扉の向こうは自由への道
春野 セイ
あの頃の僕は本ばかり読んでいた。
本の表紙を開くと、実は、そこには扉があるんだ。
その扉は、無数の物語へと続いていて、あなたはそのうちの一つを選んでいる。
あの頃のボクは友達と遊ぶより、本ばかり読んでいた。
作家になりたくて、いろんな本を読んだ。その中の一冊に「夏休み誰もいない放課後」をテーマに小説を書きなさいというのがあって、今は夏休みじゃないけど、その時、何を思ったのか、ボクは放課後一人で教室にいた。
誰もいない教室はさみしくて、あんまり長くいたくないなと少し思った。みんなは帰宅したか部活に出たかのどちらかだろう。中には、寄り道している生徒もいるかもしれない。
でも、ボクみたいに、本に書いてあったことを試そうとしている奴はいないと思う。
当時のボクはクラスメートに好きな人がいた。密かに恋をしていた。
誰もいない教室に一人きり。ボクは好きな人の机に近寄った。机を撫でる。それだけでよかったのに、椅子に座ってみたくなった。
椅子に座るとドキドキした。その時、風が窓をガタガタ鳴らす音にびくっとした。急に後ろめたくなってそわそわと椅子から離れたり、また座ってみたりした。
ねえ、君は今頃何をしている? とっくに友達と帰っただろうな。
ボクは君が好きだ。できたら友達になりたい。
君の椅子に座っていると、君が隣にいるみたいですごくうれしかった。だから、突然、扉が開き、忘れ物を取りに飛び込んで来た君を見た時、ボクは何が起こったのか、これは現実なのか、わけが分からなかった。
混乱したまま、ボクは君の椅子に座っていた。
今も、ボクを見た君の顔が目に焼き付いている。君は衝撃を受けた顔で口をぽかんと開けてから、ハッとして言った。
「何してんだよっ。そこからどけ!」
「ご、ごめん……っ」
ボクは慌てて椅子から立ち上がった。椅子ががたんと倒れた。ボクは震える手で椅子を元に戻した。
君はボクを睨みながら近づいて来て、机の中から教科書を一冊取り出した。
「何してんだよ、俺の机になんかあんのかよっ」
「……ごめん」
「気色悪いな、それしか言えねえのかっ」
君は震えているボクを見てから叫んだ。
「何か盗ったのかっ」
「違うっ」
「だったら、なんだよっ」
「君が好きだったから……」
「は?」
言ってしまった。怖くて顔を上げることが出来ない。
君のシューズが後ずさりしている。顔を上げると、君は慌てて目を逸らした。
「変態野郎……。俺の机に二度と触るなっ」
肩を小突かれ、彼が去って行く。
ボクはうなだれた。
ああ、なんてことをしてしまったのか。次の日、どんな顔をして君に会えばいいのだろう。学校へ行くのが急に怖くなった。
けれど、その日を境に教室からボクの存在は消えた。ボクはいなくなってしまっていた。
それからも、君の事が好きな気持ちだけは取り残された。ボクは変態だ。君の言うとおり、ボクは変態だ。
変態でもボクには友達がいた。生き物じゃないけど、それは図書室だった。
朝から誰とも口をきいていないこの日、放課後、図書室に寄って、今日こそお母さんに、いじめられていることを伝えて学校を休ませて欲しいとお願いしようかな、と思っていた時だった。
一冊の本が目にとまった。
小豆色の表紙に金の押し文字で「君と雨宿り」って書いてある。
僕はそれを手に取った。中を開けて少し文章を読む。子供向けの童話だった。
面白いこれ……。
ボクはいつの間にか本に引き込まれてしまい、そのまま眠ってしまっていた。
ボクは夢を見ていた。
夢の中で君がボクに話しかけていた。
「おい……。起きろよ……」
「ん……」
肩を揺さぶられ目を覚ますと、君が隣に座っていた。ボクは息が止まったかと思った。君は、気にするように周りをチラチラ見て小さな声で言った。
「悪かったよ……」
「え?」
「変態なんて言ったりして、それにまさか、こんなことになるなんて、想像もしなかったんだ」
君は悲しそうな声だった。ボクはその時、傷ついていたのは、ボクだけじゃなかったのだと思った。
「いいよ。ボクの方こそ、気持ちの悪いことを言ってごめん……」
「それだけだから……。またな」
君はそう言うと、静かに図書室を出て行ってしまった。またね、ボクはそう言った後、こっそりと決心してしまった。
またね、大好きだったよ。
君がいると心はかき乱されるし泣きたくなる。けれど、いつでも会いたいって思うから困る。ずっと、声が聞きたいし顔も見たい。笑う顔が大好きだ。
けど、もうボクはここにいられない。
そう思った。
その日、図書室で借りた本は全部返して、僕はお母さんにきちんと伝えた。
もう、学校へ行きたくない。いじめられているんだ、だから、行けない。
そう伝えると、お母さんは泣きながら、学校へ行かなくていいよ、と言ってくれた。
そして、学校を変えることもできるから、最後だけど、さよならしたい子はいるの? と聞いてくれた。
僕は、もうとっくの昔にさよならしていたから、首を振った。
「いないよ」
「うん」
お母さんは頷いてくれた。
ボクの話はここで終わりだけど、物語には必ず続きがあって、扉はどこかに繋がっていると信じている。
扉の向こうは自由への道 春野 セイ @harunosei
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