失った春のために
_
本編
春
三月九日、あたしたちは中学を卒業する。
三八名の卒業生が校舎の前に集まる。
パシャッパシャッと各地でフラッシュが飛び交う。
こちらもスマホでいつもの面々を映し端末を確かめると、枠線の内側に収まった三人の少女は髪を風になびかせていた。あたしはショートヘアだからマシだけど、右側のあかねはボリュームのある栗毛だからおばけのように荒ぶっていて、思わず吹き出す。
むっと口をすぼめるあかねはすぐに指を差しながら大笑いしたので、釣られて笑った。左側では
別の場所でもキラキラと笑い声が高鳴り、思いっきり撮影を楽しむ最中、小さな淡紅色がひらひらと降りてきた。
真後ろの桜の樹から散ったものを手のひらで受け止めると、季節の終わりを実感し、しみじみとした思いが心を浸すから、つい口走る。
「ねぇ、十年後もみんなで桜を見に行かない? もっと大きな場所でさ」
きょとんとした反応のみんな。
恥ずかしくなって肩をすぼめたとき急に視線を感じて顔を上げる。黒髪黒目のクールな顔立ちをした男子が、じっとあたしを見つめていた。
***
十年後。
当日は雲一つない晴れで、空は青一色に染まっていた。
東京ドームが収まりそうなくらいに広々とした敷地。清流を囲うように桜の樹が並ぶ様は圧巻だった。
手前の看板に書き連なったwikiのような紹介文いわく、品種は夢咲らしい。
原っぱに敷いたピクニックシートは種類の違うものをいくつか繋ぎ合わせたもので、まるでパッチワークみたい。
スニーカーを脱いで揃えてから、膝で奥までジリジリと入る。中央には重箱を広げたあかねの姿があり、くるくると巻いた栗毛をリボンで結んで、前に流している。
彼女はすぐにあたしに気づいて、手招きするように腕を上げた。
「まさかあんな思いつきみたいな約束を覚えてくれてたなんてね。LINEきたときびっくりしちゃった」
あかねのほうに寄って、花吹雪を見上げる。
「ほかならぬ咲良の頼みだもの。当然よ」
「まさかあんた、本気じゃなかったのか」
あかねが声を弾ませる。ボルドーのワンピースがメリハリのあるボディを押し上げ、より大人っぽくゴージャスに見えた。
外側では
「でも、ごめん。言い出しっぺなのに
「いいのいいの。あいつが勝手にやっただけだから」
「こういうのはやる気のある奴に任せておけばいい。企画もスケジュール管理も、
他の弁当箱を並べながら口走るあかね。
そうだよねぇ……。あたしじゃ絶対三八人集められなかったよ。
「そんなことより早く食べましょう。この日置あかねが腕によりをかけて作ったのだから」
重厚な箱が開くと華やかな香りが花のようにふわっと広がり、体育祭の昼を思い出す豪勢さにおおっと身を乗り出す。
ちょうど柔らかな日差しが降り注ぎ、周りが明るい。
オレンジジュースを飲みながら、十年間になにをしていたのかについて、話し合う。
あかねは一級調理師の資格を取り、プロの料理人として活躍中とのこと。
いつかはテレビに出ることが目標らしいが、あたしが店の名前を教えてとせがむと、『まだ名前が売れてないのね』とがっかり肩を上下させた。
本人は陰キャな自分にぴったりだと卑下していたけれど、パソコンを自分の腕みたいに使いこなす
かくいうあたしは花屋だ。意外と重労働だけど華やかな色と香りに
(なんて、どんな気持ちで言えばよかったんだろう)
思い出話はさらに続く。
小学校から中学までクラスのメンツが変わらなかったあたしたち。地域も同じだったので同じ通学路を歩いていたっけ。
学園生活は充実していて、最後の年は学級委員をやった。
彼のことで盛り上がり早口で脳内で喋りそうになって、急に口をつぐむ。
あたし、肝心の彼と顔を合わせていない。
伸びをしながら奥を見渡してみる。駄目だ。黒い頭が山脈のように連なっている。きっと友達に囲まれているんだな。
背を丸め息を吐いたとき、右からあかねが口を挟む。
「
気になっていることを察したような切り出し方だった。
「とんでもない技術を開発したみたいだ。なんでも、夢のVRMMORPGが実現するかもだと」
「
あかねがキャーキャーと盛り上がる。
すごいことは分かるけど、妙にピンとこなかった。
VRの話では世間では有名らしいけど、あたしには情報がまるで入ってこない。まるで外の世界と隔離されたかのよう。
確かに山奥にこもってはいるのだけど、元クラスメイトが羽ばたく間にずいぶんと引き離されたものだ。
村を囲うようにそびえる蒼色の山々を見て遠い目。
「そういえば
冷静な声でとんでもない不意打ちを仕掛けられ、あやうくドリンクを
慌てて紙コップを握り直し、ドギマギと汗をかくあたし。
「別になにも。別々の高校を選んで、それっきりだよ」
「もったいないわ。お似合いだったのに」
横ではネズミーランドの売店で売ってそうな蓋付きのコップから、ストローで暗褐色の液体をすすりながら、
確かに
思えば最初からそう。小学生のころに空き地で追いかけっこをしたけど、最後まで追いつけなかった……。
彼とはもう二度と会えないような気がする。
***
花見の最後、卒業式の日と同じように写真を撮った。
みんなで笑いあった明るい光景が一枚の画に押し込められて、
本当は分かっていた、あたしにだけ与えられた祝福の時間は、本来なら存在するはずのないものだって。
九年前から違和感だけはあったのだ。
ふとした瞬間に奇妙な映像が脳内に挿し込まれる。
三角コーンが一人手に倒れた先で飛び散る血。バタッと倒れた音。アスファルトに投げ出された腕に力はなく、赤く染まった指先は動かない。
平地の一軒家に幕が垂れ、入口には
黒いリボンの下の白飛びした顔。死者の正体を確かめる前に目を開いた。
シンプルなベッドに、簡素な寝室。窓から差し込む光は淡い。
何事もなく朝を迎える度に、なにか違うと首をひねる。
見慣れた景色が少しずつズレていくような、本来ならありえないはずの時間が矛盾を抱えて続くような……。
起点は高校二年の夏だった。
ありえない
ひょっとしたら夏祭りは二度と見られず、後の景色にはどうあがいても続かないのではないか、と。
仮に全てが偽りだとすれば、あたしは……。
『気づいてしまったんだね』
夕刻の十字路でやや低い声を聞く。
ネギの飛び出した買物カバンを片手に体をひねると、ゆるく伸びた通りの真ん中に、すらっとした影が突っ立っていた。
オフィスカジュアルなファッションに、整った短髪。引き締まった顔立ちに少年らしさは鳴りを潜め、代わりに真面目さを際立たせる。つるんとした表紙のアルバムに残る男子の顔とすぐに結びついた。
でもなんだろう、この感じ。
対角線上に立つ男の不確かな存在感は幻を見るような、輪郭が
一瞬彼が現実の人間ではないと錯覚しかけ、しかめっ面で首を横に振る。
いやむしろ、逆……?
口の中で
『いつかは話さなければならないことだと思っていたよ』
涼しい風が通りに吹き抜け、ベールを張る。木々が揺れる方向へショートヘアがなびき、乾いた葉が舞った。
『僕がAIを開発していたこと、知っているよね。本来、君が知るはずのない情報だけど』
温度が下がり、凍りついた語尾。
鼓動がドキリと音を立てる。
『君は高校二年の夏に死んでるんだ、交通事故に遭って』
重たい声が耳を通り抜けた。
空を暗雲が覆い、世界から色が消える。
血の気が引き、透明になった肌を汗の雫が滑り落ちた。
『この世界は生前の情報を元に、もし彼女が生きていたらというイフをシミュレーションして、出力したものだ』
ひどく誠実なまでにハッキリと、彼は告げる。
嘘でも、冗談でもない……。
『僕もみんなも受け入れられなかったんだ。君が死んだなんて』
眉間にシワを寄せ視線を下げると、薄く開いた唇からポツリと言葉が落ちた。
『だから、ゴメン』
頭を下げる。
あたしは
なんと声をかければいいのか、分からなかった。
ヒュー。
荒涼とした風に茶色に枯れた葉が石畳を転がり、沈みゆく日が商店街の屋根を赤橙に染め上げる。
***
気持ちの整理がつかないまま届いた、花見への誘い。
心もとない気持ちで当日を迎える。
浮かない顔で現地に赴いたあたしを待っていたのは、十年前と同じみんなの笑顔だった。
「はいチーズ!」
明るい髪色をショートに整えたあたしの隣には、
日直の欄に二人で名前を書くような、学級委員として並び合ったような、しっくり感だ。
背の順に並んだ男女。小柄な者は手前に、中断は屈み、後ろは背筋を伸ばして構える。
よかった、三八人全員が写っているよ!
目にきらりと光が入り、温かな思いが胸に流れ込む。
あの少女が得られなかったもの、見るはずのなかった画を、あたしは手に入れた。
大切な写真を胸に抱えて口元を綻ばせる。
「約束叶えてくれて、ありがとう」
開けた窓から淡紅の花びらが舞い降りて、ほのかに甘い香りが
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます