奥さまは魔女

青切 吉十

私の妻は魔女なのか?

 自慢をするわけではないが、結婚するまで、私は女に不自由をしたことがなかった。

 裕福な家庭に生まれた私は、都内のよい大学を卒業した。アルバイトをすることなく、買い与えられたマンションに住み、青春を謳歌した。その後、だれでも知っている商社に入社することができた。いちおう、出世コースにのっている。

 さらに、両親のおかげで見た目よく生まれたうえに、日々のトレーニングを欠かしていない。

 自分で言うのもなんだが、世の女性から見て、理想的な男と言っていいだろう。


 そんな私が出会ったのがいまの妻だった。

 私の女性遍歴を知っている友人たちに妻を紹介すると、みんな、とまどいが顔に出た。

 それはそうだ。それまで、あかぬけた美人ばかりを相手にしていた私が、地味で陰気な女と結婚すると言い出したのだから。たとえば、彼女が資産家や有力者の娘だったら、友人たちは納得しただろう。しかし、彼女の家はごく一般的な家庭であった。また、とくに、何かの才能を持っているわけでもなかった。


 なぜ、私がいまの妻と結婚をしたのか。それは私の家族や友人の気にするところであった。しかし、いちばん事情を知りたかったのは実のところ、当事者の私であった。

 妻と会ってすぐに私は、魅力のないはずの彼女になぜか一目ぼれして、すぐにプロポーズをしてしまった。

 付き合っている最中、私は彼女にどういうわけか夢中であった。

 しかし、結婚して男の子ができ、その世話につきっきりになると、妻は太りはじめた。身もふたもない言い方をすれば醜くなった。私はなぜ、こんな女と結婚したのか不思議な気持ちになった。

 そこである日、酔っていたこともあって、ふと、不満まじりの疑問を口に出してしまった。

「なぜ、ぼくはきみと結婚する気になったのだろう?」

 すると、妻は息子をあやしつづけたまま、私の方を見ずに、次のように言った。

「私はね、魔女なの。あなたに魅了チャームの魔法をかけたのよ。だから、あなたは私にプロポーズしたの。本来のあなたの意思にそむいてね」

 くぐもった笑い声をあげる妻のことばは、私には冗談に聞こえなかった。


 そのやりとりがあって、しばらくしてから、妻が私に言った。

「あなたもいろいろとたまっているんでしょうね。でも、私に相手をしている暇はないから、いいわよ、浮気しても」

 私は妻の提案に「そんなこと、許されるわけがないだろう?」と応じた。

 対して妻は、やはり、息子に目を向けたまま、「ちゃんとこの子のパパを演じてくれたら、よい夫を演じる必要はないわ……。でもね、おぼえておいて。本気になってはだめよ。この子のためにならないから」と言った。


 それから、私の身に不思議なことが起きた。

 いまの妻と付き合いだしてから、なぜか、女性と縁がなくなっていたのだが、再びもてだしたのだ。

 勤めている会社の社員や大学時代の知人だけでなく、道行く女性からも声をかけられはじめた。

 こうなってくると、妻の許可が下りているからというわけではないが、私も男だったから、誘惑にあがなうことはむずかしかった。

 そんな中、知り合った得意先の女性と深い仲になった。名前は柚希と言った。

 ホテルで行為におよびながら、本来なら、こういう女と私は付き合い、結婚したのだろうな、そちらの方が自然だったろうと思った。いまの妻などではなく……。本当に、あいつは魔女なのかもしれないな。いや、そんなばかな。


 柚希と逢瀬を重ねていた最中、事件が起きた。会社の帰りに落ち合った柚希をホテルで抱いたとき、つい夢中になりすぎ、急いで帰宅したが、午前様になってしまった。

 妻はダイニングテーブルの前に坐って、私の帰りを待っていた。蛍光灯の白い光に照らされた、青白い顔をした女がじっと私を見つめた。

「許した範囲で好きに遊ぶのは自由だけれど、きょうは子供とお風呂に入る約束だったでしょ?」

 妻の叱責に私は「すまない」と頭を下げた。

 「今後こういうことがないように、罰を与えないといけないわね」と妻が言った。「罰?」と私はたずねたが、妻は何も答えてくれなかった。


 それから数日後、柚希が出勤時、駅の階段から転げ落ちて、大けがをした。運が悪いことに、後遺症が残ってしまい、柚希は勤めていた会社をやめて、親元へ帰った。

 これが罰なのかと一瞬思ったが、そんなことはありえない。ただの偶然と私は思い込んだ。


 その後、私は近づいてくる女性から、好みのタイプを選んで、しばらく浮気をつづけた。

 そう、しばらくの間。

 遊びのつもりが本気になった瞬間に、どの女も不幸に見舞われて、私のもとから離れて行くことが繰り返されれば、だれだって、やめようと思うだろう。


 私は毎日、どこにもよらずに家へ帰り、息子と遊んでいる。

 ある日、その様子を満足げに眺めながら、妻が言った。

「そう、毎日、早く帰って来なくてもいいのに。たまには遊びに行けば?」

「まあ、いいじゃないか。ぼくにとっては家庭がいちばんなんだよ。……家庭がね」

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奥さまは魔女 青切 吉十 @aogiri

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