第3話:色づく日常

クールで孤独な男を自認していた俺にとって、事実これは大誤算だったのである。


「おはよう!」


「お、おはよう…」ニチャア


明朗快活な佐藤さんの魅力にすでに俺は落とされていた。

というか佐藤さんの隣の席になってからは、苦行だとさえ思っていた学校に行くことが楽しみなっていた。

あんなに重かった朝の教室の扉も、席が佐藤さんの横になってからは確かにアルミの重さに戻っていたのである。


「昨日の宿題やった?」


佐藤さんがプリントをカサカサと机に出しながら、何気なく訊いてくる。


「や、やったよ。えっと…ほら、俺のはこう…」


心なしか手が震えている。


「あ、すごい。字きれいなんだね!」


「えっ…あ、ありがとう…」ニチャア


佐藤さんが笑って「助かった、写させてもらってもいい?」と顔を寄せる。

近い。ちょっと柔軟剤の匂いがする。やめろ、心臓が過労死する。


「う、うん…でも100点満点の出来じゃないから…」


「え、じゃあ減点されてもいいように、2人分合わせて200点にしよっか」


「…………」


ああ、好きだ。

そして鈴木…ありがとう、お前の犠牲のおかげで俺は毎日楽しいよ。


―――――――――――――――――――――――――――――


しかし、そんな俺の変化をこの男が見逃すはずがなかった。


昼休み――俺たちは机を向かい合わせ、弁当を広げていた。

そんな中、前田が鋭い目つきで訊いてきたのである。


「え、おまえ、もしかして佐藤さんのこと好きなの?」


俺は少し動揺しつつも、弁当のふたを押さえる手を止めず、――自分では冷静を装いながら――返答した。


「これは本能の問題であって、男子であれば佐藤さんを好ましく思うのは必然である。その理由として――①明るく元気で誰にでも分け隔てなく話す性格、②恵まれた容姿、③副委員長というサポート系ポジション。この三要素が揃っている時点で必要条件は満たされているが、十分条件は――」


「つまり好きってこと?」


「はい」


理屈は途中で切られたが、結論としては好きということだ。

前田は少し驚いた顔をして、短く一言。


「マジか」


「はい」


俺は二度、はっきりと肯定した(いや、せざるを得なかった)。

前田は続ける。


「厳しい戦いになるぞ~」


「…そんなにか?」


そんなことはとっくの昔に分かっているのだが、一応聞き返す。


「当たり前だろ。うちのクラスでも一、二を争う人気だぞ。成績優秀でスポーツ万能な高橋も佐藤さん狙いだし、前に隣の席だった野球部の鈴木もそうだ」


「鈴木はなんとなく分かってたけど…高橋もなのかよ」


高橋とは、このクラスではリーダー的な存在の人物だ。

爽やかで、成績はおそらくトップ。しかもバスケ部所属で運動神経抜群という、ほぼ欠点のない完璧超人だ。


「ああ。あいつ委員長だろ?で、佐藤さんは副委員長。学級委員会で繋がりもあるしな」


「…なるほど」


前田はしばらく俺の顔を眺めたあと、ふっと口元を緩めた。


「……まあ、あんまり無理すんなよ」


「別に無理なんかしてない」


前田は肘を机につき、声を少し落として続けた。


「いや、そういう意味じゃなくてさ。……恋愛での傷って、結構深いからな。部活で負けるのとはわけが違う。しかも相手がクラスメイトだと毎日顔合わせる分、治りも遅い」


「……そんなこと言われてもな」


「だからまあ、勢いだけで突っ走るなってことだよ。お前のことだから、気づいたら坂道全力で下ってそうだし」


「……例えが雑だな」


前田は笑って肩をすくめたが、その目は少しだけ本気だった。

しかし、すぐに前田は笑いを引っ込め、机の上の教科書を軽く叩いた。


「……で、話は変わるけど、中間テストもうすぐだぞ」


「うっ」


その言葉で初めて意識が現実に引き戻される。あたりを見渡せば、クラス中の机に参考書やノートが広がり、鉛筆の音が規則正しく響いていた。


「お前もそろそろ勉強モード入らないとやばいんじゃないか?」


「分かってるけど……」


と返しながら、ちらりと佐藤さんの机を見ると、彼女も真剣な顔で英単語帳をめくっていた。


「ほら、そんな顔してるとますます集中できねぇだろ」


前田がニヤっと笑い、肩を叩く。


「今日さ、いつも通り一緒に帰ろうぜ」


「……ああ」


窓の外には、昼下がりのくすんだ青が広がっている。

流れる雲をぼんやりと目で追いながら、俺はなぜか胸の奥がざわつくのを感じていた。

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ウイルス 西崎 碧 @nishizaki

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