ep.13 モンターニャ・デラーゴの謎

 その晩――。オッドアイのギャルは丘腹のセレブ通りへと足を運んでいた。

 高級洋館の立ち並ぶストリートを歩くのは身なりのよい人間ばかり。道行く人の品の良い雰囲気に見劣りしないよう、彼女は藍色のイブニングドレスをきっちりと着こなし、トレンドに沿ったメイクを施し、隣にモーニングコートを着た聡明な執事を従えている。

 すらりと伸びた身体が紡ぐ一挙一動もまた厳かに洗練されていた。秘密結社が街の金持ちに笑われないよう、彼女の所作には一切の妥協が見られない。

 トップモデルのような態度で闊歩する彼女は、ヒールを鳴らして石造りの荘厳な門をくぐり、高級ブティックのテナントをちらりと覗いてからエレベータへ。程なくして辿り着いたレストラン前の受付には、小綺麗なスーツを着た背高の男がいた。

 短く清潔に整えられた虹髪――。その面持ちは知的で穏やかである。ブラウンの瞳が同僚とその従者を見つけて「やぁ」と眉を上げた。執事は一礼してその場を去り、彼女は長い睫毛で男へウィンクを返してその側に歩み寄る。

「日本に行ってたんじゃなかったかしら?」

「そう。今日帰ってきたばかり。息抜きの食事を待ちわびていた」

「私も楽しみにしてたわ。調べたら料理は美味しそうだったし、眺めも綺麗だし」

 ふと彼女はロビーの窓から見える夜景に目をやった。日中の雨は止めど、天気は未だ曇り空。荘厳な古ビルが霧の中に明かりを突き刺す光景はなんとも幻想的である。

「プロポーズを受けるならこんな店のディナーがいいだなんて友達と話してたっけ」

「夢のある食事じゃなくて申し訳ない」

 彼女に困り顔の笑みを返しながら、百瀬は受付の係員に話しかけた。

 中の通路へ通されたふたりを迎えるのは、透き通った夜景の見える個室である。丸テーブルとダイニングチェアは真っ白なシーツで清潔に包まれており、卓上のウォーターグラスが間接照明の暖かい光で淡く煌めいている。

 厚手のジャケットを脱いだ百瀬を見て、先に席へ座った美女は尖った顎を撫でた。

「零くん、けっこう筋肉ついてきたんじゃない?」

「そうかもしれない。前職ではガリガリだったから生徒にいじられていたけど」

 元教師は椅子に腰掛けながら胸筋を叩いてみせる。彼が角ばった肩を回したところで、さっそくウェイターがコースの食前酒を運んできた。

「――クリスは風邪なんだって?」

「そう。今日までに治ってたら一緒に来たんだけど」

「じゃあ寝込んでるのを放り出して来たってわけ」

「不本意ながらそういうことになる」

 葡萄酒を揺らす彼の手つきはどこかぎこちない。グラスを見つめることを口実に彼が同僚の凛々しい眉から目を逸らしたところで、前菜の盛り合わせが運ばれてきた。

「馬鹿ね。半年ぐらい引きずるわよ。ご飯なんていつでも良かったのに」

「いいや、この食事は今日でなければダメだったんだ」

「やっぱりつまらない話をするつもりで呼んだのね」

 運ばれてきた前菜の盛り合わせにフォークを刺しながら呆れ顔になった美女――。百瀬も眉を八の字にさせてカトラリに手を伸ばし、フォークで鴨のローストをぺろりとめくった。錬金術師の丘で食される鴨肉は脂がのっており、ライトの光を受けてよく煌めく。

「前から相談していた件だ。明日ミセスの解任議案を提案する。改めてよろしく」

「分かってる。会議で加勢するぐらい、お安い御用よ」

「これで後ろ盾をなくして、レムニスカもいよいよ円卓会議で力を失うはずだ」

「所詮は奴も人魚ゴーレムのパシリ……なんだか立場が逆転しちゃってるわね」

「どうやらこの事件に黒幕の錬金術師などいなかったらしい。親父も読み違えたな」

 しばしふたりは夜景を見ながら食事に戻った。夜霧に浮かぶ西洋建築を眺めながら、繊細な海老料理に舌鼓を打つ。テーブルマナーについては各々の育ちがよく現れていた。

「ねぇ。最近、休みは取れてる?」

「……いいや、生誕祭の騒動があってから犯罪件数が3倍ぐらいになって」

「どこも同じような感じか。せっかく毒入り飴の後始末も落ち着いたところなのに」

「日本は情報流出の震源地というのもあって、なおさら影響が大きいようだ」

 食べ終えた前菜の皿は程なくして下げられ、次に卓へ運ばれてきたのは蛸の煮付けだ。どろりと濃厚なトマトソース、宙へ仄かに立ち昇る湯気――。ギャルは口紅の塗られた唇で口元に谷を作りながら、眩く磨き上げられたナイフを手に取った。

「日本か。数えるぐらいしか行ったことがないわ」

「君はこっちの育ちなんだったっけ。生まれた時から錬金術の世界に?」

「そうよ。表の世界はこっちと違って堅苦しくなくて羨ましいわ」

 彼女にガラス細工のような笑みを返して、百瀬は自分のナイフに手を伸ばす。弾力のある蛸の身を切り分け、口元に運んだ。新鮮な酸味と微かな甘味――、これは錬金術の研究が転用された調味料に由来するものだ。若紳士は難しい顔をしながら口を動かした。

「それにしても、よくまぁ足を突っ込もうと思ったわね、こんな怪しい世界に」

「教え子の紹介だったんだよ。親父の娘だ」

「おじさんの娘……」

「つまり親父の娘を演じていたゴーレムが私を親父に引き合わせた」

 そう言ったあと元教師は自分で言葉に詰まってしまって、皿の縁をフォークで叩く。

「行儀が悪いわ」

 誤魔化すように笑ってフォークを置き、彼は行き場のなくなった手でグラスを取った。窓先の景色に視線を泳がせながら魚介の旨味が染みた舌の上で冷水を転がす。

「そのゴーレム、今はどこにいるんだっけ」

「療養施設で隔離されている。可哀想な話だ」

「可哀想も何もないわ。人を真似て生きてたって所詮は機械なんだから」

「婿になりきれない私なんかより、よっぽど人間らしいよ」

 胸元のネックレスを揺らし、美女は手元の皿に視線を落とした。しかし彼がテーブルに肘をついて考え込むのに気づいて、彼女も口に運ぼうとしていたフォークを静止させる。

「……やっぱりクリスともうまくいってないの?」

「そういうわけじゃ」「側から見てても分かるわ」

 マシンガンのように喋る彼女の唇には百瀬も俄かに返しが追いつかなかった。若紳士は指の腹で柔く頬を引っ掻いたのち、薄暗い卓上からカトラリーをめくり取る。

「温度差があってね。あの子が結婚生活に執着しているのは昔から?」

「そうよ、昔っから。やたらこだわってるの」

「実を言うと私としてはそこが一番気がかりなんだ」

「結婚相手は誰でも良かったんだろうって? 意外と面倒な性格してるのね」

「そうじゃない。ただ、視野が狭すぎるように見えるってだけ」

 小さく首を傾げる日系人を前に、百瀬は目を細めながらセーターの袖をまくった。

「そういう生き方を歩めと小さい頃から説かれてきたんだろう。そして今もそれを無邪気に信じているんだ。そんな子供を見てると……どうしても思うところがあって」

「零くん。貴方はもう教師じゃないのよ」

 蛸足の最後の一欠片を片してから、彼女はあっさりした口調でそう言う。百瀬は何か返そうとした言葉を引っ込めて、薄暗い食卓でただナイフを動かすことに黙々と勤しんだ。

 男側が一足遅くトマト煮を完食すると給仕人はすかさず終わった空き皿を片し始め、息つく間もなくメインディッシュを運んでくる。――錬金術で培養されたアヒル肉だ。丘陵で採れる香草や干し葡萄を用いて豪快に焼き上げられている。光滲む夜景の一等室で、男女は沈黙のままに給仕人の滑らかな手捌きを眺めていた。

 いっぽう彼らの視線の先で淡々と鳥肉を割いていた給仕人であるが、ふと彼は卓の空気に違和感を覚える。彼が窓に映り込んだ男女の顔色を垣間見たところでは、背筋を伸ばして卓に着く彼らの面持ちには双方とも何かしらの含みがあるように思えたのだ。

 真顔で一礼して去っていった給仕人を尻目に、そっと視線を手元の皿へ伏せる美女。

「――そろそろつまらない話に戻した方がいいかしら?」

「君がいいのなら」

 鼻奥からため息をついた同僚をアイシャドウの光るオッドアイが覗く。彼女が細長い指をぱちんと鳴らすと、十数秒ほど置いて廊下の方から鉄靴の足音が聞こえてきた。

 扉を開けて個室に入ってきたのは白銀の西洋甲冑。彼は籠手に握っていた円筒状の容器を百瀬に渡し、くるりと反転して部屋の外へ出ていく。廊下からホールスタッフの悲鳴が聞こえるのを聞きながら、若紳士はなんとも言えない表情で椅子に座り直した。

「……君が銀騎士の主人だったとはね。てっきり親父のゴーレムだと思っていた」

「あたしがおじさんに師事していた時期があって、その時から浮気性なのよ。おじさんが来ると勝手について行っちゃうから本当に迷惑なのよね」

「君が親父の弟子か。私が親父の実力をちゃんと見たのはあの晩が初めてだったけど、確かに凄かったな。やはりああした奇跡をもたらす力が錬金術の終着点なのかい?」

「ま、理想像ではあるわ。ゴーレム使いの集大成はワールドゴーレム――、数多のゴーレムによって世界を形作ることだって言う錬金術師も多いしね。でも目指すものじゃないと思うわ。あんな奇跡、縁と出会いが積み重なって生まれた偶然の結果に過ぎないから」

「友を多く持つ人間は素晴らしいが、それを目指して友を作るのは違うというところか」

「言い得て妙ね」

 手にした筒を回しながら相槌を打つ若紳士。彼に微笑みを返した彼女は、手に春巻きの皮を広げ、甘辛いタレを塗り、アヒル肉と新鮮なネギを乗せて手際良くロールしていった。

「――で、これが?」

「そう。あのとき奴が人魚に渡そうとしていたもの」

 所々溶けた容器を慎重に開ける彼を見て、hkrは下唇に人差し指を当てる。彼が大きな手で筒の中からそろりと取り出したのは――、黄土色に劣化した厚手の一枚紙である。くるりと巻かれたそれを彼が広げてみれば、ひどく複雑な図面が描かれていた。

「設計図よ。配置図って奴? 今じゃ誰も知らない城の地下のことが書かれてた」

「城? 丘の頂上の?」「イエス」

 下唇の内側を舌でなぞってイブニングドレスの袖口を弄ぶ美女。彼女が含みのある表情で肩をすくめた際、間接照明に桜色のチークが艶めいた。いっぽう百瀬は古びた地図を筒の中にしまい、曖昧な表情でセーターの袖口へ指を添える。

「きっと重要なものがあるんだろうけど、中に入れないんじゃあな……」

「いや、貧民街から地下通路が伸びてるのよ。あたしも全然知らなかったんだけど」

「モンターニャ・デラーゴそのものに古い秘密があるってことか」

 紳士は筒から再び地図を取り出し、美女はバッグからハンカチを取り出した。口紅の削れた口元を拭いながら、向かいの三十路が目を細めて地図に齧り付くのを具に観察する。

 やがて彼女はハンカチを綺麗に畳んでテーブルに置き、呆れ顔で足を組み替えた。

「優しく扱ってよ」

「丁寧に触ってるだろう。――で、中にはもう行ってみたのかい」

「ええ、一応。なかなか刺激的な景色だったわよ」

「明後日の予定は空いてる? 私も見てみたい。案内してくれ」

 ドレスの女は「予定は空いてるけど」と眉を顰めながら笑って、水の入ったグラスに白い手を伸ばす。彼女の手は綺麗に手入れされていたが、いくつも切創の傷跡があった。

「零くん、最近まともに休めていないんじゃないの?」

「いや、たまにシラユキくんと乗馬に行ったりしているよ。北の森で狩りを」

「狩り? アイスゴーレム狩りのこと? 何が楽しくてそんなことするのよ?」

「釣りの楽しさと変わらない。――一口にアイスゴーレムと言っても色々でね。野生動物の死骸に宿って、まさに宿主と同じような動きをするものなんかもいる。そういったのは農作物も食い荒らしたりもするから、駆除すると街の組合から報奨金が出るんだよ」

 先ほどとは打って変わって明るい声色になった彼を見て、彼女は肩をすくめる。

「零くんが乗馬ねえ……」

 仄見えた彼の態度が使命に押し隠された彼の素性なのだろうと彼女は思った。

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