福笑い

秋冬

ふくわらい

小学6年生の晩秋に目撃した、恐ろしい光景についてちょっと聞いていただきたい。


私は通っていた小学校で、図書委員をやっていた。


高学年になると、責任感を培うためにも、皆何らかの委員をやって学校運営に貢献しなければならなかったのだ。


校内放送を担当する放送委員にも少し惹かれたが、本が好きだったので最終的に図書委員を選んだ。


図書委員の役割は色々あったが、その中の一つは、昼休みに図書室で本の貸出し対応をすることだった。


本を借りにやってくる様々な学年の児童達に対応するのは、なんだか自分が大人になって働いているような感覚に浸ることができ、とても新鮮で誇らしかった。


ある日、低学年の児童たちが図書室の隅っこにしゃがんで集まっているのに気づいた。


「みんな、何してるの?」


後ろから輪の中心を覗き込むと、そこには古い福笑いが置かれていた。


厚紙でできた福笑いは、かなり劣化して変色していた。


ぱっと見た印象としては、数十年前のものに見えた。


福笑いと言えば、正月に子どもたちが遊ぶおめでたい玩具だ。


目隠しをして、顔のパーツを手探りで並べる。


完成した顔を見て、みんなで笑って福を呼ぶ。


……なのに、目の前にある福笑いはどうしようもなく不気味で恐ろしいもののように思えた。


古いから、だろうか?


いや、特に目のパーツにゾッとする狂気が宿っている気がする。


本来口があるはずの場所に縦に置かれた目のパーツと目が合った瞬間、私は思わず吐きそうになった。


「本棚の裏にあったの!誰かが隠したみたい」


小学1年生ぐらいの男の子が教えてくれた。


「そっか。かなり古いし汚ないかもしれないから、あまり触らないようにね。ばい菌が付いてるかもね。みんな手洗いうがいして。もうすぐ昼休み終わるから、これはおねえさんが預かるね」


「はーい」


低学年の児童たちは素直に返事して、元気よく教室に帰っていった。


「あとで先生に渡そう」


私は福笑いを手に取り、図書室の受付スペースにある棚に仕舞った。


手に持った瞬間、鳥肌が立って寒気がした。


昼休みが終わって教室に戻った私は、担任の先生に福笑いの事を伝えた。


不気味だった事や何とも言えない違和感については触れず、ただ古くて不衛生なので良くない、と説明するにとどまった。


「じゃあ、後でその福笑いを持ってきてね。先生が処分しておきます」


先生にそう命じられて、私は放課後にもう一度図書室に向かった。


受付スペースの棚にある福笑いを回収しようとしたが、なぜか見当たらない。


誰かが持って行ったのかもしれない。


私は何だか言い様のない不安に教われた。


信頼できる頼りになる大人である先生と、福笑いの事を一刻も早く共有したかったのに。


先生に福笑いの不気味さを、笑い飛ばして欲しかった。


怖がっている私を、「ただの古い玩具だから心配ないよ」と安心させて欲しかった。


何だか心細い気分になったが、大したことはないし考えすぎだ、と自分に言い聞かせてその日は友達と下校した。


「……やっぱり私心配性過ぎただけなんだ」


数日後、昼休みの図書室で、私は自分に言い聞かせるように独り言を呟いてハハッと笑っていた。


「やっほー久しぶり!ねえ今日の放課後私の家でゲームしない?」


近所の幼なじみで同級生のA子ちゃんが図書室に遊びにやってきて、私を誘ってくれた。


「新しいゲーム買ったんだ。一緒にお菓子食べながらプレイしようよぉ」


思いがけない楽しい誘いに、私の不安と恐怖心はすっかり吹き飛んでしまった。


自宅から徒歩で10分ぐらいの距離にあるA子ちゃんの家でゲームをしていたら、うっかり遅い時間になってしまった。


親から「日が暮れるまでに帰ってきなさい」と言われていたのに、いけない。


A子ちゃんの両親は共働きで鍵っ子だったので、子ども達だけですっかり盛り上がってしまった。


今の時代では考えられないけれど、昔の子育ては結構放任主義的で、子ども達だけで過ごすことが多かった。


私はA子ちゃんの家を出て、小走りで自宅へと向かった。


晩秋なので日が暮れるのが早く、時刻は夕方なのにほとんど夜と変わらない雰囲気だ。


その日は特に寒いからか、道に人がほとんどいなかった。それだけでなく、なぜか車もほとんど通っていなかった。


人気のない暗い住宅街は、小学生にとってはかなり恐ろしい。


家々の中に沢山人がいるはずなのに、何だか孤独感がすごい。


誰か一人ぐらい、何らかの用事のために、玄関から出てきてくれてもいいのに……。


日が暮れるまで遊んでいたことを後悔しながら、帰路の途中で角を曲がった。


10メートルほど先、街灯の下でロボットダンスの練習をしている男性の影が見えた。


少し近づくと、ロボットダンスではなく、もがき苦しんでいるようだ。


「ぐぁ……うぐっ……うぇ……」


呻き声を出しながらギクシャクした動きを繰り返しながら振り向いた男の顔は、数日前に図書室で見た福笑いと同じ顔だった。


顔のパーツがバラバラに散らばっており、鼻は眉間に、目は口元と右頬に。


唇は左頬に、縦についていた。


「……っ」


私はあまりの恐怖に、声が出なかった。


めちゃくちゃな配置に置かれた男の目が、私を憎しみのこもった眼差しで突き刺した。


パニックになった私は、帰路を引き返して全力で走った。


「ぉぉ……ぅあ……」


背後から男の呻き声と、ハアハアと激しい吐息が迫ってくる。


どこに逃げて良いのか分からないまま走っていると、右手に馴染みの神社が見えた。


小さい頃から毎日のように通い、遊び場にしていた神社。


咄嗟の判断で、鳥居の中に飛び込んだ。


背後から追いかけてきた男は、鳥居の前で地団駄を踏みながら呻いた後、地面の上を転がりのたうちまわっていた。


私はその様子を見たくなくて、男の声も聞きたくなくて、神社の境内を奥まで進み、拝殿の中にへたり込んだ。


……そして、気づいたら朝が来ていた。


毎朝の掃除に来ていた近所のお婆さんに発見された私は、自分がいつの間にか寝ていたことに気づいた。


寝起きでボーッとしていた私を大人たちがワーッと大騒ぎしながら取り囲み、怒ったり泣いたり安堵したりしていた。


両親は、私が事件に巻き込まれたと思って警察に通報していたらしい。


めちゃくちゃ怒られたけれど、昨晩の恐怖から一転安堵に包まれた私は、泣きもせず反省もせず、ただ脱力するのみだった。


あの福笑いは何だったのだろう?あの男の正体は一体……?


今でも分からないが、私を小さい頃から見守ってくださっていた神社の神様のお陰で難を逃れたことは確かだ。


あれ以来、大人になった今でも、地元の神社へのお参りと清掃は欠かさない。

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福笑い 秋冬 @haruakifuyu

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