ジェットコースターに乗りたくない
明滅する川
ジェットコースターに乗りたくない
勘違いしないでほしいのは、私は全然、自分が正気でないのを自覚しているってこと。
だから私は電車を降りて家に着くまでの徒歩8分の道を必死に駆け足で歩いた。市で1番大きな駅周辺は人通りも多く全力疾走なんて周りの目が気になってとてもできない。
本当はジェットコースターみたいなスピードで帰りたい。絶叫アトラクションなんて一回も乗ったことないけど。なるべく周囲を気にしないように前だけを見て出来る限り早く歩く。
家に着くと鞄を投げ置き真っ先にパソコンを立ち上げた。決して少なくない金額を投じたゲーミングPCは慣れたように発光し始める。
スマホの充電は切れてしまった。でも彼を見るには大きな画面の方が適しているから寧ろよかったのかもしれない。物事には適切なシチュエーションがある。学校や会社で、TPOとか雰囲気を壊さないのを口を酸っぱくして言われて生きてきたのはこの為——彼を完璧に見る為かもしれない。その為に言われてきたことなら全てを納得させられる。
画面が点いたからタスクバーにピン付けしているYouTubeを開く。まだ「配信」は始まっていないみたいで私はほっと息をついた。待機画面にすらなっておらず、ただタイトル画面と彼の顔が写ったサムネイルが映し出されている。クールでミステリアスな雰囲気の男性の顔が左に大きく写っている。
彼が配信しているのは息抜きの為だ。普段の活動は命懸けなのでゲームをしたりリスナーと話したりしてリラックスする。そうに違いないと思っている。
「……あーあー、みなさん聞こえてますかー?」
しばらくして高いとも低いとも言えない、あどけない声がスピーカーから聞こえてきた。良い声だなと新鮮な気持ちで毎回思う。画面のコメント欄が待機の文字の羅列から待ち人が訪れた喜びの言葉と返答に溢れる。私はそれが川みたいに流れていくのを目の端に映し彼を見る。彼は、聞こえてる? おーけーありがとうと小さく言うと綺麗に笑った。
「どうも! 物怪と戦う一般高校生戦闘員!
画面の右端にいる彼の紫の目がいつものように鮮明な色で瞬いて白い髪が揺れた。
「今日はですね、最近話題のホラーゲーム〇〇をやっていこうと、思いまーす!」
彼の配信はときどき流行りのFPSもやるがその大抵はホラーゲーム。彼は常日頃から物怪を相手にしているのでホラーゲームが得意だ。
「これ流行ってるよね。やっぱりトレンドに乗っかってこその僕だから。流行りに敏感と書いて衣十巻マキヤと読むから」
不気味な雰囲気を感じるフォントが使われたタイトル画面には暗がりの中に光る電光掲示板がある。プレイヤーが駅の警備員になって構内を探索するジャンプスケア多用でありながらじっとりとした怖さもあると評判のもの。
彼はよしっと軽く言って「はじめる」の文字にカーソルを合わせてクリックした。電光掲示板がちかちかと点滅しブツっとした音がして消える。
「うっわ……始まり方こっっっわ……まあやっていきますよ任せてくださいよ」
怯えたような声で彼は言う。正直私はホラーゲームが得意ではない。自分では絶対やらないしやる気もない。
だけどマキヤの配信は不思議と見ていられる。驚いたとき、大きな声をあげてリアクションするので見ていて楽しい。心の底からの明るいリアクション。そこには高校生らしい素直さがある。
「おい、こっちこいよ。現世の人間に手出せると思ってんの?」
怪物や幽霊をおちょくるようなふざけた態度。
「"ついてくの"? いやいや、ひとりぼっちは寂しいもんだろ 俺は誰もひとりにしたくないね」
ときどき見せる優しい物言い。全部大好きで存在しているのが奇跡だと思う。そう、彼は存在して生きている——画面の中に。画面端にいる彼の姿が何回も見た所作で揺れた。美麗に描かれた目が好きだ。
「そういえばさ、最近久しぶりに甘いもの買ったんだよね。コンビニで」
だから彼が話しているコンビニの話はあっちの世界の—— の話だし新作のスイーツだってあっちの話で、私が生きてるどうしようもない現実じゃない。私は私へ言い聞かせる。
暗いゲーム画面にはいつの間にか小さな男の子がいた。ボロボロで擦り切れた服を着ているから幽霊の男の子だろう。彼はそれを見て朗らかに言い始めた。
「俺の小さい頃もこんなんだったよ。思い出すな〜」
男の子のおどろおどろしい姿を見ても全く驚かない彼にコメント欄は草とかやばとか打っている。
「俺って昔からこの儚い顔だけどやんちゃでさ、外で遊ぶ度こんな感じでボロボロになってたな」
画面からは目を離さないまま妄想の世界に入り込んで、思い浮かべてみた。紫色の目が今より丸っこくて白い髪が今よりやわらかく揺れるのを。物怪が跋扈する世界で純粋に笑う彼を。きっと昔からボロボロになりながら戦って色んな人を助けたんだろう。今、配信で私を救っているように。
※
彼に出会ったのは慣れない仕事に辟易していた頃。家に帰っても何もやる気がわかなくて、ご飯を食べるのがやっとで、好きなゲームさえ手につかなかった。でも何もしないのは虚しい。なにかをしたい。今日という日を、取り返したい。
そうしてSNSの巡回と動画視聴に勤しむ中偶然見かけたのが「
彼はある日ホーム画面に現れてvirtual東京って世界があるのを教えてくれた。彼はここじゃない場所に生きてる。楽しくゲームをして同僚と笑いあっているのを見ると不思議なくらい癒される。
ここじゃないどこかがある。
それを教えてくれた彼は比喩なんかじゃなく世界でいちばん輝いて見える。
とは言え、画面の中のかけがえのない光を見続けるには努力が必要だ。リスナーの多くが悩みの種だと言うリアルタイムで配信を追ったり、長時間アーカイブを消化する困難についてなんかじゃないのは言っておかなきゃならない。だってこの二つに努力なんて必要ない。彼に会える手段はこの二つに限られているのだから毎日のようにある長い配信はご褒美以外のなにものでもない。駅から駆け足で帰る必要がなくなる代わりに彼の配信を見れる日が少なくなると思うとぞっとする。
必要な努力は、彼以外を目にする努力だ。
彼はFPSも(あまりやらないが)得意なのでそっちの配信者とも絡む。そっち——生身の人間の配信者だ。
今日はその界隈で有名な「ひふみ氏」とのコラボ。深夜ベッドに寝転んで私は配信を開いていた。画面には対戦相手を待つ二人のゲームアバターが映し出されている。
「"このコラボの経緯"ね……えーっとすんごい前ソロランクした時にやっぱ誰かとやりたいよな〜みたいな話を配信とかXで言ったら連絡貰って……延期に延期を重ねて今って感じです」
「いや〜返信こなすぎて嫌われてるのかと思ってビビった」
「ちょ嘘言うのやめて? 燃えるから」
前それ系でちょっとボヤったんだから。たまたま二人、都合合わなかったんですよ。
「最高ランク到達者のひふみ氏を無視とかね、できませんからね」
マキヤがしみじみと深刻さを感じさせないような明るい声して言う。ひふみ氏は、あはははとおかしくて仕方がないと言うように笑った。
「マキヤリスナーの皆さん。ひふみ氏です。氏まで名前なんでよろしくお願いします〜。インセプってゲームよくやってます。で君の名前は?」
「え? さっき言ったじゃないすか」
「口上聞かせてよ。俺忘れっぽいからさもっかい」
「え〜〜〜 ほんと今回だけですよ〜」
猫撫でな声を出してから彼はいつものように言った。軽快な会話を二人は交わす。マキヤの顔が笑顔を浮かべる。マッチングはとっくに始まっており、二人は素晴らしい連携で敵を倒していく。二人ともゲームが上手いから回復と攻撃をタイミング良くこなしドンドン敵は倒れる。さすがにひふみ氏の方がダメージを出して敵を殺してる印象だけどマキヤも負けずに着いていってる。このゲームは銃声が爽快だと思う。今の時間帯は緑の多いマップのようで二人のゲームアバターは公園で仲良く遊ぶ子供のように縦横無尽に駆け回る。軽やかな足取りで敵が蹂躙される姿にコメント欄は湧き立っていた。
勝利という文字が画面に大きく並びたって一息たった頃にひふみ氏はそういえば、と声をかけた。
「この前企画でお化け屋敷に行ったんだよ」
「あーサムネ見たかもっす」
「サムネだけかよ。でまあ案の定ビビりまくったんやわ。俺ホラー無理で。でもマキヤは得意でしょ?」
「まあメインはホラーゲーム、やってるからね」
少し言葉をためて誇らしげに言う。だよねだよねとひふみ氏は相槌して尋ねた。
「どうやったらホラーゲームというかホラー全般得意になるやろ」
「えー慣れ?」
「いやもっと具体的なやつちょうだいよ」「むずいっすよっ」「ほら、魔を滅する戦闘員なんやろ!マキヤ頼むよ」
"魔を滅する戦闘員なんやろ"という言葉が聞こえた瞬間私の体は強張った。それがポジティブなものであっても生身の人間の配信者が「衣十巻マキヤ」に言及するときにはいつも得体の知れない緊張を感じる。生きてる世界の違う人間が話す時の、入り混じらないはずの空気が無理やりかき混ぜられたような生ぬるくて冷たい感覚が私に吹き抜ける。ノリの違う人間が話す時に感じるどちらがどちらにおもねるのかわからないあの、居心地の悪さ。
「んー」
彼は目を瞑ってから開けた。
「戦闘員として答えるとしても慣れなんすよ。俺も最初はビビってたけどだんだん大丈夫になったんで。それにこういうのは無理に慣れなくても良くないっすか?自分が楽しいことしましょうよ」
ほっと胸を撫でおろす。無事に済んだという感覚が残る。私はもうマキヤの優しさに胸がただジーンとなる感覚のみを体感できた。きっと朝には目を惹くタイトルのテンポよく編集された切り抜きがあがっているのだろう。ありありと目に浮かぶ。彼を尊重してくれる存在だったら、なんでもいい。
二人はランクを順調にあげ、周囲のプレイヤーも手強さを増してきた。重い瞼を無理やりこじ開けて画面を見る。でももう疲れて限界だった。最後に聞いた会話は深夜3時を回った頃。
「最近海外のショート動画ハマってさ。ライフハック系」
「ああおもろいよね。俺は最近あれよく見る——就職あるある」
「なんでだよ」
「ゲームと配信しかしてないんで世の中のことを知らないんすよ。やっぱ知っとかないと」
「Vtuberもセカンドキャリアを考えるんだ」
「いーや、俺はずっと衣十巻マキヤだけどね」
いつの間にか私は寝落ちしていた。朝起きると情報収集の為作ったSNSのアカウントのタイムラインには昨日のコラボの会話の書き起こしや切り抜きが溢れていた。湧きあがった感情を閉じ込めた感想たちは川を流れる魚が跳ねたのを見たときと同じように目につく。やめればいいのに私の目はその姿を丁寧に追っていく。
〈「魔」って言ってたけど「物怪」なんだよねw 倒してるの〉という言葉だけブックマークする。
コラボは尊ばれる。面白いから。だけど衣十巻マキヤと彼を構築する世界が現実にさらされる瞬間でもある。守らなくちゃ。守りたいという気持ちになる。でも何を、どうやって? ちらりとスマホの左上を見て電車の時間が迫っているのに気づいた。私は急いで充電コードからスマホを引っこ抜き画面を暗転させる。
今日の仕事も社用パソコンの電源コードを全部引き抜いて切断したい衝動に駆られた。納期が迫っているのに修正が終わらない。ショートカットキーをいくつ覚えても、どんなにオブジェクトにマスクをかけるのが早く、正確になっても仕事の速度は変わらないようだった。彼によって頭打ちだ。彼——上司は納得のいくものがあがってこないことに苛立ちを隠さない。顔をしかめ眉を寄せて理解できないものをみるような顔を部下とモニターに向ける。その顔にはこんなこともできないのかって書いてある。実際に言われたこともある。自分が出す指示が無茶であるのを知らない顔。昔はもっと高圧的で一度指導が入ってマシになったと同僚たちが話していた。あの顔を認める度心臓が痛くなる。「僕に早く慣れてほしい」上司はかつてみんなに言った。まるで慣れないこっちが悪いみたいな言い方をよくされる。あなたは出来る人だから出来ない人の気持ちがわからないんだよ。と私は心の中で恨みがましく呟く。その一方で自分には彼が納得するようなスキルがないのも事実だと思う。
だけど本当はそんなことはどうだっていいんだ。私の苛立ちと不安は結局のところたった一つ。仕事が長引いて配信に間に合わないのに耐えられない。
耳障りなマウスのクリック音の連鎖、鳴り止まない人を苛む声。目に痛いモニターの光。それにまぎれる、遠くで聞こえる頑張って生きている人たちが談笑する朗らかな声。
こんな場なんてどうでもいいってマキヤを知ってからやっと思うことができた。
あの時間が何よりも大切だからそう思っていられる。
※
男子高校生は友達とゲームをする。例にもれず衣十巻マキヤもそうだ。今日は同期三人とのコラボ配信。なんとか部屋着になる余裕をもって私はモニターの前に腰掛けれた。近くのコンビニで買ったおかずをそっと開けながら画面を見る。
いくつもあるフィールドからの脱出を目指し協力するこのゲームはゲーム配信界隈で定番化してそれ自体に新鮮味はない。だけど定番化するのも頷けるほどにはプレイヤーのリアクションや会話を楽しむのに最適なゲーム。
「おい、やめろ〜〜〜!」
「これって手離すのはどうやるん」
「君たち何やってんだよ……手離すのは——」
「凛護」がマキヤのアバターを掴んで崖から落とそうとしている。細かいコントロールの効かないふにゃふにゃとしたアバターだからされるがままになっている。それを「翠柳ヤイバ」が側から見てツッコミ笑う。三人でゲームをするとマキヤは大抵イジられ役で台風の目だ。彼はホラーやFPSは得意なのにこういうパーティーゲームは苦手だった。逆に翠柳ヤイバはこの手のものが大得意で素晴らしく活躍する。手を離すコマンドをヤイバは自分の緑色のアバターを動かしながら教えた。躊躇なく凛護が手を離しマキヤが叫ぶ。爽やかな声を響かせてヤイバは笑う。
「さあ次のとこ行こ行こ」
「ほなね〜」
フィールドの緑と黄色がとことこ扉に向かっていく。
「おいお前ら後で覚えてろよ」
そんな漫画みたいな台詞をマキヤが吐いてチュートリアルからやっと最初のステージになった。彼らのコラボの最初は大抵こうやって煽り合いやおふざけで始まって協力の文字は見当たらない。でもそれも最初だけだ。
「じゃあ俺がこの棒持って扉開けとくから……」
「僕が先に行って」
「おれがボタンを押せばいいやんな」
序盤、アバターをうまく動かせないマキヤを「無様じゃん」と笑っていたヤイバも「二人ともガキやね〜」と煽っていた凛護も真剣にフィールドを攻略し始める。
「わかってんじゃーん」と画面端にいる彼は瞳の色が見えなくなる程にこりと笑った。見ているこちらが嬉しくなるぐらいの声色。その声は心から楽しそうで、なんだかよくわからないぐらい感動する。自然と涙がこぼれそうになる。
高校生の彼らが、厳しい戦闘の日々から束の間の休息を楽しんでいる。小さい頃、友達とゲームをしたもう戻らないあの日々みたいに。
こんなに楽しくて優しい世界が目の前に今現在、存在している。毎回私はそれに感動している。
「こういうゲーム久しぶりにやったけどおっもしろいな」
マキヤはぽつりと言った。画面で動き回っていた彼以外の緑と黄色のアバターが止まる。
「マッキーあんませんよな。これ系」
「凛護もあんましないだろ! ま、たまにやるからこそいいと思ってる」
「ホラーばっかやってるもんね。それ以外だとあれのイメージだ。〈※※※※※〉やってたよね?」
ヤイバは名高いアドベンチャーゲームのタイトルを出した。ルートの分岐がいくつもあってプレイヤーの価値観が出るとされるタイトル。配信的にも人気が高い。彼の選んだ選択肢で彼のことをもっと深く知れる気がするから。彼がやるには珍しいゲームだったのもあっていまだによく覚えているあの配信。
「あーそれおれもちょっと見たで。お前が容赦ないこと色々やってたのと皆が泣くシーンで泣かんかったのは覚えとるわ」
「たしか僕も凛護も泣いたのにマキヤは泣いてないの面白いよね」
「俺は配信では泣かないよ? え、待って君たち泣いたの? え?え?え?」
「いやいやいやマウントの取り方、ガキ」
「……確かにマッキーって泣かんって有名やもんな」
彼のそんなところがいいなと思ってる。嫌なことでも笑い飛ばしてくれそうだから。
「凛護、絶対『衣十巻マキヤ 冷血まとめ』の切り抜き見たでしょ」
「えっ……見てへんよ。お前たちの切り抜きって、おれは一般高校生術師やからね」
「それ関係ある?」
首を傾げる様が目に浮かぶ声で言ったあとに、これはですね皆さん、見てますねとヤイバは続ける。えー見てくれてありがとっとマキヤが猫を撫でるような声で言う。最初は否定をするのに結局凛護は本当のことを白状する。かくいう私は画面に釘付けになり、コンビニのおかずがぬるさを越え冷たくなりはじめる。こうやってまた「同期が好きな凛護」エピソードが出て心地よい配信は刻一刻と終了に向かっていく。
面白そうなゲームを見ても自分で遊ぶ気にならなくなったのはいつからだろう。
明日になるのがいやでベッドの中で考えていた。もう時計はとっくに0時を回っていたが眠るまでが今日だと信じていた。針を刻む音はやけにはっきり聞こえる。
暇だからゲームをしてるんです、とかつて後輩が言ったのを思い出す。
卒論終わってもうすぐ大学卒業だから暇で仕方なくて。普段あんまりしないんですけど今ハマってます。
そう言って目尻を柔らげかわいらしく微笑んだ後輩がいた。黒髪が艶やかな、かわいい子だった。ピンクのチークがよく映えるようにいつもにこにこ笑っているみたいな。きっと私がバイト先の先輩だから話してくれたような華やかな子。同級生だったら普段話さないような子だった。「暇つぶしですぐ飽きちゃうのかなと思うんですけど」少し残念そうにしつつも明るい調子を崩さず言ったのを覚えている。
その時びっくりしたことも覚えてる。私にとってゲームは暇だからやるものじゃなかったから。昔から好きでずっとやってきたもの。家に帰ったら何より真っ先にやるもの。
今仕事で忙しいから、暇じゃないからできなくなったのだろうか。今回見ていたゲームに限って言えば私には友達がいないからやる気が起きないのだ、と言うこともできる。でもきっとそうじゃない。ゲームが私の友達だったんだから。疲れているから、できないのだろうか。
なら逆にできることは何があるのか。できることといえばSNSの巡回や動画視聴だけだ。その体力しかない。私は重い頭と疲れ切った体を抱えてやっと学生時代はあらゆる全てに体力をつける時間だったのだと気づいた。勉強、運動、人付き合い、諸々の日々の営みをやりきる体力を私は持っておらず鍛えもしなかった。息を吸って吐く度、ひどく疲れていく。そんなふうに思いながらも私は今日をあと少しだけ何か新しいものにしたいと考える。
だから実際に自分が体験するんじゃなくてただ見るってだけなら疲れないこれをやる。
配信は見るだけで誰かと、彼と、彼らと楽しく過ごせる。画面を挟んでいるから、私があの場において全く不在だから、楽しい部分だけを感じられる。アーカイブを再生すれば無限にあの時間を繰り返せる。配信はアーカイブになり切り抜きなりクリップなり文字への書き起こされる。それはインターネットの網目に点在してひかり続ける。繰り返し繰り返し何回も何回も。私はそれを想像する。ぴかぴか輝くメリーゴーランドが延々と回り続けるみたいな夢みたいなのを思い浮かべて、眠る。
「照明を変えたくて」
彼女は締めの床掃除をしながら言う。灰色のモップが透明な弧を描いた。
「手っ取り早く部屋をおしゃれにしたくて、そうだ、天井のライトをかわいいのに変えよう!ってなったんです」
「あ、あれ自分で変えれるんですね」
雑巾を絞りながら小さく返事をする。こっちの方が年上なのに私はうまくタメ口が使えなかった。
「はい、実はそうなんです。照明って部屋全体を照らすものだから変えたら一気に印象変わると思って……実家はオレンジのランプが何個かついてるのだったんですけど今の部屋、白いの一個ですごく明るくて目が痛いんですよ」
そうなんだ、と思った気がする。うわ〜!そっか〜と大きな声でリアクションすればよかったと思った気がする。はたして、これは本当にあったことなのか脳の捏造なのか、よくわからない。
※
衣十巻マキヤ:初めて〇〇大会に出場します!!させて頂きます!!精一杯がんばります!!!!!!!!!!!!!!
彼がゲームの大会に出場するらしい。
ゲームはインセプ——以前マキヤがひふみ氏とやっていた三人一組で戦う一人称視点のオンライン対人バトルロワイヤルゲーム。彼が所属する事務所のVライが主催する大会。真剣勝負と謳われるその大会は今までも数回行われている。特徴的なのは事務所開催ではあるもの外から色んな人を呼びチームを組んで開催するイベントであることだ。開催される旨の情報が出るとすぐ数万いいねがつくぐらい人気のイベント。彼は初出場で、SNSの参加表明にはたくさんのリアクションが所狭しと並んだ。
そのほとんどが喜びの声だ、と私は思うことにする。強い彼が活躍するのを自ずとファンは目に浮かべるし彼のゲームのプレイング自体にファンも多い。大きな大会は普段彼を見ない層も彼のプレイや言動を見てファンになるだろう。私も彼の活躍の場が増えるのは喜ばしい。大会期間中は毎日のように配信がある。しかもそれは大抵いつもより長時間。配信がないんだ、と落胆せずにすむのはいいことだ。
少し後になってから発表されたマキヤのチームメンバーは同じ事務所に所属する
天使ジゼルは白いロングヘアに金色の目と透明感のある特徴的な声を持つ綺麗な印象の少女だが、ギャップを感じる負けん気とマルチなゲームセンスを持っている。
FPSのイメージなあまりないが他の対人ゲームで発した煽りや笑いは「悪魔」的だとネタになっていてその場面の切り抜きは確かに面白かった。同じ事務所なので大型なコラボでちらっと会話をしていたとは思うがマキヤとそんなに絡みはなかったはずだ。ただ、マキヤの笑い方も特徴的なものなのでファンがよく二人を同列に語っていた。そういう繋がりなのかもしれない。
配信者zer0は登録者70万人ほどを誇る大手ゲーム配信者でよく名前を見る。
元プロゲーマー。私でも知っている。イメージは、愉快犯、冷徹、怖い、ゲームがすごくうまい。彼のメインタイトルではないかインセプもうまい部類だろう。柔らかい声をしているので許されている、と言われているのを見かけたことがある。声と話し方は穏やかで優しいのに言ってる内容はひどい、というギャップと面白さが人気の元なのだろう。チーム発表画像に並んだzer0のアイコンは顔の左側は天使の輪っかをつけて右側は悪魔の角がついた笑顔のマークだった。戦闘員と天使と悪魔。明らかに強そうで、色がある。期待が集まるチームだ。私はリツイートボタンを押して「楽しみ」と言ってみせた。
想像していたよりも顔合わせの空気は和気藹々としていた。
初めまして! いや初めてじゃないですよ、そう言ったマキヤ達二人に対してzer0が「置いてかないでよ〜」と口を挟む。そこにあははと笑いが起きる。ふわふわしている優しい声でzer0が「キレます」と言うとマキヤが「べ、別に怖くないけどね」と明らかに怯えた声を出す。優しい声で言われると逆に凄みがある。正直言って面白い。人に真っ向から怯える、という素振りをマキヤはほとんど見せないので珍しいのだ。
こういう大会は練習期間が1週間ほどある。チーム同士での練習試合は長時間ある。こんなにも練習段階で会話やプレイを他人が見れる競技はゲーム以外あまりないんじゃないだろうか。マキヤがアタッカーを務め、ジゼルが索敵をし、zer0が守備を務める。
皆、元々ゲームがうまいので良い戦績をキープしている。20組中ベスト5に必ず入ってあと少しでチャンピオンが取れるというところまで行った試合もあった。
「割ったよ!80カット」
「やったやった!グレネード投げて!」
「落ち着いて、落ち着いて、ゆっくり」
声もよく出るから雰囲気も悪くない。ただ皆、負けん気が強いので初動で負けてしまった時やあと一歩及ばなかったときの盛り下がりは大きかった。
「最近肩痛くて、みんな長いこと配信してたら痛くならない?」とマキヤが雑談がてら聞いた。
「うっわわかる。ジゼルも最近やばいよ」
「天使なんだから羽で飛んどけば痛くなんないじゃない?」
「なんかその言い方馬鹿にしてない?」
「してないしてない」
「そっかジゼちゃん天使なのか」
とzer0がたった今知ったみたいに言う。
「僕もアイコン天使だから親近感だなあ」
「え、今更すぎない?結構前から思ってたよ」
てか片方は悪魔じゃんとボソッとマキヤは言った。
「え、僕のこと馬鹿にしてる?」
「してないですしてないですよ」
「まあ僕は天使でも悪魔でもどっちでもないよ。戦闘員でもない。ただの配信者だからね。僕なんかとてもとても」
言い方は謙遜のようでいて自信に満ちていた。マキヤはそこで「馬鹿にしてる?」と返さなかった。返してもいいと私は思ったのだがへへへ、そうですよねぜろの旦那〜と言って続く「人間を舐めるなよ」という彼の台詞にひいと言いながら爆笑していた。いつでも笑顔を振り撒くひとなのだ。
敵チームの練度は日を追うごとに増していく。
「勝たないと意味がないって思うんすよ。大会ってそうでしょ」
マキヤが珍しく真剣に言う。
「すっごくわかるっ!頑張るだけでいいなんて思えない。結果がほしいもん」
「わかるよ」
最後の練習試合の日。中盤で倒されてしまい雑談の時間になった。そんな勝ちたいという熱意が私にもあればよかったと思う。彼らを見るときらきらと眩しい。
「……でもみんなで楽しめたらって、楽しむのもいいんだって最近思うんです」
ポツリとマキヤが言う。
「おっ〈Vライ〉だね」
ジゼルが嬉しそうに音を弾ませる。どういうこと?とマキヤが驚くとゆっくりと透明な声が響く。Vライラック、略してVライ——二人が所属する事務所の名前だ。
「"楽しい思い出を貴方とともに"が〈Vライ〉の謳い文句だから!ジゼル好きなんだよねこの言葉」
「でも、じゃあ勝たないと楽しくないって思わない?」
zer0がしっかりとした口調で言った。心からそう思っているのだろう。
「そう。勝たないと楽しくない。本当、そうだよな」
勝ちたいなと彼が言う。ああと私は思う。
本番は6試合ある。チャンピオンを取れば最高20ポイントからなる順位ポイントと倒した敵数のキルポイントを競う。
前半3試合は悪くなかった。5位と7位と2位。中でも三試合目のひとり残った彼が一対三で戦うところは実況も盛り上がりかっこよかった。でもその次から初動落ちし結局チャンピオンはまだスクリムでも本番でも出せないまま最終試合になった。SNSで見た、チームみんな強そうなのに意外と奮っていないという言葉を思い出す。「意外と」なんて私は思えなかった。
いよいよ最終試合、息遣い、話し声から緊張が伝わってくる。
「もうこれはキルしまくって行こう」
「うん!」
「そんでチャンピオン取ろう」
気迫とも言えるそれは私の手を震わせる。今日が仕事の休みで本当に良かった。ちらちらと結果を気にしながらなんて仕事に手がつかなかっただろう。
みんなの勝ちたいという気持ちが伝わってくる。みんながプレッシャーを背負っているのがわかる。でも前の試合で縮こまっていたのが嘘のようにハキハキとコールが通る。敵は見えないけどあそこにいるかもしれない。注意して行こう。投げ物持ってる?僕はあっち見てるよ。うん。落ち着いて行こう。そっち見れてないよ。あっこれ行ける行こう。
バリアはどんどん縮まってチームもどんどん倒されていき残り3部隊。まだマキヤ達は生き残っている。建物のなかに潜み、彼らは周囲を警戒する。安置の中には入っている。これからどうするか、外に出るタイミングはどうするか、家中に入ってくる者の警戒、物資の不足、敵の位置の把握。とるべき情報が錯綜したその時だった。
バンッと建物の扉が破壊された。投げ物の爆弾で扉は壊れる。タイミングのよい奇襲に三人は慌てた。ウルトウルト!割った割った!マキヤが大きな声を出す。対応してなんとか敵を倒した。zer0とジゼルのサポートがうまい。マキヤも落ち着きを取り戻す。でも襲撃は止まらない。漁夫の利を狙った別の部隊——つまりあと残りの1チームが突撃してくる。当然回復は間に合わず、削られていたHPは瞬く間に0を叩き出しジゼルが倒れる。zer0が代わりに一人を倒すがすぐにダウンしてしまう。残り一人になった彼はミリのHPの中応戦して相手のゲージを半分以上削ったがやはり敵わない。彼は息を溢した。
「おしい!!」
とzer0が練習で見せたことがない大きな声を出した。
「ごめん!!!!」とジゼルも大きく声を震わせた。
「いやこれはおしかったよ。体あっっつ」
こんなに緊張するの久しぶりだったとzer0はふうと息を吐きながら気が抜けたように呟いた。
「最後熱かった。熱い試合だったよ」
いまだにマキヤは一言も話さない。
「……マキヤ大丈夫?ミュート?」
気遣うようにジゼルが小さく言う。
いつもであればこういう時マキヤはすぐにごめんと謝ったり気を遣って大きな声を出す。練習試合はそうだった。
だからジゼルの言葉は正解だ。マキヤは通話をミュートしていた。彼の枠では嗚咽が響き渡り、とてもチームメイトに聞かせられるようなものでなかったから。
私の息も詰まり、ぎゅっと音を鳴らしそうだった。吐きそうだ。モニター端にいる彼を見る。胸が苦しくなり手が震えて動けなかった。何もできない。文字通り何も。
そこからしばらくもしない間になんとか彼は息を整えてVCに戻りチームメイトと会話していた。会話の内容は入ってこなかった。自分がどうやって寝たのかわからない。うまく眠れずにSNSを流し読みしたのは覚えているが気づいたら眠っていた。
あまりに顔色が悪いからか隣の同僚から心配されてしまった。なんとか出勤はしたのだが、昨夜の、胸が締め付けられ息の詰まったような感覚がまだ続いている。一瞬本当に吐き気がして私は断りを入れトイレに駆け込む。
本当に吐くなんてそんなことをしないのはわかっている。でも胸がなにかでいっぱいになる感覚と同時にそこに冷たい風が吹くような寒さは本物だ。
スーツに包まれた腕を窮屈に抱きしめて便座の閉じられた蓋に腰掛け目を瞑る。すると自然に彼の顔が思い出される。昨日、彼の顔は泣いてなんてなかった。目を閉じて俯く仕草をしていただけだ。それだってよく出来ていたけど。モニター画面の光の粒によって構成された彼はきらきらしている。あの時は見えなかった瞳もそうだろう。どんなときでも、今脳内にあっても。
でも嗚咽をこぼし泣いている声が聞こえた。紛れもなく本物の声。鼻を啜る音。布擦れのような何かをとる音。
私は、ショックだった。応援していた彼が負けたからじゃない。悔し涙を見てとれたからでもない。
——まさか泣くような人とは思っていなかった。わたしが見ていたマキヤは、わたしが信じていたいつも明るいマキヤがそこにはいなかった。
わたしはわたしの信じる彼があの瞬間にいなかったのがショックなのであり、彼が敗れてしまったこと自体になんの悲しみも悔しさもわいていない。
だって負けるのはどこかでわかっていたから。初出場、初大会、自分の好きな、自信のあるインセプの……FPSの大会、必ず結果を残したいだろう。必ず勝ちたいと思うはずだ。そんなプレッシャーを背負って優勝できるほど大会は甘くない。マキヤもジゼルもzer0もゲームスキルが高い、期待を寄せられやすいひと達だ。元プロゲーマーのいるチーム。いい成績を残して当然だろうという空気。リスナーのプレッシャーの中で容易く勝てる人間はほとんどいない。
だから私はそんななかでも笑っているマキヤをはなからイメージしていた。今までの彼なら負けたって笑っているんじゃないかって。
彼の衝撃的な涙は話題になった。こんなに真剣に泣くのは他の人にとっても意外だったのだろう。今までこんな大泣きしたひとも大会にいなかった。SNSではファンが共に涙を流し関連の切り抜きの再生回数は回りに回った。慰めるような言葉があり、イラストが流れ、私の中では彼がチャンピオンだと言ってる人もいた。嘆きと悲しみがこんなにも早く観客の歓心を集める。責任を負わずに気軽に苦しみに浸れる。慰みを与え人の痛みに寄り添える。きっと気持ちいいに違いない。
大会は好評連載中の漫画のスピンオフパロディに似ている。スピンオフのジャンルはスポーツで、みんなで必死に練習を積み重ねてきた主人公は一回ぐらいは作中で泣く。それは読む者の心が動かされるシーン。ファンはネットでその瞬間が描かれたコマをあげて自分が如何に感化されたか語るだろう。そのワンシーンは語り継がれ本編を読んだことのない誰かの写真フォルダにワンタップで入り込む。
バトルフィクションでなら泣かない彼はスポーツ漫画の世界でなら泣くかもしれない。彼が戦いで涙を流すときはあんなふうに声を噛み殺して泣くのかもしれない。
涙ぐんだ声は生きていると確かに感じた。それでも、もう彼の悲しみを材料にして、フィクションを作り始めてる。
私は彼の手を取りたいのではない。彼をただ眺めていたいだけ。
ずっと輝くものがあるって思いたいだけ。
そう信じることの罪悪感はどこから湧くのだろう。そんなものがないと知っているからだろうか。
大会の後は振り返り配信があるものだが私はとても見る気になれなかった。やっと見れたのは同期の凛護とのコラボ配信。大会練習の配信ばかりしていたのでこういうコラボは久しぶりだ。
お悩み相談を銘打った雑談に似た配信。まだ、これなら見れると思った。
二人は時にはおかしく時には真剣にリスナーの悩みに向き合っていく。
「みんな色んなことに悩んでるな」
「お前は悩みないんや?」
「いや俺にも悩みの二つ三つ四つあるよ」
二人に挟まれた画面中央にあるコメント欄がツッコミで埋まってる。
「じゃあ今ここで言ってみ」
凛護が偉そうに流し目すると普段よりも大きく映ったマキヤはえーとっと目を瞑ってから開き言った。
「先生、僕悩み事があるんです。最近泣くつもりはなかったけど泣いてしまったときがあってその恥ずかしさがまだ僕の中にあるんですね」わざとらしく敬語を使い彼は早口で捲し立てる。私は思わず息を呑む。それと同時に「あっ」でコメント欄は埋まっていく。
どうしたらいいですか?と彼は続けて言った。いや〜〜〜だって恥ずかしいじゃんか〜〜〜と声の調子をあげ身体を揺らしているのが目に浮かぶほどに語尾をごにょごにょさせている彼をじっと見る。ネタで言っているのは容易にわかる。
「ガチのやつやん」
だと言うのに凛護は笑い声をあげながら呟いた。そうして深く考える素振りなくすぐ口を開く。二人の会話はテンポがいいで有名だ。
「——認識が甘いぞマキヤ君よ。全てのものが日々新しい。新しい自分を見せた自分に誕生日おめでとうと言いなさい」
「えー! 思ったよりしっかり答えてくれるじゃん。《留年組》ってこんな感じだったか」
「そうだよ。知らないって遅れてる」
「座右の銘にするか、全てのものが日々新しいって。これって凛護オリジナルワード?」
凛護は答えない。一瞬間を開けてから言った。
「あの、ざゆうのめいって何?」
「……お前マジか」
え? 草 い つ も の 待ってました コメント欄は誰も彼もそんなふうな言葉をつらねる。
そうやって今まで何回も見てきたように、言葉を全然知らない凛護にマキヤがその意味を教えるというお決まりの流れに会話が移ろっていく。全てが移ろい変わっていく。
だけど結局習慣は変わりなく、私はYouTubeの前にいる。気づくと開いている。優秀なアルゴリズムは容赦なく彼を勧めた。彼を見たくないと思ったことなんて今までなかった。サムネイルいっぱいの、歓心を呼ぶために脚色された赤や黄色の文字は目に刺さって痛い。でもある意味それは、そうなるように作られたものだから構わないと思える。文字でなら見ていられる。
ふとその中に、あのストリーマーがいた。以前マキヤとインセプをした人だ。
〈〇〇大会、Vtuberらのプレイに圧巻し椅子から滑り落ちるひふみ氏〉
サムネイルに彼がいる。以前であれば絶対見ない。だけど少し迷ってから動画をタップした。ゲーミングチェアに座った大柄な男性が腕を組んで話している。着ているブランドもののパーカーのロゴはその体積によって引き伸ばされ、後ろに映り込む棚にはゲームキャラのフィギュアやポスターが綺麗に並んで何が好きなのか容易にわかる。何が好きかを隠さない素直さがあるのがわかる。
プロがアマチュアに対して一家言、物申すというよりは友人に「あの試合見た?」と聞かれて答えるみたいな気軽さで、「見た?」のコメントに答えた。
「見たよ。や〜面白かったね。本格的でレベル高かったし」
根本に黒の見えるプリンの色合いのパサついた頭髪を振ってから思い出すように頷くとタイムスタンプ通り、心の準備通り、話題がそれになる。この人は目鼻立ちがはっきりしていて喜怒哀楽がわかりやすい。
「お前らあれ見た?」
カメラに顔を寄せた。
これはきっと興奮の顔だ。
「マキヤの1V3! あれさ、ちょ〜すごかったよな。あ? 今その話はしてないから!」
粗雑なコメント欄とのちょっとした格闘を眺めるその間、私は祈ていた。言わないで。手さえ組んでいた。お願いだから決定的なことを言わないで。決定的ってなによと心が尋ねる。魂だとか中身だとかそういうものだ。考えたくないのに私はもう思考している。物語の中に出てくる前世は浪漫に溢れてるのに、とかそういうことを。2000年代生まれに前世は存在しないと語るTikTokの動画を思い出す。
「俺が語りたいのは、あの第3試合……だよな? あっこで冷静にシールドをスワップして、最後一本武器に持ち替えて相手チームの動きを完全に読んでたのがさ、」
さすが元プロチーム所属。某有名老舗ゲームタイトル所持者。経験者。腕が衰えてないとか、それで泣いちゃうんだとか、脳がそういう言葉を先回りして……言わないでと願う一方で言うだろうとも思った。言ってほしいともどこか考えていた。そう思うと楽だった。
「刀を冷静に抜く仕事人でくっそかっこよかったって話! もうあの時は覚醒した戦闘員だった」
でも、それは予想に反し噛み締めるような声だった。伏せていた顔を上げた。男はしみじみと顎をなでている。そして「マジでさ」と先程よりも熱の入った声を出し始める。
やけに力強いその目の輝きを認めると、私の目は、男が見たであろうあの日あの時の光景を見つけ出し、まるでその光を焼き付けていくように熱くなった。
「俺巻き戻して何回か見ちゃったからね。漢、衣十巻マキヤがあの戦場に立ってたわ」
マキヤの話はそれで終わった。
生きているなんの変哲もない男の虹彩にライブ用の丸い照明がくっきり映っている。話題は移ろう。本番で順位を伸ばしたあのチーム。かつてやらかしたデバイス不調で起こったありえないプレイング。移ろいの中で、たやすく戦場に立つ姿をイメージしている自分に気づく。あの実況はアツかった。新作キーボードが最高だ、最低だ。旅行に行きたい。ジェットコースターに乗りたい。話題は聞き手を否が応でも別の場所に連れて行く。私はただ眺めている。どこにも行かずに。
男はシークバーが到着点に着く間際言う。
「また見たいねこういう大会」
ようやく私は泣いている自分に気がついた。
自動再生機能は十全に動作して、次の動画に事を進めている。
ジェットコースターに乗りたくない 明滅する川 @hokahokayu
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