村に棲まう神

うみべひろた

村に棲まう神

 案内された寝床は小高い丘の上であった。小綺麗な小屋であったが、ランプさえ無いのはこのような村である故仕方がない。蝋燭ろうそくに照らされた板張りの部屋に、何故だか圧迫感をおぼえる。

 伝えておいた文机は部屋の片隅にあったが、こうも暗いと向かう気にもならない。

 時間はいくらでもあると自らに言い聞かせ、蝋燭を吹き消して布団に潜り込む。

 どこからか物音が聞こえる。すすり泣く声のようにも衣擦れのようにも聞こえるそれは、どうやら壁の向こうから聞こえているらしかった。

 気味が悪いが、私にはここで眠る以外に出来ることはない。どうせ風であろうと無理やり言い聞かせれば、長旅の疲れのせいであろう、すぐに私は眠ってしまったようだ。


 翌日、私は村の様子を見て回ることにした。何の変哲もない農村である。うろついていると村人に怪訝な目で見られるが、知人と村長の名前を出すと警戒が薄れたのか、様々な話を聞かせてくれた。

 知人の伝手つてを頼り、各地域の農村の生活を調査している身である。初見の村人の扱いにも慣れたものと言ってもいいだろう。

 そろそろ暖かくなるから熊とまむしが出はじめる、注意するように。口々に伝えてくる村人は、何故か別れ際に拝むように手を合わせてくる。そのような風習があるのだろうか。


 村長の家で出された夕飯は川魚と山菜であった。山菜にはえぐみが全く無く、手がかけられたものであると一目で分かった。

 寝床である小屋に帰ると、ようやく圧迫感の理由が分かった。四方すべてが壁であるのだ。まるで座敷牢のようだ、と寝床を提供されている身を弁えずに考える。

 この部屋には障子もなく、外に繋がるのは片隅の扉と、部屋の奥のふすまのみである。その襖は昨日の夜に何かが聞こえた壁の向こうに繋がっているらしい。

 開けてみたい衝動に駆られたが、薄気味の悪さに手を伸ばせずにいると、


「もし、旅人様、そこにおられるでしょうか」

 壁の向こうから女の声が聞こえる。

「――いるが」

 迷った末にそう答えたのは、部屋の奥の襖が開くことを恐れたからだろうか?

「ここは牢獄です。旅人様、逃げられるうちに逃げてくださいませ」

 その声はいささかすれているものの、若い女の声のようだった。

「牢獄とは何だ? 君は何故ここにいるんだ? 何故、この部屋はこんなに狭い?」

 部屋の隅にある襖の存在が否が応でも気にかかる。それを誤魔化すためか、口を開くと疑問が次々に湧いてくる。

「貴方様は水面に波紋を打つ存在であり異物――カミです。カミの力を野放しにすると村にはわざわいが起こるのです」

「神……」

 仕事柄、土着宗教に触れる機会は幾度となくあった。だが、私自身を神と呼ばれたのは初めての経験である。

わたくしは貴方様の力を抑えるための巫女とされました。が――」

 徐々に小さくなっていく声を聞き逃すまいと壁に耳を付けると、

「……!! …………!」

 小屋の外で何か言い争う声がして、「あぁ……」と壁の向こうの声が涙混じりになるのが分かった。

「すみません、私には心に決めた人が……」

 その夜は、それきり壁の向こうからの声は聞こえなくなった。


 翌日、村長に村の周辺を案内してもらった。

「ここから見える山がご神体です」

 川があった。川幅が広く、泳いで渡ろうにもそれなりの覚悟が必要に見える。そして向こうには山があった。

「こちら側は?」

 左手側は鬱蒼とした森に繋がっている。

「そちらも山であり、ご神体です。逆側も」

 暗い森の奥にぽつりと見える鳥居を村長は指し示した。

「神様に囲まれた村なのですね」

 自分で来たいと言った村なのだが、この山越えには閉口した。来るのに最寄りの鉄道駅から二日間かかる村。

「そう。私たちは神様の中に住んでいるのです。だから絶対に、この村にわざわいを呼び寄せてはいけない。神様に申し訳ないので」

「禍とは、何なのでしょうか」

 昨日も感じた疑問が口をついたが、村長は無反応だった。

「ときに旅人様、巫女はどうでしたか?」

「巫女……」

 壁の向こうの声を強烈に思い出す。

「昨日はすみません。邪魔しようとする不届き者がいましたが、吊るしておきましたからもう大丈夫です。お気に召すと良いのですが」


 村長の家で出された夕飯は川魚と山菜であった。

 降り出した雨に追い立てられるように寝床の小屋に戻ると、部屋の布団が二つに増えている。

 今や、壁の向こうに感じるのは不気味さではなく濃密な人間の気配である。

「――酷い雨だな」

 どのような言葉をかけるべきか迷った私は、毒にも薬にもならない言葉を壁の向こうに投げる。

「良い天気でございますよ――そう言うのはきっと、わたくしだけでございましょうが」

 昨日よりも幾分潤った声に安堵する。

 ――私は何に安堵しているのだろうか?


 ぽたり。ぽたり。

 壁の向こうから音が聞こえる。


「君は、ここで何をしているのか」

わたくしはここで、神に近づいていくのです」

「神……とは」

「仏になる方法があるならば、同じやり方で神にもなれましょう」

 核心に迫れない言葉と意味の取れない言葉。何を言えば良いのか分からない私に、

「そうだとすれば、今日のわたくしは神から酷く遠ざかった気がします」


 ぽたり。ぽたり。

 これは雨漏りの音か。

 

「君は巫女なんだろう?」

「はい。わたくしは今日、巫女になりました」

「それであれば、」

「カミ様は、このようなわたくしを助けることが出来るのでしょうか」

 雨音がにわかに強くなったのを機に、私は立ち上がる。

 部屋の襖の襖を開けると、その向こう側は闇の世界であった。文机に置きっぱなしの蝋燭の灯りはこの部屋を照らさない。

「即身仏。カミ様はご存じでしょうか」

 高位の僧が自らを仏とするために行う宗教儀式のことだ。多くの場合、祠や箱に入り全ての飲食を断ちミイラと化す。


「あぁ、カミ様がもっと早くその襖を開けてくだされば――」

 ぴちゃり。ぴちゃり。部屋の隅で水が溜まる音。徐々に闇に慣れた目に、さらに暗い影が映る。

「君は……何を」

わたくしは神から遠ざかってしまった。カミ様は許してくださるでしょうか」その水を口に流し込み、


 でも、ほら。肌に少しだけ艶が戻ったのでございますよ。


 こちらを振り向いた女の姿が見える。死んでいるのかと見紛うばかりに肌が白かったからである。骨と皮ばかりで、男か女かも判然としない。ただ長い髪が顔にかかり、その奥からぎらぎらとこちらを覗き込む瞳。


「カミ様が来ると仰ってから五日間、わたくしは神に近づき続けました。あぁ、もっと早ければ、人として、一緒に神に近づけましたものを」

「そんな、君は昨日――」

二本の脚で立つ力も無いのか、その影は這って近づいてくる。

「カミ様、わたくしの全てを許してくださいませ」

 後ずさりする背中が壁に阻まれ、その手が足首を掴む。辺りを見渡して初めて、壁の外から覗き込む目に気づいた。

「君たちは、私を、どうするつもりなのだ」

「一緒に、神になるのです」

 もう片方の足に手が触れて、衝動的にその腕を踏みつける。小枝を踏み折ったような感覚に驚く間もなく、絶叫が響く。

 私は弾かれたように駆け出す。扉から誰かが駆け込んでくるが、突き飛ばし、蝋燭を放り投げ、雨の中を走る。

 後ろから何度か曇った銃声が聞こえたが、この雨の中、火縄銃は何度も打てまい。


 ――私たちは神様の中に住んでいるのです。

 ご神体と言われた山を駆けながら村長の言葉を思い返す。

 いつしか脚は動かなくなり立ち止まる。彼らには悪いことをしたが、ご神体の中にまで銃や刃物を持ち込んで来る村人はいないだろう……

 安堵した瞬間、背中に衝撃が走って私は泥の上に倒れ込んだ。何が起きたのか分からずに私は雨空を見上げる。


 ――そろそろ暖かくなるから熊とまむしが出はじめる。

 巨大な影に見下ろされ、私が思い出したのは昨日の村人の言葉だった。


 ――貴方様は水面に波紋を打つ存在であり異物。

 この村に禍を呼び込んだのは紛れもなく私であった。このような因習も、あながち的外れではないらしい……

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