第8話 ショート動画の怪(7)

「失礼しますっ!」


 バンッと理事長室の扉が開いて私と千代子理事長は肩をびくつかせた。乱暴にドアを開けたのは落合だった。ジャージ姿であっても王子の風格が揺らぐことがない。全力で走って来たのだろう。息が荒い。


「文香!」


 私は言葉が出なかった。バレーボールのミニゲームなんてもっと時間がかかりそうなものなのに。もしかして……落合がスーパープレーをしてゲームを終わらせてきたのか。


「ノックしてから入室しないと……。私達びっくりしちゃったわよね」

「すみません……。私も理事長の話、聞きたくて……」


 落合の行動が理解できずに険しい表情を浮かべる。話なら私が聞いてくると言ったのに。


「お話ならお友達にゆっくり聞いたら?」


 千代子理事長が楽しそうに言う。


「そうですね……。文香、行こう!」

「えっ?ちょっと……」


 私は落合に腕を強く引かれて理事長室から引き離される。


「お話聞かせて頂いて……ありがとうございました!」


 早口で理事長にお礼を述べると、閉まりかけのドアの隙間からゆっくりと頷く千代子理事長が微笑んでいるのが見えた。



「ごめん遅れて。なるべく早くゲームを終わらせたつもりなんだけど」


 放課後の教室は部活動や帰宅した生徒達の影響で静かだったが、不気味だった。夕焼けが窓ガラスから差し込んで廊下が薄っすら赤く見える。私は思わず空き教室に視線を向けた。何かが潜んではいないかと……。


「バレー部の応援終わった後にひかりのアカウント見たらさ……。これ」


『これから学校で緊急配信します!』


 私は落合に手を引かれながら目を見開いた。佐野さんは一体何を考えているのか。私には理解できなかった。


「よく分からないアカウントのリクエストに答えたみたい。『学校で踊ってるカワイイひかりがみたい』って」

「もしかして……」


 嫌な予感がする。これから何かが起こる気がして落ち着かない。私達は一年B組に向かって走っていた。



 佐野ひかりは「スキ」がたくさん欲しかった。

 学力診断や通知表に印字されている「A判定」や「E判定」ではなく、「♡」だ。動画投稿した際、その動画を気に入ってくれた人がお気に入りしてくれた証。

 不思議だ。♡の数が増えれば増えるほど満たされた気持ちになる。

 SNSでたくさんお気に入り……♡をもらえた時はアイドル、有名人になれたみたいで嬉しくなった。アイドルみたいに「選ばれし者」になれるんだと思った。

 ひかりは画面には綺麗なもの、カワイイもの、カッコイイと思うものしか映さなくなったし見なかった。自分が嫌いな造形の物、風景は画面に入らないように細心の注意を払う。それは現実世界の人間に対しても同じだった。


 自分が興味関心のないもの以外は邪魔で必要ないもの。だから画面には好きなものしか映さない。友達もカワイイ友達しか映さない。時々かわいくない子も映りこんでしまうから困った。そういう子はなるべく映さないようにするか、編集する時にモザイクか削除する加工を施す。かわいくない物は絶対に映したくない。


 フォロワーのリクエストで神社を撮影した時も同じことをした。和風な雰囲気は海外ウケがいい。良い撮影スポットだと考えた。映したくないもの、画面を損なうような汚い……を削除した。


 放課後、ひかりは友人と少し話して帰ろうとしていた時だ。SNSの通知が鳴る。


『学校で踊ってるカワイイひかりがみたい』


フォロワーの一人からのリクエスト。こういうリクエストを地道に答えていくこともファンを獲得していくコツなのだ。ひかりは深い笑みを浮かべた。




「ひかり!」


 落合のよく通る声と共に教室のドアを開ける。夕暮れで赤く染まった教室にひとり、スマホを壁に立てかけた佐野さんが撮影を始めようとしていた。


「美織。ちょうど良かった!一緒に動画撮ろうよ」


 佐野さんが可愛らしく顔を傾ける。すぐ後ろにいる私に見向きもせずに落合にだけ話しかけてきた。


「そんなことしてる場合じゃないよ!早く学校から出よう」


 落合も何かを感じ取っているらしい。必死に佐野さんを説得する。


「今更無理だよ。こんなにコメント来てるのに……」


 そう言ってスマホを手にした佐野さんの表情が固まった。アイメイクを施した大きな目が落ちそうなほどに見開かれている。


「何?これ……」


 何事かと落合が大股で佐野さんに近づいていく。腕を掴まれたまま、私も教室に足を踏み入れた。

 佐野さんのスマホ覗き込むとコメント欄に「弓矢のマーク」が延々と投稿されていたのだ。

 私達がスマホ画面を見下ろして沈黙する中、教室の出入口から物音がした。私の背中に冷たい汗が流れる。

 足音とは違う。

 カサカサ、カサカサという、おびただしくて耳障りな音。沢山の何かがこちらに近づいて来るような音だった。自然と腕に鳥肌が立つ。


「え……?何……あれ?」


 佐野さんの掠れた声が教室にやけに大きく響いた。

 奇妙な音と共に教室の後ろのドアの小窓に映ったのは……着物の少女だ。小窓に上半身が映るということは私達とそう背の高さは変わらないのだろう。

 そのまま何の動きも見せないので私たちはただ、息を潜めて少女の動向を伺った。

 恐らくショート動画に映った少女と見て間違いない。横顔で前方に傾いているため、髪で顔はよく見えない。

 古びてよれた着物は派手な柄をしていて昔はもっと上等なものだったのだと想像できる。

 異常だったのは……少女の傾きだ。少女は腰を折り曲げることなく、垂直に45度傾いていた。普通の人間ではないのだろう。腰を曲げずにあの角度の傾きのままバランスを崩さないのはおかしい。

 私達は教室の出入口に佇む少女から視線を離せないでいた。

 こちらの視線に気が付いていたのか。突然少女の背丈がぐんっと天井につくまでに高くなる。

 私達は目の前で起こっている科学的に説明できない光景に言葉を失うと同時に、衝撃を受けた。

 少女の背が突然伸びたのではない。

 少女の下半身がオオムカデの身体をしていたのだ。というよりオオムカデが少女のむくろかぶっているように見えた。

 うねる身体は赤黒く光り、夥しい数の脚が蠢いて気持ち悪い。見ていて決して気分のいい物じゃないのに目を離すことができなかった。

 そこで私は今まで考え違いをしていたことの気が付く。


 心霊映像の少女は生贄になった少女ではなく、オオムカデの方だった。


 

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