What a Wonderful World
一兎風タウ
#1 Moebius loop
人類への信頼を失ってはならない。
人類は海のようなものである。
たとえ海の中の数滴が汚れていても、海全体は汚れない。
-マハトマ・ガンディー
小さな珊瑚礁の一角に、剥がれた仮面のような、人の顔を模した右半分の外殻パーツが無造作に転がっていた。辺りを見渡してみるとそういったものは珍しくなく、人体を模したパーツや、なんの部品かも判別できないものが転がっている。
その合間を縫うように青白く反射して素早く光るものがいくつかあった。小さな魚の群れだ。赤や青、縞模様など多種多様な魚たちは無機質なそれらを拠点にし、小さなコロニーを形成しているようだ。
それを横目に人魚型のアンドロイドは魚たちの優雅な舞に目を細め、名残惜しそうに尾鰭を振ってその場を離れた。
(……これじゃない)
目的のものを探すべく、注意深く海底に目を凝らす。ともすれば雑多なものに紛れやすいそれを探すのは難航するかに思われたが、案外すぐに見つけることができた。尾鰭にいっそう力を入れて水を蹴り、海底に沈むそれを持ち上げる。
(あった)
アンドロイドの左足だ。
目的の型式とも合致する。外装が禿げて荒々しい状態だが、可動部分も問題なく動きそうだ。指先が欠如しているが、足首から先は必要ないので問題ない。
小脇に左足を抱えるとそのまま海面へと浮上して岸へと向かう。浅瀬に近付くと自身の下半身の外装を変え、徐々に人型の足へと変えていく。パタパタと鱗型の外装が裏返る音を聞きながら、波打ち際の寄せて返す波音を楽しむ。
-紀元後3518年。人類の代理としてアンドロイドたちが戦争をはじめて1000年以上が経過した。自分たちが属していたオリュンポス軍が最後の敵対組織・高天原軍を打ち倒して十数年。
永きに渡る戦闘で陸上の生命は生き絶え、人工物すら破壊し尽くされたこの惑星上の、貴重で平穏な砂浜を歩く。
岩礁の合間を縫うように裾を広げるその砂浜の上に上がった彼は、ほど近くに停車している歪に大きい乗り物へと向かった。
これを作った兄弟分曰く、名前は「ケルベロス」。陸空地中両用の兄弟分自慢の逸品だが、詳しい説明を聞かされてもちんぷんかんぷんだった彼は、その2つの説明以外は綺麗さっぱり忘れてしまった。
そんな哀れ……かどうかは分からないが、ケルベロスの高い位置にあるドアを勢いよく開けて中に乗り込む。車内は見た目以上に狭く、所狭しと並ぶ操作盤やモニターは、これまた彼にはちっとも分からないものばかりだ。作成した本人のために大きく作られたドアから一歩足を踏み入れると、車内前方から風切音の直後にぼすんと少し間抜けな音とともに、柔らかいものが頭に当たる。
「ポー!濡れたままあちこち触るなよ」
「うん、ありがとう」
2つある運転席の一つに窮屈そうに座る大柄な男性型アンドロイド、彼の兄弟分でもあるハデスは、手を振ってまた機器類を弄るのを再開した。
投げられたであろう頭から落ちかけているタオルを掴み直し、頭から拭っていく。確かに十分水を切らなかったせいで足元に小さな水溜りができていた。機械には疎い自負がある彼-…ポーでも、機械の類いは水に弱いことを知っている。いや、正確に言えば、自分以外のアンドロイドもそれに含まれているのを知っている、だ。
ともかく機械に囲まれた空間で水気は御法度だ。念入りに体を拭き、小脇に抱えた左足も軽く水気を取る。
「……海に行っていたの?」
車内後方からの声に振り向くと、後部座席に設けられた簡易なソファに座る女性型アンドロイドが、凪のように静かな視線をこちらに向けていた。
彼女の左足は、腿の付け根から先がない。彼女の傍には彼女の使うレーザーライフルが充電スタンドに掛けられ、それに添えられるように足首から先の、ヒールを履いた左足が置いてあった。
「ざっと見た感じ陸にはなかったから」
「ハハッ、泳ぐ口実か?」
「……ハデスが手伝ってくれなかったから」
「ならおまえが操作盤の修理するか?」
「……」
そう言われると手も足も出ない。
機械音痴を揶揄うハデスの物言いに少し臍を曲げたポーは膨れっ面のままそれに答えることなく、静かに座り続ける彼女、ヘスティアに向き直り左足の部品を差し出す。
「海底に落ちてたけど使えるかな?」
「防水タイプじゃないけど、乾かして調整すれば使えるかもしれないわ」
ざっと左足パーツを確認した彼女は、頷いて言った。
ポー自身も少し聞き齧ったことがある。完全防水ではないアンドロイドが一番水に触れてはいけない部分は胴体にある中枢部分とメモリがある頭部で、水没しない限りは水が掛かった程度なら大丈夫だが、海などに落ちると自重のせいで浮上できず大抵陸に上がる前に駄目になってしまう。
つまり、そういった繊細な部分でない足パーツのみなら、水没していても使える可能性がある、ということだろう。
「そっか。早く足が戻るといいね、ヘスティア」
「ありがとう、ポー」
普段あまり感情が表に出ないヘスティアが、安心させるように淡い笑みを浮かべる。
しかしほんの少しの安らぎの時間する打ち破るように、けたたましいアラート音が狭い車内に鳴り響く。慌てて現状確認のために車内前方に急ぐが、辿り着くまえにハデスの口から、アラート音に負けないような大声で答えが飛び出す。
「空母艦だ!潜るぞ!」
言うが早いか、ギアチェンジした車体の前面にあるドリルが回転し、車は大きく揺れた。よろめきながらももう一つの運転席に辿り着いたポーは、フロントガラスから遥か上空を見上げた。
かなりの高度に浮かんでいるはずだが、その艦はあまりにも大きい。山の上に神殿があるようなデザインのそれは、空母艦だと知らなければ山をそのまま持ち上げているように見えるだろう。艦の下方、ガラスに囲まれた空間にいるであろうその人物の名前を、ポーは思わず呟いた。
「ゼウス……」
車体が地面に潜って見えなくなっていく空母艦を、最後まで見つめ続けた。
あのとき他に道はなかったのか……後悔を滲ませながら。
数日前。オリュンポス軍空母艦内、作戦会議室。
ここは天井以外はガラスに囲まれた、12角形の空間だ。司令系統の上位しか入ることのないこの空間にはその司令系統12体のアンドロイドに因んだモチーフのレリーフが天井近くの壁に刻まれているが、その全員が一堂に介したことはない。司令系統が世代ごとに入れ替わり、その空位を埋めることがないからだった。
そして、今ここにいるのは3体のみ。
そのうちの一体であるハデスは、驚愕の色をそのままに声を上げた。
「どういうこった、そりゃあ!」
矛先を向けられた男性型アンドロイド、ゼウスはそれでも表情を1ミリも動かすことなく冷たい視線をハデスに返した。金色の手すりを掴み、座していた椅子から立ち上がる。
「どうもこうも、言った通りだ」
彼の革靴がガラスの床を叩き、硬い音がハデスと未だ黙ったままのポーの間を通り過ぎていく。
ポーの頭の中では、先程ゼウスが発した言葉を受け止めきれず、ぐるぐると反芻するのみで、そこに革靴の音が加わって鈍く痛むようだった。
(なんだろう、これ……グラグラする)
痛みも眩暈も知識としてしか知らないが、きっとこんな感覚なのだろう。歪んだように見える視界から逃れるように目を覆い、やっとの思いで口を開く。
「でも、この星から離れるなんて……」
苦しげに呟いた彼に、ゼウスはいっそう冷たい目で見下ろした。青白いこの空間では、その表情はより一層冷徹に見える。視線の意図を理解できずに当惑するポーを横目に、視線よりも冷たい声音で吐き捨てる。
「我々を支配していた人間はとうに滅んだ。この惑星上に生命活動はほぼない」
こつ、と一際大きくガラスを叩く音が、静かな空間に響く。
「この星はもう必要ない。惑星離脱後、全て爆破する」
「おいおい!いくら高天原軍がまた侵攻してきたからって、そこまですることないだろ!」
ゼウスに食ってかかるハデスの声が遠くに聞こえる。
ぐにゃりと歪む視界の中、何かの光がポーの顔に当たった。その光を追ってガラスの向こうを見ると、遠くの海が太陽の光を反射してきらきらと輝いていた。
ああ、と目を細める。
海。
小さくても懸命に生きる魚たち。
そういった生命を見るのが大好きだ。
それを、壊す?
2人の言い合いはいつの間にか止まっていた。
ずっと黙っていたポーが立ち上がったからだ。
「……ポー?」
「ぼくは……」
俯いていた顔を上げる。
先程の、迷子のような顔ではない。決意に満ちた表情で、ゼウスを真っ直ぐ見上げる。
「ぼくはここを脱けるよ」
「……脱走する、という意味か?」
ゼウスの冷ややかな声音も、今は怖くない。
静かに一つ頷く。
それににっと笑って肩を叩いてきたのはハデスだった。大股で近付き、バンバンと遠慮なく叩き込まれる激励は、小柄なアンドロイドの体制を崩すのに十分すぎた。前のめりになった体を、今度はぐっと肩を掴んで元に戻される。
「よく言った!……オレも一緒に行くぜ」
「……ハデス」
今度は制止するように発された名前を呼ぶ声にも、ハデスは正面から受け止めて返した。
「オレはなぁ、ゼウス。お前のやり方が気に食わん」
ポーの時と同じように大股でゼウスに近付くと、その顔を覗き込んで握った拳で胸を軽く叩く。
「まだ間に合うぜ」
「決定事項を変えるつもりはない」
しかし暖簾に腕押し。鉄面皮が見つめ返すだけのそれに、ハデスは目を逸らして呟いた。
「……そうかよ」
重く響く声を感じさせる暇もなくくるっと向きを変えたハデスは、ポーの腕を掴み、大股で部屋の出口へと向かった。
「無事脱出できると?」
「だぁから急いでんだよ!」
軽口のようなそれを聞きながらエレベーターに乗り込む直前に振り返ったポーは、空中に浮かぶ青いウインドウを弄るゼウスの姿を見た。
一瞬見えた表情に目を瞠る前に、その姿はエレベーターの床で遮られ、見えなくなってしまう。
エレベーターで上階へ移動し廊下に出ると、アラート音が狭い空間に鳴り響いた。
『脱走発生!脱走発生!格納庫と搭乗口を閉鎖せよ!』
「クソッ!早速か!」
定型文を読み上げる女性のアナウンスを聞きながら、空母艦の中階にある格納庫へと走る。しかし不運にも、行く先に人影が横切った。
「ッ!」
「ヘスティア!」
「2人してどうしたの?早く格納庫へ……」
そう言うヘスティアの手には愛用のレーザーライフル。指示通り格納庫へと向かっていたようだ。
定型のアナウンスでは、誰が脱走したかは分からなかったのだろう。なんとかここを切り抜けて、と考えたところで、無情にもスピーカーから聞き慣れた声がした。
『脱走兵はハデスとポセイドンだ。見つけ次第捕縛せよ』
瞬時に反応したヘスティアが銃を構えて銃口をこちらに向ける。
ハデスとポーはサイキック、つまり異能力じみた力で戦うアンドロイドだ。ハデスは岩を操り、ポーは水を操る。地上でそういったものに囲まれた場所で戦うのは有利だが、こういった艦の中では武器を持つヘスティアのほうが有利だ。
不利を悟ったハデスは、戦闘の意思はないと両手を上げる。が、彼女はそれ以上動こうとしなかった。
引き金に掛かる指が震えている。一瞬どうすべきか悩んだが、ポーが動くほうが早かった。ハデスが咄嗟に腕で制したが、それでも彼は前に進み出た。
「ぼくたちについてきてほしい。説明はあとでするから」
差し伸べられた手とポーの顔を交互に見る。真っ直ぐ見つめるその顔は、迷いなどなかった。それに目を丸くした彼女の肩から力が抜ける。
彼女は引き金から手を離し、代わりにその手を取った。
3人分の走る足音が廊下に響き、格納庫へと入っていく。何度か会敵したが、ヘスティアの威嚇射撃にすぐ顔を引っ込めたのを見るに、全員武器を持ち合わせていたわけではなかったようだ。格納庫にもまだ人影はない。
ハデスが先行して停車してあるケルベロスへと向かう。殿を務めていたヘスティアの左後方で、キンッと甲高い金属音が鳴り響く。視界の隅で床から跳ね上がる小さな物体を目視したヘスティアは、近くにいたポーの体を突き飛ばす。
「⁉︎ヘス……」
言い終わらないうちに、炸裂音が広い格納庫に反響する。
小さな手榴弾でも、アンドロイドの足を1つ吹き飛ばすには十分だった。
間髪入れずに銃撃も開始される。慌てて彼女の体を抱き起こすポーとは違い、ヘスティアは冷静に使えるパーツとして残った足首を掴んだ。
「早く乗れ!出すぞ!」
扉に何とかヘスティアの体を押し込み、窮屈な合間に自分の体を縫って乗り込んで、勢いよく扉を閉める。エンジンの掛かっていた車体は待ちきれないとばかりに走り出し、搭乗口へと発進した。
ぐんと速度を上げたケルベロスは前方のドリルを回転させ、閉じていたシャッターを突き破る。広げた翼は風を受け止め、空へと飛び立った。
こうして彼らの、かつての仲間から逃げ続け、この星を放浪する旅が始まった。
日はすでに地平線へと沈み、夜の星が散りばめられた宵の口。
明かりのないケルベロスの中で唯一の光源である小さなランタンは、ヘスティアに取手を掴まれてゆらゆらと揺れていた。ハデスは運転席のリクライニングを倒し、すでにスリープ状態になっている。
ここ数日で慣れてきたハンモックに揺られながら寝そべっていたポーは、不意に振り返ったヘスティアに質問を投げかけられる。
「どうして私も連れてきたの?」
「ん?」
質問の意味に首を傾げ、あの時のことかと思い至る。
事情を全て話し、それに全て同意してくれた彼女は、やはり自分たちについてくると言ってくれた。今戻ったところで、という思いもあっただろうが、大部分はやはりゼウスに反対の立場だったからだろう。
だが、あの時咄嗟に手を伸ばした理由はまだ話していなかった。
あの時は本当に咄嗟の行動だったが、それに至る理由はすぐに見つかった。
「ヘスティアは時々、寂しそうな顔をしてたから」
彼女の顔に、ゆっくりと驚きの感情が広がる。
「……私が?」
「うん」
迷いなく即答するポーに、むしろ彼女が困惑するように立ち上がった。
いつの日か、こんな宵の口に空母艦内のヘスティアの部屋を訪ねたことがあった。用事は今では覚えていないほど些細なことで、ただ話したかっただけぐらいのものだっただろう。
彼女は窓辺のカウチに座り、手にはレーザーライフルがあった。おそらく銃のメンテナンスの最中なのだろう、道具がそこかしこに置いてある。しかしその手は完全に止まり、窓の外へと視線が投げかけられている。ガラスに反射した彼女の顔は綺麗な夜空を見るでもなく、下へと向いていた。
あの時のヘスティアの感情を、理由をポーは知らない。ただ、何かを求めるように寂しそうな顔をしていたのは確かだった。
「そろそろスリープしましょう」
立ち上がった彼女は、こちらへと手を伸ばした。
機械音痴すぎるポーは、自分自身でスリープモードにもできない。下半身の換装はできるのに、とヘスティアは首を捻るが、何度やってもうまくいかなかった。
ヘスティアの手がこめかみに触れると、視界が徐々に暗く、狭くなっていく。全て見えなくなる前に、彼女へと笑いかけた。
「おやすみ」
「……おやすみなさい」
目を閉じてスリープモードになったポーは、知らない。
彼女がまた同じように、寂しげに俯いたことに。
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