのです。
    きっかけが実は誤解だったよ!みたいなことでもなければ。
    だから、気をつけないとですよねぇ、自分も(^_^;)

  • さすが平さん、きちんと自分を持っていた少女だったんですね~。(´艸`*)
    トイレへ行くのも一緒となりがちな世界を乗り越えて現在があるんですね。

    作者からの返信

    上月くるをさん

    コメントありがとうございます(*^^*)
    子供の頃から「めんどくさいのは嫌い」だったのてしょうね(笑)それは、今でも変わらずわたしの根っこになっています。良くも悪くも。
    それと、1人でもいられるように育ててくれた両親に感謝です(⁠*⁠´⁠ω⁠`⁠*⁠)

  • 難しいところですね。2人ならギクシャクしないか、というとそうでもないこともあり、そうなればお互いに逃げるところが無くなりなおさらやりづらい、なんてこともあるかもしれません。

    人数がどうあれ、結局「仕事」となれば、どこかで「自分」を抑えて「マシーン」のようにならなければならないのかもしれない、と思ったりします。

    作者からの返信

    川線・山線さん

    コメントありがとうございます(*^^*)
    2人でギクシャクは、自分の心だけ守っていればいいので、まだなんとかなりそうな……3人だと、もう1人の心も考えてしまうので、倍疲れる気がします(・・;)
    自分が1人の側になれば、ラクなのですけれど……
    そうはいっても、職場は学校とか仲良しクラブではないので、仕事はしなくてはならず。
    1人でモクモクとできる仕事ならいいのですけど、連携プレイが求められる仕事は、ちょっとキツいですね。本当に、いっそ「マシーン」になれればラクかもしれません!

  • おっしゃるとおり3人というのは難しいと思います。

    性悪説で人を雇う華僑の経営方法で従業員は3人1組で仕事をさせるというものがあります。これは不正防止のためで、3人で団結してうまく不正をごまかすのは非常に難しいのだそうです。3人よればだいたい2対1に分かれてしまう。そしてお互いに監視しちゃうから不正が起きにくいと。特に弱い1の立場の人が2側から自分を守るために経営者に密告してくれると。4人以上だとそれぞれ仲のいい関係の人が出来る。孤立して経営者のために監視密告をしてくれる人がいなくなるから不都合だと。

    えらくシビアなマキャベリズムだなと思ったことがあります。

    3人で仲良くというのはそれほど非常に難しいとリアリストな華僑の世界では思われているようでした。むしろうまくいくのは稀だと。だからこそ桃園の誓いや三銃士がドラマとして引き立つのでしょうか。

    作者からの返信

    土岐三郎頼芸さん

    コメントありがとうございますヽ(=´▽`=)ノ
    なるほど……やはり、3人というのは難しいのですね。それを利用する華僑は、さすがというかなんというか……あれっ?!
    もしかして我らも、会社に試されているのか!?>⁠.⁠<
    でも確かに、ドラマや映画では3人てありますよね。
    ……興味深いですね(⁠@⁠_⁠@⁠)

  • 「時間が溶ける」という表現は、我が家でもよく使っています。子供たちや私が、YouTubeをぼんやり見るなど、あまり生産的なことをしていない結果、時間が過ぎてしまったときに、「ほら、時間が溶けたで」とか、「あぁ、時間を溶かしてしまった」と言ってます。

    私のイメージは、「氷が液体の中で溶けてしまう」ようなイメージで、「氷ならまだものを冷やせたのに、溶けてしまって、ものを冷やせない」というような、どちらかといえば、ネガティブなイメージです。有意義に使うべき時間を、だらだらと過ごしてしまった、という漢字でしょうか。

    言葉のイメージ、人によっていろいろで、興味深いです。最近では、「触れられたくないところ」に何度も会話の中で触れることを「こする」というようですが、家族の中で、私だけがその言葉の使い方を知らず、「???」となりました。

    言葉は生き物ですね。「ナウなヤング」にはついていけません(死語か!)。

    作者からの返信

    川線・山線さん

    コメントありがとうございます\(^o^)/
    なんと!お家でも使われているのですか!
    わたしはまだ使ったこと無いですが、きっと、意味が通じないと思います(笑)
    確かに、あまり良い意味では使われないですよね、この「溶ける」は。でもなんだか、考え方が面白くて(^_^;)

    こする!
    これまた新たな言葉が!
    勉強になりますm(_ _)m
    ナウなヤング(⁠≧⁠▽⁠≦⁠)
    使わないですが、知ってます( ̄ー ̄)bグッ!

  • 若者の感性に脱帽ですね。

    「問題がとける」は「解ける」と書きますが、やはり形が変化して、受け入れやすくなったという点では同じだと思います。

    ひらがなで書くと意味が似ている場合も多いですね。

    「初めて」も「始めて」も、「はじ(端)っこの瞬間」であるように。


    作者からの返信

    ヤマシタ アキヒロさん

    コメントありがとうございます(*^^*)
    本当に、若者の感性はいつの時代もユニークですよね♪
    はじめて、はじ!
    そうですね。
    音が似ていると語源が同じ事も、ありますものねぇ(⁠*⁠´⁠ω⁠`⁠*⁠)

  • 現代日本だけなのだろうと思いますが、「若さ」にものすごく価値を置きますよね。でも、「年を重ねないと分からないこと」なんてたくさんあると思います。「若さ」が「可能性」なら、「年齢を重ねたこと」は「実績」なのだと思います。

    私自身がどこかで「理系脳」なので、「人生」って「自分」という「関数」が織りなす「曲線」のようなイメージがあります。瞬間瞬間の心の動きは「微分」、費やしてきた人生の時間は、その関数の「積分」なのでは、というイメージです。いい時もあれば、悪い時もあって、そういうものの積み重ねで人生が作られる、それを数学的にイメージすれば、そのような感じなのかも、なんて考えてしまいます。

    作者からの返信

    川線・山線さん

    コメントありがとうございますヽ(=´▽`=)ノ
    微分積分……高校の数学でやったような?(^_^;) 数学メタメタだったのでその程度の記憶しか(⁠+⁠_⁠+⁠)
    ですが、若さが可能性、年齢を重ねたことは実績、というのはわかります!!
    生きる過程で様々な可能性を切り捨ててきたのかもしれないですけど、選択した結果が今で、そこには色々な経験が詰まっている。
    それが人生。
    ……深いですねぇ(⁠*⁠´⁠ω⁠`⁠*⁠)

  • 「年はとりたくない」って「早死にしたい」んじゃなくって「老化したくない」てことですよねえ。「加齢」ということばも単なる年齢ではなく「老人力」的なネガティブな何かを加えているイメージ。そういったものはできるだけ遅らせるかうまく付き合ってやり過ごしたいものだと思います。日々実感。🙂‍↕️

    作者からの返信

    土岐三郎頼芸さん

    コメントありがとうございます(*^^*)
    そうなのです、NO「老化」!なのですよね。
    でもなんか、最近思うのですよね。
    ある程度の年を超えたら、子供に還るんじゃないかって。
    でも、当たり前ですけど、まるきり子供じゃなくて、知識と経験を重ねた子供。最強な気もします(笑)
    そんな風に考えると、やっぱり年を重ねるのはいいなぁと思います(⁠*⁠´⁠ω⁠`⁠*⁠)

  • Mr.Childrenの有名な曲である「花」、副題として~Mement Mori~とあります。この「メメント・モリ」とは、「死を想う」という意味だそうです。

    この仕事をしていると、たくさんの人の「死」と向かい合います。時には思い掛けず、時には誰もが納得するような形で。「人」は「生まれて」「生きて」「年老いたり」「病を得て」「死んでしまう」ものだなぁ、と思います。

    お釈迦様はこの「生老病死」を人間が避けることのできない「4つの苦しみ」と説かれました。本当にそう思います。

    自分自身も、いつ死ぬか、なんてわかりません。自分の愛しい人たちが急にいなくなる、常にそういう可能性はあるものだ、と思っています。だからこそ、そばにいる人、出会う人すべてに、笑顔と感謝と優しさを伝えたい、と常に心掛けています。

    私の小学校からの親友も、10年ほど前に急死しました。いつでも会いに行けるだろう、と思って、仕事にかまけていたところ、本当に突然でした。自分の甘い考えを心から後悔しています。

    人の生死は予測がつかない。だからこそ、今この時を大切にしたい、と思っています。

    私自身がメンタルを壊したときは、結構「希死念慮」が強かったので、落ち着いた今だから、なおさらそう思うのかもしれません。

    作者からの返信

    川線・山線さん

    コメントありがとうございます(*^^*)
    わたしは、「希死念慮」という言葉を知らない子供の頃から、「死」に囚われていた時期があったように思います……理由は分からないのです、今思うと怖いです>⁠.⁠<

    「生老病死」って、「生」も入っているのですね、苦しみの中に。確かにそうかもしれないです、出来るだけ苦しくない生き方をしたいですが(^_^;)

    いつも忘れがちなのですが、ありふれた明日が当然のように誰にも訪れると、思ってしまうのですよね。違うのに。
    今したいこと、今会いたい人、今。今行動しないと、って、頭では分かっているのに、また後回しで>⁠.⁠<

    後悔しない生き方をしたい、ですね(⁠*⁠´⁠ω⁠`⁠*⁠)

  • 親しい人との死別はつらいですよね。落ち込んで当然だと思います。
    私もそういう目に遭うたびに、長く生きていることの空しさを感じます。
    でもひとしきり涙を流したら、また元気な笑顔に戻ることにしています。
    その方が故人への供養にもなるし、いずれまた近いうちに(笑)あちらで会えるのですからね。

    作者からの返信

    ヤマシタ アキヒロさん

    コメントありがとうございます(*^^*)
    死別はもう、絶対に慣れるものではないですよね……でも避けては通れないのも分かっているんです。
    落ち込むのを我慢するのは、辛いのが長引くだけだからダメなんだな、っていうことを分かってきたのも、経験ですね、寂しいですが(^_^;)
    そうそう、悲しんでばかりなのは、故人にとっても良くない、と言いますものね。
    ガッツリ落ち込んだら、そのあとはまた、元気に笑わないと、ですね(⁠*⁠´⁠ω⁠`⁠*⁠)


  • 編集済

    それはおっしゃる通り、「ろくでもない」人だと思います。

    学生のころは、周囲がほとんど同級生なので、ニックネーム呼びか、苗字呼び捨て、相手のことを「お前」呼びが普通(お互いにそうなので、問題なし)でしたが、社会人になると、普通に「~さん」呼びになりました。仕事上では「~先生」と呼ぶことも多いです(どちらの呼び方も、先輩、同輩、後輩関係なく)。研修病院時代は、後輩の指導もしていましたが、大阪では、”You”のことも「自分」というので、「自分なぁ、そんな態度、患者さんの前ではアカンでぇ」なんてことをやっていました。

    人前で「偉そうにする」人ほど、本質は臆病で小さい人間だと思います。

    いつも丁寧な対応をしてくださる患者さん、時に服を脱いでもらうと、カラフルな身体が出てきて、思わず声を失ってしまうことがあります。本職の人も、本当に偉い人は「丁寧」です。だからこそ怖いのですが(ブルブル)。

    作者からの返信

    川線・山線さん

    コメントありがとうございます(*^^*)
    本職の人……それは怖い〜(^_^;)
    でも、そうなのですよね。
    それこそ、本職の人だってなんだって、本当に中身が伴って偉い人って、相手への接し方も一流なのです。
    今回の照会者は、まったくもって「ろくでなし」ですっ!

  • 「えらい人の反対はえらそうな人〜♪」(『くるっと・まわって・いっかいてん』歌:キグルミ)という歌の通りですねえ。

    作者からの返信

    土岐三郎頼芸さん

    コメントありがとうございます(*^^*)
    おー!!
    えらい人の反対はえらそうな人!
    全くそのとおりですね♪
    でも、きっと本人は無自覚ではないかと(⁠≧⁠▽⁠≦⁠)
    お気の毒に(笑)

  • 私も一度閉じてしまったシャッターは時間をかけようが何をしようがもう無理なのですよね(ノ_・、)
    それほど私のシャッターは頑丈なものです

    作者からの返信

    クロノヒョウさん

    コメントありがとうございます(*^^*)
    なんだか、わかります。
    シャッターを閉じるということは、これ以上傷つかないように防御している、とも言えますものね。
    そうそうすぐにはシャッターって下ろさないでしょうから、下ろした時には頑丈なものが、いいですね(⁠*⁠´⁠ω⁠`⁠*⁠)

  • 「心のシャッター」降ろされないように、本当に気を付けています。

    私のシャッターは基本的にはフルオープンなのですが、まれに、如何ともしがたい理由でシャッターを下ろされてしまったことがあります。誤解であれ何であれ、シャッターを閉じられてしまうと、もう如何ともしがたいので、大変悲しい気持ちになったことを覚えています。

    夏目漱石ではありませんが、「とかくこの世は住みにくい」と思うことがあります。大切に思っている人から「シャッターを下ろされる」のはつらいですね。

    作者からの返信

    川線・山線さん

    コメントありがとうございます(*^^*)
    シャッター、フルオープン!
    素晴らしいです(⁠ ⁠ꈍ⁠ᴗ⁠ꈍ⁠)
    そうありたいとは思っても、なかなかできないです(^_^;)
    相手にシャッター下ろされてしまうと、ショックですよね。こちらのシャッターをオープンにしている相手ならば、尚更。
    みんなにオープンにしてもらうのはとても無理ですが、せめて自分の大切な人たちからは、シャッター下ろされないようにしたいですね>⁠.⁠<

  • 相手も変化しているし、こちらも変化しているし、人間同士はむずかしいですね。
    また「いい感じ」になれるといいですね。

    作者からの返信

    ヤマシタ アキヒロさん

    コメントありがとうございます(*^^*)
    人間関係は、一度拗れるとなかなか難しいですよね>⁠.⁠<
    「いい感じ」になれると、いいのですけれど……第三者同士だと、余計に難しいです(T_T)

  • 環境が人格に影響を及ぼすという説には同感ですね。何かつまずいてる時、ネガティブになってる時の思考は親の影響をひしひしと感じます。
    SNS自体も一つの環境というか、誹謗中傷とか炎上している投稿ばかり目に入ってきたら心が荒んでいく感じがします。

    作者からの返信

    ケーエスさん

    コメントにお星さまも、ありがとうございます!ヽ(=´▽`=)ノ
    マイナスの影響って、プラスの影響よりも遥かに受けやすい気がします。なぜでしょうかね……不思議です>⁠.⁠<
    プラスの影響をより多く受けられればよいのですが(T_T)
    本当に、攻撃的な投稿とか炎上系とか、心が荒みますよねぇ……

  • 今、穏やかで優しい人として過ごせるようになって、本当によかったです☺️
    イライラピリピリしていると、そんな自分によけい傷ついてしまうから。
    平さんがおっしゃる通り、ほんとうに職場環境によって、心の持ちようが変わりますよね。私も、何回か異動を経験しましたが、
    2回目の勤務先では、声を出して笑えなくなるような日々でいつもピリピリしていました。その次に異動した先では真逆で、めちゃくちゃ忙しかったのに、毎日声出して笑っていつも機嫌のいい人と思われていました。
    この先も心地よく過ごせる環境でいたいですね。

    作者からの返信

    原田楓香さん

    コメントありがとうございます(*^^*)
    「声を出して笑えなくなる」のは、辛いですね>⁠.⁠<
    忙しくても、笑っていられる方がいいように思います!
    「いつも機嫌のいい人」、最高じゃないですか!わたしもそうありたいものです(⁠*⁠´⁠ω⁠`⁠*⁠)
    そうですね、この先もずっと、心地よく過ごせる環境にいたいですね♪

  • 『郷に行っては郷に従え』といいますからねぇ。
    (*^^*)
    「穏やかで優しい人」に戻れて、よかったです。

    作者からの返信

    結音(Yuine)さん

    コメントありがとうございます(*^^*)
    「穏やかで優しい人」でいられる今の職場環境に、感謝です!
    環境に染まって人格が変わるのは、もしかしたら自己防衛本能、なのかもしれないですね……だとしても。
    もう「切れキャラ」には戻りたくないものです(^_^;)

  • 環境が人に影響する、とてもよくわかります。平遊さんほど大変な目には遭っていませんが、職場を変えるとその場の雰囲気で自分の言動が変わってしまうのを感じることが多々ありました、、自分のことも他人のことも、わかっているようでわかっていないのかもですね、、(~_~;)

    作者からの返信

    君野 新汰さん

    コメントありがとうございます(*^^*)
    やはりそうですよね!
    自ら環境に合わせている自覚は無くとも、自分の言動って、自然と変わりますよね!!
    本当ですね、いったいどの自分が本当の自分なんだ?なんて思い始めるとよくわからなくなりそうです……きっと、どの自分も自分なのでしょうけれども(^_^;)
    まだまだ知らない自分がいるかもしれないですね♪

  • 平ちゃんこんばんわ(≧▽≦)

    あー、何となくわかる気がする。平ちゃんが環境によって切れキャライメージがついてたというのには本当にビックリしたけんどΣ(゚Д゚
    環境ってホント大事だと私も思う。イラつきやピリピリってチームとか職場の中で伝染するよね。そうなるともう最初の原因が、とかそういう問題じゃなくなってさ、それが当たり前のようになってく。怖いよね、人って一回そうなると癖がつくと思ってるんだ。だから偉い人がしっかりしてないと悪環境、悪循環がもう止まらないもんね。

    何にせよ、平ちゃんが穏やかな環境に移れて、穏やかに過ごせるようになって本当によかった( *´艸`)




    作者からの返信

    マ猫(=^・^=)ちゃん♪

    こんばんは!ヽ(=´▽`=)ノ
    わたしも自分が切れキャラになるとか、暴言毒舌吐きまくるとか、びっくりデスよ(笑)
    そうなの、それが当たり前になっていた事が、今思うと怖いです。ダメだよこんな社会人!
    と、数ヶ月前までの自分に喝!です。
    ただ、あの環境だとねぇ……溜め込むだけ溜め込んだら、あとは体調崩すだけになってしまうので>⁠.⁠<
    わたしは幸いにも抜け出せて、今は心穏やかに過ごせていますが、いつかあの環境が改善されることを願ってやみません(T_T)
    お気遣いありがとう!
    そして、お星さまもありがとうございます(⁠ ⁠ꈍ⁠ᴗ⁠ꈍ⁠)