第6話 事案? 構わないわけがないが。
「やァ、天才君」
「下らん物言いはやめとけ。てめえは俺より成績がいいだろ」
「そんなンで天才とは言わないさ。天才君は普通じゃない。面白すぎるからね」
この鼻に付く喋りをする奴とは、まさに生涯の友と呼ぶに相応しい仲である。うざったい男ではあるが、人の機微をよく捉えるので他人から好かれる種類の人間である。
「どうしたンだい? 相変わらず『ぼっち』じゃないか。しょうがないなァ~話し相手になってあげようじゃないかァ~……君のある噂にも興味があるしね」
「そのよく回る舌をまずどうにかしろ」
彼は大きく上体を回し、睥睨する。彫像のモデルになり得るような、格好の整った動作のまま、ゆっくりと私の前の空席――思い返せばちょっと前から学校に来ていない気がする、の椅子に腰掛ける。
「君、もう少し周りを見たほうがいいンじゃないか? 名前を覚えているクラスメイトはいったい何人いるンだ?」
「余計なお世話ってやつだよワトソン君」
他人の名前を覚えて何になるのだろうか。個体を表す形式的なものに大きな意味があるとは思わない。人との交わりは名前やら誕生日やらで規定されるべきものでもないのに、一体どうして皆それらに拘るのか。
ふと、彼は机の上の弁当に目を落とす。
「ふゥん、愛妻弁当ってやつかい? 全く憧れちゃうなァ」
この男の場合、勘が良いというのはこの上なく面倒臭いことだ。彼を前にして、私の自己弁護は全くもって意味をなさないだろう。いわば探偵風の能力に裏付けられた、ドラマティックな男の言葉でも昼の喧騒は止まない。
「妻じゃねえよ」
「ウソ、もう彼女に?」
「彼女じゃない……あの人じゃないからな!」
「いや、だってこ~んな偏屈な男にあ~ンな評判が立ってンだ、気になって仕方なくなるって、ものだろ? さて、じゃ一体誰が作ったンだい?」
「……俺が作ったんだよ」
口の先を傾け、蛇のように私に眼を合わせてくる。この男は時々こうやって、まるで全てを見通すかのような眼を世界に向けるのだ。
「ふゥん……君、料理できるんだね?」
バレた。しかし今の振る舞いで抵抗の意を汲み取ってくれるだろう。彼の好奇心がどれほどのものだったかは分からないが、しかし、この話はここで終わりだ。
「まあな」
「なァんだ、面白い話ができると思ッたのに、どうやら嘘ばッかりじゃないか」
「気を悪くしないでもらえると助かる」
「いやいや、そんなに僕らって薄っペラい友情で結ばれてたかなァ?」
高く笑い声を上げながら、癖毛、あるいはパーマを大きく揺らす。軽薄、詐欺師、その類いの言葉が彼を表すためにしばしば用いられるが、実際のところ彼の核心に迫っていない。確かに彼の言動や身なりは胡散臭さ極まりないが、それならば「占い師」と表すのが適切である。列挙される有象無象の単語の後ろで、彼はこの世界をじっくりと見据えている……ように見える。全く、この占い師は意味のない問いを客にぶつけるものだ。
「認めるよ。てめえ、霧谷火花(きりやひばな)が世界一うざったい友人だってな」
「ははッ覚えておくよ」
私の持ち物の中に弁当が増える日ができた。無論彼女が作ってくれたものだ。今朝、彼女が昨日の昼飯を知ったとき、二度とさせたくない呆れ顔の後に「通常の業務の範疇です」とだけ言ってまた彼女は業務を増やした。
彼女が何を思っているのか分からないが、ワーカーホリックなのかもしれない。
「それで、その弁当は誰が作ったんだい?」
目論見は外れた。まるで驚くことでもないというような調子で、彼は右手のプラスチック包装を破いてパンを口に入れる。
「そんな気になるか? まあ、そう……何も分からない」
「そりゃどういう意味サ?」
「名も知らぬ同居人が作ってくれたんだよ」
ここで、私はひそかに会心の表現が生まれたと感じていた。なるほど、「名も知らぬ同居人」というのは私と彼女の関係をこの上なく精巧に写実している。ただ同居しているだけの他人に、これ以上の修飾は必要ない。彼女にとっての私もそうだろう。
「君はまた最高に面白いことを言うじゃないか。幽霊みたいな扱いだネぇ……例の人ではないのか……?」
「幽霊かもしれん」
あり得ない話ではない。もしや本当に幽霊の類なのか。歩くとき音がしないのも――「幽霊でないこと」を証明すること、これは俗にいう悪魔の証明だ。それでも、
「面白い話ではあるな」
「君って冗談言うタイプだったッケ?」
「てめえの友情とやらに聞いてみろ」
彼は大仰に手を顎の下に置いた。きっと役者の才があるのだ。水平との角度の浅い光を横から局所的に当て、視界の明るさを少し下げてやれば、それがそのまま映画の一部分になるだろう。
「フフン、それで、そいつはどんな奴なンだ?」
「雨の日にぐちゃぐちゃになっていたのを拾って、それからずっと住み着いてて、無口で……」
「はァ? 君そんな不審者を家に置いてンの? 正気の沙汰じゃないだろ」
「行き場がないんだろうね。そういう意味では、彼女の安心できる環境にしなければならない」
記憶の上では初めて、この男が目を丸くするところを目撃したかもしれない。あまりに普段の顔と異なっていたから、つい笑みが零れてしまう。
「はッ? 彼女?」
「ふふっ、ああ、いや付き合ってはないぞ。代名詞的な――」
「そこじゃない」
彼は目を輝かせて、それでいて低いトーンで私に語りかけてくる。さながら刑事による事情聴取の様であった。ここで私は、何か悪いことでも言ってしまったかと襟を正した。
「君、いくら僕でも聞き逃がせないよ。それは。年頃の男が部屋に異性を連れ込むなんて、そンなの事案でしかないじゃないか」
姿勢を崩した。なんだ、そんなことか。どうやら誤解があるようなのでそれだけ正しておこう。
「短絡的すぎるね。俺はまだ彼女の顔もはっきりと覚えてない」
「それはおかしいよ。親友としてはっキり言おう。君は異常だよ。異常。大体、顔も知らない奴が家に居るなンて怖すぎるね」
「何もされてないからいいだろ。それに、彼女はやはり寂しげなんだ。放っておけないぐらいには」
「はァ……いつか財産持ち逃げなんてことが起きないように切に願っているよ」
首を傾げながら大きな溜息をついている、彼の言説が理解できないわけではない。しかし、この問題への回答が変化することはなかった。「そもそもこれは問題ではない」のだ。なぜなら、私は何も変わっていないから。私の生活、身体、精神に、些細な変化はあっても――いや、この表現は彼女に対する無礼だが――何はともあれ、日常は日常のままであった。
「何歳なンだ?」
「知らん。が、高校生だと思う。俺の参考書で勉強してたし」
「やっぱり事案では?」
「事案じゃない」
「じゃアさ、その幽霊に会いに行ってもいいかい? ちょッと会ってみたいよ」
それはまた面白い提案で、私もあとちょっとで彼を家に招いていた。しかし、彼女はどこか危うい雰囲気を纏っている――それこそ、幽霊のように消えてしまいそうな。そしてそれは、家に私と彼女以外の人間が、火花が訪れることで、ポン、と爆発してしまう気がした。口から出かかったものを飲み込む。
「駄目だ」
「……そっか、ならイイよ。ご幸せに」
「てめえの想像はどうなってんだ!」
友人が去った後、教室からはふたたび喧騒しか聞こえなくなったので、図書館に行くことにした。この教室では私を満たしてくれるものは中々見つかりづらい。弁当は美味しかった。
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