第19話 全身全霊全力で!
床一面に広がった影が、波打つようにせり上がった。
悪霊の足元。
そこから広がっていた黒い影が、床のひび割れや崩れた瓦礫に絡みつき、じわじわと形を変えている。
さっきまで騎士たちの足元へ伸びていた細い線は、もうない。
代わりに――影そのものが、部屋の構造に食い込んでいた。
「影の繋がりは、騎士から“この部屋そのもの”に移りましたね」
ヴェルトが息を整えながら呟く。
HPバーは瀕死まではいかないものの、まだオレンジ色。
僕もMPは底が見え始めている。
(ここから、どうする……? でも――)
胸の奥で、恐怖と一緒に、妙な高揚が跳ねた。
ゲームでピンチに追い込まれたときの、あの感覚。
間違えたら一瞬で“ゲームオーバー”だけど、だからこそ、正解を引き当てたくなる。
悪霊が、ゆっくりと腕を広げた。
ザザザッ――。
床一面の影が、鋭い棘の群れのように立ち上がる。
それは一斉にこちらへ向かって、槍のように伸びてきた。
「《ウィンド・ブラスト》!」
反射的に風を叩きつける。
だが、影の槍は物理的な手応えが薄く、押し返しきれない。
風は確かに当たっているのに、影の輪郭がぶれて、すり抜けるみたいに形を持ち直す。
(くそ……! 仕様がわからないと、こういうところで差が出るんだよね)
「影は、形になっていても半ば術そのものです。押し返すより、受ける場所をずらした方がいいですね」
「先に言って!?」
ひときわ太い影の槍が、さっきまで僕の胸があった場所を貫いた。
石床に深々と突き刺さり、ひび割れが四方へ走る。
(まともに喰らったら、あれも即死コースだ……ゲーム的には)
ほんの少し、背筋が冷える。
でも、痛みがないぶん、怖さよりも「どう避けるか」の計算がすぐに頭の前に出てくる。
足元の影がざわざわと揺れ、次の一撃を狙っている。
「ユーマさん、影の核を探してください」
「核?」
「ええ。さっきまでは騎士たちの足元でしたが、今はこの空間のどこか――必ず、濃度が高い場所があります」
言われて、僕は荒れた床を見回した。
割れた石床。
騎士の残骸。
崩れかけた柱。
そのあたり一面に影は広がっているけれど、たしかに――
(あそこだけ、濃い)
岩の段差と床の境目。
悪霊の玉座の真下あたりに、墨を何度も重ねたみたいな真っ黒な影の溜まりがあった。
「あそこ、だよね」
「ええ、おそらく核の一つです。とはいえ――」
悪霊が、ゆっくりと影の剣を持ち上げた。
刃先に黒い光が集まり始める。
「さっきまでの小技とは、明らかに質が違いますね」
ヴェルトの声が、わずかに低くなる。
ただの冷静な分析じゃなくて、「ここからギミック第二段階ですよ」という合図みたいに聞こえた。
「ユーマさん、伏せて!!」
叫びと同時に、ヴェルトが僕の肩を掴んで引き倒した。
次の瞬間――
ズゴォォォォォン――!!
黒い奔流が走り、岩を抉り、天井を震わせた。
爆発音のような衝撃が空気を裂き、鼓膜がビリビリと震える。
天井の一角に大きな亀裂が走り、ざらざらと砂と小石が落ちてきた。
さっきまで僕が立っていた場所の床が、跡形もなく削れている。
(なに、あれ……!? ビーム兵器じゃん……!)
ゲームでしか見ないような大技が、目の前で現実味たっぷりに暴れている。
怖い、というより――正直、ちょっとテンションが上がった。
(こんなの、絶対パターン読み切って叩き込みたいやつじゃん……!)
視界の端で、ヴェルトのHPバーが赤に染まる。
「ヴェルト!!」
起き上がろうとした僕を、ヴェルトが押さえつける。
「……動かないで。まだ撃ってきます」
悪霊の剣先に、再び黒い光が収束していく。
今度は、横薙ぎだ。
広間を丸ごと薙ぎ払うつもりらしい。
「避ける場所、限られますね……」
ヴェルトが周囲を一瞥し、短く息を吸う。
その横顔は、緊迫しているのに、どこか楽しげですらあった。
「ユーマさん、天井を見て」
「え?」
見上げると、悪霊の頭上の岩天井に大きなひび割れが走っていた。
さっきの影の奔流がかすめた部分だ。
黒く焦げた岩肌が、不気味に――いや、攻略対象みたいに、今にも崩れそうに軋み続けている。
「あそこを、落とします。悪霊の射線上に」
「ええっ!?」
「やるしかありません。あれは、受けていい攻撃ではありません」
ヴェルトの瞳が、まっすぐ僕に向く。
「《ファイアボール》で、ひびの中心を撃ち抜いてください」
「そんなピンポイントで……!」
「できます。ユーマさんならきっと」
迷いの欠片もない声。
僕のほうが、不安なのに。
でも――。
「昨日のあなたなら難しかったでしょう。でも、今日は違う」
胸が熱くなる。
言葉だけじゃなくて、ここまで一緒に戦ってきた体感が、そのまま背中を押してくる。
(あのとき――飛び出せたんだから)
怖い。
外したら、クエスト失敗。
ここまで積み重ねたものがリセットされるかもしれない。
(でも――今の僕なら……きっと)
ワクワクと、ほんの少しの怖さが混ざり合って、手の震えが前のめりなものに変わっていく。
「……やる」
深く息を吸い、杖を天井へ向ける。
「お願いします」
ヴェルトの囁きが、震える心を静かに押し上げた。
(狙うのは――ひびの弱いところ)
黒く焦げた亀裂が集中している部分だ。
「――《ファイアボール》!!」
炎の球が一直線に天井へ。
視界が狭まり、炎と岩しか見えなくなる。
「当たれ――っっ!!!!」
小さな爆発。
ひびの中心が砕け、鈍い音とともに岩が剥がれ落ち始めた。
巨大な岩塊が、悪霊の真上へ落ちていく。
同時に、悪霊の黒い奔流が解き放たれた。
ドゴォォォォンッ!!
岩と影の衝撃がぶつかり合い、広間に爆風が巻き起こる。
砕けた岩片と鉱石が雨のように降り注ぎ――悪霊の姿が、爆煙で一瞬だけかき消えた。
「今です!!」
ヴェルトの叫びが響く。
悪霊の足元。
さっき真っ黒だった影の溜まりが、爆風で薄く引き伸ばされていた。
(影が――崩れてる)
床のあちこちで、影が途切れ、形を保てずに震えている。
「ユーマさん、影の根ごと縛ります!」
「うん……!」
「――《ヴァイン・バインド》!」
僕は、悪霊の足元から広がる影全体を狙うように、床へ蔦を走らせた。
緑の光を帯びた蔦が、割れた石床の隙間から一斉に飛び出し、黒い影を絡め取って締め上げる。
ギチギチギチ……ッ。
黒い影が、蔦とぶつかり合って火花のような黒いノイズを散らす。
「《ブレイク・スピア》!」
ヴェルトが続けざまに、影の核を狙って槍を放つ。
濃度の高かった影の塊が、内側から破裂して霧散した。
悪霊の身体が、大きくよろめく。
ボスHPバーが、目に見えて削れた。
(さっきまでとは、違う……!)
じわじわとしか減らなかったゲージが、ここに来てようやくボス戦の第二形態らしい削れ方を見せ始める。
怖い、というより――このまま押し切れるかどうかのラインを読みたくて、目が離せない。
騎士たちという盾はもういない。
今は影の防御も崩れかけている。
ようやく、本体に届き始めた。
「ユーマさん。ここからは――」
「分かってる。もう、逃げないよ」
僕は、自分でも驚くくらい自然にそう答えていた。
炎と風と、蔦と木。
賢者の力じゃなくて、今の僕とヴェルトにできる全部で。
(ここで、ちゃんと倒す。負けたくない。ヴェルトと一緒に勝ちたい)
杖を握り直し、悪霊の濁った瞳を真正面から見据えた。
黒い靄が、最後の悪あがきみたいに渦を巻く。
その中心にある、かすかな青白い光――このボスの核。
そこを、撃ち抜くために。
「ユーマさん」
肩越しに、ヴェルトの声がする。
振り返らなくても、彼が微笑んでいるのが分かった。
「最後くらい、派手に決めてもいいですよ?」
「派手って……」
チラッと目配せされた先に、はっとする。
崩れた天井。
ひび割れた床。
そして――広間の中央に立つ一本の岩柱が目に留まった。
さっきの光線の余波で、根本に大きなひびが入っている。
ちょうど、悪霊と僕たちの中間あたり。
(あれ、落とせるか……? ……いや)
狙うのは、柱『だけ』じゃない。
悪霊を、その下に引きずり込む。
(こういうの、ソロゲーで散々やってきた。ギミック利用は僕の得意分野だ)
「ヴェルト」
「はい」
「悪霊の前、開けられる?」
「もちろん」
ヴェルトが立ち上がる。
杖を剣のように構え、悪霊に向き合った。
「――こちらですよ」
小さく囁き、わざとらしく大きく杖を振る。
影の槍をかわしながら、悪霊の注意を一手に引きつける。
黒い瞳が、ヴェルトを追う。
足元の影が伸び、槍となって彼を貫こうとする。
「《ウィンド・ブラスト》!」
僕は側面から、悪霊の足元を押し込むように風を叩きつけた。
影の足場が一瞬だけ崩れ、悪霊の身体がわずかによろめく。
視線が一瞬だけ、僕の方へ逸れた。
(今!)
悪霊の立ち位置が、柱の真下のライン上に重なったのを確認する。
床を蹴る。
柱の根元まで駆け寄り、ひび割れの中心に杖を叩きつける。
「そこだァァァ!!」
「――《ファイアボール》!!」
小さな爆発が柱の根元を抉る。
火花と石片が飛び散り、柱がゆっくりと傾いた。
ゴゴゴゴ……ッ!
岩柱が、悪霊の方へ倒れ込んでいく。
黒い影が慌てたように形を変え、支えようとするが――
「《ヴァイン・バインド》!」
僕はその影ごと、柱と足元を蔦で縫いとめた。
逃げ場を塞がれた悪霊の上に、巨大な岩塊がのしかかる。
ドシャァァァァンッ!!
重い衝撃が広間を揺らし、黒い靄が爆ぜた。
ボスHPバーが、一気に残り一割を切る。
同時に、床一面の影が、ひび割れたガラスみたいに砕け散った。
(あと、ちょっと……! ここまで来たら、絶対落としきる!)
そう思った瞬間――岩の下から伸びた悪霊の腕が、鞭のようにしなってこちらを払った。
「っ……!」
避けきれない。
横からの衝撃で、僕の体が宙に浮いた。
HPバーが、残り1ミリくらいまで削られる。
視界の端で、警告表示が赤く点滅する。
床に背中から叩きつけられ、息が詰まる感覚だけが走り抜けた。
(まだ、死んでない……! 続けられる……!)
ぼやける視界の向こうで、岩柱の下から悪霊がふらふらと立ち上がる。
黒い霧はほとんど残っていない。
骨ばった体がむき出しになり、今にも崩れそうに揺れていた。
「ユーマさん――!」
ヴェルトの声が聞こえる。
でも、たぶん、彼ももう動けない。
(だったら、ここで)
僕が、やる。
床に手をつき、無理やり身体を起こす。
足に力が入らない。
それでも、膝でにじるように前へ進む。
MPバーを確認する。
ギリギリ、一発分。
(この一発外したら、多分終わる……でも)
不思議と、心は静かだった。
ここまで削って、ここまで来て、その上で撃てる最後の一発。
「……最後まで、付き合ってよ……!」
震える手で杖を構える。
悪霊の胸の奥――さっき自分の炎を叩き込んだ場所を狙う。
短く、息を吸い込んだ。
「――《ファイアボール》っ!!」
炎の球が、ふらつくような軌道で飛んでいく。
一瞬、外れたかと思った。
けれど、炎は悪霊の胸の穴に吸い込まれるようにして消えた。
次の瞬間。
ドッ――という、鈍い音が広間に響いた。
悪霊の胸の中から、緑がかった炎が噴き上がる。
黒い霧が内側から焼かれ、骨が音を立てて崩れ始めた。
「――――アァァァァァァァァ……!!」
耳をつんざくような咆哮。
だけど、もう怖くはなかった。
長かったボス戦の『終了演出』が始まった、と身体のどこかが理解していた。
炎に包まれながら、悪霊の体がゆっくりと崩れていく。
黒い影が霧散し、青白い魂の光が空へと昇っていった。
やがて――すべてが、静かになった。
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