第29話 縁結びの木の怪(6)

 当時の椅子と机が残された教室に入る。こじんまりとした教室。机の上に何かあるのに気が付いた。旧校舎には定期的に清掃が入るはずなのに。


「なんだろう……。これ」


 私は四つ折りにされた古い紙切れを開いた。


『どうしてこの世はままならぬことばかりなのでしょうか。私はもっと学びたい。けれども両親は許してくれません。それ以上女子が学ぶことはないと言います。後は家に入り子を育てよと言うのです。それが女子として生まれた理由であり、使命だと強く言うのです……』


 墨で書かれた文字は大河ドラマで見かけるような書状の雰囲気を感じる。昔の生徒が書いた文章なのだろうか。力強さを感じる筆跡を私はしばらく眺めていた。

 過去の女学生が書いた手記がどうしてこんなところに。資料室に保管されているものではないのだろうか。

 私が手元の紙切れに気を取られているとガタッと背後で椅子を引く音がした。

 慌てて振り返るが……誰もいない。私は唾を飲み込んだ。首から下げたハンディファンの音がやけに大きく聞こえてくる。

 冷房がない旧校舎は埃っぽく熱が籠っているはずなのに私の体温が下がる。

 私はあることに気が付いた。教室の後ろの壁に貼り付けられた小さな黒板に文字がかかれていたのだ。


『女であることの罪を思い知れ』


 白いチョークで走り書きされた文字を見て私は鳥肌がたった。

 まるで私に対して言っているような……。脅迫めいた言葉に思わず顔を顰めた。


「痛っ」


 聞きたくない、もう二度と聞くことはないだろうと思っていた声を思い出して一瞬だけ頭が痛くなる。

 この文章は一体いつ誰が何のために書いたのか。旧校舎の黒板に何か書くことは禁じられていたし、落書き防止のためにチョークは置かれていないはずだ。

 黒板の力強い筆跡から激しい怒りを感じた。私は手元の紙切れを見下ろして思考する。

 女子校に「女であることの罪を思い知れ」と書くなんて、怖い者知らずな人である。生徒や教師の殆どに喧嘩を売っているようなものだ。男性教師もいるが、教師はいちばん生徒に筆跡を明かしている。私が記憶しているかぎり、この黒板に書かれたような筆跡の教師に心当たりはない。

 女性嫌悪を持つ、近所の不審者が侵入してここに落書きしたのだろうか。それもなんだかしっくりこない。だったらSNSに書きこんだ方が全世界的に自分の主張を広めることができるだろうし、ここ最近学校周辺に不審者情報は出ていない。

 だとしたら……この手記を書いた女学生の……。

 小さな黒板に書かれた文字について書いた人物を考察しようとしていた時だった。

 ギシギシッと私の真上から音が聞こえてきた。誰かの足音だ。


「他に誰か……いる?」


 私は緊張感を高めた。

 音が聞こえた以上、確かめる必要がある。私はハンディファンを止めると静かに廊下に出た。不審者の可能性もある。あるいは私と同じく赤い布を探しに来た生徒だろうか。私の存在が相手にバレないように慎重に歩みを進める。

 階段の重厚な手すりに手をかける。その瞬間、すぐ側でギイッギイッという音が鳴った。誰かが……階段を降りてきている!

 私は慌てて教室側の壁に身を隠した。ここで待っていれば階段を降りて来る者の顔を正面から見ることができる。

 私は息を止めて階段を降りて来る人物を待った。

 階段の踊り場に現れたのは……


「落合……さん」


 驚きのあまり思わず呟いてしまう。同時に私の存在に気が付いた落合が「えっ?文香?」と声を上げた。


「どうして落合さんがここにいるの?」

「文香こそ。どうしてまた一人で心霊調査してるの?」


 ただでさえ落合は背が高いのに、階段の上の方から話しかけてくるので迫力がある。旧校舎のレトロな雰囲気も様になって雑誌の一ページのようだった。

 ここまできたら私がこれからやろうとすることを話すしかない。


「赤い布を……探してた」


 私の答えに落合は目を見開いた。大股で階段を降りて来ると私の目の前に立つ。


「実際に自分も皆と同じ現象に遭ってみようと思って。そうすれば心霊現象が解明できるから。またひとりで自分が犠牲になればいいって思ったんだ……」

「……」


 落合が目を細めて私を見下ろす。私は何となく気まずくなって視線を床に落とした。


「私も赤い布を探してた。本当は文香に秘密で。私も文香と同じ。私が心霊現象を体験すれば何か原因が分かると思って」

「え?」


 私は落合を見上げる。まさか私と落合が同じ考えで行動していたとは思わなかった。落合の方は本当に他の人を助けるための正義のヒーロー思考だが。私はただの好奇心である。

 同じ行動でも天と地の差があるように思えた。やっぱり私と落合は根本的に人間が違う。


「私達同じこと考えてたんだ。やっぱり、文香と私って似てるのかも」


 そう言って落合は笑った。私も落合と考えていることと全く噛み合わなくて、それがおかしくてつられて笑う。


「それで?赤い布は見つかったの?」


 落合に問われて私は我に返った。


「ううん……。それよりも一階の紙切れと黒板の文字、見た?」

「え?何それ」


 落合が首を傾かせて瞬きをする。相変わらず呑気な落合を見て私は脱力した。


「こっち!もしかすると怪異に繋がる手掛かりになるかもしれない……」


 私が古い木造の廊下を走り出すと後から落合も小走りで付いて来る。


「ほら!あの小さな黒板!おかしなことが書いてあるでしょ?」


 落合は私が指さした先を見て目を擦った。


「え?別になにも書いてないけど……」

「えっ?」


 私は視線を落合から黒板に移す。

 ……嘘だ。さっきまで激しい筆跡で『女であることの罪を思い知れ』って書かれてあったのに。私は黒板に駆け寄ると至近距離から黒板を眺めた。

 消した後すら残っておらず、元から何も書かれていなかったかのような綺麗さだった。


「あっ」


 落合が何かを見つけたような声を上げる。私は黒板から視線を外したくなかったが渋々落合が声を上げた方角を向いた。


「赤い布……。本当にあった」


 紙切れが置いてあった場所に紙切れはなく。代わりに見慣れた赤い布が無造作に置かれていた。落合が不思議そうに手に取って眺めている。

 どうして……。さっきまで無かったのに……。

 私は慌てて廊下に視線を巡らせた。左右、人がいないが気配を探るが誰もいない。


「どうしたの?文香?」


 落合が心配そうに私の側に駆け寄って来る。


「いや……なんでもない。赤い布も手に入ったし、縁結びの木のところに行こう」


 私は気を取り直して実証実験を続けることにした。

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