第7話 再会

「近藤……」


ザァッと、血の気が引く音がした。

目眩がして、視界がぐるぐると回りだす。

座り込みそうになるのをどうにか堪えた。


「やっぱ白雪だよな」

「何でこんなところにいるの」

「塾の帰りだよ。野球やる代わりに親に通えって言われてるから」


そういえばかつてそんな話をしていたな、なんてどうでも良いことを思い出す。

今日見た夢も起因して、高校に通っていた時のことが一気にフラッシュバックした。


たぶん私は酷い顔をしていただろう。

近藤を見ると、イジメられていた記憶が昨日のことのように身近になる。

遠くに置いたはずの過去が近づいてくる。

呼吸がまともにできなくなり、恐怖で体が震える。


もちろん頭では近藤が悪くないことは分かっている。

でも心はそうじゃない。

近藤に好かれたから私は目をつけられ、イジメられた。

彼と過ごした時間が起因してしまったのは確かなのだ。

近藤は、私の中の消し去りたい記憶のど真ん中に位置してしまっている。


「お前、大丈夫なのかよ」

「何が」

「イジメられてたって聞いた。連絡も全然取れないし、心配してたんだぞ」


イジメられてたって……何だよ。

私が学校に行けなくなった原因は、あんたなのに。

まるで他人事みたいじゃないか。


分かってる。

近藤はきっと、自分が原因で揉めたなんて気づいていないんだ。

実際、私が不登校になるまで家族ですら私がイジメられていることに全く気づかなかったんだから仕方ない。

そして何も知らないからこそ、こうして平気な顔で私に話しかけてくる。


近藤が悪くないことは分かってる。

でも。

もう関わりあいになりたいとは思えなかった。


「若槻と揉めたって聞いてる。何があったんだよ。俺、全然詳しいこと知らなくて」

「……寄らないで」

「えっ?」


「お願いだからもう、私に関わらないで」

「何でだよ。俺、お前の力になりたいだけなんだ」


肩を掴まれて動悸が激しくなった。

全身が彼を拒絶している。

異物が自分のお腹に入り込んできたかのような気持ち悪さがあった。


胃液が込み上げてきて、思わず彼を振り払い近くの排水溝に吐いた。

家で吐いてきたのが幸いしたのか、固形物は出なかった。


「おい、大丈夫かよ!」


心配した近藤が私に近づいてくる。

頼むからもう、近づかないで欲しい。

お願いだから。


私が祈るように目を瞑っていると――


「さ、さーや。大丈夫!?」


聞き慣れた声がした。

バイトの制服を着た東雲さんだった。

外の異常に気づいたのだろう。


彼女はこちらに駆け寄ると、私に優しく寄り添った。

不思議なことに、近藤に起こった拒否反応は彼女には起こらない。


「ど、どうしたの?」

「急に気持ち悪くなっちゃって……」


東雲さんは近藤に厳しい視線を向ける。

見つめられた近藤は一歩足を引いた。


「俺は、ただ……」


近藤は何か言おうとして黙りこんだ。

東雲さんは私の肩を支えて立ち上がらせてくれる。

その手は震えていた。


「奥の従業員室でちょっと休もっか。救急車、呼ぶ?」

「大丈夫……ちょっと休めば帰れるから」


呆然とする近藤を放置してコンビニの中へ通される。

店内には東雲さんの他にいつもの男性店員もいた。

調子が悪そうな私を見て目を丸くしている。


「東雲ちゃん、どしたんその人」

「ちょっと体調悪くなっちゃったみたいで。従業員室で休んでもらおうかなって」

「ああ、そっか」


従業員室は小さな部屋だった。

事務デスクと椅子が二つある以外には、ロッカーとコピー機しかない。

休憩室っていうよりは、事務所って感じだ。

私はパイプ椅子に座らされる。


「さっきの人に何かされた?」

「知り合いなんだけど、話してたら気持ち悪くなっただけ……」


「家の人とか呼ぶ?」

「自分で呼ぶから大丈夫」


スマホは持ってきている。

連絡すればすぐに来てくれるだろう。

私がスマホを取り出すと「そっか」と東雲さんはホッとした顔をした。


「じゃあゆっくりしてて良いから。私、仕事戻るね。何かあったら話して」

「東雲さん」


部屋を出ようとする東雲さんに声をかける。

振り返った彼女は首を傾げた。


「あの……ありがとう。助かりました」

「うん」


東雲さんはこちらに笑みを向けると、店の方へと戻っていく。

この時間帯はまだ忙しいだろうに、申し訳ないことをしたなと思う。


さっき近藤に話しかけていた彼女の顔、蒼白だった。

男子の視線が怖かったという彼女の話はよく覚えている。

元々引きこもっていた彼女にとって、近藤みたいにごつい男子に話しかけるのは相当勇気が必要だったに違いない。

でも、私の様子がおかしかったのを見て飛び出してきてくれたんだ。


助けられたな、と思う。

彼女には情けない姿ばかり見られている気がする。


スマホを取り出して母に連絡を入れると、数分後に兄が迎えに来た。

従業員室に顔を出した兄を見て、ようやく動悸が治まる。


「大丈夫かよ。母さんから連絡あった。何があった?」

「高校の同級生と会っちゃって……。まだいた?」

「いや、それっぽいやつはもういなかった」


私がコンビニに運ばれるのを見て諦めて帰ったのだろう。

その話を聞いてようやく安心できた。


「とりあえず今日はもう帰るぞ。欲しいもんあったらついでに買っとくけど」

「カップラーメンと、プリン……」

「ガッツリ喰うのかよ」


会計を終えた兄に付き添われて従業員室を出る。


「じゃあ、迷惑かけてすいませんでした。ほら紗夜、お前もちゃんと挨拶しろ」

「……忙しいところありがとうございました」

「あ、さーや」


コンビニを出ようとした私に東雲さんが声をかけてくる。


「また、配信遊びに行くね」

「どうも……」


沈んで海の底にいた心を、今はその言葉だけが照らしてくれた。

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