【5】 メンタルライフ・セミナー

 彼、牧⼝和寿(かずとし)君が、私の「セミナー講師派遣事務所」に、初めて訪れたのは、今から約5年前の春のことだった。


 牧⼝君は⾒た目は若く⾒えるが、話しぶりから判断するに、年齢は50代前半ぐらいだろうか?


 彼は、私に、講演に対する熱い思いを語り、講師登録を希望するのであった。




 うちの事務所は、⽇常⽣活を「⼼理的なアプロー チ」から捉(とら)える内容のセミナーを専門としており、


 講師の⽅たちには、毎回、聴衆の⽇常⽣活に役⽴つ知恵や、⾃分の体験を話してもらっている。


 彼に、


「⼼理学の知識はあるか?」


 と問うと、


「それなりにあります。」


 と答える。


 それなりに、と⾔うのは、専門的に学んだわけではなく、独学で知識は持っている、という意味らしい。


「じゃあ、⼈々に語れるだけの、豊富な⼈⽣経験は持っているか?」


 と問うと、


「それだけは、⾃信があります!」


 と胸を張って答えるのであった。私は彼の、「豊富」だという⼈⽣経験を、簡単に聞かせてもらった。





 牧⼝君は、今から53年前に⾁屋夫婦の⻑男、つまり「期待の跡継ぎ息⼦」として⽣まれる。


 ⼩中⾼は、ごく普通の学校⽣活を送り、⼤学は⾁屋を継ぐことを考えて、店の経営に役⽴てるため、経営学部に⼊った。


 ⼤学は無事、卒業でき、⾁屋を継ぐ前に、社会経験を積むため、⼤⼿精⾁⼯場で勤務することになる。ここまではよくある⼈⽣だ。


 ところが、この先が普通の⼈とはかなり違う。


 彼は勤め先の精⾁⼯場で、パワーハラスメントに遭(あ)ってしまい、それが原因で、引きこもりになってしまう。


 そして、再び社会に出るまでに、なんと20年の歳⽉が、かかっているのである。


 復帰してからも、何度か職には就いているのだが、どれも⻑続きしない。


 なので、ある時点で⾒切りをつけ、普通に働く道は諦(あきら)め、実家の⾁屋は、お弟⼦さんに継いでもらうことにし、


 フリーランスで、講演活動をするようになったとのことであった。




 彼が⾏ってきた講演内容は、多岐(たき)にわたり、


 うちの事務所で扱っているような「⼼理もの」から、「⾃⼰啓発的」なもの、「政治運動的」なものまで話してきている。


 もちろん、⾁のことに関しても、ずば抜けて詳しいので、例え話に引⽤することもあるらしい。


 でも、彼が⼀番得意とするのは、⾃分の体験に基づいた「⼈権運動的」なものや、世間への「理解啓発運動的」な内容らしい。


 うちの事務所で、それらがどこまでできるかは、疑問だったが、彼はその気になれば、何でも話せる⼈だと判断したので、採⽤することにした。




 私は、重要な講演に関しては、可能な限り、講演に同⾏させてもらうようにしている。


 特に新⼈の講演には、はじめのうちは、必ず同⾏していた。それは牧⼝君も例外ではなかった。


 でも、彼は、熟練者なので、⼤きな問題はなく、講演をこなしていた。


 ただ、彼は、度々、突⾶なアイデアを思い付いて講演をするので、私や他の同⾏の仲間は、ヒヤヒヤするのだが、


 それが結果オーライになることが多く、聴衆はいつも⼤満⾜だった。




 あるときなど、⾃分の体験や伝えたいことなどを、物語にしてそれを朗読し、講演に代えたこともある。

 講演で物語を朗読するなど、常識的には絶対にあり得ないことだが、聴衆からは拍⼿喝采(かっさい)。講演は⼤成功に終わった。


 しかし、ある講演のとき、牧⼝君は彼にとっては新しいことをやったのだが、ひどい醜態(しゅうたい)をさらしてしまったのである。


 私たちは、講演をするときに、資料を配ることがあるのだが、彼は⾃分の講演内容を「漫画化」して1冊の本にし、それを聴衆全員に配ったのである。


 その結果、聴衆は彼の⽅は⼀切⾒ず、おそらく話も聴かずに、ひたすら配られた「資料」、いや「漫画」を読んでいたのである。


 これでは、わざわざ、⽣⾝の⼈間が話しに来ている意味がない。確かに「斬新(ざんしん)」ではあるが、結果は⼤失態であった。




 事務所に帰ったら、私は彼を呼び出し、激しく叱(しか)った。


「新しいことに挑戦すること⾃体は、私は否定しないが、TPOをわきまえてやれ! 今後、それができないようなら、君にはもう仕事を回せないと思え!」


 彼は黙っていたが、表情からは、深い反省の⾊がうかがえたので、私は語気を押さえて、


「今⽇はゆっくり休め。また明⽇から頑張れよ。」


 と締めくくった。





 私たちは、⽉に⼀度、会議を開く。その⽉の講演活動の振り返りや、来⽉の活動予定、活動⽅針などを確認する。


 また、講演依頼の営業会議も兼ねており、みんなで作戦を練る訳だが、このときばかりは議論が激しくなり、バトルが展開されることもある。


 でも、向いている⽅向はみんな同じなので、ぶつかり合っても尾を引くようなことはない。


 会議のあとは、そのまま近くのカフェに移動して、続きを語り合ったりしているようだ。


 みんなが⾔うには、


「⽉に⼀度だけの会議ではとてもじゃないけど話し切れない。」

 とのことだ。





 さて、そんなこんなで、牧⼝君がうちの事務所に登録してから、早くも5年の歳⽉が経とうとしていた。この間(かん)に、彼は無数の講演をこなしていった。


 私は、あまりにも彼が活躍してくれるので、特別に、彼の好きな「理解啓発」ものの講演の仕事も、取ってきてやっていた。


 もちろん彼は⼤喜びで引き受けてくれ、お客さんにも⼤変喜ばれた。私は周りの目を気にかけつつ、彼のために、最⼤限のことをしてやっていたつもりだった。


 ところが、ある⽇、彼は突然、うちの事務所の登録を解除したい、と⾔い出したのである。


 理由を訊(き)いてみると、


「私がここでやれることは、もうありません。」


 とのことだった。


 彼はうちの事務所の講演で、さまざまな新しいことに挑戦し続け、試⾏錯誤で、⾃分の講演スタイルを築いていった結果、


 ⾃分のやるべきことは、「⼩説家」になって、「⼩説」という形で、世の中に「理解啓発」を促すことだと、わかったのだという。


 そして、


「所⻑には本当にお世話になりました。私を特別扱いしてくださっていたことも、知っています。でも、私はもう、次へ進みたいのです。」


 私は彼の目を⾒た。決意の固まった、輝きに満ちた目をしている。もはや私には、彼を⽌めることはできなかった。





 彼が後に、⼩説家として、⼤ブレイクしたという話は聞かない。


 でも、あの目を⾒た私だから⾔えるが、例え細々とであっても、彼は今、きっと彼なりの「斬新な」やり⽅で、


 世間に向けて、「理解啓発」のメッセージを、発し続けているに違いない。




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