ep.20 フェイタル・エラー

 一週間後の昼過ぎ――。自家用ジェット備え付けのテーブルの上で、泥に汚れたポケットラジオが耳障りなノイズを拾い始める。

『コ……の街で……皆様へのメッセージでス』

『表世界の……たチは政治的ナ野心をゴーレムたちに写しましタ。人の悪シキ心を宿シたゴーレムは怪物にナリ、各地で非人道的……が行わレていまス。街は破壊サレ、明かリも失イ、彼らハ……薬もなイ。いズレ戦火はコの丘にモ届くことデシょう』

『悲劇ヲ止めラレるのは我々だケでス。我々とトモに立ち上がリマしょウ。武器を取リ、こ……チ、表世界の混乱ヲ止めルノデす。我々ハ教会で……をお待チしてオりまス』

 老紳士は薬品荒れした指でラジオの電源を切った。そして向かいの席に座る巨体の魔女をじろりと覗き見る。

 機内にいるのは向かい合うソファ席に座ったふたりだけだ。暖かな客室で茶色の背広を着た老紳士がやつれた顔をしているのと対照的に、赤毛の夫人は態度がふてぶてしい。長テーブルを挟んで老紳士の向かいに深く腰掛け、足を組んで不敵な笑みを浮かべていた。

「――最後の挨拶なんて義理堅い柄だったかしら?」

「そう冷やかすな。風呂敷を広げたままにするのはしっくりこない」

「ここで死ぬつもりなのかね。弟子が泣くよ」

「その心配はない。奴はすでに死んだ。――やはりこっちは情報が一足遅いか」

 魔女はぴくりと頬の肉を揺らし、億劫げなため息とともにのそりと姿勢を直す。

「世界中で暴れていた銀騎士もとうとう正体がばれてな。4日前、表世界の動画サイトで奴が処刑される様子が公開された」

「処刑……」

「ゴーレムにされたんだ」

 無言で卓上のグラスを手に取った貴婦人――。豪華なソファにだらしなく座ってヤニの染み付いた喉を鳴らす老紳士に、彼女はグラス片手に顔の前で小さく手を振る。

「それで――、他の幹部連中は?」

「皆が行方知れずだ」

「だから言ったんだ。人魚に刃を向けるべきじゃないと。海へ引きずり込まれるだけだ」

「では手をこまねいているのが正しかったと?」

「そうさね。協調するやり方を探った方が有益さ」

「お前がアリナナと結託して邪魔をしていなければ結社は早く動けたんだぞ」

「そのぶん早く終わりが来ただけだ。――あんたとこの話をしても平行線だね」

 不貞腐れた表情の老紳士に向かって肥太った魔女はさばさばと吐き捨て、お抱えのパイロットたちが機内へ慌ただしく乗り込んでくるのをぼんやり眺め始めた。

「で。そう言うお前はどうなんだ。もう店じまいは終わったのか?」

「もちろん。事業は畳んで、残った金もほとんど現物に変えちまったさ。世界中でゴーレムを使った戦争になっちまってるからね。仕事にならない。あとはもう慌てふためく資産家たちを尻目に高飛びするだけだね」

「用意周到なことで」

「これだけ期間があって何も準備してないあんたの要領が悪いだけだろう」

「いつだって目の前のことで一杯だったからな」

 魔女は鼻であしらう老紳士を顎を上げて受け流す。落ち着いた表情を保つ老紳士であったが、泥に汚れた革靴が床の上でそわそわと揺れていた。窓先で忙しなく飛び立つ軍用機の群を目で追いながら、吹田は静かに喉元をつねる。

「あのちっぽけな事件がここまで膨らむとは思いもしなかった」

「いや。あの事件はまさに氷山の一角だったんだよ。人魚の使命は大宗がもう完成に向かっているところだった。どうやったって手遅れだったんだ」

「今となっては尚更遅いと?」

「そうさ。現にもう彼女たちは海に還り始めている。――命を無駄にしないことだね」

「ありがたい説教だ」

 彼は前傾姿勢で足を大きく広げて座り直し、両膝に肘を預けて小さく俯いた。皺だらけの手が強く握りしめられるのを、魔女の緑の瞳は具に眺めている。

 彼女がフンと鼻を鳴らしたところで操縦室のドアが開き、パイロットが雇い主に離陸の準備をするように促した。それを受けて老紳士は足元の紙袋にそっと手を伸ばす。

「――そろそろお暇するとしよう。もうお前と会うこともないだろうな」

「最後まであんたの嫌いな人間でごめんなさいね」

「だが世話にはなった。終末旅行への餞別だけは用意してきてやったぞ」

 小さく顎を上げた夫人の向かいで、彼は足元に置いていた紙袋にうやうやしく手を突っ込んだ。中から引っ張り出されたのは豪勢な包装で仕上げられた長箱である。

「スパチエラ産のワインだ。クリスの注文だったんだが、手に入れるのが今になってな。本当はこれを飲みながら会社を辞めろと説得するつもりだったが」

「フン、そんなだから嫌われるのさ」

「代わりにお前が楽しんでくれ。それじゃ、いい旅を」

 申し訳ばかりの作り笑いで見送る魔女に会釈して、老紳士の細長い身体はソファ席から立ち上がった。プライベートジェットを出てタラップを降り、軍服を着た男たちの合間をくぐって空港の中へと戻っていく。

 空港内の駐輪場に戻るや否や、吹田は背広を脱いで荷台の鞄の中へ放り込んだ。代わりに取り出したジャケットを羽織りながら、肩を回してアメリカンバイクに跨る。そしてバイクのキーを回す寸前、腫れぼったい目でちらと冬日和の空を見上げた老紳士――。

 次の瞬間、空を昇っていたプライベートジェットが赤い光を放った。一歩遅れて駐輪場へ轟いた炸裂音に、吹田の老けた口元がそっと歪む。――彼の視線の先にあったのは、炎に包まれた飛行機が雲の下で四散する光景であった。

 老紳士は黙って煙草を1本取り出し、口に結えて火をつける。煙草の煙を弱く吐き出しながら、木っ端微塵になって地表へ落っこちていく小さな影に目を細めた。

「……これで帳消しだ」

 しばしの一服ののちに煙草の吸い殻をしまい、バーハンドルに引っ掛けていたヘルメットを被り込む。そしてエンジンをかけたバイクをローに入れ、アクセルをぐいと吹かした。

 ――アメリカンバイクはゆるゆると空港の駐車場を抜けて大通りまで。

 空港へ向かう車で大混雑した逆車線を尻目に、老紳士は高速道路で悠々とバイクを走らせた。ゴーレムの結界によって管理された山間部の関所を通り、1時間ほど田園地帯を走り抜けると錬金術師の丘が見えてくる。程なくしてバイクは貧民街に入った。

 そして荒れ果てた下道でバイクをトコトコ走らせていたその時である――。彼は瓦礫だらけの水道に細長い人影が落ちているのを見つけ、反射的にブレーキを踏み込んだ。

 路肩にバイクを停車させるや否や、すぐさま老紳士は革靴の踵でサイドスタンドを引き下ろし、脱いだヘルメットをバーハンドルに引っ掛けて水路へと降りていく。崩れかけの階段はヘドロや動物の糞尿に汚れていたが、彼に躊躇う様子はなかった。

 やがて――、老紳士は通り過ぎざまに見つけた人影の元に辿り着く。

 臭気漂う極寒の煉瓦道に座り込んでいたのは銀髪の黒人であった。両目を潰され、片足を膝下から失い、修道服は刺し傷だらけ。修道服に染み込んだ多量の血液は冬の微かな太陽光を受けて不気味に艶めいている。

「どうした、旦那。俺で良ければ話を聞こうか」

 冷たい煉瓦に崩れ落ちていた男の鋭い眉がぴくりと脈打った。足音で誰が近づいてきたのか分かったらしく、彼は心身の疲弊を表明するかのように息をつく。

「秘密結社の幹部がこんなところで朽ち果てるなんて、報われない話もあるもんだ」

「いつか……こうなる日がくるとは思っていたさ」

「なんだ、随分と諦めがいいな。命だけは助かるかもしれんぞ」

「いいや。毒もやられている。もう手遅れだ」

 足元で震える黒人を一瞥したのち、吹田は目を細めて煙草を取り出した。項垂れる彼へ乱暴に咥えさせ、ライターで火をつける。ロッコは一瞬むせかえるように咳き込んだが、咥えこんだ煙草に煙が立ち始めるとともに――、その息もやがて落ち着きを見せた。

「じゃあな。後のことは任せろ」

「手間をかける」

「今更だな。尻拭いはいつものことだ」

 ボロ切れのようになった男へ簡単な会釈を放り投げ、老紳士はそそくさとその場から踵を返す。汚い階段を昇って道路まで戻り、木枯らしの吹く公道で再びバイクに跨った。

 それから数分ほどバイクを走らせて辿り着いたのは寂れた町教会である。裏口の前でヘルメットを脱いでサイドスタンドを下ろしていたところ、背後から声をかけられる。

「……親父。早かったですね」

 振り返ると、地味なセットアップを着た若紳士が扉を開けて顔を覗かせていた。

 扉を開けた彼の前を通り過ぎ、初老の紳士はヘルメットを小脇に抱えて教会の中まで。礼拝堂の長座椅子に荷物を置き捨て、娘婿を追って暖かい空気の漏れるリビングに入る。

 卓上では夕食の準備が進められていた。冷めたパンと冷製スープ、角ばった野菜がボウルに詰められ、ベーコンとジャガイモをハーブで焼き上げた男料理が大皿に並べられている。――適当な会釈を垂れ、吹田は無遠慮な老人を演じて暖炉脇の食卓に腰掛けた。

 遅れて娘婿が食卓に座る傍ら、初老の親父はフォークを手に取って「こういう飯の方が落ち着く」などと適当なことを言っていたが、やがて向かいに座る彼にこう切り出す。

「――零士郎くん。朗報だ。今日の朝、ついにが言うことを聞いた」

「さすがですね」

「うむ。だが厄介なこともあってな。地下で人魚たちと出会しそうになった。どうも奴らも続々と海底に戻っていっているらしい。鉢合わせしないようにひとまず仕切り直しだ」

「次をいつにします?」

「明日だな。一晩待ってまた行こうと思う」

 老紳士は難しい顔をしながら焼きベーコンを口にした。続けてちぎったパンを口の中に放り込み、グラスの水を少量口に含んで、対面に座る娘婿へ腫れぼったい視線をやる。

「――クリスから連絡は?」

 先ほどから伏し目がちだった百瀬は、スープに手もつけないままそっと首を横に振った。

「……あの子の正体は知っていたのですか」

「人間のゴーレムであることは知っていた。本人にそのつもりはなかっただろうが」

「どうして目を瞑っていたのですか?」

「私も人魚なんて存在は娘の一件まで知らなかったし、何よりあいつもだからな」

 彼が視線を上げると、フォークからスプーンに持ち替える親父と視線が合う。沈黙する娘婿を前に彼は銀スプーンの先を冷たいパンプキンスープへ浸けた。

「出自は分からなかったが、世間の片隅で生きるぶんにはそれでいいと思っていた」

「ではこれからも?」

「どう思う? この期に及んで奴がただの町娘であると信じていいのかどうか」

「……」

「奴にかけられた呪いの全容は誰にも分からない。また我々にそれを解く術もない」

 言葉を言い淀んでいた彼を見て、老紳士はスプーンを小皿に置いて微笑んだ。

「択はふたつ。世界の監視者として人魚の意思を絶やすか、錬金術師として彼女とともに運命と向き合うか。――私はもう解を決めた。君がどうするかは君に任せる。口を挟むつもりはない。君がどんな結末を選んでも、私はその選択を受け入れるよ」

 それだけ言って彼はパンを手土産に食卓を立ち上がる。百瀬は義父の精悍な背中を具に眺めていたが、娘の死を引きずっていた男の姿はもうどこにも感じられなかった。

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