6話 ふかふか!よみがえる畑と溶き卵のスープ④

 そんな話をしているとはつゆ知らず、ようやく出勤したリチャトさんの前には溶き卵のスープがあった。

 思っていたよりも険しい顔のリチャトさんに、思わず口の端がひきつる。

 流石にまだ早すぎたかな……。

 いや、そりゃあ、はやすぎるのか。

 また暴走して突っ走って、とか、あたしに迷惑をかけたのは忘れたのかと叱られるのか。

 言われてもしないことなのに、悪い妄想の渦に一度はまればぐるぐると落ちていく。


「……さて、どれどれ」


 想像に反して、肯定的な声色に、はたと顔を上げ、私も同じようにスプーンを手に取り、スープを一口。

 ふわりと広がる優しい香り。

 卵がほどよく絡み、口の中でとろけるような舌触り。


「……うまいね、これも」

「ほんとですか!?」

「ああ。この間の卵料理よりも卵らしくないのに、良さがダイレクトに伝わってくる。しかしなぁ……やっぱり、この国にはこの国の文化があるのさ」

「はい。私もそう思っています」

「あんたはまだ目の前にしたことがないようにしているけど、あんたの料理にまだ忌避感を抱いているお客も当然いる。そんな状態で到底出せやしないよ」

「え……やっぱりそういうお客さん、いるんですね」

「あのねぇ……あんたの明るい性格は私も大好きだけど、もう少し周りを見てみなさい、あんたにはそういうところが足りてないんだよ」


 たしかに、その通りだ。

 分かってはいたのに目を背けてしまっていた事実に、傷口の赤いところを抉られたような気分になる。

 はあ……と深くため息をつき、頭に手をついたリチャトさんに対してどこからともなく焦燥感に掻き立てられる。

 呆れられたくない。

 私だって、またリチャトさんに迷惑をかけるのは本意ではない。


 軽くリチャトさんは考えこむようにして腕を組んでしまった。

 話しかける隙もない。

 どうしよう。


「でもさ、出前ならどうだろう?」


 思いもよらない提案に思考が追い付かない。


「サイダーの時みたいに、堂々と告知はできないけれどね。例えば常連になったお客にだけ知らせていって、出前をするのはあたしはアリだと思うよ」

「それなら、少数の人でも卵料理に挑戦する機会が巡ってくる……ということですか?」

「そういうこと。今はどうやったってあんたが思い描いている機会は訪れやしないからね……あたしは若い芽を摘むのは好きじゃない。どうせなら伸び伸びやらせたいのさ。どうする、やってみるかい?」

「はい!全力で頑張ります!」

「ははは!元気がいいことはよろしいが、通常営業も疎かにするんじゃあないよ?周りを見て、お客がどういう顔、反応、会話をしているか観察するスキルも磨きなさい」

「わかりました!頑張ります!」


 その日の夕方。


「さァさァ! 興味がある人は持っていきなァ!」


 広場の一角では、ヘッツさんとテスラさんがスプラウトの種を無料配布するブースを組んでくれていた。


「ほら、これをこの布に蒔くだけで簡単に育つんだぞ!」

「へぇ、こんなもんで育つのか?」

「おう!ついでに、このスープも飲んでみなァ!」

「あれ?これ最近流行ってるやつじゃねえか?あのリチャトの姐さんがやってる店の」

「そうですよ、ぜひ一度ご賞味を!」


 興味深そうに見ていた冒険者の男性の1人に声をかける。


「わあ!びっくりした!ってあんた、あの食堂の新入りじゃねえか!最近、討伐帰りにあのサンドウィッチとやら、食わせてもらったよ!」

「ほんとですか!ありがとうございます!」

「うん、元気がいいこった!じゃあ坊主、せっかくだしその種とスープ、1つずつくれ!」

「まいどー!」


 そんなこんなであっという間にスープ鍋は空になり、種も無事に捌くことができた。


「本当に2人共ありがとう。助かったよ」

「こういうことは俺たちに任せるもンよ!俺たちもそろそろ旅に出るし、最後にやるだけやりたかったのさ」

「そうなの!?それは寂しくなるね……」

「ふふ、そう思ってくれるなんて嬉しいねえ」

「またじきに帰ってくるからそンな顔すンな!」


 にまにまとしている大男2人に挟まれながら、食堂へと戻る。

 寂しい気持ちもあるが、なんだかニヤつく2人に素直に寂しくなれない釈然としない気持ちが残った。

 そんなことがあった3日後、村長が帰村したとリッタから伝言があった。


「村長、戻ったって聞きました!」


 村長室の扉を大きく開き、気だるげに椅子に腰かける村長に詰め寄る。


「お帰りなさい! どうでした、侯爵様との話!」

「長旅で疲れてるんだ。すごい勢いだな、チヒロちゃんは……」

「だって、気になるんですもん!」

「……サットニア侯爵は、農地計画に賛同された。いずれ視察にもいらっしゃるとのことだ」


 願ってもない話に思わず小躍りしそうになるのを押さえつける。

 しかし、心なしかいつも硬い表情をしている村長も嬉しそうだ。


「やった! これで、村のみんなも農地作りに協力してくれますね!」

「……それは、まだ分からんぞ」


 先ほどの表情とは一転、村長の顔が険しくなる。


「侯爵様が許可を出したとはいえ、村の者たちがすぐに受け入れるかは別の話だ」

「……たしかに」

「まずは、今やっているスプラウトと食堂での意識改革の試みを進め、野菜がどういうメリットをもたらして、今の生活ではなぜ駄目なのか広めなければならない」

「……その通りです。すみません、気持ちがはやくはやくと先行してしまっていました……」

「そんなしょげた顔をするんじゃない。まず、今できることを最大限にできたと思えば報告書を書いて提出しなさい」

「はい!承知しました!では!失礼します!」


 ぺこりと大きく頭を下げ、むんずむんずと大股で村長室をあとにする。

 役場を出れば、自然と駆け足になった。

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