女は悪魔より悪魔だ

嶋田覚蔵

第1話 女の愛は血でできている

 クリスマスイブの夜。場所は超一流ホテルのスイートルーム。若い女がホテルのガウンを着て、ソファに座って足をブラブラさせている。ベッドでは男が上半身裸で、だいぶ酒を飲んだのだろうか、高いびきで寝ている。部屋の隅にはビリビリに破られた高級デパートの包装紙。テーブルの上には、世界に数点しかないけれど、セレブ女優が愛用しているので皆が知っている高級バッグ。脱ぎ捨てられているのは、パーティドレスとタキシード。どちらも目玉か飛び出るほどの高級品なのだが、おそらくこの夜、ひと晩限りの衣装。それでも惜しくはない。ふたりの気持ちを高められたのなら。

 女は美しかった。彼女ほどの美しさは世界有数の大都市でも見つけ出すのは苦労するに違いない。そんな彼女は、世界で可能な限り最高に贅沢な体験をしたのに不満だった。

「今夜は素晴らしかった。でもこんなに素敵なクリスマスを、あと何回過ごせるのだろう」

 女は21歳。仮に女の盛りを27歳までとして、それならあと6回。こんな夜を過ごしたら、人生の盛りを過ぎることになる。

「はぁ~っ、はかないものね、人生って」

 そう考えたら、女は寝られなくなってしまったのだ。

 私の恋はリボルバー拳銃、弾数はあと6発。誰に向かって放てばいいのか。

 寝ている彼氏。当然彼は有力候補だ。女は慎み深く、多くの男にカラダを許すつもりはなかった。じゃあ、彼に絞るのか。それもちょっと考えものだ。

 女は彼を愛していた。身を捧げてもいいと思うほど。おそらく彼も女を全力で愛しているのだろう。そうでなければ、たったひと夜のためにこんな散財はできないはずだ。

 それは分かっている。でもなぜか女の心には、寂しさが残っている。いつまでも満たされない想いがくすぶっている。

「なぜなのかしら、この謎が解けたなら、私は心を決められるのに」

「ほーーーっ、ほっほっ。それは当然のことなのですよ」

 女はギョッとした。声が発せられたのは天井からだった。見るとシャンデリアの影に隠れるように男がひとり、天井からぶら下がっている。女は「キャッ」と小さな悲鳴をあげる。そしてその瞬間に悟った。「こいつはこの世のものじゃない」と。

「あーーーっ、申し訳ございません。不躾に突然お声をお掛けしてしまって。でもあまりにもナイスなタイミングで、私が今宵お話ししたかったことを考えていらっしゃいましたので、つい興奮してしまいました。お許しください」

 男はスルスルと天井から降りてきた。降りるとすぐに胸を両手で抱え、片膝をついた。

「申し遅れました。メフィストフェレスと申します。こう見えましても、私。かなり高位の悪魔でして、ちなみにかのアダムとイブに知恵の木の実を食べさせたのも実は私でして。

今でも覚えていますよ。ふたりが知恵の木の実を食べてしゅう恥心を覚え、パンツを履くようになったあの瞬間を」

 メフィストはそう言うと、小さなガッツポーズをした。彼にとってかなり誇らしいことのようだ。

「それで、今日はあなたに新しいパンツを履いていただきたくて、こうして参上したわけです」と言うとメフィストはニヤリと笑った。

「うわっ、ヘンなの出てきちゃったな」と女は思った。でも身体は金縛りにあったようにピクリとも動かないし、声も出せない。逃げるすべはなかった。

「さて、お嬢さん。今お考えになっていた悩み。そう『なぜ女の心は満たされないのか』というお話。こう思っちゃうのは仕方ない。アダムとイブ以来数千年、ずっと人間を観察して来た私には分かる。なぜならそう思うのはあなただけじゃない。女たちばずっと満たされない心を抱いて生きているのです」

 得意げにメフィストは言った。なるほど、さすがは「高位の悪魔」とみずから名乗るだけのことはある。彼の言葉は女の心によく刺さる。メフィストは続ける。

「それではなぜ女の心はいつも満たされないのか。簡単です。それは『女は男を愛すると、血の代償を求められるから』です。いろんな意味でね。女のあなたなら分かるでしょう。女が男を愛するためには大量の血が必要なのです。それに対して男はどうでしょう。男の愛なんて、所詮欲望の塊でしかありません。単なる欲望だから、同時に幾人でも愛することができるのです。女の身を切るような愛にはとうてい適わないのです」

 メフィストは片膝をついたまま、女の顔をのぞき込む。メフィストの顔は勝利を確信し、人を見下し始めているのが分かる、いやらしさに満ちていた。

「さぁ、若き乙女よ。男に身を捧げるようなバカなマネはよしなさい。男をいくら愛しても、いや深く愛すれば愛するほど、あなたは裏切られるのです。さぁ、男なんて捨てましょう。女は女のために生きるべきなんです」

 女はドキリとした。メフィストの話は核心をついているように感じた。でも、悪魔にこのまま言いくるめられるのはイヤだ。なんとか反撃しなければならない。女の口はやっと開くようになった。

「いいえ、メフィスト様。ご忠告には感謝しますが、私は男を捨てません。なぜなら、この男を愛すれば、確かに私は血の代償を支払うことになるのですが、それは男のために支払うのではなく、将来生まれてくる子供のために支払うのです。そう。私の血は子供と血の関係を結ぶために流されるのです。けっして男のためではありません」

 

 悪魔には知恵があった。人を堕落させるのに十分な理屈を持っていた。しかし女には、ウソとハッタリがある。女はその力を発揮した。ひるむことなく、悪魔の理屈に乗せられることもなく。高貴な心を保ち、隙あれば相手を見下す。

 女の言葉を聞くと悪魔は舌打ちして、どこかへ消えた。女を篭絡(ろうらく)することに失敗したと悟ったからだ。

 女はベッドの上でまだスヤスヤ寝ている男を見た。すると女はなんとなく寂しさを感じた。そうかこの想いは一生続くのか。切なく感じて、女は自分の身体を抱きしめた。

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女は悪魔より悪魔だ 嶋田覚蔵 @pukutarou

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