猫と花火

香久山 ゆみ

GO

「よっ」

 うちに帰ると、ゴウさんがいた。ペコッと頭を下げると、細い目をさらに細める。

 ゴウさんは兄の友人でよく遊びに来る。いつも洗い晒しの真っ白なシャツに、ジーンズを穿いている。何の仕事をしているかも知らない。この世で私に笑顔を向ける男はゴウさんだけ。十回に一回くらい「かわいい」なんて発したりする。変人だ。

 台所に入ると、ふらりとくっついてくる。

「何作んの?」

 背後からひょいと私の手元を覗き込む。びっくりして固まってしまって息も止まる。

「……てきとーに、豚肉と野菜炒めとか……です」

 呻くように答える。

「……食べ、ますか?」

 まだそこに居座っているので、一応聞いてみる。

「さっきムラと外で食ってきちゃったからなあ」

 そう言うくせに、ずっと後ろから調理の様子を見ている。集中できない、指を切ったらどうする。ただでさえ自己流が、いっそう下手くそになる。さっさと兄の部屋に上がればいいのに。

 一口くらい食べるだろうか。と思いながら丁寧に切って焼いて盛り付けたのに、完成する前に兄に呼ばれて二階へ上がって行ってしまった。もう、何なんだ。

 無駄な緊張感ですっかり疲れ果てて、味のしない野菜炒めを食べ切ると、そのままリビングのソファにごろんと横になり、テレビをぼけーと眺めているうちに、うとうとまぶたが重くなる。

「マチちゃんも一緒に行く?」

 リビングでテレビを観ていた私に、ゴウさんが声を掛ける。私は口元を拭いながら起き上がる。やば、寝てた。花火大会があるといって、兄たちは川原まで出掛けるらしい。背中を向けたまま、私は小さく頷く。

 準備して玄関に出ると、兄はすでに出発していたが、ゴウさんは待っていてくれた。「行こ」と目を細める。

 兄と違って、ゴウさんは歩調を合わせてくれる。歩きながらいろいろ私に話し掛ける。私のこと、好……嫌いじゃない、のだろうか。なんて、まさかそんなことあるまい。犬猫を構うくらいの気持ちだろう。

 川原にはたくさんの見物客が集まっていた。

 土手に上る階段もぎゅうぎゅう詰めで、一歩進むごとに人とぶつかる。

 視線を上げると、先に上り切った兄とゴウさんの後ろ姿がある。ゴウさんの白いシャツは夜目にもよく映る。

 私はそっと手を伸ばす。恐るおそる、そっと。

 裾だと気付かれないかもしれない。でも袖なんて引っ張るのは。ふつうの女の子ならどうするのだろうか。どっちの方が少しでもかわいいだろう。

 一瞬そんな馬鹿なことを考えながら、ゴウさんの白いシャツの袖を小さく摘まんで、最後の一歩を進んだ。ほんのほんの端っこをちょっと摘まんだだけだったけれど、ゴウさんはすぐに気付いて振り返った。

 少し驚いた顔をしてから、くしゃりと笑顔になる。

「どうしたの?」と聞かれて、「うん」と小さく呻いて手を離す。ごめん、とも、よろめいただけ、とも言わなかった。「そっか」と言って、ゴウさんは微笑む。

 よかった、嫌な顔されなかった。

 それだけで十分だ。

 ゴウさん達の斜め後ろに立つ。ドン、と一発目の花火が打ち上がった。

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