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  •  はじめまして。
     木山喬鳥様のレビューより来ました。
     面白い考察でした。
     確かに、土塁に囲まれた中世の城砦と、織田・豊臣以降の石垣と天守を特色とする近世の城には隔世の違いがありますが、真田丸に、その中世的城砦の特徴を見出された考察は、スリリングで面白かったです。

     実は、つい先日、甲府に旅行をしまして、旧躑躅ヶ崎館・武田神社を見てきたところでした。
     「人は石垣、人は城」の言葉に反して、完全に、栃木県足利市にある旧足利邸に通じる、堀と土塁を巡らした「武家の館」という印象でした。
     きれいな方形という印象ではありましたけどw

     対して、JR甲府駅南側の甲府城は、純然たる近世城郭で、甲府は面白い町でした。

     大坂城の真田丸については、函館の五稜郭のごとき設備と印象を持っていました。
     真田は、元々、武田の家臣団の一角。
     武田は滅び、関ヶ原で西軍は敗れましたが、真田は徳川に対して不敗。まさに、「戦国の亡霊」と呼ぶに相応しい真田丸であったのかも知れませんね。

    作者からの返信

     応援コメントありがとうございます。

     真田丸は丸馬出だという論考は、相当昔に歴史読本的な読み物で知ったものだったと思います。正直はっきりとは覚えていないのですが、少なくともそういう説もあったのは事実のはずです。
     しかし、最近の発掘調査の結果とかをみると、真田丸の実態は、私が想像していた物と違うようなんですよね……。

     けれど私は、武田家と結びつけることが可能な丸馬出説に強く心をひかれまして、このような文を書いてしまいました。
     何というか、武田家滅亡の時に行われるべきだった激闘を、代わりに大阪城でやってくれたかのような印象を持ってしまったわけです。

     ですので、このエッセイは歴史的に正しいとは言えないのですが、こういう想像をして浪漫を掻き立てられている者もいると思っておいていただければ幸いです。

  • コメント失礼します。

    大変に為になりました。

    〝丸馬出〟は機動力の展開前の保護と同時に敵の目標物となり攻撃力の分散化を図る。

    これは確かな遊撃が存在してこその設計なのだと思いました。なるほど真田信繁なら活用できそうです。

    まず、前時代から継承された戦闘用の構築物というのが浪漫です。
    物語としてなら、それで充分です。
    しかし本編はそれだけでなく論理性も確りと展開されていました。

    勉強になりました。
    ありがとうございました。

    作者からの返信

     応援コメントありがとうございます。

     浪漫と言っていただけて大変嬉しいです。正直、個人的な浪漫を文にしたものですので。
     どうも真田丸を丸馬出とする考えは、現在では少なくとも有力とは言えないようなのですが、武田家贔屓の私としては、丸馬出であって欲しいのです。

     何というか、真田には武田家を継承して戦って欲しいという願望がありまして。

  •  はじめまして、たいへん興味深い考察でした。
     武田流築城術は、敵対した織豊政権の粋たる大阪城に付加されることで、更なる進化と真価を発揮したのかも知れませんね。面白かったです。

    作者からの返信

     応援コメントありがとうございます。
     正直、真田丸を丸馬出とする説は特に有力ではないようですし、大阪城を織豊系城郭の完成形とか言ってしまうのは、多分言いすぎなのですが、勢いで書いてしまいました。
     それくらい、真田丸の戦いと武田家を結びつけるこの考えが魅力的で。

     武田家びいきの私としては、武田家の滅亡の際には、出来れば大坂の陣のような激闘が繰り広げて欲しかったという願望がありまして、その悔しさを、真田丸の戦いが晴らしてくれたように気になってしまうのです。

  •  丸馬出の戦術的な有効性は、決して「前時代のもの」だからと失われるものではないと思います。
     個人的には、幕末の五稜郭は「丸馬出の洗練された形状」かと思ったり、思わなかったりww

    作者からの返信

     ありがとうございます。

     そうなのです。丸馬出の有効性は失われていないと思うのです。
     本当なら、武田家滅亡の時に、織田・徳川軍相手に激闘を繰り広げる事も出来たのだ。と、そう思っています。
     実際、依田信蕃は田中城でとてつもない大奮闘をしていますしね。

     そして、もしも真田丸が丸馬出なら、武田家滅亡の30年後も丸馬出が有効だったことを証明する事になる。と、そんな感じに思って、少し興奮気味な文を書いてしまいました。

     ただ、過去のものと思われていた存在が、実は強かった。というカタルシス。例えば、もう戦えないと思われていた老兵が、実は無茶苦茶強かった。みたいな感じを強調しようとして、「過去の遺物と思われておかしくない」って表現を強調しすぎてしまったかも知れません。

  • だとすると、この真田丸とそこで鍛えられた将兵が、武田流兵法を受け継いだ徳川家相手に戦ったということになりますね。
    戦国史上最高の城塞と、戦国史上最大の覇王が、甲斐武田のストラテジー、タクティクスで戦う……何だか凄い。

    面白かったです。

    ではではノシ

    作者からの返信

     ありがとうございます。

     そうなんですよね。家康も武田流の兵法を受け継いでいるんですよね。
     個人的には、真田昌幸あたりは、この事についても忸怩たる思いがあったのではないかと想像しています。

    「武田流兵法を採用して、信玄公の弟子みたいな顔をしているが、家康なんかは信玄公の弟子でも何でもない。本当の弟子はこの俺だ!」って感じで。
     まあ、私の妄想なんですが。