第33話 君もわたしもびしょ濡れだった。

 ピッチ中央のセンターサークルから先輩が軽くボールを蹴る。

 それを受けた原先輩が、前にいるゴトゥーにパスを回す振りをして斜め後ろに蹴った。

 受け取ったのはニシザーだった。ニシザーはボールを回そうとして、そうせず、そのままドリブルで走り出す。速攻だ。いきなり見せたニシザーのドリブルの速さに敵が付いていけない。


 ニシザー!


 わたしのためにゴール寄りを守っていたニシザーが、遂に2点差を受けて攻撃に転じた。

 ゴールに向かってニシザーが上がっていく。

 敵のDFディフェンダーがニシザーに向かっていこうとした瞬間にボールを低く素早く蹴る。その鋭く長いパスがゴトゥーの足元に届く。ゴトゥーがこんなに速くゴール前まで上がっていたことに敵は気付かず、遅れを取っていた。ゴトゥーはトラップしたボールを数回ドリブルして、ボックスに入った次の一歩でボールをゴールネットに叩き込む。


 前半32分 1ー2


 ニシザーとゴトゥーのコンビプレイが決まった。わたしはゴールの前でよっしゃとガッツポーズを取る。

 これで1点差。100m向こうからニシザーがわたしに手を振り、そのまま、もといたポジションまで戻ると、ニシザーはわたしに親指を立ててから、背中を向けた。

 21番。

 細身の背中が大きく見えた。

 

 1点の差を守ったけれど、縮めることもできず、1ー2で前半を終了した。

 1点差とはいえ、2点も取られてしまったことが悔しくて仕方ない。


 ベンチに戻ったわたしを迎えたのは大久保先生だった。

「長谷川、よくやった」

 ビシッと姿勢を整えて、ぶんと音がするくらい、90度腰を曲げた。

「すみません!!2点も取られました」

 わたしの髪から水滴が飛んで来て、「わっ」と大久保先生が顔をしかめたが、すぐに笑って顔を袖で拭うと、わたしの肩を叩いた。

「長谷川、上出来だよ。あれだけシュートうたれて、よく2点で抑えてる。5点取られてもおかしくなかったくらい」

「…でも」

「上出来だよ、本当に」


「ずーるーいー、ハセガーばっかり褒められてるー」

 タオルで髪を拭きながら、ゴトゥーが文句を言う。

「ゴトゥーは得点して当たり前だから、褒められるわけないじゃん」

 口を挟む原先輩はゴトゥーには厳しい。

「でも、あのニシザーのロングは良かった」

「あざっす」

 原先輩はニシザーにも優しい笑顔を見せる。

「ひーどーいー、シュートしたあたしも褒めてくださいよー」

 ゴトゥーが嘆くとベンチに笑いが転がった。

「さあ、後半で逆転するよ!」

 原先輩がみんなに檄を飛ばした。


 わたしのからだを緊張感が包む。

 さあ、後半40分だ。


 気が付くと、雨は止んでいた。


 雨が止んだので、視界が良くなった。

 前半よりもボールがよく見える気がした。

 それは敵も自分達もお互い様だ。


 芝生の上にはあちこちに水溜まりができている。

 湿ったボールは重いし、スパイクは滑るしでコンディションは悪い。

 ジャンプするように大きく一歩足を踏み出して、次の一歩は敢えて水溜まりを踏む。

 ばしゃっと水が跳ねた。

「アウトドアスポーツって凄いな。こんなコンディションでも試合しちゃうんだ」

 そう言いながら、もう一歩、水を跳ねさせた。

「何してんの?ハセガー」

 ニシザーが声を掛けてきた。

「何って、水溜まりで遊んでただけ」

 深く考えずに答える。

「……ハセガーって、変なことしてるときも様になるよね」

「変なことなんかしてないし、様にもなってないよ」

「緊張してないん?」

「してるよ、勿論。多分、ニシザーと同じくらいは」

「あはは、それじゃ緊張感が足りないわけだ」

 実際、試合前に比べたら、もう緊張していなかった。もともと試合という雰囲気に慣れているというのもあるとは思うけど、もう2点も取られてしまい、0点に押さえなければという気負いがなくなっているところが大きい。勿論、悔しいことは悔しいので、もうこれ以上は相手に点を取られたくはない。

 ニシザーと二人で笑って水溜まりでぴょんぴょん跳ねながらピッチに戻る。その後ろでゴトゥーがやはり水溜まりでくるくる回っていた。3人ともハーフタイムでせっかく乾いたユニフォームがまたびしょ濡れになっていることが気にならない。

 小学生に戻ったような気分だった。



 キックオフ。

 後半が始まった。


 前半と同じように攻勢の敵を迎え撃つ形になった。でも、攻撃を受けるだけでなく、隙あらば攻め上がる場面が増えた。去年の代表校と去年までの万年ベスト8の試合とは思えない展開だ。


 その試合、敵の最初のコーナーキックで、わたしは高く上がったコーナーキックからのボールを、誰よりも速く高くジャンプしてつかみ取った。ヘディングを決めようとした敵の選手の頭は、わたしおなかの辺りにあって、全然ボールには届かない高さだった。

 敵チーム全体がわたしのジャンプの高さに驚いて、なんだ、あのキーパーは?という雰囲気になる。へへん、リバウンド勝負ならそうそう負けなかったんだぜ。

 さらに、もう1回驚かせてやった。

 ゴールの左上に誰もが決まると思うようなシュートを、思い切りよくジャンプして伸び上がったわたしの手が弾いた。転がったボールはゴールの外にこぼれ、再度のコーナーキックになる。2本目のコーナーキックは、低めに蹴られたけど、それはあっさりとニシザーがカットして、守備から攻撃へとカウンター攻撃を仕掛けた。

 走っていくニシザーに追いすがる敵。

 スライディングタックルが来た瞬間、ニシザーはそれを避けて、バランスを崩ながら原先輩にパスする。原先輩はそのままゴールに向かうように見せて、少し後ろにいたゴトゥーにパスを送った。


 ゴトゥーがそのパスを受けていきなりミドルシュートを放つ。

 敵のキーパーとDFディフェンスが慌てる。

 敵のDFが足でボールを防ぐが、弾き切れずにそのまま後ろに飛ぶ。

 キーパーはDFに当たったことで、ボールの軌道が変わってしまい、ボールに手が届かない。

 オウンゴールとなった。

 

 2ー2


 ゴトゥーが高く跳ねて、原先輩が抱き付いた。二人が芝生に転がって、水飛沫が上がる。



 後半23分。

 残り時間で、もう1点取って逆転してやろうとチームが勢い付く。青いユニフォームが、黒いユニフォームにプレッシャーを与え始めた。

 一つのボールを追い掛けて青と黒が絡み、ぶつかり、弾ける。

 でも、お互いに、なかなかシュートまで持ち込むことができない。

 わたしがシュートが来るかと思って身構えると、味方がきっちりと防いで、それから攻撃へと切り替わる。

 攻めていくと思えば、あっという間にボールを奪われる。

 わたしの目の前で、波が行ったり来たり。そこから、いつボールが飛び込んでくるのか。

 焦れる。でも、慌てない。呼吸は一定のまま。

 そして、目を凝らす。

 自然に背番号21の背中を追うと、その視線の先にはいつもボールがある。

 いつの間にか、1年生のニシザーが大きな声で指示を下していた。ニシザーは動き回って、躍動している。


 ああ、カメラが欲しいなあ

 この位置からニシザーを撮りたいなあ


 試合に集中しているのに、思考は別のところを動いていた。



 ホイッスルの高い音がした。

 2ー2のまま、試合は延長戦に入ることになった。

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