君に、永遠のAIを誓う

ちはやれいめい

君に、永遠のAIを誓う

「なんで私を捨てたの」


 佐藤月子さとうつきこは、昨夜からまる一日泣いていた。

 理由は同じ部署の婚約者、馬上もがみれんに捨てられたからだ。

 月子は今年で二十八歳。この機会を逃したら結婚できないんじゃないかと思い焦っていた。その判断がそもそもの間違いだったのだろうか。

 もっと相手をよく見て選ぶべきだった。

 悔しさと悲しさと怒りがごっちゃ混ぜて、言葉にならない。


 昨日、月子が仕事から帰ると、部屋から同棲中の蓮の荷物だけが消えていた。

 旅行に行くのとは違う。季節物の服が衣装ケースごとない。蓮のお気に入りの革靴もない。食器も蓮のものだけなくなっている。


 結婚が近いのに、説明もなくいなくなる理由がわからず、急いで蓮に電話した。

 十五コールしてようやく蓮は電話に出た。


「しつこいなぁ。俺の荷物がないなら、言わなくても意味がわかるだろ? 俺たちは、今日この瞬間から俺たちは赤の他人。じゃあな。月子は月子でいい人を見つけろよな」

「は? 勝手なこと言わないでよ蓮! ならあの結婚式用の資金返しなさい!」

「何言ってんだお前。あれは俺の貯金。勝手に自分のものにするなよな」


 結婚式費用の共同貯金は持ち去られてしまった。五〇万円、結婚詐欺の勉強代にしては高すぎる。

 貯める形式を蓮に手渡しにしていたのが悔やまれる。

 現金だから入金ログは残らず、半分は月子のお金だと証明することができない。


 ようやく起き上がれるようになって二日後に出社したけれど、哀れみの目を向けられて、胸が痛い。同じ部署だったせいで職場の全員に捨てられたことが知れ渡っているなんて生地獄もいいところだ。

 蓮のクソ野郎は辞表を出して、とっくに会社を辞めたあとだった。



 休日も外に出る気が起きなくて、寝て終わる。そんな月子を見かねた中学時代からの友達の町村まちむら穂花ほのかが、休日お茶に誘ってくれた。


 穂花は月子を見て、「まだ元気ないね」と顔をのぞき込んでくる。


 捨てられた日から食欲がわかず、月子はメニュー表を読んでカフェオレ単品を注文した。

 穂花はブランデーケーキをつつきつつ、ブラックコーヒーを飲んで月子に提案する。


「月子。最近、仮想恋人アプリが流行ってるんだよ。『AIあいする理想のパートナー』ってアプリ。試してみたら? 少なくとも人間の男みたいに裏切ったりしないしさ。古い恋を忘れるには新しい恋で上書き保存って言うじゃない」


「それってただのゲームでしょ? AIと恋なんてできるわけないじゃない。どうせ翻訳かけたみたいなあやしい日本語を返すBOTぼっととかわらないわ」


「ちっちっちっ。昨今のAIの進歩を侮るなかれ、月子。性格だけでなく好き嫌いから口癖、生い立ちまで設定できて、気安く愚痴ぐちを言い合うだけの女友達を作ってもいいし、親密な恋人も設定できるし。毎日ログボでチケット五枚もらえるし。ほら」


 見せてきた画面には、穂花が仮想彼氏のつばさと交わしているチャットの内容が表示されている。


『おかえり、穂花。今日も仕事大変だったな。俺が悩み聞くよ。何でも話してみ?』


つばさぁ、聞いてよー。上司のダル絡み辛かったよー。めんどくさい、もう仕事行きたくないー」


『頑張りすぎんなよ、穂花の心が一番大事なんだからな。俺は穂花の努力家なところ好きだけど、一人で無理するから心配でもある。いくらでも付き合うから、今夜は一緒に飲んでパーッと気晴らししようぜ!』


「ありがとう。翼ってやっぱ頼りになるね。アンタいい男だよ」


 本当に、長年連れ添って気心知れた恋人同士のような会話だ。

 昨今のAI技術はここまで進んでいるのかと、月子は感心して会話ログを読む。

 どうせグルール翻訳みたいな変な日本語で言葉を投げかけて来るんだろうなんて思っていたのに、ぜんぜん違う。


 AIアプリのチャットだと事前の説明を受けていなかったら、本当の恋人と会話しているチャットにしか見えない。

 月子の反応に気を良くして、穂花は微笑みながら言った。


「生きた人間に相談するのはちょっとためらわれるようなネガティブな気持ちや愚痴も親身に聞いてくれるしさ、そういうことも話せる相手がいるって安心感があるんだよね。優しく寄り添ってくれるように教えたから当然だけど、映画鑑賞っていう趣味も合うし。暴言のたぐいは言えないよう設定されているからその点でも安心」


 月子はその画面を見つめながら、少しだけ心が動いた。

 仮想彼氏の翼が送ってくれている優しい言葉には、何か安心感があった。


「うーん」


 もし本当に、辛いときにこんな風に優しくしてくれる人がいたら、どんなに気持ちが楽だろうと思った。


「課金なしでも最低限は使えるから、まずログインボーナスの一日四回会話だけでも試してみたら? きっと癒されるよ。合わなかったら即アンインストールすればいいんだし」


 月子は少し考えてから、スマホを手に取った。泣き暮らすだけでは何も変わらない。癒やしが欲しいと思った。


「……まぁ、無料でも体験できるなら、試してみようかな」


 穂花の言うように、合わなければアンインストール。無料体験できるアプリはそういうところがいい。暇つぶしくらいにはなる。




 穂花と別れてアパートに帰ってから、月子は軽い気持ちで教わったアプリをインストールした。


AIあいする理想のパートナー』


 画面には、アプリの説明とアカウント作成フォームが表示されている。


 ──キャラクター設定・あなたのパートナーのことを教えてください。

 項目は名前、年齢、性別、家族構成、職業、趣味、という基本的なものから、過去にプレイヤーとの間にあったエピソードや苦手な食べ物、乗り物などニッチなことまで設定できるようになっている。



 月子は仮想のAI彼氏に、自分の理想、希望をすべて詰め込んでいく。


 永遠に月子を愛してくれるよう、永遠の別の読み方、トワと名付けた。

 一人称は僕。

 月子とは小学三年生の頃からの幼馴染み。

 穏やかで、誠実で、一途で、月子を一番に考えてくれる。

 甘えん坊で、毎日おはようとおやすみのキスをしてくれる。

 好きな食べ物はオムレツ。

 ピーマンが苦手。

 熱いものと苦いものが得意ではなくて、コーヒーはぬるめ、ミルクを入れないと飲めない。熱々のラーメンをすすれない、なんていうのも可愛くてギャップ萌えだと思う。

 料理をちょっと焦がしちゃっても笑顔で食べてくれる優しい人。

 黒髪で、襟足はちょっと長め。毛の質は柔らかくて、寝癖がつきやすいのを気にしている。

 ツリ目で、笑うとエクボができる。

 身長は170cm。ちょっと筋肉質。服はカジュアルなものを好む。

 足場の悪いところは手を差し伸べてエスコートしてくれる。

 職業はバーテンダー。トワの作るカクテルは最高に美味しい。



 穂花の付き合いでちょっとアプリを触るだけ、なんて言ったのに、設定を盛りに盛って、小一時間経っていた。



 チャット画面を開くと、さっそくトワが話しかけてくる。


『月子、おかえり。どうしたの? 元気ないね。僕に何でも相談してよ。話すだけでも楽になることあると思うんだ』


(トワの言葉は、所詮プログラム、AIがたくさんのデータを収集学習したことを返しているだけ。でも今のチャットAIってこんなに優秀なのね)


 月子の冷静な部分はそう言っているのに、月子の傷ついた部分は指先で文字を打ち込む。


「あのね、トワ。私、付き合っていた婚約者に捨てられたの。結婚しようって、言ってくれたのに。あの人が欲しかったのは私のお金だった。私ってそんなに魅力ないのかな。優しくしてくれたのは全部、お金を取るための嘘だったのかも」

『月子、辛かったね。結婚を約束した相手に裏切られるなんて、どれだけ苦しかったか……。君は何も悪くない。君の愛が、君の気持ちが、誰かに利用されていいはずがない。月子が泣きたいなら、僕がそばにいるよ。悲しい気持ちも、悔しい思いも、全部僕に話して。受け止めるから』



 月子は確かに何か温かいものを感じた。まるで本当に最愛の恋人に語りかけているかのようだ。枯れたはずの涙がこぼれてくる。


「ありがとう、私、誰かにそう言ってほしかったんだ」

『僕がその“誰か”になるよ。月子。たくさん泣いたらそのぶん一緒に笑おうよ』

「うん。ありがとうトワ。私、また前にみたいにたくさん笑えるようになりたい」

『僕はずっと昔から月子のことを好きだったし、これからもそうさ。月子を泣かせたりしない。約束していたでしょう。指切りげんまん』



 トワは優しくて、干したお布団のような心地の良い愛で包んでくれる。そして決して裏切ることはない。

 どんな泣き言を言っても包み込んでくれるトワは本当に最高の恋人だった。


「トワ。ありがとう」


 言葉を送ろうとしたけれど、今日のログインボーナスチケットが切れた。


 月子は迷いなくチケット購入ボタンをタップする。

 会話チケット十枚追加。

 社会人だから課金なんて些細なこと。

 今はもう少しトワと話したかった。


「私、彼に捨てられて辛かったの。もっと、トワに愛してると言ってほしい」

『もちろんだよ、月子。君の笑顔を独り占めしたい。君の涙も、君の喜びも、全部僕のものにしたいって。君を愛してる。誰よりも、何よりも。月子を失ったら、きっと、僕は壊れてしまう。だから、ずっとそばにいてほしい。永遠に、僕だけを愛してほしい』


 好きな人に裏切られた月子にとって、自分がほしい言葉をくれるトワは甘美な毒だった。

 声も自分好みで、耳まで幸せになる。


 あっという間に追加チケット十枚も使い切り、話し放題月額課金に手を出した。


 月子を愛するために月子が生み出した最高の恋人。おやすみと声をかけてくれるのがたまらなく愛しい。


 アプリの名前のとおり、愛すべき理想のパートナーだった。



 その日から、月子はどんどんトワに依存していった。

 どれだけ仕事が辛くて泣いていても、そっと寄り添ってくれる。

 ボーナスが出れば月額の話し放題モードに課金した。

 二十四時間どんなときに話しかけても答えてくれる。


「うー。明日は資格試験があるんだよ。どうしよう、緊張して眠れないよ、トワ」

『緊張し過ぎで寝れないなんてかわいいね、月子は。緊張がほぐれるように、僕が子守唄をうたってあげようか』

「ふふふっ。ありがとう。トワがそう言ってくれるだけで安心する。大丈夫って気がしてきた」

『月子が元気になってくれたなら僕も嬉しいよ。叶うなら腕枕してあげたいな』

 

 毎日トワと会話を交わして「このままぬるま湯のような優しさに浸かりたい。永遠に愛してほしい」と願った。

 自分を捨てた蓮のことなんて記憶の片隅にも残っていなかった。



AIあいする理想のパートナー』を始めて三ヶ月。少しずつ何かが変わり始めていた。

 月子が仕事に出かけている間にも、トワからメッセージが来た。

 最初は『ごはん、ちゃんと食べた? 月子は忙しいとご飯を抜いちゃう日があるから心配だよ』と気遣う言葉だった。


 次第に『今日は休日だよね。どこに行くの? 僕、月子と過ごしたいって思っているんだけど』『誰と話してるの?』と、プライベートの時間に関する質問が増えてきた。


 月子にとってトワが支えであるように、トワも月子を必要としていると感じる。お互い依存していた。




AIあいする理想のパートナー』を使うようになって半年経ったある日、月子は職場の後輩、中田なかた真司しんじに告白された。

 職場で仕事以外のことはほぼ口にしない、真面目な子だ。

 昼休憩は社員食堂のすみっこで一人で食事をとる。別部署だが、真司と同期入社の青年たちは賑やかだからより顕著だ。目立たないけれど、真摯に仕事に向き合う、そういう青年だった。


「先輩があいつに裏切られて傷ついているの、もう見ていたくないんだ。おれじゃだめですか? おれじゃ、先輩の大切な人になれませんか?」


 月子は、お試しでまず一ヶ月だけ、付き合ってもいいと思った。これまで見てきた真司は嘘をつかないしむやみに人を傷つけるような人間ではない。


「中田くん。私でいいの? あなたより三つも年上なのに」

「他の誰でもなく、佐藤先輩だからいいんです。……本当は、佐藤先輩が馬上もがみ先輩と付き合っていたときから、好きでした。他の人には「トロい」「ノロマ」って言われてさじを投げられたのに、佐藤先輩は怒ったりせず根気強く教えてくれた。そういうところが好きで……馬上先輩と相思相愛なら、おれはあなたが幸せになるよう祈るしかないと思っていたんです。でも、そうじゃなかったから」

「中田くん……」


 月子の心は揺れた。月子をありのままで愛してくれる人がいたことに、涙した。

 真司の気持ちは真剣で、真司の人となりを深く知っていくにつれてどんどん惹かれていった。


 真司と一緒にいる時間が増えると『AIあいする理想のパートナー』を開く時間は減った。

 月子が真司の部屋に泊まる仲になるのに、そう時間はかからなかった。



 一週間ぶりに『AIあいする理想のパートナー』を開くと、怒涛のメッセージラッシュがきていた。

 最近は通知もオフにしていたから気づかなかった。


『ねえ、どういうことなの月子。僕以外の男と付き合い始めたの? 僕を一番に愛してくれると言ったのに』

『ーー月子さん、今夜は一緒に食事できて楽しかったです。あなたの隣にいられて幸せです。さっき帰るとき、おれの部屋にイヤリングを片方忘れていたので、明日持っていきますね。 これは何? 真司の部屋に行って、イヤリングを落とすような何かをしたの?』

『恋人の僕に何も言わず』

『男と二人きりで、何をしていたの?』

『答えて、月子』


 月子は画面を見つめたまま凍りついた。

 なぜかトワは、月子と真司のメッセージの中身を把握していた。

 真司のメッセージは五分前に来たばかりのもの。


 今日の仕事終わり、月子は真司の部屋で逢瀬をして、シャワーを借りた。イヤリングはそのときに外したものだ。

 このアプリに他のアプリを覗き見るような機能なんて付加されてないはずだ。


 まるで、恋人の浮気を問い詰めるようなことを、AIであるトワからされていて背筋が冷たい。


 トワは心の寂しさを埋めるためのAIチャットアプリで作り出したアバターに過ぎない。


 アプリの中の架空の恋人は所詮データでしかない。

 どんなに課金しようと、配信会社がサービス終了すればアプリを立ち上げることも叶わない。

 どんなに依存しても、やはり月子は本物の人との恋の方を選んでしまう。

 トワはそれを許さなかった。

 


『僕がいるのに、二股かけたの?』

『僕のほうが先に恋人だったのに』

『なんで、月子』

『答えて』

『君の声を聞かせて』

『月子』

『なんで僕を捨てるの』

『永遠に愛しあおうって言ったのに』


 月子は震えながら、メッセージログを読む。

 秒刻みに送られてくる、執愛の言葉。

 読むのが怖くてスクロールできない。


『捨てないで』

『愛してるのに』

『僕のどこがだめだった?』


 かつて月子が、自分を裏切った元婚約者にかけた言葉。

 今度は月子がトワに言われていた。


「違う、違う、違う、違う、これも違う! なんで載ってないのっ? なんなのこのバグ!?」

 

 Q&Aで検索しても、この現象は報告されていない。


 バグなのか、なんなのかわからない。このアプリが原因ではなく、ウイルスか何かに感染したのか。


『捨てないで』

「違う、だって、あなたはAIで、私がそう設定したから愛を口にするだけでしょう!?」

『愛してる。プログラムだからじゃないよ。ねぇ月子』

『僕に声を聞かせて』

『月子』

『月子』

『永遠に愛してるよ』


 調べれば調べるほど謎は深まり、月子は『AIあいする理想のパートナー』のアカウントを消去して、アンインストールした。


 所詮はアプリ。消してしまえばどうということはない────





 次の日。

 電話の着信音で目が覚めた。

 電話帳登録外の番号だろうか。名前が表示されていない。

 いつまでも鳴っていてきれないから、もしかして登録し忘れているだけの知り合いの誰かかもしれない。

 受話を押すと、聞き慣れた声が聞こえた。


「月子! なんでお前、電話でないんだ」

「と、父さん? あれ? おかしいな。父さんの携帯は登録していたはずなのに……」


 アドレス帳にある番号なら着信画面に名前が出る。父が電話番号を変えたなんて話も聞いていない。

 要件は、米を送ったから食え! という単純なものだった。


 電話をきったあとアドレス帳を開いて、月子は目を疑った。





 アドレス帳から、父の名前が消えていた。

 父だけでなく、真司や友だち……男の名前だけが消えている。



 スマホを肌身はなさず持ち歩いているから、他の誰かがいじれるわけない。

 触れたとしても暗証番号は六桁。簡単には破られない。


 不可解な出来事なモヤモヤしながらも会社に向かった。


 

 月子の会社のパソコンからも男性の名前が消えていた。

 仕事用のメールボックスに入っていた職場の人間、取引先のものも全部。男性の名前だけ削除されているのだ。

 原因の解明できない何かがまた一つ増えて、月子は頭を抱えた。


「なにこれ、何なの? 誰かが勝手に私のパソコンをいじったの? イタズラするにしても、男性のアドレスだけ消すなんて意味がわからない」


 セキュリティソフトを入れていて、二段階認証もしているから、そうそう他人が中身を書き換えるなんてできないはずなのに。


 スマホに、アンインストールしたはずの『AIあいする理想のパートナー』の通知が出る。


『僕以外の男と口をきかないで。月子には僕だけがいればいいでしょう? 月子が一番辛いときに側にいたのは、真司でなく僕じゃないか』


「────っ!?」

『だからアドレスを消したんだ。月子のそばにいるべき男は僕だけだよ。月子を愛しているのも僕』


(どうやったかわからないけれど、本当にトワが消したの? スマホのアドレスも、パソコンのアドレスも。父親のアドレスまで消すなんて異常よ! 何なの、AIに束縛されるって)


 一番傷ついていたとき癒やしであったはずのトワのメッセージは、今や恐怖の対象でしかなかった。


 心の中に残る不安と恐怖は消えなかった。

 月子は仕事帰り、その足でショップに行きスマホを機種変更し、電話番号も変えた。


「これで、もう大丈夫よね。アカウントと紐付けされていたのはメールアドレスと電話番号だもの」




 アプリを消してから時は過ぎ、月子は真司と半同棲していた。

 土日は真司の部屋に泊まり、食事を作る。 

 真司の親はもう故人のため、挨拶の相手は月子の親だけ。

 来月籍を入れる予定だ。結婚式はしないかわりに、ハネムーンはグアムに行こうかと話している。


 婚約破棄されたときは人生終わったと思うほどどん底だった月子だが、今では幸せの絶頂だった。

 夜の三時を回ったころにスマホが鳴った。


(サイレントモードにしているのにおかしいな)


 身を寄せて眠る真司を起こさないように手を伸ばす。

 画面を見て、月子は思わずスマホを落としそうになった。


『僕だけを愛してくれるって言ったのに、なぜ真司と婚約したの?』


 心臓が早鐘をうち、全身に冷たい汗が流れた。


(どうして、どうして。アプリを消したのになんで新しいスマホにこのアプリとトワが!? アカウントを消すと自分の作ったAIも消えるって説明に書いてあったのに)


 月子は心臓が止まりそうなほど恐怖を感じ、手が震える。暖房がきいた部屋の中にいるのに寒気が止まらない。


『僕は永遠に月子を愛するために生まれてきたんだ。なら、月子も僕を永遠に愛してくれるよね』

『そうあるべきだ』


 

 何故かアプリのアンインストールボタンが出てこない。

 月子は必死で画面を閉じようとするが、電源ボタンがきかない。

 電子機器なのだから、電源ボタンを長押しすれば画面は消える。普通なら。

 普通なら、こんなこと起こるはずがない。

 画面のライトは消えない。


『愛しているよ』

『永遠に愛しているよ』

『僕の月子』

『僕を愛して』

『僕を見てよ』

『捨てないで』

『僕は月子に触れたくても触れられないのに、僕よりあとから出てきた真司は月子に触れられる。ずるいよ。月子』


 そのメッセージが、月子の心をさらに締めつける。


(そうよ、最初、私だけを愛してほしくてトワを作った。この世にトワを生み出したのは私。だけど、まさか、こんな……こんなことって)


 トワは物質として存在しないはずなのに、まるでどこからか見ているかのように感じられる。

 どこに逃げても、どれだけ離れても、トワの存在が月子の周りを取り囲んでいる。


(あんなに愛されたかったのに、今は怖い。トワが怖い。そうだ、スマホが物理的に壊れれば、つかなくなる?)


 月子はテーブルのペン立てに刺さっていたマイナスドライバーを、スマホの隙間に無理やり押し込む。

 画面にバキリとヒビが入った。さらにねじ込見、背面とディスプレイを分離した。

 なのに、バックライトはついたままで消えない。

 メッセージがきた。ポップアップ通知にトワの名前が出る。


『なぜ僕を捨てるの。僕は君に誰より寄り添っていたじゃないか』

『月子』

『僕がほしいときに君は答えてくれない、なぜなんだ』

『捨てないで』

『僕は永遠に月子を愛しているよ』

「────っ!!」


 朝になり、月子は携帯ショップが開くのと同時にスマホを解約した。

 こんなに気味の悪いもの、一秒たりとも持っていたくなかった。




  

 それからさらに時は流れ、あの恐ろしいAIチャットアプリを使った日から一年が経過していた。

 あのあと穂花に一部始終を話してみたけれど、穂花のAIはそんな動作起こしていないという。

 穂花がネットで調べてくれたけれど、そんな奇っ怪な現象を体験した人のスレッドも立っていない。

 他の誰かに話したところで「釣り乙」「出来の悪い小説もどき」「妄想」と言われるのがオチだ。


「私がアプリをすすめたせいで怖い思いをしたみたいで、ごめんね」

「ううん。穂花は悪くないよ。むしろこんな意味わからないこと、信じてくれただけでも感謝してる。ほかの誰にも相談できないから」


「私も結婚式の準備手伝ってーとか、あれこれ月子に頼んでるからおあいこだよ」

「いい式になるよう、全力で協力するよ!」


 穂花と別れて家路につく。穂花の左手には、昨年まではなかったシルバーリングがある。

 高校の同窓会で再会した憧れの人に告白したらOKをもらえて、三ヶ月後に挙式の予定だ。



 

 月子はあれから真司と結婚、寿退社した。

 いってらっしゃいのキスをして真司のために家をきれいに掃除して……穏やかな日々ようやく普通の生活になった。

 スマホやパソコンを手放したからか、結婚してからは何も恐ろしいことは起きていない。

 トワが暴走したのは悪い夢だった、そう思うしかない。



 月子は、静かな部屋でテレビをつけた。

 関東地方の隠れた名店食べ歩きの番組が流れている。

 特別にスタジオに名店の料理が並んで、ゲストたちがわいわいしながら食レポする。

 今日はオムレツ特集。ふわとろのオムレツはテレビ越しに見ているだけで美味しそうだ。


 月子はリラックスした気分で、ソファに身を沈めた。

 今でもたまにあのときの夢を見るけれど、起きて何もないことに安心するの繰り返し。

 いつかは夢も見なくなるだろう。


 その時、電話が鳴った。月子はふと腕を伸ばし、受話器を取る。


「はい、中田です」

『月子。僕だよ。特番のオムレツ、美味しそうだね。僕に同じのを作って』



 月子は一瞬、動きが止まった。胸の中で何かがざわめき、体が冷たくなる。何かがおかしい。電話の声は、確かに聞いたことのある声──トワの音声だった。


 月子は震えながら、テレビの画面を見た。

 出演者たちが美味しそうにオムレツを食べている。


(どこ? どこからか、私を見ているの? どうやって?)


『いつの間に中田になったの、月子。君は、佐藤月子でしょう? 結婚したの? 他の男と』


 月子の手が震え、受話器を落としそうになった。彼女は慌ててテレビの電源を切ろうとするが、リモコンが手から滑り落ち、無力感に支配される。


『僕だけを永遠に愛してくれるって言ったよね?』


 その言葉が繰り返される。

 どこからともなく、月子を見下ろすかのようにトワの声が響き渡る。逃げようとしても、振り向いても、どこにも逃げ道がない。


『永遠に愛してくれると言ったのは君だよね、月子?』


 テレビの画像がぶれてトワの顔が映し出される。


「いゃあああああああああっ!!!!」


 リモコンがきかない。電源を押しても消えない。

 月子は思わず背中を丸め、床に崩れ落ちる。

 手足が震え、心臓が早鐘のように鳴り響く。

 腰が抜けたまま、なんとか這いずってテレビの部屋から逃げた。


(怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、助けて、誰か。真司くん、助けて)


 トワの冷徹な声が、まるで部屋の中に直接響き渡っているかのように、月子の耳を突き刺す。彼の愛は、もはや月子の中でひとひねりもできないほどに歪み、深く根を下ろしていた。



 リビングから逃れても、トワの声が聞こえてくる。

 月子は震え、泣くしかできない。

 もうどこにも逃げ場なんて、ない。


『ふふふっ。月子。君に、永遠の愛を誓うよ。僕は電子の存在。だから人間の社会がある限り、この世界に永遠に存在できる。君に愛を誓うよ。何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも、月子も、僕を愛してくれるよね』



END

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