第27話 縁結びの木の怪(4)

「私も……噂の出所を知ってそうな先輩に聞いてみる」


 佐野さんが真剣な表情で頷く。


「なら、私は縁結びの木にお祈りしている子達の様子を探ってみる。何か分かるかもしれないから」


 私達は顔を見合わせ頷くと、弁当を急いで食べ終えた。また音階がおかしくなったチャイムを耳にしながら教室へと戻る。放課後、私はホームルームを終えた駒井先生の元へ駆け寄った。


「どうしたの?藤堂さん?」


 私の存在に気が付いた駒井先生がこちらを振り返る。ふんわりとした駒井先生のシフォンスカートが揺れた。


「あの……少しお話したいことがあって。できれば他の人には聞かれたくないんですけど……」


 小声で伝えると事情を察した駒井先生はにっこりと笑って承諾してくれた。


「それじゃあ……相談室に移動しましょうか」


 相談室は一階の保健室の真横にある小さな教室だ。部活動に向かう生徒達が通り過ぎていく。通り過ぎがてら相談室に入る私達を不思議そうな顔で眺める。


「何かあったの?」


 駒井先生と丸机を挟んで向かい合って座る。駒井先生は終始、優しい声色で悩みを持っているであろう生徒の様子を伺っていた。


「悩みとかではないんですが……。『縁結びの木』って先生が学校に通っていた時からありましたか?」


 笑顔だった駒井先生の顔が急に真顔になったので私も身体を強張らせた。


「……ええ。あったわよ。もうずっと前から」

「それじゃあ……」


 私は心の中で手を叩いた。それじゃあ何がきっかけで縁結びの木と呼ばれるようになったか。知っているのか尋ねようとした時だった。


「藤堂さんはきちんとお願いした?縁結びの神様に」

「え……?」


 窓を背に座っていた駒井先生の顔に影がかかる。腕にぞわっと鳥肌が立った。


「結婚しなくても良い時代になったとはいえまだまだ女性ひとりじゃ生きていくのは厳しい時代よ。今のうちに良い御縁をお願いしておきなさい」


 一体何を言ってるんだろう……。呆気にとられる私を置き去りにして駒井先生の言葉が続く。


「大学なんて行っても無駄ですよ。どうせ結婚が女の人生の大部分を決めてしまうんですから。『良妻賢母りょうさいけんぼ』の校訓の元、貴方も淑女を目指し良き母にならなければなりません」

「あの……先生……何言ってるんですか?」


 目の前に座っているのは間違いなく駒井先生なのに話し方は別の誰かのようだ。話している内容もおかしい。いつの時代の話をしているのだろうか……。東雲女子校の校訓が『良妻賢母』だった時代は100年以上前である。私は思わず椅子から腰を浮かせていた。

 駒井先生は俯きながら話し続けた。まるで目の前に私がいないかのようにぶつぶつと独り言を言っている。


「早く結婚しろ、早く子供を生めってうるさいの。大学を出て自分の好きな職業に就いても結局女の価値は結婚か出産にしか向けられない……。「多様性」なんて、「自由」なんてなかった。昔と変わらない「良妻賢母」という校訓が求められるだけ。誰も多様性の世界にいなかった。給料も同じ大卒の男子と比べ物にならないぐらい低い。どんなに頑張っても私が女である限り、私の価値は結婚と出産で決まってしまう……」


 暫くの沈黙。私は静かに椅子から立ち、鞄を肩にかけて後ろ手にドアを開けようと試みる……が開かない。何も引っかかっていないし内側からしか鍵をかけられないはずなのに。開かない。

 ここで騒いだら駒井先生にバレてしまう。内心焦りながらも何度かスライドドアを開けようと試みる。


「だから……藤堂さんも早めに神様にお願いしておきなさいね。……いい人に出会って元気な子を産んで……素敵なお母さんになるように勤めなさい」


 顔を上げた駒井先生はにいっと不自然な笑顔を浮かべていた。いつもの笑顔ではない。駒井先生の中に誰か入っていて、笑いたくもないのに無理矢理笑わせたような笑みだ。


 怖いと思った。


 心霊動画を見ている時は怖いなんて一度も思ったこともなかったのに。

 何故私は怖がっているのか……。考察することで恐怖を和らげようと試みる。

 ああ、そうだ。私は物心ついたころからずっと怖かったんだ……。自分が女であることが。こうやって女の生き方を強制されるだろうことが。


「……はい」


 私は背中に冷や汗をかきながら返事をするので精一杯だった。返事をしたらドアが開く。

 相談室を出てから一度も駒井先生を振り返ることができなかった。もしあの時、別の返事をしていたら私はどうなっていただろう。

 靴に履き替えると私は東雲女子校の正門を抜けて大きなため息を吐いた。


 ……駒井先生も縁結びの怪異に影響されている。




 翌日。事態は解決するどころか悪化していた。

 下駄箱で靴から上履きに履き替えている最中、誰かが泣いている声が聞こえてくる。そっと下駄箱の影から確認すると2年生の先輩だった。

 あの顔には見覚えがある。確か、縁結びの木を見に行った時にいた先輩だ。


「私のせいだ……私がお願いしてから告白すればなんて言ったから……」

「高木さんのせいじゃないよ」

「今、神様のこと悪く言った?そんなこと言うと……坂本みたいに悪夢を見るよ。神様に謝りに行きな」


 そんな先輩たちの会話を聞きながらなんとなく事情を察する。どうやら縁結びの木にお願いしに行った「坂本」という先輩に何かが起こったらしい。


陽向ひなた、神様を怒らせちゃったんだって」

「え?それで学校休みなの?」

「私も……夢で神様が……謝らなくちゃ」


 1年B組の教室に入っても不穏で理解不能な噂話が続いていた。


「藤堂さん……」


 自分の机の上に鞄を下ろした私は佐野さんに手招きされて、屋上へ続く階段の踊り場へ向かった。


「陽向がね……おかしくなってるの」


 佐野さんが深刻な表情で切り出した。私にスマホの画面を見せる。



『どうかゆるしてください。ごめんなさい』

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