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益城奏多
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どうして気づけなかったんだろう。こんなに近くにいたはずなのに。
冷たい風が吹き付けて胸の奥がキュッとしまるようなお昼時だった。自転車を漕いでいるうちに整えた前髪はいとも簡単に崩れ、もう原型は留めていない。
彼女は五分前に待ち合わせ場所に到着しているらしかった。まだ約束した時間には余裕があるけれど、私も小走りでそこへ向かう。
待っていた彼女はどこかいつもと違う雰囲気を纏っていた。
「いい加減コンタクトにしなきゃなって」
確かに目の印象が明るい。でもそれだけではない気がした。
私たちはホテルの一階にあるレストランで食事をした。ビュッフェ形式の贅沢なランチだった。こんなに良いお昼ご飯食べたことないよ。と笑う彼女。笑うと目が細くなるところは私も同じだった。
彼女は今月末就職で東京に旅立つらしい。それを聞いた私は慌てて食事に誘った。彼女は快諾してくれて、それは何故か意外に思える出来事でもあった。
彼女とはバイトの同期という関係に過ぎないが、二年も一緒にいるとお互い思うことがあったのかもしれない。最後まで働き続けた唯一の同期とそのまま別れる訳にはいかないと思ったのだ。普段彼女は大人しく、勤務中も話すことはほとんどない。だから私は彼女のことを一割も知らないし、彼女も同様に私のことをきっと知らない。そんな距離感で時間だけが走り去っていった。当時はそれを寂しいなんて思わなかった。
食事中本当に色々なことを話した。長話をする
のは初めてなのに驚くほど盛り上がった。物凄い速さで二人を隔てる何かが壊れていく。
「全然あなたのこと知らなかった、私」
「俺だってそうだ。もっと早くこうして話していればよかったのに」
「馬鹿だね、私たち」
「ほんとに」
二年間恋愛はしてこなかった。理系の大学では女子との出会いなどゼロに等しかった。何より地元を離れてから一人暮らしに疲弊して恋愛する余裕が無かったのだと思う。
しかしそれは彼女も同じだった。通う専門学校は男子との出会いがゼロに等しく、一人暮らしに疲弊していた。ホームシックも加速して最初の半年間は毎週のように隣県の実家に帰省していたそう。無論、恋愛はしてこなかった。
もし同じ境遇の私たちがお互いを支え合えたのなら。もしどちらか片方から近づこうとしていれば。
どうして気づけなかったんだろう。こんなに近くにいたはずなのに。
しかし今となっては実現することのない仮定の話に過ぎないのだ。どれだけ私たちがお互いを想っても、あと二週間もすれば三百キロメートルの距離によって隔たれる。
別れ際。
それじゃ、お互い頑張ろうね。と声をかけるとどちらからともなく右手を伸べ合う。
触れたその皮膚は乾燥していて、ところどころにヒビが入っていた。その一つ一つに彼女のここでの生活が詰まっているように感じた。私は構わず指を絡めて握りしめる。握り返された感触とともにきっとこれで最後になるだろうという実感が押し寄せた。
過去の自分に是非を下すことなどできない。今私たちが手を取り合っていることも、涙が独りでに零れることも、二週間後にはゼロの距離が三百キロになることも確かな事実だった。
冷たい風が吹き続けるのも、雪が深くなるのも、やがて目が開けられなくなるのも、確かな事実。
私たちの間には事実しか存在しない。
だからこそ私のこの気持ちも事実で、彼女の表情も事実なのだ。
パシャリ。
彼女は崩れきったお互いの顔をスマホに収めて、クシャッと微笑む。それを見ても私は上手く笑うことができなかった。
間もなく私たちの距離はゼロから一になり、二になった。今日という日を境に単調増加していくであろう二人の距離関数。きっとこれから先の未来で変曲点が訪れることはない。
でもそれでいい。各々の場所で勝手に生きていられれば。お互いのことを忘れてしまうくらいの人生を歩むことができていれば。
* * *
二が三百になった。彼女はあの写真を私に送ってくれなかった。だから私に彼女を振り返る手段は残されていない。
* * *
やがて三百が五百になった。私は彼女の顔を思い出せなくなった。道行く人々の中に彼女がいても気づくことはできないだろう。
でもきっとお互い何とかやれてる。
朧気に浮かぶ彼女の顔がクシャッと潰れた。
500→→→0→500 益城奏多 @canata_maskey
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