忌火の理

石蕗千絢

序章 緑の炎➀

 陽の沈む水平線を見つめる。

 茜色の空が、次第に夕闇へと移ろい、星々や月に居場所を譲りはじめた。

 潮騒は変わらず、いつものように心地よく唄っているみたいだが、どこか粗野に聞こえるのは、土足で踏み入るようにして、聞き慣れない祝詞が遠くから割り込んでいるからだ。


 高欄に寄りかかり、眼下に広がる海をぼんやりと眺める。

 数日前から身を寄せている屋敷は、慌ただしく人の出入りが激しかった。お祭りの準備とやらで忙しそうにしている人たちがいる他方で、愚にもつかぬことのように何処吹く風という表情で外の景色を眺望する。


 厳かな気配を纏う夜の来訪を、渦中の人物なのに綽々と待ち受けられるのは、きっと今までこのときを望んでいた人たちが大勢いるのだと知っているから。


「ラムラさま、そろそろ支度をしませんと儀式の刻に間に合わなくなります」


 己を咎める従者の声は耳に入っている。だが、ラムラは敢えて無視をして、海の輝きに視線を向け続けた。


「ラムラさま」


 幼子のいたずらを指摘する大人の声色になったところで、ようやく意識をそちらに向ける。


「何度でも言うけれど、イオはわたしと共に来る必要はないよ。嫌だったら、父さまにひとりで行くって伝える。さすがに娘と相見える最後の刻に父さまが来ないなんてことはないだろうし、今からでも遅くはないと思う」


 わたしに逆らえるわけでもないだろうし、と再三の念を押す。

 当の本人のイオはラムラの忠告に対して不快そうに顔を歪めた。


「それならお言葉に甘えて何度でも申し上げさせていただきますが、そうやって私をお試しになられるのはやめてください」


 どうやら怒らせてしまったらしい。

 イオはラムラが齢十の頃から奉公している五つ上の側仕えだ。稀にしか顔を出すことにない親に代わって世話や教育を施し、一人寂しい生活を強いられている彼女の親でもあり姉のような存在だ。

 武道の心得もあるよううで、ラムラも剣や弓の稽古をつけてもらっていた。


「これから一緒に配流される身なのに、嫌がらないほうがおかしいよ」


 イオは文武に秀でた女人で五つしか齢が違わないのに、こうしてラムラが十七になるまで文句を言わず側仕えし続け、あまつさえ共に島流しされるのだと言う。儀式でなければただの流刑とおなじなのに、悲愴すらないのが尚更受け入れがたい。

 せめてラムラという少女の世話で縛られた生活から解放してあげたい。才女のイオなら、解雇されたとて食い扶持には困るまい。


「嫌などと露程も思っていませんし、配流などという言葉は慎んでください。御身は尊いお方であり、その身をこれから神さまのおわす地にお返しになるのです。その光栄な場に立ち会えるのですから、私こそこの僥倖に感謝しなければならない身でございます」


 信仰心が強いというと尤もらしいが、頭が硬いとしか承服しかねるところだった。


——海の向こうには天界から降臨した神々が住まう島がある。


 そんなことを大人達に聞かされて、子は育つ。

 事実、神さまの恩恵や厄難を受けた土地があると自らも教育を受けて成長した。そんなことを指導されたとしても、皮肉にしか受け取れないというのに、うんざりするほどに声が振ってくる。


「わたしは悪神だよ?」


 人々に厄災をもたらす邪悪な神さまの、一体どこが尊いというのだろうか。


「等しく、神威をその身に宿された現人神であり、敬意を示すべきお方です」


 ラムラにとって、その考え方は厭わしい。


「それに儀式においてラムラさまは視界を覆われているのをお忘れになっています。目が見えない状態で、どうやって櫓を漕ぐのでしょう。先導役は必須です」


 ラムラは憮然とした顔をした。

 イオの他にも側仕えは数名いる。だが、総じておっかなびっくりの態度で受け答えし、対するこちらがどれだけ親睦を深めようと努力しても無意味だったので、諦めて事務的な会話のみ口にするようになった。そんな中、彼女だけはすこぶる異質だ。


 意地悪な問いを歯牙にも掛けず弾いて除けるイオに完敗を認めたところで、ラムラは立ち上がった。


緑火ろくか祭はこのアマラスハル神璽しんじこく祝皇しゅくおうが国家祭祀として制定した、伝統的な儀式のひとつだ。


 古の時代、まだ国家が樹立する以前の無秩序の大地に、海の向こうの小さな島々〝エレチー=カ=ピラ=ヌカ〟から古代神アマラスハルが来臨した。神アマラスハルは、領地を統治する君主〝祝皇〟となり、太平の世を築き上げ、やがて祝女を娶り二人の子をもうけた。


 神子であり半神の二児の名は〝ニサーレレ〟と〝ニキーサ〟。


 彼らは人の子なれど、神の力——〝神威〟を得て古代神の勅使として国に仕えた。

 しかし、ニキーサは次第にこの行いに反抗するようになる。神威は民草を苦しめるためにふるい、横暴な態度を取るようになったのだ。


 俗伝によれば民衆に不幸に陥れ、厄災を巻き起こした半神とされている。

 対してニサーレレは繁栄と成功の力や幸運を人々に授け、善神としてあがめ奉られるようになり、一方でニキーサは悪神として名を馳せていった。


 ニキーサの荒々しさに恐れを抱いたアマラスハルは、天界の神器である鉾をニサーレレに明け渡し、祝皇の座に就くよう命じる。暴君と成り果て、しかし人とも卓越した力を持つ半神のニキーサを哀れみ、神威を代償に海の向こうの小さな島々エレチー=カ=ピラ=ヌカへ、その身と神威を代償に古代神のもとへと返納した。


 だが、ニキーサは人と神半分の血縁を持ちつつも、神の血を色濃く受け継いでいた。故郷である地が恋しく、その魂は神璽国へと戻ってくる。


 善神〝ニサーレレ〟の魂もまた神璽国の繁栄のために人の子のもとへと回帰する。


 こうして善神と悪神の現人神が誕生する国、アマラスハル神璽国が誕生した。


 善神ニサーレレの末裔である代々の祝皇たちは、この歪な建国のかたちを正そうと思考を巡らせた。なぜなら悪神の魂を受け継いだ者たちは、死してなお大地に奇禍を呼び寄せたためだ。歴代の悪神の亡骸があったとされる場所は〝死穢野〟と呼ばれ、草木の一本も生えず、足を踏み入れた人たちは皆原因不明の疫病に冒された。


 悪神の神威は不必要だ。


 人々の安寧と国家安康の存続に斯様な力は無用だが、それでは神の機嫌を損ねる。悪神も神さまだ。


 ならば神アマラスハルとおなじことをすれば良い。

 人の子へと回帰した悪神を捜し出し、過度の力は余りあるとして、神威を宿した者ごとお返しする神事を執り行おう。


 それが緑火祭の所以である。


 この損な役回りを、ラムラは引き受けなければならなかった。拒絶することはできない。いや、したらいけないのだと思っている。


 ラムラは今一度、陽が落ちる前の燃えさかる焔のような海原を振り返り、ひとり小さく囁いた。


「……こんな日に限って〝頭のない鳥〟は見当たらないのね」


 後ろ髪を引かれつつも、隅で待機しているイオの腕の中にある上質な絹で織られた儀式用の礼装を手に取る。


「姉さんは、いつもこの手の礼装を着ていたりするのかな」

「ラムラさまの姉君も尊いお方です、当たり前かと」


 ラムラは自嘲の笑みをこぼす。


 ラムラの姉はニサーレレ——善神だ。

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