第33話 縁結びの木の怪(10)
木目のスライドドアの前でそわそわしてしまう。もし、理事長も駒井先生のように縁結びの木の怪異に晒されていたら?意を決してドアノブに手を伸ばす。
「何かご用かしら?藤堂さん」
突然背後から声をかけられて私の心臓が飛び出るのではないかと思うほど驚いた……が表情には出ない。
私の後ろに千代子理事長がちょこんと立っていた。背の低い私が見下ろせるぐらいだからかなり小柄なんだろう。淡い緑色のタイトスカートに白いブラウスが夏っぽくて上品だった。
「……あの。理事長にお伺いしたことがあるのですが」
アポイントもなしに突然押しかけて来たのだ。断れるだろうと思っていたら千代子理事長は笑顔を浮かべる。
「どうぞ。ここじゃ暑いだろうし」
「……失礼します」
理事長室はひんやりとしていて冷房が効いていて気持ちが良い。さっきまで緊張していた身体がソファに沈む。
トロフィーや賞状が飾られたガラスケースの上にもう三矢神社の矢はない。
「今日はお友達と一緒じゃないのね。えーっと……確か、落合さん」
「はい。……具合が悪いみたいです」
事実を述べただけなのに気まずさを感じて視線を落とす。
「それで私に聞きたいことって?」
「……学校にある、『縁結びの木』のことについてです」
「縁結びの木?」
千代子理事長が首を傾げた。
「旧校舎の近くに立っている低い木です。枝に赤い布を結ぶと運命の人と結ばれるって、生徒達の間で噂になってて……」
「そんなものあったかしら……」
千代子理事長の反応の悪さに私は不穏な空気を感じとる。
「過去に噂になったこともないんですか?」
「木に関する噂は縁結びじゃなかったはずだけど……」
理事長が顎に手を添えて記憶を探るような素振りをみせる。私は食い入るように理事長のことを見つめた。
縁結びの木でなかったら……一体何の木だったというのだろうか。
「
「呪いの木……?」
私の身体に鳥肌が立つ。さっきまで心地よいと感じていた冷房が体の芯まで私を冷やした。
「私の祖母から聞いた話だと……旧校舎の方に一本だけ背の低い木があってね。先端が輪になった紐が括りつけられていたことがあったらしいの。枝が枝垂れて紐を結びやすいからきっと誰かのいたずらだったんでしょう。それを見た生徒のひとりが『首を吊って死んだ生徒の霊がいる』って大騒ぎして、その木は呪いの木と呼ばれるようになったわ」
噂話というのはどこでどう変わるか分からない。所詮は伝言ゲーム。人から人に伝わる過程で元の話からかけ離れていくのはよくあることだ。
だが縁結びの木の場合は違う。明らかに不都合な真実を隠し、意図的に多くの人を心霊現象に遭わせようとしているのを感じて私は息を呑んだ。
「だから当時の女学生たちは呪いの木を慰めるために赤い布を結んでいたみたい。彼女が髪に結んでいた赤いリボンを模して。祖母は『来世でまた良い縁に恵まれますように』って願いを込めて結んだらしいわね」
私は縁結びの木に結びつけられた夥しい数の赤い布を思い出す。
あれは……ある生徒の鎮魂のために行われていたものだったのか。そうとは知らず殆どの生徒が己の恋愛成就のために布を結び付けていた。ふたつの行いの温度差に私は身震いする。
「あの木で……本当に首を吊って死んだ生徒がいたんですか?」
「学校でそういった不祥事はないから安心して頂戴。ただ、東雲女子校が始まって間もない頃、ひとり亡くなった子がいたという話を聞いたわ」
「え……?」
私の身体に緊張が走る。
「祖母もその生徒のこと印象に残っていたんでしょうね。その生徒の話をしていた時、今でもはっきりと思い出せるわ」
理事長はまた、まるでその光景を目の当たりにしていたかのように語り始めた。
「その生徒はすごく優秀な子だったみたいで……。教師や同級生からも慕われていたそうよ」
私は黙って理事長の話に耳を傾ける。
「その子は大学への進学を強く望んでいた。……けれどそんな彼女の夢を時代と周りの人達が許さなかったの」
私は東雲女子校の校訓であった『良妻賢母』という四文字熟語を思い出す。
「両親から学友、教師に至るまで猛反対にあったみたい。自分の未来に絶望した女子生徒は長い髪を切った後、自宅の庭で首を吊って自殺してしまったの」
年齢が近いからだろうか。自殺してしまった女学生の気持ちが分かるような気がする。学校という場所、特有の皆と同じでなければいけないという同調圧力と「女はこうあるべし」という社会の見えないけれど確実に私達の心にのしかかる圧力に耐えられなくなったのだろう。
私も『良妻賢母』を押し付けられたら女学生と同じ運命を辿っていたかもしれない。
当時殆どの人が受け入れられてきた考え方で良い部分もある。結婚して家庭を持ち、良い母になるということ自体は間違ったことではないだろう。古くから続く人間の基本的な生き方だ。
その考えを全ての女学生の幸せに当てはめることは間違っていた。ましてや強制させることも……。
何も疑わずに受け入れられる人は幸せに生きていけただろうが、受け入れられない人もいる。
「当時祖母は女学生が自殺した理由が理解できなかったみたい。あんなに才能を持って人望もあって恵まれていたのにどうしてって。葬儀の時ですら『生まれ変わったらどうか幸せな家庭を築いて欲しい』って祈ったらしいの。時を経て祖母は自分が間違ったことをしてしまったって悔やんでいたわ……。女学生の苦しみは周囲から女としての生き方を押し付けられたことにあったのだとやっと気が付いたのよ」
理事長が眉を下げて気の毒そうに語る。
女学生の苦しみは想像を絶するものだっただろう。理事長のおばあさんだって、悪気なく純粋に生徒の幸せを願っての発言だったはずだ。だから尚更、女学生は辛かっただろう。
優しい言葉にも受け取る人間にとっては見えない棘があるのだと思い知る。
「そうそう。その生徒が映った集合写真が理事長室にずっと飾ってあるのよ。余程心残りだったんでしょうね」
立ち上がった理事長はゆっくりとした動作で机の後ろに並んだ写真パネルのひとつを取り外し、私にそっと手渡した。
「いちばん左端にいるのが私の祖母。亡くなってしまった生徒がどの子だか分からないのだけれど……名前は確か……」
私は手渡された白黒写真を見下ろした。理事長のおばあさんはどこか上品な顔立ちが理事長に似ている。旧校舎の前で撮られたもので、女性教師の右側にずらりと袴姿の女学生たちが並んでいる。
普通の集合写真のように見えたが、私はその中のひとりと視線が遭った。写真なのだからカメラ目線になれば視線が遭ったように感じるものだが私が感じ取ったのはそんなものではない。「私と会ったことがあるでしょう?」と言っているような……異様な感覚だった。写真だというのに実際に本人と対峙しているような生々しい感覚がする。
この子、どこかで見かけたような……。
しばらくその集合写真から目を離すことができなかった。
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