深海魔王のアクアリウム
海野 藻屑
序章 深海探索行
第1話 魔人ジャックの航海
一国の王を殺した大罪人がいたとしたら、そんな奴は処刑なり流刑なりにされても文句は言えないだろう。
だが現実は理不尽で厳しいものだ。
───俺は王を殺していないのに、まさに今、王殺しの罪で監獄島に向かって船に揺られているのだから。
暗雲立ち込める嵐の海を、一隻の大型帆船が息も絶え絶えといった様子で進んでいく。その船内、ずらりと並ぶ犯罪者留置用の牢屋、そのひとつ。壁に背を預けうなだれている男がいた。
無造作に伸びたグレーの髪、それと同じ色の陰気な瞳。
決して鍛えた肉体ではないが、これまでの旅で自然についた筋肉は引き締まっている。
男の名はジャック・ミュラーといった。
「どうしてこうなった……」
鼓膜を揺らすのは他の牢に入れられた犯罪者たちが喚きたてる騒音と、外から聞こえる荒波と飛び交う船員たちの怒号。
床には浸水した海水がじわじわ溜まってきている。この船はまずい状況だと目を閉じていてもわかる。
犯罪者たちを遠洋の監獄島まで輸送するこの船は、その任を果たせそうにない。
「なぁなぁ、そこのにいさん。チョーシはどうだい」
この移送船の数ある牢屋の中、同室にいるもう1人の男が声をかけてきた。
フードを被っているその男の顔は闇の奥に覆われていて見えない。
この期に及んでそんなことを聞いてくる変な奴だと一瞬は思うものの、もうそんな指摘をする気力もない。
壁際で座り込んだまま彼の方を見ず投げやりに答える。
「絶好調だ」
「へぇ、前向きだ、いいね。ところで、にいさんは何してここに?」
ジャックはその質問に至極簡潔に、かつ投げやりに答える。
「アーキア王国の王が死んだのは俺が毒を盛って毒殺した、ということになったから」
「はは、国王暗殺の罪を着せられたってか。面白い、詳しく聞かせてくれよ」
愉快そうに笑う男はまたも遠慮なく聞いてくる。
ジャックは一時逡巡したが、もう隠す意味もない。
ジャックは1つ咳ばらいをして、どこか他人事のように語り始める。
「俺は薬草なんかを売って日銭を稼いて旅してただけの放浪者だったんだが、俺が売った素材から精製したポーションで王が死んだんだとさ」
「おっと……」
「しかも俺が卸したのがなかなか手に入らない希少素材でさ。俺はすぐ足がついちまった。そこから俺は即逮捕、てなわけで今に至るわけだ。宿で寝てたら騎士が部屋にぞろぞろ入ってきて取り押さえられて……トラウマだ、はは」
遠い目をしてジャックは自虐的に半笑いで言った。
「実際どうなんだ?ん?希少素材と偽って毒草でも売ったのかい?」
そんな哀愁漂うジャックにも、隣人の男は揶揄うように聞いてくる。
「そんなの分かる人間が見ればすぐばれるし、やってない。だが、国に入ったばかりの余所者の俺が、ちょうど王の為のレアポーションの素材を卸してた。我ながら暗殺者に仕立て上げるには十分すぎる経歴だったなぁ」
加えて密入国だった、という強烈な後押しがあったことはジャックはわざわざ言わなかった。
「違ぇねぇや」
カラカラと笑う隣人は楽しそうだ。
妙に買取価格が高騰していると思ったが、まさか王に献上するポーションのためのものだとは微塵も思わなかった。
金に目がくらんで、情報の裏どりを怠った凡ミス。
国は他国が送り込んだ刺客による暗殺と発表しているものの、当事者であるジャックはそれは真実ではないと分かっている。
普通に罹っていた病による死か、はたまた本当に別の暗殺者がいたのか、王に会った事すら無いジャックには知りようもないことであった。
それでも誰かに聞いてもらって、笑い飛ばしてもらったことで心は軽くなったような気がした。
「ところで、よくそんな希少なポーション素材の薬草ドンピシャで持ってたな。ツイてるというか、ツイてないというか」
「それは……」
ジャックは説明しようとしてやめた。見せた方が早いからだ。
魔力を右手指先へと集中させていく。
記憶を辿り、魔力は人差し指の先に一輪の青い花となって形を成した。
「俺は魔人ってやつなんだ。生まれ持った魔術式で、記憶にある生命を魔力で自己複製出来る」
「魔人か! 聞いたことはあったが実際に会ったのは初めてだ。大国でも1人いるかいないかって言うレベルの特異体質、なんだっけか?」
「俺も俺以外の魔人には出会ったことがないね」
魔人。
生まれた時から先天性の魔術式をもって生まれる稀な体質の人間。
まさに天賦の才能と呼ぶべき代物に聞こえるが、真実は残酷だ。
魔人とは、運命の呪いである。
魔人は生まれながらに持つ魔術式以外の、この世界に数多と開発されてきた汎用的な魔術が使えないのだ。
生まれつき刻まれた魔術式が混線し、式が乱されることが原因と言われている。魔力による肉体強化術も同様の結果になる。
1つを与えられ、その他のすべての道を閉ざされている。
稀人ではあるが、憧れられるような人種ではないことは確かだ。
ジャックは指先に咲かせた花を親指の爪で隣人の方へプチッと摘み飛ばしてやる。
「おっとと」
隣人が花をキャッチしようとしてスカッと手が宙を切った。床に落ちた花を興味深そうにしげしげと眺めている。
「なるほどなぁ、にいさんはそれでニーズにあった薬草を聞いてから売り放題ってわけだ。アコギな商売してんな、ったく」
「そうでもない。目立つわけにもいかないから量は捌けなかった。こんな風に他人に自分から話すのも人生で初めてだ」
「そりゃまたどうして?」
当然の疑問に、ジャックは過去に聞いた1つの昔話を添え答える。
「かつて、『錬金の魔人』がいた……らしい。そいつは触れたモノに魔力を流し込むことで金にすることが出来る魔術を持っていた。自身の能力で荒稼ぎしていたが、能力と魔人であることがバレた挙句犯罪組織の資金源として一生奴隷生活。その末路は発狂して自身を金に変えての自殺だったってオチさ」
「目を付けられたら終わり、か。慎重にならざるを得ない訳だぁ」
「ま、かくいう俺も物心ついた時にはとある
「あらら……にいさんも苦労してんだねぇ」
肩をすくめる隣人に、ジャックは初めて向き直る。
もう語ることはない。次は後攻の番だ。
「それで?俺には散々喋らせておいてお前はどうなんだ?」
「お、今度は俺の番か。っと、まずは自己紹介からだな。俺は……」
次の瞬間、隣人の言葉を遮るかのように突如として牢屋の並ぶ廊下の前方の扉が勢いよく開け放たれる。
現れたのは二人の男。体格のいい太った中年の男と、その部下らしき若い男だ。
両者ともにずぶ濡れで着ている黒い制服は乱れに乱れている。
「考え直してください看守長!そんなことしたら……」
「今は船長と呼べ、バカちんが。使えるもんは何でも使うんだよ。何もせずに全員仲良く海の藻屑になるよか全然マシだぜ」
囚人たちが牢屋の柵格子に張り付いて見守る中、中年の男の方が獰猛な笑みを浮かべた顔で語り掛ける。
「よう、囚人一年生ども。入学式前で悪いが、早速刑務作業の時間だぜ。内容は1つ、船をバケモノから守るのに協力しろ。以上だ。」
一瞬ぽかんとする囚人一同。そしてすぐさま堰を切るように喚きだす。
「ヒャハハハ!なんだかよくわかんねえけどざまあねえぜ!」
「なんでもいいからさっさと出しやがれ!」
「だったら減刑を約束しろぉ!」
同行する若い刑務官は表情に嫌悪感を滲ませたが、船長を名乗る男は歯をむき出しにしてニッと笑顔を見せた。
「元気いっぱいで最高だぜゴミどもが! 生き残れたら監獄でも可愛がってやる!」
何もない空間を掴むように掌を構え、そのままぐりんと半回転させる。
すると同時に全牢屋の錠前は一斉に弾けるように開錠されていく。
魔封じの手枷も同様にガチャリと音を立てて手首から滑り落ちた。
一瞬の静寂の後、歓喜の雄たけびと共に飛び出していく囚人たちをよそ目に、ジャックはバケモノという単語が引っかかっていた。
手首をさすりながら開いた扉を見やると、隣人が親指でくいっと階段を差す。
「俺の話はまた次の機会だな」
「……ああ、行こう」
ジャックは不思議と高鳴っている心臓の鼓動を感じながら、誰も居なくなった牢棟を後にした。
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