しわくちゃの抒情詩

桜実華弥

しわくちゃの抒情詩

あなたと言葉を交わすとき、

私は五感という五感を塞いで

ただ信号ではないあなたを感じていたかった。

痛み、それそのものが痛みとなる痛み、

そのとき私はまっさらで、

プランクトン一匹すら存在しない海に放り込まれて

はじめて何物でもない自分を感じていた。

すべてが泡になる、私も泡になって消えていく、

だけどあなたはその泡だって私だよと

つかんで離さないその左手を

私はいつまでも、いつまでも恋していくに違いなくて、

盲目となって浮上する

その刹那、私はきっとはじめて

あなたと一緒に火星まで行けたらって思っていた。


 もう何度読み返したのだろう、手垢としわにまみれたその手紙を僕はまた封筒にしまった。

「……今日もわからなかったな」

 そう呟いて、僕は部屋の中で小さくため息を吐いた。一気に体重を預けたためか、椅子の背もたれがギイイと嫌な音を立てる。この一連の流れは、もはや僕が寝る前のルーティンとなりつつあった。

 ……君からの手紙を読み解く。たったそれだけのことが、一か月たった今でも出来ないままだ。

 君が転校していった翌日、教室の机から出てきた手紙。詩、なのだろうか。今まで君と僕が詩のやり取りなんてしたことはなかったから、最初は本当に僕宛の手紙なのだろうかと疑ったりもした。

 君と初めて交わした会話がまさに詩についてだったことを思い出したのは、手紙を見つけて少し経ってからだった。懐かしい、とても懐かしい思い出だった。それは僕の心の中に忘れようもなく刻まれていたはずなのに、いつの間にか記憶の引き出しの中でほこりをかぶっていたのだ。


「なんか、馬鹿みたいだよね」

 それは中学二年の春だった。休み時間、僕が授業中書ききれなかったことをノートにまとめていると、隣の席の君は急にそんなことを言ったんだ。

「馬鹿みたいって……何が?」

「さっきの授業。宮沢賢治の『岩手山』だったっけ。賢治は何故、馴染みの深い岩手山をああも否定的に描いたのか、なんて先生言ってたけどさ」

「それは、同じ対象であってもそのときの心情によって見え方が変わる、ってことでしょ? 先生言ってたじゃない」

「それ! それなんだけどさ。前に私が読んだ詩の本には、全然違う理由が書いてあったんだよ。先生の話聞いてて、あれ違うなってすぐにわかったもん」

「……つまり、先生が間違ってる、ってこと?」

 正直、なんだか鬱陶しい人だなと思ったよ。先生のミスをあげつらって、はい私頭いいですみんなとは違います、みたいなアピールをしてくる痛い人だって。

 けれど、君から返ってきたのは意外な言葉だった。

「そうじゃなくて。私が言いたいのは、詩なんて勉強するものじゃないってこと。その人がどういう気持ちで書いたかとか、この言葉にはどんな意味が込められてるかとか、そんなの結局書いた本人じゃないとわからないじゃない? それを『答え』のある勉強ってやつに落とし込んだって、ただ疲れるだけだと思うんだけどなあ」

 僕は不覚にも、なるほどと思ってしまった。最初はちょっと反論してやろうと考えをこねくり回してみたけれど、何も浮かばなかった。だから僕は、思ったままのことを口にした。

「君、結構面白いことを考えるんだね」

 すると君は一瞬目を丸くした後、すぐに吹き出して言った。

「何その上から目線? 面白いのは君の方だよ」

 途端に自分の顔が紅潮するのがわかった。そんな僕を見て、君はまたも吹き出した。僕は君の笑い声を背にしてトイレに逃げ込むと、チャイムが鳴るまで意味もなく手を洗っていた。鏡に映った僕の顔は……なぜか笑っていた。


 ――思えば、最初に惹かれたのは僕の方だったのだろう。

とはいえこんな二人だから、その後もわかりあっては衝突し、わかりあっては衝突しを繰り返した。繰り返している内に二年が過ぎ、三年が過ぎ、いつの間にか世間で言うところの彼氏彼女の仲になっていた。

 ……結局最後は、衝突して終わってしまったけれど。

 またすぐに仲直りできるだろうと、たかをくくっていた。どこか切迫した、それでいて諦めたような君の態度にも、あのときの僕は気づけなかった。君の転校が決まったと知らされたときにはもう遅く、最後はろくに話すこともできないまま、僕とこの手紙だけが残された。

「……なんで、よりによって詩なんだよ」

 手紙の入った封筒を片手でもてあそびながら、僕はひとりごちた。詩に「答え」はない。あったとしても、それは書いた本人にしかわからない。ならばどうして、君は僕に詩を残したのか。

 僕に伝えることは、もう何もない。君はそう言いたかったのか。

 ……認めたくなかった。認めるのが怖かった。君はそんなことをする人じゃない。今更わかったような言葉が脳裏をかすめた。

 でも、だからこそ僕は、この詩を読み解こうとしている。この詩の奥に、君の残したメッセージが確かにあるのだと、わらにも縋る思いで信じている。

 そして、僕が確かにこの詩を読み解けたとき、書いた君にしかわからないはずのこの詩の意味が、確かに僕にも理解できたとき、そんな奇跡が起こったとき、僕はまた君に会えるような気がしているんだ。

「……馬鹿みたい、かな」

 僕は封筒を開け、手紙を再び取り出して机の上に広げた。

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しわくちゃの抒情詩 桜実華弥 @oujitsu

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