女魔法使い
ロマヌ王国の首都、ロマヌロワから南西に離れたケヒンヤという小さな村に魔法使いの女性がいた。
名前をルケアと言った。実直で聡明であり真面目で物静か、困っている者には手を差し伸べ、悪を許さない。歴史的資料によれば、この頃のルケアはべた褒めされていた。
ルケアは恐らく当時は19歳(文書により前後しており一貫していない。恐らく18~21歳ぐらいで19歳が有力説)。両親はすでに亡くなっており、ケヒンヤの地主の家の居候だった。天涯孤独の身というわけではなく、実の姉がいたそうだが、数通の手紙で言及されるのみである。少なくともこの時には疎遠になっていたようだ。
ともかくルケアは若さから来る大きすぎる自尊心や空回りはあったものの、混沌吹き荒れるガリドーニュ島にて、その慈愛をいかんなく発揮した。
彼女はケヒンヤで黒の疫病を患った者の治療と世話を熱心に行った。そればかりか周辺の村や集落からも感染者を受け入れ、郊外にて治療と疫病研究のための簡易的な拠点を作っていた。
ルケアの慈善活動はやがて噂となり、その熱意に賛同した周辺住民、彼女の話を聞きつけて集まった錬金術師、医者、下級貴族と地方に飛ばされた聖職者が集まり、暦480年に黒の疫病の治療と根絶を目的とした結社「サン・ルメクス」が組織される。翌年の481年にはケヒンヤの近くに立派な救貧院が設立され、黒の疫病の治療と病気の研究がそこで進められた。
患者の治療とその経験から得られた知見とそこから発展する研究は一定の成果を上げ、症状の緩和や余命の延長は成されたが根本治療には全く至らなかった。サン・ルメクスができるのは精々、死ぬまでの苦痛を和らげたり、多くの時間を与えられるだけであり、救貧院の墓地には死体が積み上がっていった。
またサン・ルメクスのメンバーにも感染者が出始め、ルケアは患者のみならず、同志まで失うことになる。
この時期の歴史的資料はこの後起こる事件によってかなり少ない。当時の詳しい治療法や研究内容は現在でも判明していないが、数少ない文書からルケアたちサン・ルメクスは感染経路について、ある程度見立てがついていたらしく口や鼻を覆い、また体への体液の付着を防ぐための防護服のようなものを作成していたようである。もちろん現代のものと比べれば感染対策はあまりにも貧弱でサン・ルメクスのメンバーに被害が出るのは至極当然と言える。
暦483年、ルケアは苦悩していた。研究では成果が上がらず、患者と仲間の死体が増えるばかり。
人が追い詰められた時に限って、悪魔が囁く。しかしルケアにはその囁きが天啓に思えただろう。悪名高き霊薬「グラチア」の発見である。
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