第四章 忌み火占い⑤

 トラーシィを筆頭とした義士団と動ける戦闘員たちは、総出で副皇が差し向けた軍と抗戦していた。退路を確保するために、先陣を切って己の身を戦場へと捧げる。


 ユニリェが先導を受け持ち、非戦闘員や子どもたちを隣山の穴堰へと避難するための足止めとして、トラーシィたちはその身を矢面にさらして闘っていた。山岳民としての暮らしから密かに準備していた逃走経路は見事に機能し、隣山の穴堰へと到着していることをひたすら願い、闘うのだ。そこに己の生死は関係ない。有事の際は男も女も身体を張るものなのだ、まもりたいもののために。


 副皇派の勢力が強くなってから、こういうこともあるとは覚悟していた。だが、これはあまりにむごい。一方的な暴力で支配してみせようとする態度に、憤りで身体中の血が沸騰してしまいそうだった。


 騎馬隊を神威で足止めし、炎を受けて竿立ちになって落馬した敵兵を弩で討ち落とす。徹底的に戦力を削がねば、こちらがやられてしまう。


 神威の反動が来る前に限界になった集落人は、後方へ下がり弩兵として後方支援にまわる。前衛の戦闘員が減っていくのは時間の問題だった。


 鎮焔雫の在庫も底をついてしまえば、こちらの武器は弩と剣のみだ。降伏は視野に入れられない。


(どうなっていやがる⁉)


 副皇派の軍を退けた先に待つ未来なんて今は考えられないが、とにかく戦闘員たちが集落を守らねば全滅させられてしまう。あるいは助かったとしても、人としての権利を与えられるかどうか定かではない。


 身内が斬り殺されても、助けに向かえない。己のことで精一杯だから。


 トラーシィは落馬して主を失った馬に乗り、敵陣へと踊り入る。煙に紛れて矢を射続け、武人を呼吸する間に討ち続ける。


「トラーシィ、一人で乗り込むな‼」


 身内の叫びが聞こえるが、集落人が死にゆく様をこれ以上見ていられない。人を殺めるのだっていやだが、身内が死に絶えるのはいやなのだ。義士団の団長を努めるようになってからというものの、嫌なことに手を染める覚悟はしている。綺麗事だけでは、思うようにならないと知っているから。


 突風のごとく巡る思考に、周囲への気配りが遅れた。トラーシィは馬が暴れ出したのに反応が遅れ、騎乗から放り出されてしまい、地面に細い体躯を打ち付けた。息が詰まり、激しくむせ込む。馬には深々と矢が刺さっている。


 顔を上げると、砂塵から猫獅子に乗った土螢が跳躍し、トラーシィの前を横切った。猫獅子の手綱を握るかつての同胞の背後に、もう一人誰かが乗っている。


 その人物はもう一人に手で合図をすると、猫獅子から降りた。直刀を鞘から抜刀した女が、倒れていたトラーシィの上に跨がり、刃を突きつけた。


「あんた……イオ、だろ」


 ラムラの従者をやっていた女が目の前にいた。


 彼女はラムラが猫獅子の襲撃を受け、ジュネクが連れて逃げたと集落人に経緯を告げた翌日から姿を消した。身を案じていた人物の一人でもあったイオが、こうして土螢と行動しているのは、ちぐはぐな気がした。


「私の本当の名はイオでも萼でもない。サウエ、だよ、トラーシィ」


 トラーシィは息を呑んだ。


 苦しげな表情を浮かべる女の顔を、まじまじと見詰める。


「わかってもらえなくてもいい。私はただ、母に拾われ、イルㇽ一族のためにあれと教えられてきた。でも私に神威はない。だから悪神を使役して、私の悲願を果たしてみせる。トラーシィたち少数の犠牲を払ってでも、一族の解放を望むのよ」


「一族の解放? 現状見てそれ言えるのかよ。残ったのは血生臭い惨劇だけだ、足許見てみろよ」


 トラーシィは乾いた笑いを零して睨み付けた。


「こうなったのはジュネクのせいよ。悪神を副皇へ渡して、側近へとのし上がるつもりだったのに。浮き足だった副皇の寝首をかく計画が、あれのせいでふいになったのよ」


「なんだ、あいつは堅物のくせにやる男だったんだ。ジュネクには賞賛をおくってやらなきゃな」


 ぎり、と直刀の身幅を押しつけられてトラーシィの呼吸が浅くなる。刃が喉を浅く裂いて血が流れ出た。


「副皇はイルㇽ人の完全制圧を目前にして、油断している。こうして土螢の頭を戦場へと出陣させ、首長の身柄を引き渡すよう命令してきた。首長が囚われ人となれば、束ね役を失った一族は弱体化する。そこにつけ込もうとしているのよ」


「言っとくけど」


 トラーシィが言いたいことを、イオは察して口にした。


「ええ、本物の首長は不在。けれど、そんなのはどうだっていいのよ。首長を差し出して、一度イルㇽ人が隷下に入り、副皇が祝皇を討てば何でも。どうせ本物かどうかなんて、わかりやしないのだから」


「あたしに首長の代わりをやれってか? そうまでして、副皇にこびて懐に入ろうなんてして、どうするわけさ。ファーアンが祝皇になったところで、あたしらの一族は不幸になるだけだ。あの男が目指しているのは、神威による暴力を支配下にすることなんだぞ」


 そうなるくらいだったらファーアンよりもファノイを指示させてもらう。もっと従えない理由が出来る。もっとも、この現状を切り抜けられたらの話しではあるが。


「祝皇となったファーアンを弑し、イルㇽ一族が新たなアマラスハル神璽国の祝皇として君臨すれば、人権も権力も暴力も全部手に入れられるわ」


「おいおい……」


 トラーシィはあきれて力を抜いた。


 ファーアンが副皇から祝皇になるために、現祝皇のファノイを弑逆する。当然禁軍との戦になるだろうから、大きな戦力を得たくなる。新たな祝皇になるのに、悪神の末裔であるイルㇽ一族が軍人として表に立てば、神璽国に根付いたイルㇽ人への思想から、ファーアンが神璽国の祝皇に相応しいと取る民衆も出てくるだろう。そうして祝皇となったファーアンをさらに弑逆し、イルㇽ人が祝皇となる。考えが突飛過ぎる。


「やめとけって。あたしたちの一族が君臨したところで、根付いたこの国の思想を改訂するなんて不可能だ」


 思わず突いて出た悪態に、イオの眉間の皺が寄った。


「皇族が民衆の見せしめになれば、誰が正しいのか自ずと判断するはずよ。神話なんて、そんなもの」


 トラーシィは歯を食い縛り縫い付けられた喉をこじ開けるようにして叫んだ。いくら反駁したところで盲目的な姿勢を貫くこの女は、実に愚かしい、と。


「従えたところで新たな政敵が生まれ続ける前途なんて御免蒙る! やりたきゃ勝手にしやがれ‼ あたしを巻き込むな‼」


 途端、イオの瞳が激情に燃え盛る。


 直刀の柄に添えられた手に力が入る、ちょうどそのときだった。


「————萼、賤民の長を無事捕らえたのだろうな」


 ひんやりとした低い声に、二人は同時に動きを止めた。


 トラーシィはイオの肩越しにその武人を仰ぎ見て、ごくりと唾液を呑み込んだ。まさか、と思考が否定を促すが、どう考えてもその武人の意匠を懲らした鎧兜は、高貴な人のそれだった。


 副皇ファーアンその人が弾圧の前線に君臨している。


 反撃しているイルㇽ人に討ち取られるかもしれないこの戦場にて、堂々と顔を出しているということは逃げも隠れもするつもりはないらしい。もしくは、勝利を確信しているからか。


 副皇は視線を横に流して、トラーシィを一瞥すると、ついでイオに視線を戻した。


「萼、その者がサウエ御前とうそぶかれている者か」


 イオは傅いて返答した。


「ご認識の通りでございます。ですがこの女、頑なに己がサウエ御前だと認めるのを拒んでいるのです」


「御託は無用だ。捕縛して連行しろ。悪神の末裔の神威が、今の我には不可欠なのだ。速やかにこの戦を鎮め、偽りの今上を排する」


 イオは短く返事をして、冷徹な視線でトラーシィを見下ろした。もはやその真意はうかがい知れず、本当に上辺だけで副皇へ忠誠を誓い、その後反逆して国を生まれ変わらせようとしているのかわからなかった。だが、イオの甘言を疑うべきなのは明白だ。イオの思い通りにさせるのは、間違っている。


 ヒュッとした音に次いで、地面に何かが鈍く突き刺さる音がその時耳を打ち、トラーシィはとっさに顔を上げた。


「何者だ⁉」


 副皇およびその親衛隊は、イオとトラーシィから離れるようにして数歩後退した。

 ファーアンは矢を放った方角に顔を向けて、目眩のごとく訪れた衝撃に奥歯を噛みしめた。


「き、貴様……カリルゼッナ‼」


 まるで亡霊に出会ったみたいに驚愕の色を染める副皇に、その乱入者は呆れ声で応じた。


「どうしてこうも、皇族たちは母の面影に取り憑かれているんだか……」


「ジュネク‼」


 トラーシィは馬を躍らせて割り込んできた武人に声を掛けた。背後には、最近家族になったばかりの女と似ているけれど、別人の女を連れている。その女は、馬から降りると騎乗する副皇の前に立ちはだかった。


「ファーアンさま、兵をお退きください。あなたの野望は神璽国を潰えさせてしまう。わたくしたちがすべきことは民衆と話し合い、ともに生きる道を模索することではありませんか」


「戯言を……。善神殿は御身の立場をわかっておられないようだ。よいか、古の時代のニキーサが神アマラスハルとニサーレレへもたらした混沌がこの世代まで巣くっているのだぞ。それを補正するための仕組みを我らの祖先は考え、皇族に与えたのだ。与えられた神からの恩恵を我々は活かすためにあるのだ‼」


「わたくしは!」


 アソカは遮って声を張り上げた。


「人でございます。妹も、人でございます。そして、彼らイルㇽ人も人でございます。搾取されるべき人など、おりませぬ‼」


 心があるのだ。神として見る前に、人として見て欲しい。力のある人間と保持せぬ人間との境界があり、区別が求められるのは承知している。しかし、このやり方は違うと叫びたい。


「やはりそなたを殺しておくべきだったか」


 ひどく余燼が燻った呟きが落ちて、アソカはぎゅと目を瞑った。副皇が直刀を振り上げる姿が、瞳の端にうつった。

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