第36話 縁結びの木の怪(12)

 この投稿は一体何なんだろうか……。心霊現象の依頼でもなんでもない。文章を読み終えた途端、ぬかるみに足を踏み入れてしまったような、心の中にずっしりと重い物をのせられたような気持ちになる。

 書きこんできた相手は匿名でどこの誰だか分からないけどかなり追い詰められていることが文章の端々から伝わってくる。

 旧校舎に殴り書きされた言葉と似ていて鳥肌が立った。それにここに書かれていることはあの日見た悪夢の内容と酷似している。あの気持ち悪い視線を思い出して私は自分の体を抱きしめ、身震いした。

 頭の中で今まで学校で起こった怪異と『心霊現象考察サイト』のコメントが繋がっていく。


「ああ……そうか。どうして気が付かなかったんだろう」


 私はスマホを手にする。今更になって連絡先交換を断ったことを後悔した。時計は夜の9時をまわっている。

 もうそろそろ母が帰って来る時間だ。私は心配されないように「少し友達に用があって出ます」とメッセージを残す。Tシャツとハーフパンツ、サンダルという適当な格好で電車の定期を持って外へ駆け出した。

 夏の夜、肌にまとわりつくような生ぬるい空気が私を包んだ。


 


 閑静な住宅街の中、ぽつぽつと心許ない光りを灯す街灯を頼りに走る。

 この世界には私ひとりしかいないんじゃないかと錯覚してしまうほどに誰もいなかった。

 灯りの下で何かが付いてきているのではないかと振り返る。私の後を付いてきているのは足元にある私自身の黒い影だけだ。

 息を切らして辿り着いたのは東雲女子校だった。

 部活動も終わり、先生も帰宅したであろう校舎は真っ暗だ。誰もいないということは校内に入ることができない……はずだった。


「開いてる……」


 正門が人ひとり通り抜けられるぐらいに開いていたのだ。まるで私が来るのを待ち構えていたかのように。


 あるいは誰かがここを通り抜けていったのか……。


 私はつばを飲み込んだ。さっきまで走って熱くなった体が正門の隙間から流れ込んでくる冷気で冷めてしまった。

 迷っている暇はない。これから起こる最悪の出来事を考えれば……。私は周りに人がいないのを確認すると人ひとり通れる隙間に体を滑り込ませた。

 学校の周りは街灯があったが校舎内は闇に包まれている。私はポケットからスマホを取り出すと昇降口を照らした。

 やはり施錠されていて中に入れそうにない。

 私はゆっくりと足を進ませた。暗くて視界が悪いせいもあるが、もし誰かと鉢合わせでもしたら……。

 心霊スポットに赴き、興奮気味に語る動画配信者の映像を思い出した。自分の通う学校が心霊スポットであるはずがないが心霊動画を見る前の独特の緊張感が込み上げてくる。


 あの角の向こうから何かが飛び出して来たら?

 背後から何かに触られたら?

 声が聞こえてきたら?


 普段から心霊動画を見ているせいであらゆる現象の可能性を想像してしまい、余計に歩みが遅くなる。


 それでも行かなければ。きっと助けを待っているだろうから……。


 ライトを動かした瞬間、下駄箱からグラウンドへ抜ける外廊下に人影が横切っていくのが見えた。

 動揺してスマホを地面に落としそうになる。見覚えのある後ろ姿に私は呆然とした。


 「落合……さん?」


 一瞬だったし薄暗いので確かではないが学校指定のスラックスにすらりとした体躯、ショートカットの髪型は落合以外に考えられなかった。

 意を決して私は落合らしき人影を追う。

 外廊下を横切り、夜のグラウンドを見渡すことのできる場所に出た。落合らしき人物はどこへ向かったのだろうか。

 スマホのライトを左右に照らして動くものを探した。すぐに右手側に人の気配を感じ、スマホのライトを向ける。


「あっ……!」


 また一瞬だけ落合が視界を横切った。

 落合は暗闇の中に吸い込まれるようして姿を消してしまう。

 ……正確にはある建物の中に入っていくように見えた。


 その建物が旧校舎だった。


 目の錯覚か。落合は旧校舎の出入口の扉が自然に開いたように見えた。

 私を誘うように、普段は厳重に施錠されているはずの旧校舎の出入口は開きっぱなしだ。人ひとり通り抜けることのできる空間がぽっかりと開いていた。

 私はスマホを握りしめ直すと、底知れぬ暗闇の中……旧校舎へと足を踏み入れた。

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