三章 使者

第10話 大君様は大喜び

 二月三日。

 代行広重の従士二名は、神都神宮へ向けて、夜明けを待たずに出発した。雪柳の里で小休止を取り、あとは一気に林を抜けて、北の里まで馬を走らせる。


 二日目は、浅瀬を渡り、神都へ向かった。

 二名とも、何度か神都と谷丘の里を往復したことがあったが、今回は違う。

 御子様誕生の知らせを、神都神宮へ届けるのだ。

 大切なお勤めだ、身に過ぎるお役だ。


「とばし過ぎるな」

「足場が悪いぞ、気を付けろ」


 互いに冷静にと言葉をかけ合いながら、遠い社の里をすっとばして次の里へ向かう。

 暗くなり、馬を引いて社にたどり着いた日もあった。

 どの社でも、泥のように眠った。

 遠くに街道の宿が見えてきたのは、二月七日、日が暮れる寸前であった。

 従士たちは谷丘の里から、里道、小道、道なき道を、五日で駆けて来たのだった。


 明けて八日は、街道を楽々と行く。

 神都に入り、威儀を正して神宮へ向かう。

 神宮の大門の前で馬を降り、告げた。


「我ら、マキト、ミギト、代行広重の従士である。大君様へお取次ぎ願いたい。谷丘の里より、代行の御知らせあり」


 大門から飛び出してきた人々が、従士マキトたちの手から馬の手綱をとった。

 門横の建物から出てきた選士が、深く一礼して言った。


「東部、谷丘の里から、遠路ご苦労様です。ご案内いたします、どうぞ」


 マキトたちは、歩くたびに良い音のする玉砂利の敷き詰められた道を行く。

 広い石段を上り、まっすぐ奥へ進む。


 マキトたちは頭がかすみ、床が揺れているよう思われた。周りに目をやる余裕もなく、ただひたすら案内の選士の背中をにらみ、歩き続ける、と。

 選士の背中が止まった。

 いや、先に知らせに走った者と話をしている。

 来客中、という単語がこぼれ聞こえた。

 選士は改めてマキトたちに向き直ると、一礼した。


「大君様には『代行の知らせは何時であろうと通せ』と指示されております」


 説明しながら考えを巡らせているようだった。

「代行広重様は『内密に』とお望みでしょうか」


 マキトたちは礼儀も何もかも捨てて、谷丘の里に黒髪の御子様がお生まれになった、と触れ回りたかった。

 ぐっとこらえた。


「いえ、一刻も早く御知らせを」

 そう答える声は、他人のもののようだった。

 

「はい」

 選士は頷き、ゆっくり正面の両開きの扉の前に案内した。

「奥に大君様が居られます。他の方々は、北の町村の領主様方と、その選士たちです」


 おもむろに扉の中央部をコンと叩いて、選士は身を引く。

 マキトたちの目の前で、扉が音もなく左右に引き開けられていく。大勢の人影が見える。

 マキトたちは深く礼をした。


 頭を上げると、室内の人影は左右に分かれ、奥の御簾まで道が開けていた。

 中央の人影が立つ。


「ここへ」


 人影は、マキトたちを招いた。

 マキトたちは左足、右足、左足、と必死で進んだ。

 中央で再び深く礼をして。


「申し上げます」


 二月一日の、御子様誕生を御知らせした。

 喉が妙に軋んだ。


 ――叫んだのだろうか。

 ――それとも、声になっていなかったのだろうか。


 室内は静まり返り、音が消えていた。


 御簾近くにいた補士は、すっ、と大君様がお立ちになるのを見た。

 常に大君様のお側に控え、大君様の視線の先を追っている補士である。とっさに御簾に手を伸ばし、上げた。


 大君様はツツツと進まれ、上がり切ってない御簾を頭を傾けてくぐり抜け、御台をトンと降りられた。

 山吹色の内着に、淡い黄の上着を重ねておられた。

 黄は黄色である。黒髪の方々が身にまとわれる。


 マキトたちは膝を折った。震える膝では立っておれなかった。

 かろうじて左右をずらして膝をつき、改めて揃える。両手をついて頭を下げた。

 床に落ちた狭い視界の中に、信じがたいものが入って来る。

 山吹色の裾が広がる。

 はっと目を上げると、間近に大君様が微笑んでおられた。


「今、なんと」


「はっ」

 マキトとミギトは平伏した。


「た、谷丘の里に……」

「黒髪の御子様が……」


 それだけを繰り返すのが精一杯だった。


「なんと嬉しき知らせであろう」


 大君様のお声は弾み、空気は踊った。

 たちまち人影は波をうち、喜びにあふれた。

 知らせの労をねぎらうお声はまろやかで、マキトたちは茫となった。


「神に感謝の祈りを……」


 続けられる大君様のお声が遠くなり、後は周りの騒ぎも、もう何も聞こえなかった。


 ――代行様、大君様にお知らせいたしました。




 気が付くと、先ほどの案内の選士が飲み物を持ってきたところだった。

 居るのは大広間ではなく、居心地の良い調度品のそろえてある部屋のようだが、いつも従士たちの使う宿舎ではない。客間だ。

 マキトたちは居心地悪く腰かけて、飲み物をもらった。


 ――そうだ、あのあと案内されるままに、この部屋に連れてこられた。


 マキトたちが飲み終えると、落ち着くのを見計らったように選士が現れた。

「補臣様が、お話を聞きたいとおっしゃって……」


「はい」

 マキトたちは立ち上がった。

「いえ、こちらに補臣様が来られます」


 間もなく来られた補臣様は女性であったが、代行様に、広重様に似ておられる、とマキトは思った。


「広重殿はお元気か?」

 補臣は堅苦しい挨拶抜きで、マキトたちに親し気に話しかけた。


「広重殿が東の里へ代行として行ったのも、きっとこの時を見越してのこと。広重殿が分かっておらずとも、神の采配であったのだ」


 感動した面持ちで、マキトたちにどのような里か聞いた。報告は受けているが、直接聞きたいのだと言う。

 マキトたちは穏やかに人々の暮らす谷丘の里、他四つの里のことを話した。


 問われるままに、御子様がお美しくお健やかであられたこと。次の日には出発したこと。とった道、泊まった社を答えた。

 谷丘の里から六日で駆けつけたことには、ひどく驚いて。

「いやはや」

 首を振り振り、早い知らせを二人に感謝した。


「大君様は、御子様が東の里にお生まれになったことをひどく喜ばれ……有頂天になって舞い上がっておられる」


 大君様はすぐに先の君様を尋ねられ、今度は先の君様まで大騒ぎなさって、常日頃は冷静な方々が、遠い東の里の地図を出してきて広げておられた。


「ここだな、広重の谷丘の里だ。大原村の行長のところから少々離れているな……」


 夢中になっておられる様子を思い出しながら、補臣は二人の労をねぎらった。

「神宮の客として、ゆっくり滞在してくれ」

「はっ」


 マキトたちは深く礼をして、補臣を見送った。

 

「風呂と着替えの用意があります」

 選士が案内と同時に、内輪の顔をのぞかせた。

「大役でしたね」


 感嘆と憧れの目で見つめられ、誇らしかったが気恥ずかしくもあった。


「この間のことは、もう何が何だか……無我夢中で、今でも足が地についていない」


 選士は笑って二人の肩をポンポンと叩いて、風呂に案内してくれた。

 招かれた夕食会では、席の近い者たちが口々に祝ってくれた。

 遠い席の者たちは、視線を合わすと顔いっぱい祝って、頷いてくれた。


 ――谷丘の里に、黒髪の御子様がお生まれになったのだ。


 ――ここは神都神宮。


 ――お知らせの大役を果たしたのだ。


 マキトたちは、やっと実感した。

 祝いの席を早々に下がり、客間の寝台で眠った。

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