C/2011 W3よ、もう一度流れて

葉月氷菓

さあ、アイドルをはじめよう。

 光子マイクに乗せた私の全霊の歌声と、カーボンナノチューブの靭帯が悲鳴を上げるほどの激しいダンス。惑星ハーシェルのファンたちは沸騰したようなレスポンスで応える。

 累計約三兆三千億人のファンに届ける、百年を駆け抜けたアンドロメダ銀河ライブツアーは大盛況のうちに幕を閉じた。ファンの熱狂も、自身の昂りも冷めやらぬままに私は天の川銀河行きのカプセル船に乗り込んだ。

 私は銀河を股に掛ける宇宙アイドルとして、これまで数多あまたのファンにパフォーマンスを届けてきた。星から星へと瞬時に渡る真空エネルギー航法の確立以来、広がる愛は宇宙の孤独を埋め、歌は光すら置き去りにして人々の心へと届くようになった。銀河を超えたライブ出演も実現可能な時代が訪れたということだ。


 それでも尚、理想には遠く及ばない。私──宇宙アイドル・晦澁坂カイジュウザカアリアは懊悩する。宇宙の膨張と同じエネルギー、同じ理論を利用して真速移動する私たちは、即ち。今この瞬間、技術的到達可能宇宙の外側に生まれた生命たちとの距離を縮めることは永遠にできないからだ。そう、ビッグバンはまだ終わっていない。光子に乗せたストリーミング配信すら遅々として届かない果宇宙のことを思うと、ひどく無力感に苛まれる。

 幼い頃に私は、夜空を流れる彗星に願った。【全宇宙に夢を届けるアイドルになりたい】と。やがてデビューし、〝千年に一度のアイドル〟などと持ち上げられて、それは叶ったのだと傲慢にも思った時期もある。しかし燦然と輝くライバルたちは千年待たずして次々に現れ、デビューから三千年が過ぎた頃には、この広大な宇宙の中で千年なんて一瞬に等しく、私は随分狭い世界で生きていたのだと思い知った。未だ夢に手の届かない私は、宇宙最強アイドルを名乗るには程遠い。

 私があの日みた流れ星は銀河を周遊し、七百年後に再度姿を見せると予報されていた。なのにそれは太陽の引力に屈して消滅したと天文局により発表された。星と同じで夢にも寿命があって、私もいつか燃え尽きてしまうのだろうか。


 光子通信の着信音が鳴り響き、私はコールドスリープから目覚める。アンドロメダ銀河から天の川銀河への帰還は眠っているうちに終わっていた。


【おはよう。晦澁坂】


 着信はプロデューサーである赫々川カクカクガワからだ。起き抜けのモーニングコールだが、寝起きのぼやけた思考の中でさえ【おはようございまっす】と、刷り込まれた溌溂な挨拶を即座に返す。


【休み中にすまない。次のライブについての話だが】

【地球凱旋ライブっすよね! 九八〇ステヴィン下でのダンスとか久々なんで、早く戻ってリトレーニングしないとです】


 天の川銀河に属する惑星──地球は私の生まれ故郷で、太陽近辺のハビタブルゾーンに位置し、陸地の殆どが水に溺れた珍しい惑星なのだ。住んでいた頃は意識していなかったけれど、銀河中を駆け回るようになってその特異さに気付かされた。

 実は、〝歌〟という文化の発祥地は他でもない地球だ。地球を包む大気は有機生命の燃料であると同時に、なんとそれを波立たせて情報に変換し、コミュニケーションを取ることもできる。生まれつき備わった有機器官で高低・大小といった幅をコントロールして音に意味を持たせる、地球生命特有の優れた能力だ。ちなみに私にも同様の機構が標準装備されている。

 そして〝歌〟は、大気の波が光と比較してという特性を見事に活かした芸術だ。地球外の惑星では光子波長を利用した情報伝達能力を先天的に習得している生命体が多くを占めるのだが、光子シグナル言語の速さとブレの無さ故にコントロール可能な振れ幅は極度に微小で、そこに芸術性を見出す者は殆ど居なかった。地球文明が銀河の外にまで知れ渡って以降、それを模倣する者が現れたというワケだ。地球発祥の芸術が銀河を席捲しているというのはなんだか誇らしい。

 私の夢のはじまりの地──生まれ故郷の地球で、数百年ぶりの凱旋ライブ。燃え尽きている暇なんてない。今一度、自分自身を見つめ直すのには最高の舞台だと思った。しかし、次のプロデューサーの言葉は私の虚を突くものだった。


【地球ライブについては、すまない。中止せざるを得なくなった】

【え……どうしてです?】


 私は愕然として問い返す。比喩ではない鉄面皮のプロデューサーの表情は、それでも翳りを隠しきれていない。そして通達された〝理由〟は私の覚悟と想像を遥かに越えるものだった。


 【地球は星系規模の宇宙雷に打たれ、そこに棲む生命らは滅亡寸前の危機にある】


 言葉を失う私に、プロデューサーは説明を続ける。太陽フレア由来の一条の雷が地球を貫いた。地球生命は亜光速で襲い来る災害に対して打つ手を持ち合わせていなかった。それどころか、その発生を認識することすら難しかった。真空エネルギーの利用が当たり前になった現代でさえ、人にとって光は依然として速すぎる。

 降り注ぐガンマ線に海は沸騰し、陸地は有機生命もろとも焼き払われ、機械生命体たちは電子回路が焼き付き、そして命の根源である発電施設も殆どが燃え尽きた。いま地球に残されているのは僅かな蓄電及び数百の機械生命体と、火災を生き延びた一部の植物のみ。救援に駆けつけた多くの友好惑星人らも思わず目を伏せたくなるような光景だったらしい。


【そういう事情だ。それに地球は尚も雷雲に包まれていて停泊にもリスクがある。残念だが、もう彼の地でのライブは叶わない。アンドロメダツアー中の出来事だったが、君のメンタルへの影響を考慮して今まで伏せていた。その点については申し訳なく思っている】


 機械生命体である私たちに〝親〟という概念はない。それ故か生命活動を行う全てを、種族の垣根無く漠然と家族と捉えている節がある。つまり、たった今の報告を以て、私は故郷の家族を失ったのだ。

 プロデューサーは心身共に休めるようにとスケジュールを調整してくれた。月面リゾートに停泊できるよう取り計らってくれたが、私はそれを辞退した。故郷である地球に、せめてもう一度降り立ちたかった。落雷を懸念してプロデューサーはやんわりと私を諭してくれるが、頑として譲らぬ姿勢に彼はついに折れた。いや、私の為に折れてくれたのだろう。


   *


 プロデューサーのイミテーションボディ(本体は別惑星でお仕事中)と共に降り立ったその惑星に、記憶の中の地球の面影はもはやなかった。一面の煤けた瓦礫の荒野には生命の息吹を感じられず、空に渦巻く雷雲は青空と太陽をすっかり隠し、時折唸るような轟音で私を威嚇する。氷河星のように冷え切った空気に、あるいは恐怖に身震いする。生き残った機械生命たちは、どうにか半壊に留まった発電施設に集まり、限られた電力を分かち合って休眠していた。唯一稼働状態にあるインターフェースはその経緯に加え、これから地球生命らの辿る運命について話してくれた。


【近隣惑星の幾つもが人道的支援を申し出てくれました。彼らの星に移住する為の様々な認可が下りるまで私たちはしばし休眠し、迎えを待つと決めたのです】


 慈愛に満ちた異星間の友情に少し気持ちが晴れるが、その選択は同時に地球生命の終焉をも意味している。惑星の寿命だって永遠じゃないし、いつか滅びる運命にあるとしても、宇宙の気紛れはあまりに唐突で残酷だ。立ち込める雷雲みたいに、私の心は鈍色に染まってゆく。

 ファンが滅亡してしまった惑星の中で、アイドルに出来ることなんてあるのだろうか。ファンを元気付けることはできても、ファンを生き返らせることはアイドルにはできない。命を失った彼らに私の歌は届かない。

 惑星の窮地になにひとつ力になれないのなら、アイドルって何? なんのために存在するの?


 無力な己から目を逸らしたくて思わず天を仰ぎ見たその時、碧い閃光が衝撃と共に視覚機能を貫いた。全身の駆動系が一時停止したことで力が抜け、重力に導かれるままに私は地面に倒れ伏す。

 宇宙雷が私に直撃したのだと理解できたのはプロデューサーの叫び声が聴覚機能に届いてからのことだった。用心で絶縁体スーツを着用していたお陰で回路がショートすることは(今この瞬間に思考することが出来ていることを証左として)なかったと思われるが、動かぬ身体を横たえて私はしばし呆然とする。けどそれは、突如の天災に襲われた恐怖心に竦んだからではない。気を失った一瞬に、〝夢〟をみた所為だ。気付けば私は起き上がって、無意識のままに言葉を発していた。


【プロデューサー。ライブをやらせてほしいっす。いますぐ、地球で】


 言葉を発した自分自身が追い付けない思考に、他者がついて来られる訳がない。私の突飛な言動に、星系を巻き込み幾つものアイドルグループを宇宙に排出してきた敏腕の赫々川プロデューサーが、目に見えてたじろぐ。いまの私は一体、どんな眼をしているのだろう?


   *


 雲の下、高度約一五〇〇メートルを飛行するステージシップから地球の大地を見下ろす。近隣星の事務所からゲリライベント用の十基のフロート型光子スピーカーを借り受け、地球全域をカバーするよう上空に配置する。船もスピーカーもユニバーサル仕様で、本来なら各惑星の発電施設から遠隔送電を受けられるのだが、今の地球の状況を考えるとそれは望めない。スピーカー、ステージ照明、音響、そして船自身の飛行を、船体に搭載されたリアクターの生み出すエネルギーのみで賄わなければならない。着陸までの安全確保を考慮すれば、ライブを開催できる時間はせいぜい十分──リハ無しMC込みで一曲がいいところだ。それでも、私はやらなくちゃいけない。

 上空には強い風が吹いている。揺らぎそうな身体を体幹で抑え込み、そして数百年以上も使っていなかったに思い切り空気を吸い込む。

 地球生命は生来の特性として、吸引した気体を吐き出す際に声帯を震わすことで様々な音を出す、アコーディオンのような構音器官を持つ。その機構は私のような地球生まれの機械生命にも受け継がれている。だけど元来、肺は体内の清浄を務める為の生命維持装置だ。生命活動と歌声が地続きになっているなんて、地球生命はまるで歌う為に生まれてきたみたいだ。それってアイドルそのものじゃないか。地球に生まれてよかった。私はそれを伝えに来た! 光子マイクを構え、私は肉声で叫ぶ。


「晦渋坂アリアでっす! 地球のみんな、たっだいまーーーーーーーーーーッ‼」















 喉が灼け付くほどの全力のコールは、スピーカーに乗って地球全土へと降り注ぐ。迎えるのは、静寂のレスポンス。私は全身の感覚を研ぎ澄ませて、それを感じ取る。


 大気の波に揺れる木の葉。その表面の葉脈。産毛。水たまりの波紋。残響。そして、


 大気が一瞬、青白く揺れた。


 思った通り。いや、だった。私の中の内燃機関が熱暴走を起こしそうなほどに胸が熱くなる。

 地球上で生命が終わるとき、その肉体から離れた二十一グラムの仮想粒子は通常、広大な宇宙空間に散らばり行方知れずとなる。しかし、大気を纏うこの地球においては引力と気流によって宇宙への散乱は阻まれ、大気圏内に押しとどめられる。つまり宇宙雷災害によって命を落とした人々、いや、地球生命が誕生してから今日までの数十億年間に命を全うした者たちの全ての魂は、未だ地球上に在るということだ。

 更に、未発見のその粒子は大気及び光子、あるいはその双方を組み合わせた周波をぶつけることで反応するのではないかと私は仮説を立て、そしてたった今証明した。コールの中に混ぜた光子シグナルと肉声の両方を一ナノヘルツずつ変調させて組み合わせを探るという力技を以て。つまり私はいま、魂に直接響く音域を手に入れたのだ。あなたたちが私の歌を聴く為に、私を推す為に、もはや感覚器も、肉体も、命すらも必要ない。


 そう。雷に貫かれたあの一瞬、私は宇宙の意識と接続され、そしてのだ。

 

 宇宙はサイクリックであり、ビッグバンに始まりビッグクランチに終わる。既に宇宙はそれを七十二回繰り返してきた。いま私たちが生きる宇宙もいつかは終わってしまう。けれど、決して無になるんじゃない。ビッグクランチにより宇宙に存在するあらゆる質量は粒子レベルにまで一点に収縮され特異点と化すが、その瞬間、飽和したミルクコーヒーに溶け損なった大量の砂糖のように宇宙に存在する物質は結晶化する。勿論そこには例外なく、魂の粒子さえも含まれるはずだ。そして宇宙が生まれ変わるとき、前宇宙の結晶は新たなビッグバンで宇宙全体へと拡散するのだ。つまり、現宇宙に存在する物質や、生命活動を止めて魂だけの存在になった人々はことになる。

 ならば、私の歌声に揺さぶられた魂は真空エネルギーと等速以上で技術的到達可能宇宙の外へと広がり続け、つまり私の歌は来宇宙全域に遍く届くことになる!

 そして私だって例外じゃない。来宇宙が現宇宙のオブジェクトたちの結晶を内包するのであれば私が幼い頃に【全宇宙に夢を届けるアイドルになりたい】と願ったあの彗星の正体は、過去宇宙に存在したアイドルそのものだったのだ! 願いが叶うのは必然だった。そして私自身も、いつか来世を流れる彗星となる! 誰かの願いを叶える星となるんだ! さあ、アイドルをはじめよう!


「それでは聴いてください、『LOVE&JOY‼』」


 音楽が地球全土に爆音で降り注ぐ。私の歌に、ダンスに、魂のサイリウムたちが応える。みんなのお陰で、私も答えに辿り着くことができた。アイドルって何なのか。


 アイドルは?

 彗星!

 アイドルは?

 宇宙!

 アイドルは?

 未来!


 ライブのボルテージは最高潮となり、音と光子の波に晒された魂らは虹色の輝きを放つ。その光景を目にして、思わずマイクを握る手に力が籠る。それは魂が滞留する、地球という奇跡の星の軌跡の色。全ての魂たちが紡いできた歴史の結晶。だから地球はこんなにも美しい。

 無駄なことなんてこの宇宙にはひとつもなくて、全ては来宇宙の光となる。だから自分を嫌わないで。うつむかないで。諦めないで。絶滅したってくよくよするなよNoSurrender、私の歌で未来宇宙に連れ出してやる!


 名残惜しくも歌い終えたその時、一筋の光が視界を一文字に裂いた。雷じゃない。それは巨大な彗星だった。流れる星の纏う粒子の風は、地球を掠めて暗雲を瞬く間に吹き飛ばしてしまった。切り裂かれた雷雲の隙間から太陽が顔をのぞかせ、温かな陽光が地上に降り注ぐ。すると魂のサイリウムたちは眠りに就いたように姿を潜め、ふたたび静寂の地球に戻る。その光景に、私はふと安堵を覚える。太陽にやわらかく照らされた大地に向けて、私は手を振る。


 あの日願った彗星に今度は誓う。遍く時空の向こうまで〝アイドル〟を届けてみせると。


 おやすみなさい、青い地球。さようなら、ファンのみんな。


 次の宇宙でまた会おう!

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C/2011 W3よ、もう一度流れて 葉月氷菓 @deshiLNS

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