赤ずきん

夏融

赤ずきん

 とある村に、三角の赤い屋根を持ち、煙突を備えた小さな家がありました。その家は村の外縁に建っていて、二人の人物を住まわせていました。片方を赤ずきんと言い、もう片方は彼女の父でした。赤ずきんとは無論本名ではなく、近所の子供達に付けられた渾名のようなものです。本名は別にありました。

 彼女が赤ずきんと呼ばれるのは、彼女はいつも赤いキャスケットを身につけているからでした。それが童話「赤ずきん」に登場する少女に似ているというので、そう呼ばれるに至ったのです。最初のうち、彼女は自分の被っているものは帽子であって頭巾ではないと何度も釈明したのですが、誰も聴かないのでそのうち止めました。

 さて、赤ずきんの住む家に一通の手紙が届いたのは種蒔きの季節のことでした。

 内容はこうです。どうにも、村の南にある森に一人で住んでいる彼女のお婆さんが病気になったので、孫娘に見舞ってほしいというのです。

 赤ずきんのお婆さんは息子が一人立ちした後、新興の事業に投資し、今では不労所得で建てた城のような豪邸に暮らしているのでした。

 働きもせず日がな一日西部劇を観て、食事もまともに摂らないような人でしたから、病気になったと聞いても赤ずきんは小指の爪程も驚きませんでした。それどころか今まで健康だったことに今更疑問を抱いたくらいです。

 赤ずきんは早速支度を整えました。キャスケットは勿論、バスケットに見舞いのリンゴやらブドウやらの果物を詰め、上手くやれば小遣いの幾許か貰えるのではないかという下心と共に家を出ました。去り際、彼女の父は「森は危険だから用心しろ」と言って、一丁の自動式拳銃を渡してくれました。


 村を抜け、森の一本道をてくてくと歩いていると、すらりと背の高い紳士に出会いました。無論森の中で人に会うこと自体珍しいのですが、彼には隠しきれない灰色の耳と尻尾がありましたから、赤ずきんは「ああ、この人は狼なのだな」とわかりました。狼は残忍かつ狡猾であると相場が決まっていますから、赤ずきんはどうしたものかと思索しました。しかし多様性の叫ばれる昨今、出会い頭に相手の性質を決めつけて食ってかかることは憚られましたから、赤ずきんは大人しく相手の出方を伺いました。

 おそらく狼であろう男は言いました。

「こんにちは、小さな赤い帽子のお嬢さん。こんな森に一人で何の御用ですか」

 男の喋り方はとても丁寧なものでした。

「床に臥している祖母の見舞いに行くのです」

 赤ずきんは正直に答えます。

「なんと、それは感心なことです。ですがお嬢さん、一人では何かと不安でしょう。この森には恐ろしい怪物がたくさんいるのですからね。どうです、よろしければこの私が、あなたをそのお婆様のところまで送って差し上げましょうか」

 赤ずきんは「おや」と思いました。狼とあろう者が単なる親切心からこのような発言をするはずが無いだろうと考えたからです。しかし平等と博愛の精神を持つ赤ずきんはこの後ろ暗い考えを即座に打ち消し、向き直って言いました。

「ご親切にありがとうございます。でも私はこの道を何度も通ったことがありますから、心配には及びません。お気持ちだけ受け取らせていただきます」

「そうですか。それは残念です。しかしここで会ったのも何かの縁でしょう。どうか、お婆様のお宅の場所を教えていただけませんか。私も何かの折に参上したく思いますので」

 赤ずきんは畏まった会話があまり好きではありませんでしたから、早く離れたい一心でお婆さんの家を教えると、足早にその場を離れました。


 また暫く歩いていくと、三叉路に突き当たりました。その中央では狩人らしき老人が辺りをきょろきょろと見回しています。手には猟銃を抱え、眉間に刻まれた深い皺の下には眼窩から覗くぎらぎらした目がありました。怒っているようにしか見えません。

 赤ずきんは面倒なので無視して素通りしようとしました。狩人なんて血の気の多そうな、しかもあんな怖い顔の人に構うのは厄介事を引き起こしそうだったからです。赤ずきんはゆっくりと足音を殺して動きました。自らを壁だと強く念じることで気配を絶つ、彼女の常套手段でした。

「もし、そこの方。道をお尋ねしても構わぬだろうか」

 駄目でした。そもそもの話、森の中に壁なんてあろうはずがありません。無いものに擬態しても見つかるだけでした。

 赤ずきんは辟易しながらも、猟銃でずどんとされては堪りませんから、その気持ちをできるだけ押し殺して口を利きました。

「はい、構いませんよ。どこへ行かれるのですか?」

「いやなに、小さなお嬢さん。それがしは近くの町から怪物を仕留めに参上したのですが、お恥ずかしいことに、ご覧の通り道に迷ってしまったのでござる。諦めて町へ戻りたく思うのだが、道をご存知だろうか」

 狩人の喋り方はうんざりする程古臭いものでした。しわがれた声のうえに、下手くそな敬語と古語が入り交じっておかしな印象を与えます。

 それはそうと、赤ずきんは訝りました。この森の周辺には赤ずきんの住むものを含め、村が幾つか点在しているのですが、町と呼べるものは無かったからです。無いことはないのですが、一番近い町でも馬で三日はかかりました。迷子にしては迷いすぎです。

 しかし赤ずきんは大変思慮深いので、この点について深く言及することを避けました。要するに面倒事に首を突っ込む必要はないと考え、素直に道を教えるのみに留めることにしたのです。

「私の来た道をまっすぐ行けば村につきます。町まで歩くよりもそこで馬車を借りるのが早いと思いますよ。馭者なら道もわかるでしょう」

 狩人はとても喜びました。

「なんと有難い、感謝する。何か例をしたいのだが生憎と持ち合わせが無く……おお、そうだ。この鈴を持っていきなされ。質に入れれば多少は金になろう」

 狩人は遠慮しようとした赤ずきんの手に無理矢理それを握らせました。熊避けのような大きな鈴です。

「それでは失礼つかまつる」

 狩人はそう言って、赤ずきんから見て右の、つまり教えたのとは全く違う道をずんずん進んで行きました。赤ずきんは「この人は話を聞いていなかったのだろうか」と思いましたが、極度の方向音痴なのだと勝手に納得しました。


 赤ずきんは左の道を進み、太陽が西へ少し傾く頃、やっとお婆さんの家へ着きました。木々の切れ間に堂々と立つ洋館は、初めて見るものには魔王の城よりも異質に見えるでしょう。

「お婆ちゃーん、お見舞いに来たよ」

 インターホンを鳴らしても、扉をノックしても返事は返って来ません。まあ赤ずきんにとってはしょっちゅうのことでしたから、気にせずドアを開けて中へ入りました。田舎に鍵という概念はありません。

 居間へ向かい、扉に背を向けたソファを覗き込むと、そこには案の定お婆さんが寝転がっていました。その視線は目の前のテレビに注がれています。

「お婆ちゃーん、お見舞いに来たよ」

 赤ずきんはお婆さんの頬をつついて言います。するとようやく気づいたのか、お婆さんは赤ずきんを見て、ちょっと目を見開いて言いました。

「おや、赤ずきん。よく来たねぇ。急にどうしたんだい、わざわざこんなところまで。急に来るなら手紙の一つでも寄越してくれれば何か用意ができたのに。」

「お婆ちゃんまでそう呼ぶんだから。私の名前は――まあいいや。病気じゃなかったの?こんなところで寝転がっちゃって」

「病気?ああ、なんだ。そのことで来たのかい。それならとっくのとうに治っちまったよ。なにせ三週間も前の話だから。そういえば手紙も送ったっけねぇ」

 赤ずきんもその父も、郵便物を溜め込むタイプでした。そもそも郵便なんてほとんど来ないのもそうですが、根が怠け者でした。

「なんだ。それなら良かった」

 赤ずきんはこのまま帰ることもできたのですが、せっかく来たのですから小遣いを貰えるか食事にありつけるまで居座ることにしました。

 赤ずきんはお婆さんと並んで、持ってきた果物をつまみながら西部劇を観ていました。お婆さんはにこにこと楽しそうに鑑賞しています。こういう劇は悪漢と決闘するまでが退屈だ、と赤ずきんは思いました。


 そうしてただぼんやりと画面を見つめていると、背後からがちゃり、と玄関の扉が開く音がしました。たったそれだけですが、赤ずきんは直感的に狼がやってきたのだと理解しました。実際は様々な思考の過程が間に有ったのですが、それらの統合の速さは直感と呼ぶべきものでした。そして、会話を嫌ったとはいえ正直に家を教えたことを少し後悔しました。鍵も掛けておけば良かったです。

「ちょっと下がってて」

 赤ずきんはバスケットから件の自動式拳銃を取り出しました。父が渡してくれたあれです。

「自動式とはね。赤ずきん、不良にでもなっちまったのかい。さてはあのバカ息子の趣味だね。あの子ったら昔っから私の言うことを聞かないんだから。私のガンラックにリヴォルバーが揃っているから取っておいで。保安官たるもの、浪漫がなくちゃいけないからね」

「お婆ちゃん、私が被ってるのはテンガロンハットじゃなくてキャスケットだよ」

 とはいっても、銃を扱うのは初めてでしたから、赤ずきんは少々及び腰で銃を構え、震える狙いを必死で定めながら部屋の入口に睨みを利かせました。実際持ってみると銃というものは結構重いです。

 それからどのくらい時間が経ったのでしょうか。集中していると時間の感覚は容易く狂ってしまいます。赤ずきんとしてはもう1時間は経ったような気もしますが、実際は5分も経っていないかもしれません。不思議な感覚です。スポーツ選手なんかが言う「ゾーン」と言いますか、引き伸ばされた時間の中に居るというのはこういう感覚を指すのでしょう。

 ふと、後ろに妙な気配を感じました。まるで何か、とても大きなものが佇んでいるような。お婆さんのことが気になって赤ずきんは振り返りました。

「ねぇ、お婆ちゃ……」

 そこにお婆さんは居ませんでした。代わりにずんぐりとした灰色の毛が視界を塞ぎます。

「げ、」

 目の前が真っ暗になりました。


 時は遡り、まだ太陽が真昼を示していた頃、狩人は上機嫌で道を歩いていました。もちろん、親切な少女に道を教えてもらったからです。なにせ町を出てから丸一週間森をさ迷っていたのですから、お腹がぺこぺこでした。彼女の言う村に着けば食料にもありつけるでしょう。鼻歌でも歌いたい気分でした。

 行き止まりに突き当たり、道を外れ、木を登り、茂みを抜け、ようやく人工物を見つけたときには、太陽は西の空へ隠れようとしていました。森の中にぽつねんと聳える建物、つまり赤ずきんのお婆さんの家はとても村とは言えないものでしたが、狩人は「ああ、ここが村か」と安堵しました。普通の人間なら到底至らぬ結論ですが、実際、この狩人は致命的に抜けていました。失くした螺を数えるよりも、残った螺を数えるほうが楽でしょう。

 狩人は扉をどんどんと叩きました。

「済まない、誰か居りませぬか。道に迷い困っておるのです。どうか食べ物と寝床を恵んで頂きたい」

 返事はありません。狩人は不思議に思いました。窓からは明かりが洩れていて、明らかに人のいる様子だったからです。ノブに手を掛けるとすんなり開いたので、狩人はとりあえず中へ入りました。

 中はこざっぱりとしていましたが、不気味な程人の気配がしませんでした。しかし、埃が積もっていないことから、狩人はいっそう人が居る確信を強めました。

「おうい、本当に誰も居らぬのですか。それとも、何か返事のできない事情でもあるのでござるか」

 狩人はずかずかと廊下を奥へ進んで行きます。初めて訪れた家だというのに、かなり図々しいです。

 狩人は探索を続け、厠や寝室を覗き見た後に、恐らく居間であろう部屋の前に辿り着きました。そこで狩人は扉にぴったりと貼り付き、耳をそばだてます。すると、何か物音が聞こえるではありませんか。

「まさか、ここに居られましたか」

 狩人は無警戒に扉を開けました。


 そこには大きな腹を抱えて苦しそうなお婆さんが横たわっていました。いやまあ厳密に言えば、それは大きな腹に赤ずきんとお婆さんを呑み込み、あまつさえお婆さんの姿に化けた狼だったのですが。耳と尻尾が生えている時点でどんな人でも気づきそうなものですが、この狩人はやはり気づきませんでした。それどころかうきうきと話しかけます。

「これはご老体。そなたがここの主にございますか。それがしは道に迷いし一介の狩人にございます。町へ戻ろうにも既に日は落ち、夜の森ではままなりません。どうか一晩、一晩だけこの邸宅に泊めていただきたく存じます」

 自分も老人のくせにご老体呼びです。狼は何か言おうとしましたが、腹が苦しくて上手く言葉が紡げません。

「おや、何やら呻かれて……お体のほうがあまりよろしくないと見受けられますな。どうですか。一晩ここに泊めていただく礼と言っては何ですが、それがしがそなたの看病を引き受けましょう。うむ、名案だ」

 狩人は一人で推測して一人で納得して一人で実行に移しました。

「さあさ、横になっておりなされ。今それがしが食事を作って差し上げよう……おや?ご老体、そなたの耳はずいぶん大きいようですな?」

 狼はどきりとしました。何か言い訳をしなくてはと、苦しさを堪えて答えました。

「うっぷ。それはその……ごにょごにょ。あー、歳を取ると耳が遠くてねぇ。音がよく聞こえるよう大きくしてあるんですよ」

 ひどい言い訳ですが、狩人には納得のいくものでした。

「おお、そうでしたか!それがしもこの歳ですから耳には困ったものでしてな、いやはやこれはいい情報だ。して、口のほうも何やら大きいようでありますが……」

「うっ。えーと、えーと……そうだ、女性にあまり外見の話は……げほんげほん、されないほうがよいですよ」

「これは失敬!それがしとしたことが!いや、大変失礼つかまつった。どうか許していただきたい」

 さて、狼は気が気ではありません。狩人が間抜けだったおかげで助かりましたが、正体がばれてしまえばおしまいです。そうならないうちに何とか逃げようと、重い腹を抱えて動き出しました。

「少し厠へ……」

「あ、ご老体!そのように動かれてはお体に障り……ん?」

 その時、狩人の耳に、かすかに鈴の音が聞こえました。紛れもない、あの少女に渡した鈴の音でした。それがお婆さんの腹から聞こえたのですから不思議です。

「……待たれよ」

 狼はまずいと思い、歩を早めます。

「待たれよ、と言っておるのだ!」

 どかん、と破裂音がして、狼の前のドアが吹き飛びました。

「そなた、何者だ。何故彼女に渡した鈴の音がそなたの腹から聞こえるのだ。返答次第では生きては帰さぬぞ」

 まだ煙をあげている銃口を向けて狩人は尋ねます。こうなれば破れかぶれと、狼は化けるのをやめ、みるみるうちに尖った歯と灰色の体毛をあらわにしました。ひどく凶悪な姿です。

「はあ……気づかなきゃお前まで手にかけるつもりは無かったのに……うっ」

「ほざけ。そなたはそれがしが仕留めに来た怪物であろう。その皮で一体いくらの人間を騙してきたというのだ?」

「さあ、忘れちまったけど……おえっ。少なくともお前は想定外だったな……!」

 狼はその爪を振りかぶり、狩人を引き裂こうとしました。しかしのろのろした動きでは虚しく空を切るだけで、狩人の動きにはとてもついていけません。辛うじて当たりそうな攻撃も銃床で弾かれてしまいます。

「どうした?動きが鈍いようであるな!」

 狼は振りかぶるたびに腹が揺れるので、上手く身動きが取れません。おかげですぐへとへとになってしまいました。呼吸も荒くなって余裕がなさそうです。

「はあ、はあ……動き回るばかりで、うっぷ。攻撃はしねぇのか?」

「馬鹿を言うな。本来ならとっくに頭を吹き飛ばしておるわ。だが……」

 狩人は狼の攻撃の間隙を縫って素早く懐に潜り込むと、銃床を鋭く叩きこみました。

「うえっ……!」

「あの親切な恩人様を助けるのが先であるからな」


 狼は激しく後悔していました。まさか自分がこんな失態を犯すなんて思ってもみなかったからです。自分は清く正しい……もとい、狡く悪い狼であるのに、みすみす返り討ちにあうようなことがあってはならないのです。

「うえっ……!」

 腹を叩かれ、強烈な吐き気が狼を襲いました。同時に大きな塊が彼の食道を上り、地面へと投げ出されました。

 べちゃりと落ちたそれは何を隠そう、赤ずきんでした。胃液で身体中べとべとになっていますが、赤いキャスケットを被っているのですから間違いありません。狩人は狼が朦朧としているうちに彼女を回収し、息をしていることを確かめると、少し安堵しました。おとぎ話の怪物に人を丸飲みする習性があって良かったです。

「ふう、これで心置きなく仕留められるというものよ」

 狩人は暴れる狼に狙いを定めると、引き金を引く姿勢をとりました。

 ちょうどその時、赤ずきんは目を覚ましました。そして聡明な彼女は狼と狩人を見て、瞬時にその状況を把握したのです。

「待って!」

 赤ずきんは狩人に飛びつき、そのせいで弾丸は明後日の方向に飛んでいきました。

「何をなさるか、小さな恩人様!絶好の機会であったのに、彼奴を仕留め損なったではないか!」

「まだお婆ちゃんが食べられたままなの!あんな動き回ってるんだもん、下手に撃ったら当たっちゃう!」

 このやり取りの間に狼は呼吸を整えたようです。一声吠えると、二人へと獰猛に襲いかかって来ました。

「ええい、ひとまず下がりなされ!」

 赤ずきんを吐いた分、狼の動きは先程よりも機敏でした。恐ろしい速さの猛攻に狩人は防戦一方です。発砲できればどうにかなったでしょうが、事情が事情ですからそうもいきません。

「さっきの言葉、そっくり返すぜ。動きが鈍いみてぇだな!」

「調子に乗るでないぞ怪物風情が。恩人様、聞いておりますか、そなたは撤退なされるがよろしい!ここはそれがしが解決いたす故!」

「でも……」

「早く!」

 赤ずきんは言われた通り、散弾でずたぼろになったドアから部屋の外へ逃げました。


 どうしましょう。どうしましょう。赤ずきんは考えました。咄嗟に止めてしまいましたが、もしかしたらあのまま仕留めてもらった方が良かったのではないでしょうか。狼はすばしこくなってしまいましたし、拳銃を腹の中に置いてきてしまった以上、彼女が力になることはできません。しかしお婆さんを見捨てるわけにもいかず、このままでは八方塞がりです。

 それでも一つだけ、たった一つだけ方法があることに賢い赤ずきんは思い当たりました。本当のことを言えばそれはかなり危険な賭けだったのですが、やるより他にありません。善は急げと、赤ずきんは小さい脚をあたふたさせて走りました。

 お婆さんの寝室に入ると、ありました。作戦に不可欠なリヴォルバーが枕元の壁一面にずらりと、気味の悪いくらいに並んでいます。せっかくなので、赤ずきんは数ある中からできるだけ銃身の長い強そうなのを直感で選びました。ですがそれだけでは不安です。銃は先程よりもずっと重いですし、この作戦が失敗すれば狩人もろともお陀仏なのですから。

 ふと、帽子が目に入りました。赤い装飾のされたテンガロンハットが外套掛けに残されていたのです。赤ずきんが興味本意でそれを被ると、不思議と、みるみる力が湧いてくるのを感じました。まるで、お婆さんが語っていた勇気ある保安官たちが背中を押してくれてるような心地です。赤ずきんは胸を張って狩人のもとへ向かいました。


 一方そのころ狩人は、いろんな意味でたいへん骨を折っていました。激闘の末に狼の牙を片方へし折り、腕も一本使い物にならなくしてやりました。それでも老体には堪えるもので、いくらか傷をつけられてしまいましたし、節々の関節が悲鳴をあげていました。

「しつこいな……早くくたばっちゃくれないか。正面からやり合うなんて狼の仕事じゃないのに……」

「ふん。それがしをここまで苦しめたその実力は認めよう。だが最後に立つのはこちらである!」

 口では虚勢を張っていますが、明らかに彼が劣勢です。やはり銃を撃てない人と獣では格が違いました。

 一撃、二撃と鍔迫り合いの音がして、ついに狩人は倒れてしまいました。満身創痍で壁に追い詰められ、逃げることすらできません。もっとも、できたところでこの間抜けながらも気高い狩人はそうしないでしょうが。

「くっ……それがしは諦めんぞ……来い!たとえ刺し違えても恩人様のお婆様を返してもらおう!」

「銃を構えるのもやっとなクセによく言うよ。そろそろトドメだ。死にな、じいさん」

 鋭い爪が素早く心臓へと向かって行き――

「ちょっと待った!」

 ぴたりと寸前で止まりました。


 入り口から差し込む逆光の中、そこにはテンガロンハットを被った赤ずきんの姿がありました。さながら伝説の保安官、ワイアット・アープのような堂々たる立ち姿です。

「お?逃げた獲物がのこのこ帰ってきたみたいだな」

「何をなさっておるのです恩人様!貴女ではこの怪物に太刀打ちできませんぞ!」

 狼はげらげらと嘲笑すると、一旦狩人から視線を離し、赤ずきんのほうへ近づこうとしました。その狼に赤ずきんは臆さずはっきりと言いました。

「私と決闘して」

 これには狼もきょとんです。

「ハハ、何を言うかと思ったら……決闘?俺は悪くて狡い狼だぞ。誰が正々堂々そんな勝負受けるかよ」

「あれ、逃げるの?こんなちんちくりんの小娘一人に勝てないって?」

 安い挑発ながらも、赤ずきんの言葉はプライドの高い狼をムキにさせるには十分でした。

「そこまで言うならやってやろうじゃないか。で、どうやるんだ?」

 赤ずきんは説明します。

「ルールは簡単。私が持ってるコイン見える?これを放って、地面に落ちると同時に撃ち合うの」

「俺には銃が無いじゃないか」

「それくらいのハンデが無くちゃ。貴方は強い狼だもの」

「お前が撃てば、ババアに当たるかもしれないぞ」

「その時はまあ、その時で」

 ははあ、もう自棄なのだなと狼は独り合点しました。

「そんならいい。投げろよ。いつでもいいぜ」

「ならすぐにでも」

 赤ずきんは素早く銃を抜くと、狼に向かって発砲しました。

「はっ!?」

 狼はびっくりです。何せ自分以外がこんな狡いことをするとは思ってもみなかったのですから。鈍い六回の銃声と共に視界が真っ暗になります。ですが不思議と意識はあるようです。

「何だこれ、見えねえ!何も見えねえぞ!」

 赤ずきんが撃ったのは実弾ではありませんでした。それはお婆さんがいつも西部劇ごっこに使っている、特別製の非殺傷性ペイント弾だったのです。お婆さんを傷つけないための苦肉の策、それが今狼の目を塞いでいます。

 さあここからが大一番です。赤ずきんは助走をつけ、全体重を乗せた全力の体当たりを狼にお見舞いしました。勿論普段の狼なら平気の平佐でしょうが、目の見えない今ではわけが違います。あれよあれよとバランスを崩し、どさりと倒れこんでしまいました。そして、そのすぐそばには狩人がいたのです。

「狩人さん、お願い!」

「ああ、これだけ近ければよく狙えるよ」

 猟銃が狼の脳天を綺麗にぶち抜きました。


 それから色々あって、数ヶ月が経ちました。赤ずきんが久しぶりにお婆さんの様子を見に来ると、何やら庭のほうから声がします。

「よし、次は真昼の決闘ごっこだよ。準備しな」

「そんなあ、婆さん、それって悪役四人のやつだろ?俺に分身しろっての?それに俺ばっかやられ役じゃつまんねえよ!」

「うるさいねぇ。また頭をぶち抜かれたいのかい?」

「う……やるよ。やるってば……」

 お婆さんはあの事件の後、狼の腹を真っ二つに裂いて助け出されたのでした。そしてその狼は持ち前の生命力で腹と頭の傷を完治させた後、牙と爪を引っこ抜かれてお婆さんの西部劇ごっこに付き合わされています。結局片腕は失ったみたいですが。

 赤ずきんが楽しく遊ぶ二人を見ていると、中から誰か出てきました。

「誰かと思えば、恩人様。いつの間にいらっしゃったので?教えてくださればお茶をお出ししましたのに」

「別にいいですよ、そんな。気を遣わなくて」

 狩人でした。老いを実感した彼は引退を決め、今ではお婆さんの家の用心棒兼狼の目付け役として働いています。狩人の時よりずっと実入りが良いと冗談めかして喜んでいます。

 お婆さんが気づきました。

「おや、赤ずきん。来てたのかい。あんたもこっちおいで。頭数が足りなくてねえ」

「あんまり気分が乗らないかな。あ、でも悪漢に捕まるグレース・ケリー役だったら喜んで」

「結局俺が一人四役やるのか!?」

 こうして物語は幕を閉じました。赤ずきんは父親と二人、お婆さんは狩人と狼の三人で、末永く幸せに暮らしましたとさ。

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赤ずきん 夏融 @hayung

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