大人の階段

響竹菜

第1話 始まりの1ページ

 中学校。それは小学校で成長した子供たちが外へと踏み出す最初の一歩。中には子供の頃から芸能界とかで活躍している子とかもいるかもしれないが、そんなのは希有な例だろう。大多数の子は、小学校の中で育ち、その成果を基に外へと旅立つ。彼女も、その例に漏れない、むしろドンピシャに当てはまる子供であろう。

 そんなことを考えながら雲がまばらな空の下、中学校までの道を歩く。「こんなことを考えていないで、気の利いた挨拶でも考えるべきではないか」とか、「制服はきちんと着られているだろうか」とか「そもそも自分に制服は似合っているのか」とか…。思考と不安は尽きない。旅を始める前というのはこんなにも緊張するのかと、内心で震えていた。

 友達と一緒に歩く子、親と一緒に歩く子、一人で歩く子…。あの子たちも、実は緊張しているのだろうか。それとも、深く考えずにリラックスできているのだろうか。一度気になりだすとどうしても意識がそっちに持ってかれてしまう。あの子はどうしてツインテールにしているのだろう?あの子はどうして一人で笑っているのだろう?あの子はどうして…


 「樹?聞いてる?」


 たつきと呼ばれた少女はふと顔を覗き込まれる。覗き込んできた顔は少し不機嫌そうだったが、樹はその表情を気にすることもなく、黒い瞳の眼球に映り込んだ自分の顔がずいぶん呆けていたことと、短く整えていたはずの黒髪が少し乱れていたことに少し驚いていた。


 「その顔は聞いてなさそうだね。初めての中学校を前に緊張してるの?それとも私の話に興味ないとか?」


 「ううん。そんなことないよ。ちょっと考え事してただけ。」


 「だったら相槌の一つでも打ってよー。傍から見たら無視されてるみたいに見えちゃうかもしれないんだから。」


 そう言いながら姿勢を元に戻す少女。そのとき短めのポニーテールが揺れたのを見て、樹は難しそうな表情とのギャップにちょっとした可愛さを感じていた。


 「あはは…ごめんね。ちーちゃん。」


 「…そのちーちゃんって呼ぶの、やめるんじゃなかったの?」


 「あっ」


 「やっぱり前のままでいいんじゃないの?私はちーちゃんのままでも全然気にしないし、他の人も気にしたりしないと思うよ?」


 「そうかもしれないけど…やっぱり子どもっぽいよ。ちーちゃんっていう呼び方は。だからちゃんとした呼び方に変えるようにするよ。千聖ちゃん。」


 「ちゃんとした呼び方ねぇ…」


 樹も千聖ちさとの言いたいことは分かっている。「呼び方なんて気にしなくていいんじゃない?」という意見が出るのも分かっている。しかしそれでも、樹は変わりたいのだ。今までの子どもっぽい自分から…。

 何とも会話の続かない微妙な空気を残したまま彼女たちは歩を進める。中学校に近づくに連れ、和気藹々とした雰囲気が増していく。不安な面持ちの子より、明るい雰囲気の子が増えたせいだろうか。さっきよりも緊張してきたかもしれない…。


 「本当に大丈夫?小学校の頃からは考えられないくらいカチカチになってるけど。今からでも元に戻したほうが――」


 「大丈夫!大丈夫だから!」


 (本当は全く大丈夫じゃない!けど、変わるためには行動しなくちゃいけないんだ。とりあえず、最初の一歩として…)


 「友達をつくろう。」


 「えっ」


 「友達をつくるんだよ千聖ちゃん!」


 「いやそんなこと急に言われても」


 「人が成長するための一歩、友達をつくること。グループができてない最初のうちが一番作りやすいってお母さんが言ってた。だから、今から一人でいる子を探して友達になってきます!」


 「そんな焦ることないと思――」


 「じゃ行ってくる――――!」


 言うが早いか、樹は駆け出してしまった。当てもなく。やっぱり緊張してじゃないかと千聖は思ったが、口に出そうとした頃には追いかけるのも面倒な距離まで離れてしまっていた。


 (ま、いっか。友達ができたとしても、今の樹が変わるとは思えないし。)


 千聖はそう思い、のんびりと歩き出した。追いかけなくても校門の前で待っていれば合流できる。走って疲れていては樹の暴走に対応できない。そう判断した千聖は樹を追いかけることなく校門へと行き先を決めた。今から歩いても入学式の1時間前には着いてしまうので、待つのは暇ではあったが、追いかける方が面倒だった。


 (じゃ、頑張れよー樹。)


他人事のような応援を心の中でつぶやいた。


 


 走り出して十数分が過ぎたころ、樹は速度を落とした。


(私、なんで走ったんだろう。)


 とても冷静になっていた。まだある程度緊張は残っていたが、街中を駆け抜けるという行為が子どもっぽく、周囲から浮くということに気付けるくらいには。


(やってしまった――――!)


 緊張を振り払うための行動だったが、さらなるハードルを生んでしまった樹。こんなことをしてしまっては周りから奇異の目で見られるのは必然である。ゆっっっくりと首を振り、周囲の視線を確かめる。もちろんばっちり見られていた。高速で動いていたものが急に止まったのだから周囲が気になるのも当然である。

 さて、ここからどうするか。樹は考える。今から周囲の人に話しかけても間違いなくきれいな会話にはならない。かと言ってこのまま校門で千聖を待つのは自分に負けた感じがするのでプライドが許さない。さらに言えば、このまま歩道の真ん中で立ち止まって考え続けるのはもっと良くない。ぐるぐると回った思考の行きついた先は…


(どこかで時間をつぶそう。)


 幸いなことに入学式までまだ1時間以上も時間がある。どこかで時間をつぶし、冷静になりつつ、人々から子どもっぽい自分の印象を忘れさせることもできる。一石二鳥だ。そう考えた樹は学校へと続く道を外れ、落ち着ける場所を探し始めた。

 そうして人気を避けるように彷徨い歩くこと十数分、ついに山の近くまで来てしまった。学校との距離がどれくらい離れているか知る由も無いが、とりあえず周囲を確認してみる。学生なし。車なし。人気もあんまりなし。通勤通学で忙しくなる民家もまだまだ活気があると呼ぶには落ち着きすぎている。


 (もしかしてかなり遠くまで来てしまった…?)


 一抹の不安が脳裏を過るが、さっき自分がしてしまったことを振り返るとそれ以上に大変なことをしていたので、そこまで不安には感じていなかった。そうして余計な思考を排除し、本題へと思考を戻す。


 (相手との会話なんて何も考えてなかったなんて、これじゃ子どもみたいだよ…)


 緊張を振り払うことだけを考えて行動してしまった結果、友達をどうつくるか、そのために何をするべきかを一切考えることができていなかった。あのまま暴走し続けてもろくな結果にならなかったというのは今でも容易に想像できる。結果的には時間をつぶすという選択は正解だったと言えるだろう。が、しかし…


 「疲れた…」


 十数分も全力で走り続ければ、誰だって疲弊する。その状態でさらに十数分歩いていたのだから、疲労も相当に溜まっていた。自分を変えようとする前に力尽きては意味がない。そう思った彼女は休憩できる場所を探すことにした。


 「公園とか、ベンチだけでもいいから、何かないかな…」


などとぼやきながら歩く。樹の住んでいる町と違い大きな街なのだ。公園やベンチの一つや二つ、そこらへんにあってもおかしくはない。樹はそう考えていたが、残念なことに街といえど公園がそこら中にあるわけがなかった。すぐに見つかることはなく、やっとの思いで見つけたころには歩いた時間と同じくらいの時間を使ってしまっていた。息を整えながら公園に入り休憩しようとしたとき、ふと気づいた。


 (誰かいる。)


 ベンチに誰かが座っている。樹よりも小柄で、体も細く、幼さを感じさせる女子。髪も肩よりも下に伸びており、樹よりも長く、髪を下ろした千聖よりも長いかもしれない。雑誌で見たことのあるモデル体型のようだったが、実際に見ると健康状態に問題があるのではないかと心配の方が感想として出てきてしまう。特に身長。一見すると小学生のように見える身長だが、彼女の着ていた服が、それは間違いであると樹の認識を正してくれる。


 (二中の制服だ。)


 樹や千聖が通うことになる出頼いでより第二中学校。ベンチに体を預けている女子はその制服を着ていた。つまり、中学生なのである。


 (どうしてこんなところに…)


 と当然の疑問を抱く。この公園は中学校からはそれなりの距離があるため、今から出発してもそれほど入学式を待つことにはならない。そのため、時間をつぶしているという可能性はあまりないと思われる。かといって、樹と同じように緊張をほぐそうとしているわけでもない。あまりにも落ち着きすぎている。

 そのような思考を巡らせていると、ある二つの事実に気づいた。一つ目はベンチが一つしかないこと。つまり、座って休憩しようとする以上は初対面の女子の隣に座る必要がある。二つ目は会話の話題があること。どうしてここにいるのか、何をしているのか、といったごく自然な切り口で会話を始めることができる。そして今、とても休憩したい。これらの要素から導き出される樹の行動は一つしかなかった。


 (話しかける。そして座る。成り行きで友達にもなる。これしかない!大丈夫。大人になるための第一歩なんだから!)


 そう思い、女子に近づく。するとその子も樹に気付いたようで、顔を樹へと向ける。


 「おはよう!」


 元気な挨拶だった。閑静な公園と住宅街ではさぞ浮いていたが、幸い人がいないため、樹も挨拶の大きさなど気にしていなかった。


 「…誰?」


 と少し間延びした返答をする女子。会話に対して否定的でない相手の態度に安堵しつつ、会話を続ける。


 「隣、座ってもいい?」


 「…どうぞ?」


 「ありがとー!」


 第一目標クリア。そう思いながら会話を続けようとすると――


 「あなた、どうしてここにいるの?」


 「え?」


 「新入生でしょ?もうすぐ入学式なのにこんなところにいて大丈夫?」


と穏やかに問いかけられる。よく考えてみれば、樹も相手と同じような立場にいるのだから、同じような疑問を持たれるのも当然であった。


 「大丈夫。まだ時間には余裕あるし、ちょっと休憩しに来ただけだから!」


樹としては普通に答えたはずなのだが、思いのほか相手の反応は微妙だった。笑うでもなく、驚くでもなく、呆れるでもない、そんな微妙な表情。


 「さっきからいっぱい歩いたり走ったりしたから疲れちゃって、休憩したかったんだよねー。」


…会話が続かない。質問に答えるまでは穏やかな雰囲気だったのだが、今では微妙な表情でこちらを見つめるばかりで話そうとしない。返答に困っているのか、樹が苦手なのかさえ判断できない。なので、とりあえず別の方向から会話を続けようと試みる。


 「これから同じ中学校通うし、お互い自己紹介しない?私はね、緑川樹。自然がいっぱい詰まった名前なんだよ!」


 「…明野寿美あけのすみよ。」


 「寿美ちゃんって言うんだ。これからよろしくね、寿美ちゃん!」


未だ反応は鈍いままだが、何とかお互い自己紹介を終える。


 「そういえば聞こうと思ってたんだけど、寿美ちゃんはなんでここにいるの?申す部入学式なのは寿美ちゃんも一緒だよね?」


 「私もあなたと同じ、休憩みたいなものよ。」


 「そっかー。にしてもこの公園を選ぶなんて、ちょっと変わってるね。中学校からの距離も結構あるのに。」


 「それを言うなら、あなたも私と同じくらい変わってるってことにならない?」


 「あっ確かに。」


 思わずそうこぼすと、寿美の口から「ふふっ」という笑みがこぼれる。途中で雲行きが怪しくなったものの、何とかうまく進めているようだ。


 「寿美ちゃんは出頼出身?」


 「うん。そうだけど。」


 「おぉー!そうなんだ!ってことはこの街にも詳しいの?」


 「えっと、そんなことないかも?」


 「そうなの?…あっ、出頼って広いからさすがに全部は分からないか。」


 「うーんとね、そういうことじゃなくて、実は私ね、あまり外に出ないから、そんなに出頼に詳しくないの。ごめんね。」


 「そうなんだ。」


 (出頼について詳しく知れると思ったんだけどな…)


 都会について知ることができれば、大人っぽくなれるコツが分かるかもしれないと思っていたために、少し落胆する樹。しかし簡単に諦めては話しかけた意味が無くなってしまう。どうにかして話を続けられないかと焦った樹は…


 「そうだ!今度一緒に出頼を散策してみようよ!」


 「え?」


 唐突な提案に寿美が面食らう。


 「私たちまだ知り合ったばっかりだからさ、全然お互いのことを知らないじゃん?だから、親睦を深めながら出頼についても知る、一石二鳥だよ!」


 かなり無茶な提案だった。端から見たらナンパにも見えなくもない言動だったが、今の樹はそれを認識できていない。


 「なんだか話が急になってきてない?ちょっと置いてかれそうなんだけど…」


 「でも、思いついたが吉日っていうじゃん。何かやろうと思ったら、まずは行動することが大事なんだよ。それでどう?来る?」


 ここまでの会話で、樹は自分でも気づかぬ内に調子に乗っていた。数分前までの疲労し、緊張していた面影はもうすでに消失していて、そこにあるのはほぼ初対面の相手に出かける約束を要求し、交流を深めんとする暴走機関車のような樹だった。寿美という少女もかなり困惑していて樹を止められそうにない。つまり現状、会話の着地点が「出頼散策に行く」しかないのだ。


 「えっとね。まずいつ、どこで待ち合わせるかを決めたほうがいいんじゃないかな…」


 「そっか、そうだよね。じゃあね…」


と待ち合わせの日時を考え出したとき、公園の入り口に一台の車が止まった。


 (こんな朝早くから車で公園に…?)


などと思考を巡らせようとするうちに、すぐに中から女性が出てきて、樹たちの方に目を向ける。その女性は小走りでこちらへと近づいてきて、


 「寿美!あんた学校行ったんじゃなかったの!?こんなところにいたら、入学式に間に合わなくなっちゃうでしょ!」


 (うわぁ、すごい剣幕。あれ、ていうか寿美ちゃん、なんでここにいたんだろう?)


 そんなことを考えている内に、寿美は女性に手を引かれ、車の方へと歩き出していた。特に抵抗もしていないところを見るに、あの女性は母親なのだろう。連れていかれる最中、寿美は一度だけ振り返り――


 「またね。樹ちゃん!」


と言い残し、車の中へと入っていった。間髪入れずに車が発進し、その場には樹だけが残されていた。


 (会場、向かおうかな。)


 樹はそう思い、温かみがほのかに残るベンチを後にした。


 


 「遅い…。」


校門の脇で不満そうな顔をしながら立っている生徒がいた。


 「樹のやつ、どこまで行ったんだ…」


 千聖だった。今の千聖はあまり良い表情をしているとは言えない上に、ぶつぶつとつぶやきながら生徒を眺めているものだから、周りの生徒からも怪訝な目で見られていた。しかし千聖はその視線を気にも留めずに生徒を眺め続ける。


 (もうすぐ十五分前だぞ。なのにまだ来ないなんて…)


 様々な憶測が千聖の脳に浮かび、そのたびに焦燥感に駆られていく。


 (道に迷ったのか?それとも誘拐?いやそれはないか。でも迷ってる可能性はあるんだし、探しに行くべきか?もしかしたら、つくった友達が実はやばいやつで、そいつに何かされてるんじゃ…)


 考えれば考えるほど罪悪感に駆られていく千聖。千聖にとって大切な友人なのに、樹に寄り添わず、軽い気持ちで流してしまったことを後悔していた。


 (くそ。無理にでも追いかけるべきだったんだ。)


 焦燥感が募り、入学式をサボってでも探し行こうかとしたとき、遠くに千聖の見知った人影が駆けてくるのが見えた。


 「おーい!お待たせー!」


 「お待たせじゃないよ…」


 何事も無さそうな樹を見てほっと安心する千聖。これからもこんな思いをするかもしれないのかと頭を痛めている千聖を後目に樹が語り始める。


 「千聖ちゃん聞いて聞いて!私友達がね――」


 「その話は後で聞くから、とりあえず会場に行こう。誰かさんのせいで、始まるまであと十分くらいしかないんだよ。」


 「う、ごめん。」


 そう話しながら二人は自分たちのクラスと出席番号を確認する。


 「えーっと、クラスクラス…」


と1組から順に確認していく。3組まで確認しても見つからず、若干焦りを覚え始めていると――


 「あったよ。4組。しかも二人とも一緒のクラス。」


 「本当!?すごいラッキー!」


 「よし。クラスが分かったら、さっさと会場に急ぐよ。」


 「了解!」


 二人は校門を通り、入学式会場へと向かった。道中で見慣れない遊具や建物があり、樹がそれに引っ張られ足が止まりそうになっていたが、千聖がいたため何とか寄り道せずにたどり着くことができた。

 会場の中はざわめいており、保護者のそわそわとした気持ちが体育館を包み込んでいた。


 「ただいまより、第15回 深山ふかやま県立出頼第二中学校 入学式を開式いたします。」


 その言葉とともに、場に緊張した雰囲気が走る。ただ体育館で教頭や校長の話を聞いているときとは違う独特な静寂が辺りに漂っていた。


 (そういえば寿美ちゃん、どこにいるんだろう。)


 樹は気になって前の方を見渡してみるが、それらしき姿は見当たらない。


 (…よくよく考えてみたら、クラスの確認をしたときに、明野なんて苗字の子はいなかった気がするな。ってことは5組の生徒なのかな。)


 その後、新入生入場の後に指定された席に着き、進行を待つ。寿美のことが気になりはしたが、さすがに式の途中に振り返ることはできず、集中力を欠いたまま進行を待つことになった。

 国歌斉唱や式辞などが淡々と進められていき、樹の意識が寿美に引っ張られていく中、ある司会の言葉が、樹の意識を入学式へと引き戻した。


 「続きまして、在校生による歓迎の言葉です。生徒会長の明野寿美さん、よろしくお願いします。」


 「はい。」


 (えっ!?)


 思わず声が出かけてしまうが、ギリギリ残っていた集中力でそれを制止する。


 (生徒会長!?寿美ちゃんが!?)


 ふわふわとした雰囲気と小柄な身長から同じ一年生だと思い込んでいた樹は信じられないという表情を隠せていなかった。それは周りも同じようで、少なからず低身長に対する驚きが広がっていた。決して彼ら彼女らに悪意などないのだが、純粋な驚きは相手の気持ちを考えて出せるものではない。しかし、声に出せない驚きの感情は、寿美のスピーチが始まるとともに一旦鎮まることとなった。


 「新一年生の皆さん、ご入学おめでとうございます。これから始まる学生生活に夢や希望、不安や悩みを抱いていることと思います。そんな皆さんに、これからの学校生活を豊かにするために必要なアドバイスをしたいと思います。」


 「一つ、きちんと挨拶をしましょう。挨拶はとても大事なものです。登校したとき、下校するとき、これから皆さんが参加するときも、挨拶をします。中には先輩方と友達のような関係になる人もいるかもしれません。しかし、親しい関係になったとしても、相手を敬い、敬語を使うことが、社会に出てからのマナーを身に着けるきっかけになります。」


 寿美の言葉は間延びすることなくはきはきとしており、公園にいた寿美と同一人物なのかを疑わせるほどに毅然とした佇まいをしていた。


 「二つ、出会いを大切にしましょう。今日から始まる新生活で、皆さんに多くの出会いがあると思います。新しい環境での、新たな出会いを、大切にしてください。」


 (大人だ…)


 樹はしみじみとそう感じていた。樹の目標である「大人っぽくなる」こと。壇上で話している寿美は間違いなく「大人っぽい」と言える。そう納得するほどの貫禄があった。


 「三つ、学校全体で団結していきましょう。体育祭や文化祭、音楽祭などのイベントは生徒主導で行います。そのため、学校行事を成功させるためには、皆さんの協力が不可欠となります。」


 (公園で会った時とは本当に別人みたいだなぁ…)


 「四つ。積極的に行動しましょう。挨拶も、出会いも、学校行事も、行動するから始まります。実際に、私は今日、新入生の方に声を掛けられ、その方と友達になることができました。」


 (おぉ!?これ私の話だ!)


 まさか自分の話が出るとは思っていなかったため、さらに驚く樹。出会った当時はほんわかとした子供っぽい人くらいにしか思っていなかった相手が、ここまで印象に残る人だったとは全く考えておらず、今の樹は寿美の一挙一動にくぎ付けになっていた。


 「在校生一同、これから皆さんとともに生活していくのを楽しみにしています。一緒に学校生活を楽しんでいきましょう。平成24年4月9日 生徒会長 明野寿美。」


 締めのあいさつとともに拍手が送られる。拍手の総量は今までと大して変わらなかったが、樹にはこの拍手が寿美の姿こそが「大人」としての正解なのだと称える声のように聞こえていた。


 


 「以上を持ちまして、第15回 深山県立出頼第二中学校 入学式を閉式いたします。」


 やがて入学式が終わり、新入生がそれぞれの教室へと向かっていく。樹はその途中でもずっと寿美のことを考えていた。


 (発言も仕草も全部大人っぽかったなぁ…)


 自分にとって理想の姿を見た樹は寿美に夢中になっていた。寿美の発言も、行動も、すべてが樹の関心の対象であり、一種の信仰の域にまで達しかけていた。教室に入り自分の席に向かう時でも思考は止まらなかったが――


 「おーい。樹。」


 (どういう風に生きてきたらあんな立ち振る舞いができるんだろう…)


 「あれ?…もしかしてまた聞こえてないのか?」


 (親に教育されたとかかな?寿美ちゃんのお母さん、厳しそうだったし、あり得そう…)


つんつん。


 「ひぇっ」


 「おい。そんな声出さなくてもいいだろ。」


 「急につつかれたら声出るでしょ~!」


 (やっぱ樹聞こえてなかったな…)


 「さっきから声掛けてたぞー。今度は何考えてたんだ?」


 「…私ね――」


 「はーい。皆さん座ってくださーい。ホームルームを始めますよー。」


 言いかけたその時、担任の長水理恵先生が教室に入ってくる。何とも間の悪いことだが、ひとまず話を終えてホームルームの進行を待つ。


 「今日は入学式の後なので諸連絡と簡単な自己紹介だけして終わろうと思います。」


はきはきと喋り手際よく進めていく先生。すぐに自己紹介の時がやってくる。


 「それじゃあ次は館石さん。」


 「館石千聖です。静風小学校出身です。1年間よろしくお願いします。」


 すんなりと終える千聖。あまりにもあっさりしすぎていて中学生の自己紹介として成り立つのか樹は心配になるが、本人は全く気にしていない。


 (もうちょっと自分のことを話せばいいのに…)


 地元の人との挨拶でも、小学校での自己紹介でもいつも千聖は淡白だった。もう少しオープンになれば、他の子からも興味を持たれて、友達だって増えるかもしれないと樹はいつも思っていた。

 しかし、他人のことを考えている内に樹の番が近 付いてきていた。今までと同じ様に元気よくするべきだろうか。それともに控えめに落ち着いた雰囲気でするべきだろうか。迷ってはいるが、決める時間はほぼ残っていない。


 「次は緑川さん。」


 そして、樹の番が来た。決意を固め、立つ。そして、「自分」を皆に伝える。


 「静風小学校から来ました。緑川樹です。」


というと一度言葉を切る。そしてー――


 「生徒会長みたいな人になりたいと思っています。1年間、よろしくお願いします!」


 元気というにはほんの少し投げやり気味だけど、明るい、大きな声だった。


 


 バス停までの道のりを歩く最中、千聖が口を開く。


 「さっきの自己紹介のやつ、本気なの?」


 「生徒会長みたいになりたいって言ったこと?」


 「そう。」


 「もちろん本気だよ。本気じゃなかったら、大事な自己紹介の場所でそんなこと言わないよ。」


 樹はまっすぐな瞳と声で答える。勢い任せに言ったわけではないと言葉ではなく、態度で伝える様に。


 「うーんでも、なんで急に生徒会長なんだ?大人っぽい生徒なんて他にいくらでもいるじゃないか。」


 「…私、さっきの入学式で気づいたんだ。自分がどんな大人になるべきなのか。」


 「は?」


 「私、生徒会長みたいな人になりたい。余裕があって、人柄もよくて、みんなから尊敬される。そんな人になりたい!」


 (余裕があったのは台本を読んでたからじゃ…)


 「って人柄とか分かるの?入学式で見ただけなのに。」


 「うん。友達になったから。寿美ちゃ…じゃなくて明野先輩と。」


 「…もしかして、入学式前に話しかけてた友達って…」


 「明野先輩だよ!」


 (そんなことある?)


 驚きというよりも困惑だった。まさか友達になった相手が生徒会長で、しかもその人みたいになりたいと言い出すとは、千聖は思いもしなかった。


 「…その朝の時間だけで、人柄が分かるくらいに仲良くなったの?」


 「ううん!全然!」


あっけらかんと言い放つ樹。


 「言ってることがめちゃくちゃじゃないか!人柄が分からないのに人柄がいいって言ってるんだよ!?」


 「千聖ちゃんがそう言うのも分かるよ。でもね、明野先輩とは今度一緒に出掛ける約束ができたんだよ!」


 「それとこれとどんな関係が…ってえ?出かける?生徒会長と?」


 「そうだよ。」


 「二人で?」


 「多分?」


千聖の頭に痛みが走る。


 (どこまで暴走してたんだこいつは…)


 「…ちょっと頭が痛くなってきたからその話は後でするとして、結局どうして一緒に出掛けることが人柄が分かることにつながるんだい?」


 「初対面の私の無茶な提案を受け入れてくれたんだよ。それって人と関わりたい、話したいっていう心があるからできる行動だと思うんだ。そんな人が、悪い人だとは思えないよ。」


 「うーん、いまいち納得できないな。もし相手が樹を拉致しようとか、何か危害を加えようと思って受け入れた可能性は?そういうの、無いわけじゃないんだし、いい人かなんて分からないんじゃないかな。」


 かなりの邪推をしてしまったと内心後悔する千聖。樹が怒らないか心配するが…


 「それは違うよ。千聖ちゃん。」


 「違う?」


 「千聖ちゃんは、私が明野先輩に憧れる理由が約束を受け入れてくれたっていうこと、つまりはその人柄に惹かれたからだと思ってるんだよね?」


 「うん。」


 「ほんとはね、そうじゃないんだ。人柄に惹かれた、なんていうのはただの後付け。本当はね、運命だと思ったからなんだ。」


 「運命?またずいぶんロマンチックな…」


 「だって考えてみてよ!たまたま話しかけた人が、一緒に出掛けてくれるって言ってくれて、さらにその人が自分が目指す大人っぽさの模範例。これは運命がくれたチャンスとしか思えないよ!」


 (はぁ。なんだかついていけなくなってきた。)


 「行動することが大事って、明野先輩も言ってたでしょ?だから、機会が来たら即行動。運命でも、理屈でも、きっかけは何でもいいの。最後には行動することが大切なんだから。」


 ずいぶんと長く語っているなと千聖は思っていた。もともとおしゃべりな性格ではあったが、真面目にしゃべり続けたのは千聖も見たことが無かった。


 「今までの子供っぽい自分から変わる。そのためなら、どんなチャンスも逃さない!その意気で頑張らなくちゃ、成長できないんだよ。だから生徒会長から学ぶんだ。自分には何が足りていないのか、何をするべきなのかを。」


 「…まぁ樹がそうしたいって言うならもう止めないよ。でもね、一言だけ言わせてほしい。」


 「なに?」


 「…私は、今の樹のままでもいいと思うよ。」


 昔から幾度となく聞いてきた言葉。今回も言われると思っていたが、なぜ千聖がそう言うのか、その真意は樹には分からなかった。


 「あ、あと今朝みたいな見切り発車も無しね。相手置いてけぼりになるから。」


 「そ、それは分かってるよ~ごめんね…」


などと小言を交わしつつ、雑談へと戻る。まだ日が高く昇るなか、二人はバスへと乗り込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る