焼肉が美味しかった日




ーー春休みがスタートして直ぐに兄と嶺亜さんと仲がいい学生の時代の友達。


美春さんが経営するカフェに兄と一緒に面談に行って。

コネというコネクションを駆使して、色々とパスして即採用して貰った。



半分兄が脅していたようにも思うし、美春さんのスマホに嶺亜さんから何度も着信があったのも視界に入ったし。

…美春さんが呆れたように途中で目を閉じた気もする。



…個人経営のお店だから許される事だろう。

兄の勤務時間に合わせて組まれたシフト表は、

有り得ない程に融通効かせて貰っていた。



ーーそんなこんなで始まった念願のアルバイト生活。




兄が仕事終わりに迎えに来ると同時に私の勤務が終了する。

…寧ろ私は美春さんにシフト提出をしていてなくて

兄を通して勤務時間の連絡が来るという過保護っぷり。




ーー入口から覗く兄の顔を見て、

エプロンを取りながらロッカーに向かう。





「…美亜、帰んぞ。」



「美春さん!お疲れ様でした!」



「美亜ちゃんありがとうね!大志郎もお疲れ様ー!」





美春さんと、キッチンのスタッフさんにぺこりと頭を下げてカフェを出た私は兄と帰路に向かう。




基本的にバイト終わりにお店で賄いは食べず、帰宅してから兄とご飯を食べる。

どうしても迎えが遅くなる時は、店で賄いを食べて兄を待つ。



ーーそんな決まりをしっかり守りながら働いて、昨日は初の給料日。


そう。

今日は兄に焼肉をご馳走する日である。




「今日はたーんと、美味しい焼肉をご馳走するよ!」



「…美亜も成長したんだな、」




ぐすん、と鼻を啜る兄の中で私はどれだけ小さな子共の記憶で止まっているのだろうか。


特に気にもせず兄の腕を引っ張りながら、

予約したお店に向かう。




「ーー予約していた楠です!」



「お待ちしておりました。」




笑顔で頭を下げるスタッフさんに上着を預けて、

案内される席に向かう。




ーー…う、うわぁ。


せっかくだからって、

SNSで評判の良い店を予約してみたけれど

私、張り切り過ぎたかな。



ドキドキしながら、

椅子を引いてくれるスタッフさんの行動一つ一つに頭を下げる私とは裏腹に。


片手をスっと上げてスタッフを呼び寄せる兄は

こういう場に慣れていそうだった。


…くそう、年の差による経験値の違いがこういう所で見えるのか。





「ーーすみません、少し空調の温度上げて貰う事出来ますか?」



「かしこまりました。良ければ膝掛けもお持ちしましょうか?」





そう言って、持って来て貰った膝掛けを

直ぐに私へと指示する兄に思わず目を見開いた。





「寒いんだろう?」



「…何で分かったのお兄、」





ただでさえ完全個室なんかで焼肉を食べた事ない私は

緊張と驚きで硬直していて。


膝に掛けられた肌触りの良い毛布に、少しだけ肩の力が抜けたのは暖かさからか。



…暖簾で遮られていたり、

団体で予約した時の座敷か半個室みたいな場所でしか焼肉なんて食べた事ないよ私。




「お兄ちゃんには何でもお見通しなんだよ。」

なんて言いながら。

開いたメニューから遠慮なく注文していく兄に

私は視線を逸らす。




…私が奢るって言ったんだけどさ。


妹が奢るってなったら少しは遠慮するくない?


私は覗き見たメニューの料金表が、

普段友達と行く店よりも0が明らか多い事に気付いて口を噤む。




よ、予約したのも私だけど。


いや、良いんだけどさ。




冷や汗をタラタラと見えない所にかく私とは対照に、兄はニコニコと可愛い笑顔を見せた。





「美亜、ご馳走!」



「ど、…どういたしまして!」





空調よりも、私のこの止まるの事ない

緊張の脂汗を先に気付いて欲しいよお兄。


そんな私の引き攣る笑顔を気にする事無く、

運ばれて来た烏龍茶を直ぐに飲み干した兄は

「オカワリ!」 といつもより高いトーンで言った。





ーー暫くして、私にお構い無く追加注文する兄にお肉が喉を通らなくなる。





「…ランプと後、他にオススメありますか?」



「本日は希少部位となっております。ミスジのご用意が出来ます。」



「じゃあそれで。」





店員さんと微笑み合う兄に少しの殺意を覚える。


…あれ、遠慮って言葉知ってる?

あなた日本人じゃないっけ?



兄に向けられる視線に直ぐ笑顔を返すも、

内心全然笑っていられない。


私の給料で足りるのかしら…、

寧ろ貯金すらも飛んで行くんじゃないか?



メニュー表と睨みっ子なんてしたくないけど、

春休み期間で兄の時間に合わせた出勤での給料なんて…。

と考える思考を一旦放棄する事にした。



ご馳走すると言った身ではありますが。


えーっと、足りなかった場合は一旦兄にお金借りて。そして…








「ーー美亜、お疲れ様!」





目の前で元気にファイヤーする、

希少部位のミスジさんを見届けながら

固まる私は兄の掛け声と共に入って来た

店員さんに全く気付いて居なかった。



ーー目の前に置かれた存在感抜群の花籠にリアクションを取れず、瞬きを数回繰り返す。



そんな私を気にすることも無く

任務を遂行していそいそと退出する店員さんの後ろ姿を見届ける私。


兄のパチン、と両手を合わせた音に視線をゆっくり花籠に戻した。





「美亜、初めてのアルバイトよく頑張ったね。」



「…お、お兄様。これは一体、」





ーー兄が言うには、私が予約したこのお店。

兄と嶺亜さん、美春さんの友達のお店らしい。



私から予約の連絡が来た時点で兄に連絡は行っていたらしく、

私が予約したコースではなく

予約した金額での食べ放題に勝手に変更されていた。



…それを聞いてやっと、

兄の食べっぷりに合点がいく。




兄はなんだかんだ、私に気を使って自分から何も頼まない筈なのだ。

それを見越してコースを予約した筈だったんだ。


…そしたら想像の斜め上を更に上回る兄の行動に私は冷や汗を流す他無かったのだ。





ーー改めて兄の人脈網に驚くけれど。





「ーーだから、お構い無くお腹いっぱいに食べような?」



「…う、うん。」





余裕いっぱいの笑みを浮かべる兄は、

私の何枚も何枚も上手で。


別にそんな兄に勝とうとも勝てるとも思ってないけれど、

…少しやられた感がある。



口を尖らせながらも、

初めて食べるミスジさんは今までに口にした事がないぐらいに柔らかくて美味しかった。



…そんな感想しか出て来ない私は、

こんなお店に来るのはまだ早かったんだなって感じた。





「…何か、悔しい。」



「お兄ちゃんは嬉しいよ。ありがとうね。」





呑気に写真撮ろうなんて言いながら、

一緒に撮るわけでも無くお肉を写すわけでも無く。

…私だけの写真を撮る兄に苦笑い。



その光景を見ていた店員さんが


「良かったら撮りますよ」


っと言ってくれたお陰で、

兄とお肉と私が画面に一緒に映る写真がフォルダに保存された。




ーー兄の為にと張り切っていた私は。

今日の結果に納得が行くかと言われると、少し微妙な気持ちではあるが。


兄のお陰で食い逃げする事も兄に借金する道も免れ、美味しい焼肉をご馳走出来たのであった。




立派な花籠を持ちながら満腹で歩く帰り道。





「ーーお腹いっぱいだ~、ありがとうな妹よ。」



「…満足して貰えたなら良いんだけど。」





少し不服な私の事も当たり前に分かって居るのだろう、

一切見向きもしない兄は自販機で

カフェラテとコーヒーを買った。



そして何の躊躇も無く、

サラサラと川の流れの如く自然に

カフェラテを私のポッケに突っ込む。





「今日は星がいっぱい出てんな。」



「…次はお兄が知らないお店にするんだから。」



「次は海鮮とかにするか?」






「ーーお花ありがとうね、お兄。」





海鮮でも何でも良いんだけど。


私に激甘の兄は、私の手を引いていつもの帰り道をゆっくり歩いた。



そんな私達の上にはくっきり形が見える三日月が笑っていた。



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